学位論文要旨



No 117723
著者(漢字) 相木,秀則
著者(英字)
著者(カナ) アイキ,ヒデノリ
標題(和) 海洋のレンズ状渦の形成過程の数値的研究 : 地中海水渦への適用
標題(洋) A Numerical Study on Oceanic Lens Formation with Application to Meddies
報告番号 117723
報告番号 甲17723
学位授与日 2003.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4272号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 安田,一郎
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 中村,尚
内容要旨 要旨を表示する

第1章はじめに

 ジブラルタル海峡からあふれでた重い地中海水は、イベリア半島の大陸棚に沿って中層に沈み込み、レンズ状渦の孤立渦となって岸から離れる。ポルトガル沿岸で次々と生み出された中層渦はいずれも強い高気圧性の回転を示し、2-3年かけて北大西洋内部に移動する。これら地中海水渦(Mediterranean Water Eddies)は1980年代からイベリア半島沖合で頻繁に観測されてきたが、常時30個ほどが漂い北大西洋中層循環における物質輸送の役割を担っていると考えられている。このような亜表層のレンズ状渦は、世界各地の中層水の形成域でしばしば観測されている。しかし、従来の多くの研究では、レンズ状の中層水塊そのものに焦点をあてたものがほとんどであり、その周りの流れ場を含めた3次元的な力学構造および形成メカニズムの理解は不十分であった。本論文は、中層への水の注入実験から始まり、レンズ状渦の移動メカニズムを理論的に考察し、さらに高解像度3次元モデルを用いて海底斜面を下る重い水の流れを再現することによって、渦形成の初期段階をとらえ、中層渦が生まれる際の周囲の流れ場の構造とその役割を詳しく調べた。

第2章中層への水の注入実験-海底の効果がない場合-

 まず最初に、低渦位水の基本的な振る舞いを調べるために、β面上の2.5層モデルの中層の一点に水を連続的に注入する実験を行った。注入の強さに応じて、ロスビー長波から弱非線形渦、強非線形の孤立渦へと応答が変化し、特に注入強度が10Sv(=106m3/s)の場合にはレンズ状の渦が次々と形成される現象が得られた。強非線形渦の移動速度は線形ロスビー波の4倍にも達し、この速い移動によって新しい渦は短期間の内に水源から離れることが可能になり渦形成が規則的に繰り返される。運動量積分定理を用いて渦の移動メカニズムを考察したところ、速い西向きの移動は上層と中層の渦が南北に僅かにずれて結合して生じた圧力傾度力によるものであることが明らかになり、これはベータスパイラルと呼ばれるβ面上の傾圧流に普遍的な流線のねじれ構造によるものであった。また、渦の縁の構造は傾圧第1モードの定常ロスビー波の性質を満たすという仮定をもとに準地衡渦度方程式を展開し、傾圧渦の移動速度と半径を関係づける分散関係式を導出したところ、実験結果が極めて良く説明されることが見出された。

第3章非静水圧モデルがとらえた渦形成の初期過程

 この章ではジブラルタル海峡からポルトガル沖にかけての大陸棚を下り落ちる密度流を高解像度の3次元非静水圧モデルを用いて再現し、渦形成の初期過程を考察した(図1)。観測から指摘されてきたように、ポルトガル南西端の尖った岬がMeddyの形成要因であることが実験結果から明らかになり、一定の条件下で渦が次々と形成さ定の条件下で渦が次々と形成される現象をとらえることに成功した。実験で再現された渦は、レンズ状の水質アノマリや時計回りの回転といったMeddyと共通する特性を示す一方で、これまでの観測では明らかにされていない3次元的な力学構造を持っていた。渦が離岸し沖合への移動する際には、高気圧渦であるMeddyの傍らに低気圧性渦が寄り添うことで相互誘導が働いていた。切離した渦対は背の高い低気圧渦を中心に回旋しながら沖合の平均流に運ばれるが、地中海水からなる中層のレンズ状塊は常に高気圧性の回転を帯びている(図3)。これまでの北大西洋の観測では中層には高気圧渦ばかりが存在するように考えられていたが、これは地中海水の塩分アノマリに中層フロートが埋め込まれてきたためであり、本実験によると実際には低気圧性の渦も同程度に存在することが分かった。

 双極渦の高気圧渦部と低気圧渦部それぞれの発生起源を詳しく解析したところ、ともに海底斜面上での密度流の混合の影響を強く受けることが示唆された。地中海水の流量については水源で0.5Svだったものが周囲の水を取り込んで体積が増加して岬の位置で1.0Svになっており、この間に地中海水は低渦位化し離岸すると一定値を維持する。地中海水の相対渦度は海底斜面上で正だったものが岬の下流で沖合に出されて周囲の成層に挟まれると渦糸が縮んで負の渦度を帯びる。一方、表層の低気圧渦は岬の東側で発達する理由については、表層水がその下の密度流の混合によって絶えず下方に取り込まれ渦糸が伸ばされる効果がどの程度働いているのかを、密度混合を人工的に抑えた実験を行って調べた。また、周期的な渦形成が成立するための一つの必要条件として、沖合の平均的な流れ場が岬付近で発達した渦を次々と下流に運び去ることに着目しその役割を調べた。実際、平均流を加速させると完全に孤立した渦が十分な間隔をおいて形成され、平均流を減速させると地中海水は離岸するものの完全にはちぎれない。沖合の地中海水の形状がレンズ状の場合もプルーム状の場合も、表層には低気圧渦が存在し密度流の離岸を促していた。

第4章簡単化した実験構成でとらえた岬のまわりの渦形成

 この章では理想化した外力により駆動される5層モデルを導入し、第3章で再現された渦形成を再検証した。水の注入と抜き取り強度を第3章の密度流の流量に対応する値にして試したところ、図2に良く似た傾圧結合渦が次々と形成される現象が得られた。興味深いことに、海底斜面上の密度流が理想化されたのにも関わらず背景の流れ場も同様に再現された。比較実験を行い、表層の低気圧渦が海底斜面上の密度混合によるものかどうかを調べると、密度混合によって低気圧渦は強まるものの本質的には沿岸の境界流が岬をまわり込む際に海底地形の影響を受けて形成されることが分かった。背景の流れ場の生い立ちについては、水の注入にともなう順圧の地形性ロスビー長波が西に伝播した結果であった。また運動量積分定理を適用し切離した渦の移動メカニズムを調べたところ、局所的な渦の移動は相互誘導による並進と回旋によって決まったとしても、全体としては順圧の平均流に運ばれることが示された。このように、渦形成が繰り返されるためには、表層の低気圧渦の源となる沿岸境界流と渦を運び出す沖合の平均流からなる背景流の存在が欠かせない。

第5章まとめ

 本論文による新しい成果は次のようにまとめられる。まず、中層渦の3次元的な流れ場の構造を明らかにし、表層に傾圧的に結合した渦を伴って形成されることを示した。これにより、地中海水塊の分布に焦点がおかれた従来の観測では渦の力学的特性を偏って抽出してきたことが明らかになった。次に、海底斜面上の密度流の役割の本質をとらえ、実験構成を簡単化することに成功した。水の注入と抜き取りという理想化した外力を導入したことにより、沿岸流と地形との相互作用、傾圧流の不安定の影響、沈み込みによる密度混合の効果等を切り離して議論することが初めて可能になり、一つ一つの役割が明確にされた。さらに、岬のような急峻な地形の周りで起きる密度流の地衡流調節にともなって、順圧流が励起されることを新しく見出した。中層水の流入は中層循環のみならず、表層に広範囲な流れ場を作り出し、さらにその存在が傾圧渦が切離に欠かせないことが分かった。

 本論文の考察によれば、レンズ状渦が継続的に形成されるためには、(i)海底斜面上の密度流が周囲の水と混合し低渦位化・軽量化する、(ii)岬のような海岸線の凹凸から沿岸流が剥離し低気圧渦を形成する、(iii)中層の高気圧渦と表層の低気圧渦が結合し平均流などに運ばれ短い時間内に水源から離れる、ことが必要である。

図1.モデル地形の模式図(第3章、第4章).

図2.非静水圧3次元モデルで再現された100日後の(a)地中海水の水平分布(コンターは密度アノマリの鉛直積分)と(b)海面高度.

図3.図2aの岬に近い2つの地中海水塊の立体図:等濃度面(=0.2).

審査要旨 要旨を表示する

 ジブラルタル海峡から大西洋に流出する高密度の地中海水は、イベリア半島の大陸棚に沿って中層に沈み込み、レンズ状の孤立渦となって離岸することが知られている。ポルトガル沿岸で次々と生み出されるこの中層渦は、いずれも強い高気圧性の回転を示し、2-3年かけて北大西洋中央部へ移動する。このような亜表層のレンズ状渦は、世界各地の中層水の形成域でしばしば観測されている。しかし、従来の多くの研究では、レンズ状の地中海水塊そのものに焦点をあてたものがほとんどであり、周辺の流れ場を含めた三次元的な力学構造および形成メカニズムの理解は不十分であった。本論文は、中層への水の注入実験から始まり、レンズ状渦の移動メカニズムを理論的に考察し、さらに高解像度三次元モデルを用いて海底斜面を下る密度流を再現することによって、渦形成の初期段階をとらえ、中層渦が生まれる際の周囲の流れ場の構造とその役割を詳しく調べた。

 本論文は5章から成っている。第1章は導入部であり、これまでの観測で明らかにされた地中海水禍の描像と数値的研究の必要性、および本論文の内容と目的について述べている。第2章では、海底の効果がない状況下で中層への水の注入実験を行い、強非線形渦の移動メカニズムを調べた。渦の速い移動は傾圧流に普遍的な流れ場の南北のずれによるものであることを見出し、特に傾圧第1モードの惑星波の性質を満たすことを示した。第3章では、三次元非静水圧モデルを用いて海底斜面上の密度流を再現し、中層レンズ状渦が表層に低気圧渦を伴って形成されることを明らかにした。これを詳しく解析し、海底斜面上での密度混合の影響により渦対が形成されることを指摘し、また、沖合の平均流に渦が運ばれることで切離が繰り返されることに着目しその役割を論じている。第4章では、海底斜面上で中層への水の注入実験を行い、3章での渦形成を再考察した。その結果、表層の低気圧渦が沿岸境界流と岬との作用で形成されることを明らかにした。さらに背景の流れ場は、地中海水の中層への流入により励起された順圧の地形性波動から生じたものであることが示された。第5章では、本論文のまとめと中層孤立渦の形成条件が述べられている。

 本論文の特筆すべき成果は、以下の3点である。一つ目は、中層渦の3次元的な流れ場の構造を明らかにし、傾圧的に結合した表層渦を伴って形成されることを示したことである。このことは、従来の地中海水塊の分布に焦点がおかれた観測は渦の力学的特性を偏って抽出していたことを示唆している。二つ目は、海底斜面上の密度流の役割の本質をとらえ、実験構成を簡単化することに成功したことである。水の注入と抜き取りという理想化した外力を導入することで、(i)沿岸流と地形との相互作用、(ii)傾圧流の不安定の効果、(iii)沈み込みによる密度混合の効果等を切り離して議論することが初めて可能になり、一つ一つの役割が明確になった。三つ目は、岬のような急峻な地形を周りで起きる密度流の地衡流調節にともなって、順圧の地形波や流れが励起されることを新しく見出した点である。中層水の流入は中層だけでなく、表層にも大規模な流れ場を作り出し、さらにその存在が傾圧渦の切離に欠かせないことが初めて示された。

 以上述べてきたように、本学位論文は、海洋物理学・地球流体力学の見地から、中層孤立渦の形成過程の研究に大きく貢献する成果であると評価でき、学位論文として、十分な成果が得られていると、審査員一同判断した。

 なお、本論文第2、3、4章は、指導教官である山形俊男教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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