学位論文要旨



No 117730
著者(漢字) 崎山,治男
著者(英字)
著者(カナ) サキヤマ,ハルオ
標題(和) 感情経験と自己 : 感情管理化社会における自己の技法
標題(洋)
報告番号 117730
報告番号 甲17730
学位授与日 2003.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第392号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 庄司,興吉
 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 助教授 吉野,耕作
 東京大学 助教授 武川,正吾
 静岡県立大学 教授 石川,准
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、感情経験を社会学的に分析する新たな理論的視座を提示すると共に、現代社会を「感情管理化」社会と捉え、そこからの自律性を確保する自己の技法を分析したものである。

 具体的に述べていこう。われわれは日常知として感情経験は心理学的、ないしは生理学的な分析対象であるという意識を持っている。それに対して、これまでの感情社会学がそうした日常知をその理論内部に忍び込ませていることを批判した。その上で、こうした批判的検討を通して、心理学的・生理学的決定論を廃しつつ、感情の社会構成性をより強調しうる構成主義的感情社会学という理論的椀座を提示した。そして、これまで構成主義的感情社会学に寄せられてきた批判について検討を加えた上で、それらのすべてが疑似問題であることを指摘した。さらに、自発的な感情経験と、社会拘束的な感情経験とが交錯し、感情経験と自己像構成のあり方が先鋭化する「感情管理」という点を分析すべきであるということを新たな理論的視座として示した。

 その上で、「感情管理」のあり方について社会史的な考察を行う中で、これまでの感情社会学とは異なる、現代社会における「感情管理化」の論理を提示した。具体的には、これまでの感情社会学においては、「感情管理」を徹底化させていくのが「感情管理化」だとされてきた。それに対して、「感情管理」のあり方の社会史的な考察を加えることで新たな視座を提示することを試みた。まず、中世期においては「感情管理」が存在していない状態、ないしは他者から強制される状態であった。

 だが、近世から近代に以降するようになるにつれて、人々の相互依存関係や分業が進む中で、より強固な感情制御が自己に要請されるようになると共に、自己が「感情管理」を行っている痕跡すら消去されてしまうような「感情管理化」が徐々に浸透していく。またそれによって「感情管理」を行わなければならない範囲が拡大すると共に、「感情管理」を出来ない他者は排除されていく。

 しかし、現代社会においてさらに人々の相互依存関係が広がると共に、民主化が進む中で、自己はより強固な感情制御をメタ的に行っていることを前提として、自律的に「感情管理」を行うことが許容されると同時に課せられていくようになる。つまり、強固な感情制御を行うことを前提とした上で、ある程度自律的に「感情管理」を行うことが許容されると同時に課されているのが、現代社会の「感情管理化」の論理であることを新たな知見として示した。

 さらに、こうした「感情管理化」が存在するがゆえに、現代社会においてなぜわれわれには、自己の感情を気にかける、エモーション・コンシャスな状態であることが重要なこととして組み込まれているのか、さらには「感情管理」を自律的にすることが重要なこととして組み込まれているのか、という点を新たな知見として示した。そして、自律的に「感情管理」を行う技法を通して、「感情管理化」に対抗する重要性を示した。

 本稿後半部では、逆に「感情管理」を自律的にすることが出来ないという意味において、より「感情管理化」された場面として「感情労働」という場面を分析することが、「感情管理化」に対抗する技法を分析するに当たって有効であることをまず主張した。その上で看護という感情労働の特殊性を指摘し、本稿で看護職の感情労働の実証的な分析をする意義も主張した。さらに、これまでの感情労働研究の検討を通して、それが感情労働の一側面しか見てこなかったことを指摘すると同時に、感情労働において研究されるべき論点を新たに提示した。

 では、その実証研究の内容の要旨を述べていこう。「合理性」と「感情性」は二項対立的に捉えられがちであり、感情労働においては「合理性」が要求されると考えられがちである。それに対して、看護職の感情労働においては「感情性」にもとづいた振る舞いが患者のニーズの発見とその充足に対して効果的であり、それは「合理性」と相反するものではないということをまず示した。しかしながら、患者との関係が長期化し、親密化してくると「感情性」にもとづいた振る舞いを抑える必要性があり、「合理性」と相反するものとなる。そこでは、一方では「合理的」な振る舞いをとって、患者との親密化をコントロールする必要もあるのだが、もう一方では「感情性」にもとづいた振る舞いによって、患者との心からの交流を得ることが看護職の魅力でもある。その中で、「合理性」と「感情性」が対立するようになり、看護職に葛藤をもたらすと同時に自律的な「感情管理」を行えなくしていることをまず示した。

 その上で、この種の葛藤の背景にある要素を抽出することを試みた。看護職にとっては、個別の患者に重点的に看護を行う必要と、一方ですべての患者に目を向ける必要がある。そして、個別の患者にのみ重点的に看護を行い、「感情性」にもとづいた振る舞いを行った際にそれが「合理性」という要素と対立し、葛藤を引き起こすことを指摘し、「合理性」対「感情性」という二項対立図式が疑似問題であることを示した。その上で、ターミナル・ケアの事例を検討し、こうした葛藤を「他の患者にも目を向ける」ことによって解消していく技法があり、それが自律的な「感情管理」の基礎となることを示した。

 それを起点として、看護職は「感情労働」を支える規則体系を相対化する中で、自律的な「感情管理」を行えるようになる。そうした規則体系を相対化する技法として、規則を固定的に運用する中で患者に接していくのではなくて、状況依存的に運用していくなかで患者に接する技法がある。また、看護職がその職業キャリアの中で、「感情労働」を支える規則体系の意味内容を変更させて、患者に対して接していく技法がある。そうした技法を通して、看護職揮自律的な「感情管理」を回復していくことが可能であり、「感情管理化」に対抗する実践を行えることを示した。

 しかし、看護職側だけが「感情管理」の自律性を回復していくことは不可能であり、不十分でもある。何故ならば、患者によってそれが承認されなければならないし、入院している患者も、疾患に拘束された中で「感情管理」の自律性を奪われているからである。こうした観点から、まず慢性疾患の患者と看護職との関係形成の過程を分析し、そこでの「感情管理」のあり方を分析した。慢性疾患において患者は当初、疾患を受容できないことから「感情管理」の自律性を喪失している。またそれに起因して、看護職に対してニーズを提示することも出来ない。その結果、看護職も自律的な「感情管理」を行うことが出来ない。

 それに対して、疾患を受容することを強制したり療法を押しつけたりするような看護職に求められていると考えられる「感情管理」を行うのではなく、それをしない自律的な「感情管理」を看護職が患者に行っていくことで、患者も疾患を受容し、療法を行うようになって疾患に拘束されない自律的な「感情管理」を行っていくことが出来る。そしてまた、それによって患者は自身の心理的ニーズの多様性を看護職に提示出来るようになり、看護職もそれに対応した自律的な「感情管理」を行っていくことが出来る。このように、看護職と患者との関係が相互補完的な関係になる中で、看護職と患者双方が自律的な「感情管理」を行えるようになる。そしてそうした技法を通して、「感情管理化」に対抗する実践が可能になっていく。

 さらに、そうした相互補完的な関係を下支えするのが対話実践である。急性期医療においては、「医療行為」が優先されるがゆえに、対話実践が不可能であると考えられがちである。しかし、そうした場面でも、クリニカル・パスというツールを起点として、対話実践をまず行い、患者の心理的ニーズの充足を行うことが可能であることを示した。その上で、クリニカル・パスの内容が更新されていく過程において、患者も疾患に拘束されない「感情管理」を自律的に行い、その多様な心理的ニーズを看護職に提示できるようになる。そしてそれによって看護職も、その多様な心理的ニーズに応じた自律的な「感情管理」を行えるようになっていくことを示した。そしてクリニカル・パスを実際に用いる運用場面での対話実践の中で、看護職と患者が相互に自律的な「感情管理」を行えるようになることを示した。また、そうした対話実践があるからこそ、看護職側が患者の「感情管理」の自律性を奪わないことを示した。そうした技法を通して、「感情管理化」に対抗する実践が可能になっていくことを示した。

 以上の分析から、本稿では「感情管理化」する社会においても、自己が自律性を確保し、「感情管理化」に対抗する実践が可能であることを実証研究を通して示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、感情社会学という新しい領域において、これまでの研究成果を整理し、それらを「文明化」論という巨視的な理論のうえに載せることによって相対化しつつ、感情労働という対象について、これまで指摘されてきたものとは質の異なったものがあることを例示し、それを実証的に分析することをつうじて、感情管理化が進む現代社会においても、それに対抗する自己の技法によって自律的に生きぬく道があることを示そうとしたものである。

 全体は序章と9つの章および終章からなり、序章では上記の問題意識を述べている。ついで第1章では、感情経験を社会学的に分析することの意義を述べ、感情性と合理性の相克を、感情管理化の方向に乗り切っていこうとするのが現代社会の特徴であることを指摘する。第2章は、こうした事態を分析するために、感情社会学が構成主義の立場を取らねばならぬことを述べながら、それにも言語によるアプローチにともなう限界があることを確認している。

 ついで第3章は、感情管理化社会を主題化するために、それの進む現代社会がじつは、近代以前から進行してきた文明化という感情管理の延長上にあることを述べたものである。ノルベルト・エリアスの理論のうえにこれまでの感情社会学の成果を載せたこの章の議論は、感情社会学の基礎を広げるとともに深め、現代社会の感情管理化を広い視野から奥行きを配慮しつつ問題化する基礎作業の意味をもっている。

 第4章から第7章までは、こうして可能になった広く深い視野から、初期感情社会学の主題であった感情労働の問題を取り上げ、それを狭い意味でのジェンダー論的な文脈から切り離して、看護労働という、生死にかかわるという意味でより深く、かつ緊迫した対象に即して考察したものである。看護労働においては、感情性と合理性の相克が、後者の貫徹の方向に管理化されるという過程が一般化するとは限らず、感情性が合理性よりも重視されたり、両者の組み合わせが個別主義的あるいは普遍主義的に構成されつつ採用されるという、さまざまな自己の技法をつうじて、看護師と患者との関係および患者の罹病・闘病・感情経験を有意味的に管理することに役立つことが示される。

 第8章と第9章は、これを、慢性疾患患者および急性疾患患者の看護における感情管理に即して、事例分析したものである。綿密な聴き取り調査をもとにおこなわれている分析は、第7章までの議論を裏付けつつ、本論文全体の説得力を増大させるに十分な効果を持っている。終章は、こうした全体の議論をふまえて、現代社会と現代人の脱「感情管理」化への展望を述べたものである。

 こうして本論文は、これまでの感情社会学の基礎を広げ、そのうえで感情管理および感情労働の概念を拡張して、これまでに指摘されてきたジェンダーがらみの感情管理とは異なった、ある意味でその対極ともいえる感情労働や感情管理があることを実証しつつ、感情社会学の新たな展開に道を開いた画期的な業績といえる。

 よって審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値するものと判定する。

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