学位論文要旨



No 117724
著者(漢字) 池田,敬
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,タカシ
標題(和) 鉛直1次元海洋物質循環モデルを用いた第四紀の炭素循環の復元
標題(洋) Reconstruction of global carbon cycle during the Quaternary using a vertical one-dimensional marine carbon cycle model
報告番号 117724
報告番号 甲17724
学位授与日 2003.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4273号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浜野,洋三
 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 茅根,創
 北海道大学 助教授 山中,康裕
内容要旨 要旨を表示する

 第四紀の地球環境変動は氷期・間氷期サイクルと呼ばれる数万年〜十万年スケールの周期的変動によって特徴付けられる。この時間スケールにおいては気候変動と大気CO2濃度が良い相関を示すことが知られており、炭素循環が気候変動において重要な役割を果たしていたことが示唆される。この時間スケールは海洋における炭素や栄養塩の滞在時間と同程度であり、海洋の化学組成変動が地球表層環境変動に同調していることが期待される。第四紀の古海洋環境の記録は、海洋底コアの掘削によって連続時系列的に得ることができる。しかしながら炭素や栄養塩などの海水中濃度自体は直接知ることはできず、海水中の炭素同位体比記録を元にこれらの古海洋環境を推定するという間接的手法が良く用いられている。しかしながら、この時間スケールにおける炭素同位体比と炭素循環の関係は明白ではなく、海洋の化学組成を連続時系列的に理解する試みはまだ行われていない。

 第四紀の氷期・間氷期サイクルに伴う海水中の炭素同位体比変動は、浮遊性および底性有孔虫殻の分析によって海洋表層および深層のそれぞれについて知ることができる。両者は共に、氷期に同位体比が軽く、間氷期や亜間氷期に重くなるという特徴を示すことが広く知られている。一方、閉鎖海盆の掘削、海山の掘削、潜水性の浮遊性有孔虫分析などから得られた海洋中層部の炭素同位体比記録は表層や深層と異なり、氷期に重い同位体比を示す。このことは、海洋中層部の化学組成変動は表層とも深層とも異なる応答を示すことを示唆しており、海洋の化学組成変動を解析するためには、最低でも時間方向と鉛直方向の2次元的な理解が必要なことを示している。本研究では、全炭酸・炭素同位体・栄養塩およびアルカリ度の物質循環を扱う鉛直1次元海洋炭素循環モデル(図1)を開発し、時系列的解析を行う。はじめに炭素循環の時系列的変化に対する海洋の化学組成と炭素同位体比の応答を検討し、次に実際の炭素同位体比記録を用いて第四紀の古海洋環境の復元を行うと共に結果の妥当性の検証を行う。

 海洋混合層における栄養塩濃度を近似的にゼロと仮定すると、任意の深度における海水中のδ13Cと表層のδ13Cとの差は海水中の栄養塩濃度に比例することを解析的に示すことができる。海水中の栄養塩は、海洋表層における有機物の生産と海洋深層における溶解および湧昇によるリサイクル(有機物サイクル)によってもたらされる。モデル中で有機物サイクルの強度を周期的に変動させて海洋中層および深層の栄養塩濃度変化を調べると、中層と深層では逆位相で応答する。表層のδ13Cが一定であれば海洋中層と深層のδ13C変動は逆位相の変動を示す。一方、海洋表層のδ13Cは栄養塩濃度ゼロに相当するδ13Cであり、その変動要因は大気海洋系外部から流入する栄養塩と13Cの比の変化である。現実には、陸上生物圏サイズの変動、シリケイトの風化率変動、および混合層における栄養塩余剰などが考えられる。しかしながら第四紀の表層水δ13Cの変動幅(約0.6%0)を説明し得るのは陸上生物圏変動のみであり、陸上生物圏サイズの変動が第一義的に重要であると考えられる。

 次に、実際に海底コアから得られた海洋表層と深層のδ13C記録をモデルの境界条件として、過去30万年間の有機物サイクル、炭酸塩サイクル、陸上生物圏変動、および海洋化学組成変動の時系列的復元を行った。得られた陸上生物圏変動は従来の研究結果と整合的であり、氷期に現在よりも縮小していたことが示される。有機物サイクルおよび炭酸塩サイクルは氷期に弱くなり間氷期に強くなる周期的変動を示し、それに伴って海水中の栄養塩濃度は氷期に中層で減少し深層で増加する。このことは、表層のδ13Cとの差から示唆される結果と整合的である。モデルにより復元された様々な深度でのδ13C変動は観測事実と整合的であり、海洋中層においては氷期にδ13Cが重くなる特徴が再現された。従来、海洋中層のδ13C変動は、表層水や深層水とは異なる起源の水塊の貫入によってそれぞれ地域的なものとして解釈されていたが、海洋中層のδ13C変動のパターンは全球的なものであり、有機物サイクルの変動に伴う海洋の必然的な応答であると考えることができる。

図1本研究で用いる炭素循環モデル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなる。第1章は背景説明、第2章は第四紀における海洋炭素同位体記録、第3章は本研究の手法、第4章は海洋炭素同位体分布の順解析、第5章は第四紀の炭素循環の逆解析、第6章は議論、第7章は結論が述べられている。

 本論文の目的は、氷期・間氷期サイクルと呼ばれる気候変動が生じてきたことで知られる第四紀の海洋物質循環を、海洋表層水及び深層水の炭素同位体比の時系列データをもとに鉛直1次元海洋物質循環モデルを用いて解析及び復元することである。そのために、論文提出者は、第四紀の炭素同位体データをコンパイルするとともに、鉛直1次元海洋物質循環モデルの開発を行った。その結果、第四紀の海洋における有機物サイクル及び炭酸塩サイクルは氷期にその機能が低下し間氷期に増加すること、海水の炭素同位体比及び栄養塩濃度は中層水と深層水において逆位相で変化すること、陸上生物圏は氷期に縮小し間氷期に拡大すること、大気二酸化炭素濃度の変動に10万年周期成分が卓越するのは炭酸塩サイクルの変化によってもたらされたアルカリ度変化と関係している可能性があること、などが明らかになった。

 第四紀の地球環境変動を研究する古気候・古海洋学においては、これまで国際深海底掘削計画などによって取得された膨大な量の海底堆積物コアの分析と、その定性的解釈が研究の中心であった。そして、海洋大循環モデルなどを用いた定量的な議論は、最終氷期極相期(約2万年前)に限られており、炭素同位体比の時系列データに基づき、氷期・間氷期サイクルを通じた海洋炭素循環が定量的に議論されたことはなかった。そうした中、海洋表層における生物活動による有機物及び炭酸塩の生産・沈降・分解、海水の湧昇、などに起因した物質の鉛直分布の形成過程を考慮した海洋鉛直1次元物質循環モデルを新たに開発し、第四紀における海洋物質循環の定量的な時系列解析を行うという本論文の問題設定は、博士論文にふさわしい課題であるといえる。

 本論文では、海洋物質循環モデルの順解析と逆解析という二通りの手法を用いた議論が行われている。それは、はじめに海洋物質循環システムの一般的な挙動を把握した上で、これまでに得られている過去約40万年にわたる大気二酸化炭素濃度・海洋表層水の炭素同位体比・海洋深層水の炭素同位体比の時系列データを境界条件として用いて海洋物質循環の復元を行う、というものである。これは、第四紀の海洋物質循環の研究としては、これまでにない新しい試みであり、逆解析によって得られた復元結果の解釈を行う上で、順解析によって得られた知見が重要な役割を果たしている。

 海洋における物質の鉛直分布は、海洋循環と海洋生物化学過程のバランスの変化に応じて決定される。本論文によって、炭素同位体比や栄養塩濃度の変化は海洋中層水と深層水とで逆位相であるが、アルカリ度変化は同位相であること、などの特性が定量的に示された。また、それらの変動パターン及び時間スケールは、物質の沈降過程における溶解プロファイルや物質存在度及び物質フラックスとで決まる物質の海洋中での滞在時間に支配されていることが明らかにされた。さらに、アルカリ度の変動特性が大気二酸化炭素濃度の変動特性(10万年周期成分の卓越)と関係している可能性があるという、新しい概念を提案した。モデルから推定された中層水の炭素同位体比の時系列変動や最終氷期極相期における陸上生物圏サイズなどは、これまでに得られているデータと整合的であり、本論文の解析結果を強く支持するものである。

 問題設定、手法、結果及びその考察の全体にわたって、本論文のオリジナリティは高いと判断される。本論文によって、第四紀の氷期・間氷期サイクルにおける海洋炭素循環に関する新しい描像が確立し、今後の古気候学・古海洋学的データの取得と解釈に大きな影響が及ぶことになる。さらに、本論文で開発された海洋物質循環モデルの改良によって、第四紀や他の地質時代における海洋物質循環や地球環境変動の研究がさらに発展することが期待される。

 本委員会は、平成14年3月28日、提出された論文に基づいて論文審査会を行った。その結果、論文内容については十分であったが、論文の構成と記述について不十分な点があり、それらを修正した論文の再提出を待ち、その論文を各審査委員が審査した結果、審査委員全員が合格と判定した。

 なお、本論文第3章及び第5章は、田近英一・多田隆治との共同研究であるが、論文提出者が主体となって数値計算及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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