学位論文要旨



No 117725
著者(漢字) 清水,啓史
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ヒロフミ
標題(和) HERG(human ether-a-go-go related gene product)チャネル不活性化ゲートを利用したカリウムイオン選択フィルターについての研究
標題(洋)
報告番号 117725
報告番号 甲17725
学位授与日 2003.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4274号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 講師 辻本,哲宏
 福井医科大学 教授 老木,成稔
 東京大学 教授 豊島,近
内容要旨 要旨を表示する

 カリウムチャネルは、原核細胞、真核細胞を問わずあらゆる細胞に発現している。このチャネルは、細胞内外のカリウムイオン濃度差を利用してカリウムイオンを受動的に輸送し、細胞膜の膜電位を制御する役割を担っている。G蛋白質など、種々のリガンドによって開閉が制御されるリガンド依存性カリウムチャネル、膜電位によって開閉が制御される膜電位依存性カリウムチャネルなどがあり、様々な調節因子がカリウムチャネルの開閉に関わっている。アミノ酸配列から予想される膜貫通ヘリックスの数も、1分子あたり2-8本と多様である。しかし、ナトリウムに対して1000倍という高いカリウム選択性は多様なカリウムチャネルに共通した特色である。カリウムチャネルのイオン透過路を構成する要素も共通しており、いずれの場合も2本の膜貫通ヘリックスとPループと呼ばれる領域が4量体を形成していると考えられている。特に、Pループ領域中に存在する、カリウムイオンを選択する部位は高度に保存されており、イオン選択フィルターと呼ばれている。

 イオンチャネルの機能研究には、細胞膜の膜電位を固定して、チャネルを透過するイオン流を電流として記録する、電気生理学の手法が用いられてきた。分子生物学の手法と併せて用いることによって、カリウムチャネルについては、イオン選択フィルターのアミノ酸配列上の位置、イオン選択特性、イオン結合部位の数などが明らかにされてきた。

 最近、X線結晶構造解析により、カリウムチャネルのイオン選択フィルターを含むイオン透過部位の3次元立体構造が明らかになった。これにより、イオン透過路上に位置するイオン選択フィルターは、縦に並んだ4つのイオン結合部位からなることが明らかになった(図1)。この構造がカリウムイオン選択性の実現に大きな役割を果たしていると考えられる。

 従来のカリウムチャネルに関する研究では、チャネルのイオン透過特性が主に調べられた。この場合、その特性はイオン選択フィルター全体をイオンが透過する際の性質を反映している。しかしながら、透過イオンはイオン選択フィルター中の複数のイオン結合部位を通過していくため、カリウムチャネルのイオン透過・選択メカニズムを理解するためには、イオン透過中のイオン選択フィルター内のイオン存在状態を捉えることが不可欠であると考えられる。本研究では、イオン透過・選択メカニズムの全容を解明する第一歩として、HERG(human ether-a-go-go related gene product)カリウムチャネルのイオン選択フィルター内の特定のイオン結合部位に焦点をあてた。

 HERGチャネルは心筋の活動電位の持続時間の決定に関与する分子のひとつである。心筋の収縮を促す活動電位を、再分極させる役割を担っており、膜電位によって開閉が制御される電位依存性カリウムチャネルである。その特徴は、イオンが透過している最中にイオン選択フィルターの構造変化がおき、イオン流が遮断されるC型不活性化である。透過イオンがイオン選択フィルター中に存在するとこの構造変化は抑制され、その結果不活性化が遅くなることが知られている(図2)。また、イオン選択フィルターの細胞外開口部近傍のアミノ酸残基の点変異によって不活性化が大きく影響をうけること、細胞外開口部に結合して電流を抑制するTEA(tetraethylammonium)を細胞外溶液に加えると不活性化が抑制されることから、C型不活性化はイオン選択フィルターの細胞外に近い領域の局所的な構造変化によって引き起こされると予想されている。速いC型不活性化というHERGチャネルの特徴を利用すれば、イオン選択フィルター内の特定の位置のイオン占有状態を捉えられる可能性がある。これができれば、多くの素過程からなるイオン透過過程の中から特定の素過程を抽出したことになり、イオン透過・選択機構の理解を深めることができる。

 アフリカツメガエル卵母細胞にHERGチャネルを発現させ、膜電位を固定し透過イオンによる巨視的な電流を測定することによって、不活性化状態への遷移に対するイオンの影響を調べた。不活性化状態のチャネルはイオンが透過しないため、チャネルが開いた状態から、不活性化状態への遷移は、電流の減衰として観測される。この不活性化過程に対する各種イオンの影響を、電流減衰の時定数で評価した。細胞内外のイオン組成を変えると、不活性化はK+、Rb+、Cs+といった透過イオンによって遅延することが分かった。また、細胞内液中のイオンの影響は細胞外液中のイオンに比べて小さかった。この結果は、不活性化を抑制するイオン結合部位が、細胞外に近い領域にあることを示唆する。

 さらに、透過イオンによる不活性化の抑制部位を限定するために、TEAによる不活性化に対する影響を調べた。面白いことに、不活性化抑制の度合いを指標にしたTEAのチャネルに対する親和性は透過イオンの共存によって、低くなることがわかった。仮にひとつの部位で、透過イオンとTEAが不活性化と競合する場合には、透過イオンの共存によってTEAの親和性が変化することはない。すなわち、この実験結果は、TEAと透過イオンは異なる部位で不活性化と競合することを示している。このことは、イオン選択フィルター内の透過イオンの存在状態が、TEAの親和性に影響を与える可能性があるとする分子動力学計算の結果に、初めて実験的根拠を与えるものでもある。また、不活性化競合部位に結合している透過イオン種(K+,Rb+,Cs+)によって、TEAの親和性に大きな差が生じることも分かった。このことは、イオン半径のわずかな違い(K+:1.33A,Rb+:1.48A,Cs+:1.69A)をTEAがイオン選択フィルターの外から感受できることを示しており、イオンによる不活性化抑制部位は、TEAの結合部位に最も近い、イオン選択フィルターの最外イオン結合部位であると考えられる(図3)。また、この結合部位への透過イオンの親和性はRb+>Cs+>K+の順であった。従って、この結合部位はイオン透過の選択性(イオン選択フィルター全体のイオン選択性:K+>Rb+>Cs+)とは異なったイオン選択性を有し、カリウムに対するイオン選択性が弱いことが分かる。

 溶液中からイオン選択フィルター最外部にイオンが結合するためには、脱水和される必要があり、脱水和エネルギーは、イオン半径が大きいイオンほど小さい。そのため、結合部位の性質が脱水和だけで決まっている場合には、そのイオン選択性はCs+>Rb+>K+となるはずである。本研究で得られた、最外部のイオン結合部位のイオン選択性(Rb+>Cs+>K+)は、イオン種間の脱水和の差のみによるものではなく、脱水和されたイオンが、その結合部位と弱い静電的相互作用による結合をしていることによるものであると考えられる。

 本研究ではHERGカリウムチャネルのC型不活性化という特徴を利用して、イオン選択フィルターの、最外イオン結合部位の性質を抽出することができた。これにより、細胞外から細胞内ヘイオンがカリウムチャネルを透過する際の第一ステップを明らかにすることができた。

図1.カリウムチャネル(Kcsa)の3次元立体構造(PDB 1BL8)

(左)カリウムチャネルを細胞外から見た図。4量体の中央にイオン透過路があることがわかる。(右)カリウムチャネルを細胞膜と平行に矢印の方向から見た図。見やすくするため前後の2分子をはずした。イオン透過路に4つのイオン結合部位がある。そのアミノ酸配列はカリウムチャネル間で高度に保存されており、イオン選択フィルターとよばれる。紫色の球は透過イオンを示す

図2.C型不活性化と透過イオンの競合モデル

HERGは電位依存性カリウムチャネルであり、細胞膜電位が脱分極すると(閉状態→開状態→不活性化状態)と状態遷移する。C型不活性化はイオン選択フィルター部の構造変化(白色矢印)によって起こると考えられており、透過イオンが存在すると、C型不活性化状態への遷移が遅くなる。開状態のみイオンが透過する(紫矢印)。

図3.不活性化ゲートにおけるTEAと透過イオンの相互作用モデル

カリウムチャネルにはイオン選択フィルターに4つの透過イオン結合部位がある(紫色の円、白色の円)。このうちいずれの部位が不活性化と競合しているかについての知見はこれまでなかったが、細胞外溶液中に含まれる透過イオン種によってTEAの親和性が変化することから、最外のイオン結合部位(紫)が有力であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はカリウムイオンチャネルのイオン選択機構の解明を目指したものである。カリウムイオンチャネルのイオン選択部位(イオン選択フィルター)には複数のイオン結合部位があり、イオンはその複数の結合部位を通過することによって選択される。従来のカリウムチャネルの研究では、各過程を分離して調べることができなかったため、複数の過程を経るイオンの選択機構の詳細は明らかではなかった。本論文で用いられたHERGカリウムチャネルはイオン選択フィルターが構造変化を起こすことに起因する不活性化状態をもつ。著者はこの点に着目し、HERGカリウムチャネルの不活性化機構を利用してイオン透過の部分的な過程をイオン透過過程全体と分離して調べることに成功した。

 カリウムイオンチャネルのイオン選択フィルターは、原核・真核生物を問わず保存されており、本論文で用いられたHERGチャネルのイオン選択フィルターを調べることで、全てのカリウムチャネルのイオン選択機構の理解に基本的な枠組みを与えることができる。

 不活性化とイオン選択フィルターとの相関に関する次の各点について得た結果を述べている。

1.透過イオンと不活性化の競合

2.TEA、透過イオンの不活性化抑制部位における相互作用の発見

3.不活性化抑制部位のイオン選択性

1について:著者は透過イオンと不透過イオンによる不活性化抑制効果を、イオン種・濃度を変えて系統的に調べ、HERGチャネルの不活性化と透過イオンが競合することを示した。また細胞内外溶液中のイオンによる不活性化に対する影響の差を測定し、不活性化と競合する部位がイオン選択フィルターの細胞外に近い領域であることを示した。

2について:TEAはカリウムイオンチャネルのイオン選択フィルターの細胞外開口部に結合して電流を抑制する一価カチオンである。HERGチャネルの研究において、TEAは不活性化抑制剤としても知られていた。著者はチャネルを透過せずに不活性化を抑制するTEAの性質に着目し、透過イオンによる不活性化抑制部位との位置関係を調べるプローブとして利用した。

 TEAのチャネルに対する親和性は、細胞外のカリウムイオン濃度を上げると低くなることが分かった。また、透過イオンとTEAのモル分率実験を行い、透過イオンとTEAは不活性化に関して異常モル分率的振る舞いをすることを示した。これらの結果は、透過イオンによる不活性化抑制部位とTEAの結合部位は異なるが、その間に相互作用があることを示している。またその相互作用は透過イオン種によって異なることを示した。

 TEAをプローブとした以上の実験結果は、イオン選択フィルターの複数のイオン結合部位のうち、特定のイオン結合部位に結合したイオン種のイオン半径をTEAが外から観測することができることを明らかにしたものであり、今後のカリウムイオンチャネルの研究に重要な意味を持つ発見である。

3について:透過イオンの不活性化抑制部位への親和性を調べた。その結果不活性化抑制部位のイオン選択性がイオン透過のイオン選択性とは異なりかつ弱いことを明らかにした。この結果により著者は、HERGチャネルの不活性化を利用することによって、イオン選択フィルターの一つのイオン結合部位の性質を全体の性質から分離できることを明らかにした。

 最後に透過イオンの結合部位(不活性化抑制部位)のイオン選択フィルター中の位置について考察をしている。近年次々と報告されている、カリウムイオンチャネルのイオン透過モデル、TEAとチャネルの相互作用の分子動力学計算結果などを交え、TEAと透過イオンがどのようなメカニズムで相互作用しているかについて議論し、今後の研究に有意義な知見を紹介している。

 以上、本論文において著者は複数のイオン結合部位をもつカリウムチャネルのイオン選択フィルターから、ある1つのイオン結合部位の性質を抽出する方法を確立した。また、その部位のイオンのイオン半径をイオン選択フィルター外からTEAをプローブとして観測できることを明らかにした。この成果はカリウムイオンチャネルのイオン選択機構解明に向けて、独創的でありかつ重要な一歩であると評価できる。その業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいと審査委員全員」致で判断した。

 なお、本論文は豊島近氏、老木成稔氏との共同研究であるが、論文著者が主体的に研究を行ったものであり、論文著者の寄与が十分であると判断する。

 よって博士(理学)の学位を授与できると認める。

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