学位論文要旨



No 117735
著者(漢字) 佐野,洋一郎
著者(英字)
著者(カナ) サノ,ヨウイチロウ
標題(和) 線形・非線型のレーザ分子分光の燃焼解析への応用
標題(洋)
報告番号 117735
報告番号 甲17735
学位授与日 2003.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5368号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 手崎,衆
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 丸山,茂夫
 東京大学 助教授 津江,光洋
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、分子スペクトルを得るレーザ分光法を手段として、燃焼工学の幾つかの問題解明を目指した実験的研究を行ったものである。その内容、構成としては、1.非線形レーザ分光法として、縮退四波混合分光法を燃焼場の計測に応用するために必要な、基本特性の把握、検討、2.開発途上の燃焼排気NOx還元プロセスの問題点解明を目的とした、一連のレーザ誘起蛍光法の計測、に二分される。これらを以下順次概説する。

1.縮退四波混合分光法の基本特性

 燃焼場、反応場の分子検出手段としては最近の分子分光法として注目された、縮退四波混合分光法(Degenerate Four Wave Mixing spectroscopy:DFWM)について、それを様々な雰囲気圧力、組成、温度条件の下で定量計測法として用いるために必要な、基本特性の把握および計測条件としての最適化の検討を行った。

 燃焼場に対する非接触の分光検出法としては、レーザ誘起蛍光法(Laser Induced Fluorescence:LIF)が広く用いられ、OH,CH,NO等の分子・ラジカルに対して高感度検出が可能である。しかし消光過程の存在により、雰囲気圧および組成の影響を強く受け、感度低下と共に定量性を失う。また、原理から当然のことに蛍光を出さない化学種、即ち現実に燃焼場に存在する大半の化学種は対象とならない。DFWMは、上記問題を補うものとして期待され、これまでの報告では比較的雰囲気化学種の影響を受けにくいこと、原理的に非蛍光性の吸収体に対しても検出が可能であることが特徴とされている。しかしその期待ほどには適用拡大が進んでいるとは言えず、非線形分光であることから様々なパラメータに複雑に依存し、そういった基本特性についても不明な点が多く残されている。本研究では、燃焼場での計測への応用と言う観点から、必要性の高いいくつかの基礎的な測定を行い、その特性を理解する物理的な検討も行った。

 以下、各章毎の要旨を説明する。

 第1章「概論」としてこの研究全体の背景と、分子分光学の基礎概念を記述した。

 第2章「四波混合過程の原理と実験方法」としてDFWM法の基本原理をまず示し、次いで本研究で構築し、諸測定に用いた実験装置について解説した。対象分子はNOとし、NOのγバンドである紫外の226nm付近の可変波長パルスを色素レーザおよびその2倍高調波を得る技術を用いて光源及びその波長に適した光学系を構成した。DFWM法は光源のレーザビームを三分割し、位相整合条件を満たす角度関係で交差させて信号を得ることを特徴とするが、交差の方式としてBOXジオメトリーと呼ばれるものを選択し、位相整合条件を確実に実現するために本研究として案出したテクニックを記述している。また時間的コヒーレンスを保つためにビーム間の光路長差に注意することが必要であるなどの重要な情報を見出している。

 第3章「DFWMの実験結果と考察」にて、この非線形分光法に関する本研究の成果を一通り記述した。検討した項目としては、1.変更特性を利用したバックグラウンド抑制方法とそれによる感度・スペクトルの変化、2.LIFと比較したスペクトル形状の変化、3.雰囲気圧力及び組成に対する信号強度の変化、4.常温からの温度上昇による信号強度の変化とその回転量子数依存、がある。

 この内で特記すべきは3.の項目で、全圧10Torrから一気圧近くまでの範囲で、雰囲気ガスとしてHe,N2,O2,CO2についてNOの分圧を一定に保ちながら信号強度の変化をLIF法と比較しながら詳細に検討した。その結果、全圧の上昇と共にどの雰囲気ガスの場合でも、信号強度は概ね一様に低下する傾向が得られ、CO2とO2の組では僅か程度が大きいものの、ガス種による差は小さいことが解った。よく知られているLIFの場合には、励起NOに対する消光断面積の大きいCO2,O2では依存性が大きく、He,N2では殆ど全圧依存性を示さないことから、大きな違いが見られたことになる。

 この傾向自体は定性的には従来にも知られていたものだが、本研究ではその成因について理論がいかに適用されるかとの観点で考察を進めた。媒質の持つ3次の非線形感受率によって生じるDFWMの信号強度は、他の分子と衝突することによる、光励起分子のエネルギー緩和(縦緩和)および位相の緩和(横緩和)によって大きな影響を受け、それら緩和速度によって信号強皮の変化を与える理論式の提案は存在していた。しかし各々の緩和速度が雰囲気組成と圧力に対して具体的にどう与えられるかについては必ずしも明確ではなかった。本研究では実験結果との対比から、縦緩和については回転緩和を主因と考えたその速度定数を、横緩和に対してはドップラー及び衝突線幅の圧力依存性から得られる関数を当てはめることによって、観測された圧力依存がほぼ説明されることを見出した。

 4.の温度依存性に対しても、全く同じ考え方を適用し、温度依存のボルツマン平衡分布を加味することで観測事実が再現された。

2.NOx還元プロセス開発に関する問題解明への、レーザ誘起蛍光法の適用

 燃焼排気NOxの後処理による低減方法として、非接触式のアンモニア還元法(Selective Noncatalytic Reduction:SNCR)がある。アンモニアのみを排気に添加するSNCRの原型では、約1200Kを中心とした高温で狭い温度範囲でしか適用できないと言う問題点がある。その改良案として過酸化水素H2O2をさらに加えるプロセスは、約800K以上の広い温度域で効果があるとの報告例があるが、実用燃焼場での成功に至っていない。本論文後半部では、このプロセスの一層の改善策を見出すための、プロセスの反応場および流れ場を分光計測によって観測、解析する研究が述べられている。

 第四章「NOx還元の原理と方法」では、燃焼場でのNOxの生成過程とその抑制策、排気NOx還元の幾つかの方法と化学反応論的原理について、総合的に解説した。

 第五章「deNOxプロセス改善のための、反応機構の詳細検討」では、既存SNCRプロセスの問題点を詳細に把握して改善の方向を明らかにするために、素過程レベルで反応速度・機構の特徴を確認すると共に、詳細反応機構の数値計算コード「CHEMKIN」を用いて解析した結果を示した。中でも最も重要な知見として得られたことは、H2O2添加時の副反応である。H2O2の熱分解で生じるOHラジカルはアンモニアと反応するのみならず、H2O2自身とも反応してHO2を作り、HO2はNOを酸化してNO2を生じさせる。この過程はH2O2が高濃度ほど顕著となり、還元プロセスを阻害する。従ってH2O2の濃度は低く保たなければいけないが、一方一定量のNOを還元するために必要なH2O2の総量はほぼ決まっている。これら両条件を満たすという要請から、H2O2を空間的あるいは時間的に分割供給するという着想が産まれた。この着想は、反応論的詳細解析という本章の扱いを通じて得られたものと言うことができる。

 第六章「LIFを用いた、プロセスの混合拡散過程の観測と解析」に本論文後半の内の実験部分が集約されている。前章の着想も実際の装置で理想的に実現することは容易ではなく、試作装置の成績も不十分なものに留まっている。その主な原因も改良プロセスの特性から来るもので、熱分解を中心とした反応の時定数と、添加物噴射により生じる流れ場の拡散混合の時定数との関係が最適化されなければならない。その解決のためには反応物の流れ場での分布・挙動を実験的に観測することが必要である。観測対象として2種類の反応管を用いたが、一つは加熱下でプロセスも実現できる減圧十字管光学セルにパルス噴射バルブを装備したものである。こちらは高感度で濃度校正も容易だが、空間的には中心一点計測なので、噴射口を移動して濃度分布を得る工夫を施した。この観測結果の解析から、100Torr、常温から1000Kまでの条件で、噴射一定時間後は近似的に一次元分子拡散として適当な実効拡散係数を与えて記述できることが判った。もう一つは時間依存の空間分布計測を効率よく行おうとしたもので、パルス噴射バルブを備えた石英管である。これに軸方向のレーザシートを通し、管側面からICCDカメラで観測することで、二次元断面分布を計測した。アセトン蒸気を蛍光体として噴射した場合のms単位の時間依存プロファイルが得られ、常圧下、単純軸流ノズルの場合では噴射条件を変えても常に径方向の分散が不十分で不均一のままであり、今後混合を促進するノズルの改良が必須であることが解った。

 第七章として結論を述べている。本論文の研究全体として、レーザー分光法を用いて、燃焼工学の諸問題解明を目指した実験的研究と位置付けられ、前半は新奇分光法の基礎特性、後半はプロセス改善のための濃度場の把握、と異なる側面の研究を行ったものである。

審査要旨 要旨を表示する

 工学修士佐野洋一郎が提出した論文は,「線形・非線型のレーザ分子分光の燃焼解析への応用」と題し,全7章で構成されている.

 本論文は、分子スペクトルを得るレーザ分光法を手段として、燃焼工学の幾つかの問題解明を目指した実験的研究を行ったものである。その内容、構成としては、1.非線形レーザ分光法として、縮退四波混合分光法を燃焼場の計測に応用するために必要な、基本特性の把握、検討、2.開発途上の燃焼排気NOx還元プロセスの問題点解明を目的とした、一連のレーザ誘起蛍光法の計測、に二分される。

 第1章「概論」としてこの研究全体の背景と、分子分光学の基礎概念を記述した。

 第2章「四波混合過程の原理と実験方法」としてDFWM法の基本原理をまず示し、次いで本研究で構築し、諸測定に用いた実験装置について解説した。対象分子はNOとし、NOのγバンドである紫外の226nm付近の可変波長パルスを色素レーザおよびその2倍高調波を得る技術を用いて光源及びその波長に適した光学系を構成した。DFWM法は光源のレーザビームを三分割し、位相整合条件を満たす角度関係で交差させて信号を得ることを特徴とするが、交差の方式としてBOXジオメトリーと呼ばれるものを選択し、位相整合条件を確実に実現するために本研究として案出したテクニックを記述している。また時間的コヒーレンスを保つためにビーム間の光路長差に注意することが必要であるなどの重要な情報を見出している。

 第3章「DFWMの実験結果と考察」にて、この非線形分光法に関する本研究の成果を一通り記述した。検討した項目としては、1.変更特性を利用したバックグラウンド抑制方法とそれによる感度・スペクトルの変化、2.LIFと比較したスペクトル形状の変化、3.雰囲気圧力及び組成に対する信号強度の変化、4.常温からの温度上昇による信号強度の変化とその回転量子数依存、がある。

 この内で特記すべきは3.の項目で、全圧10Torrから一気圧近くまでの範囲で、雰囲気ガスとしてHe,N2,O2,CO2についてNOの分圧を一定に保ちながら信号強度の変化をLIF法と比較しながら詳細に検討した。その結果、全圧の上昇と共にどの雰囲気ガスの場合でも、信号強皮は概ね一様に低下する傾向が得られ、CO2とO2の組では僅か程度が大きいものの、ガス種による差は小さいことが解った。よく知られているLIFの場合には、励起NOに対する消光断面積の大きいCO2,O2では依存性が大きく、He,N2では殆ど全圧依存性を示さないことから、大きな違いが見られたことになる。

 この傾向自体は定性的には従来にも知られていたものだが、本研究ではその成因について理論がいかに適用されるかとの観点で考察を進めた。媒質の持つ3次の非線形感受率によって生じるDFWMの信号強度は、他の分子と衝突することによる、光励起分子のエネルギー緩和(縦緩和)および位相の緩和(横緩和)によって大きな影響を受け、それら緩和速度によって信号強度の変化を与える理論式の提案は存在していた。しかし各々の緩和速度が雰囲気組成と圧力に対して具体的にどう与えられるかについては必ずしも明確ではなかった。本研究では実験結果との対比から、縦緩和については回転緩和を主因と考えたその速度定数を、横緩和に対してはドップラー及び衝突線幅の圧力依存性から得られる関数を当てはめることによって、観測された圧力依存がほぼ説明されることを見出した。

 4.の温度依存性に対しても、全く同じ考え方を適用し、温度依存のボルツマン平衡分布を加味することで観測事実が再現された。

 第四章「NOx還元の原理と方法」では、燃焼場でのNOxの生成過程とその抑制策、排気NOx還元の幾つかの方法と化学反応論的原理について、総合的に解説した。

 第五章「deNOxプロセス改善のための、反応機構の詳細検討」では、アンモニアNH3と過酸化水素H2O2を添加剤として用いるNO還元プロセスについて、反応機構の特徴を確認すると共に、詳細反応機構の数値計算コード「CHEMKIN」を用いて解析した結果を示した。特に重要な知見として、H2O2添加時の副反応であり、プロセスの還元性能を阻害するHO2の反応についての詳細解析から、この阻害過程を回避するための分割供給法の最適条件の設定基準を示した。

 第六章「LIFを用いた、プロセスの混合拡散過程の観測と解析」において、前章で示した原理を実際の装置で理想的に実現するためにさらに必要な、添加物噴射により生じる流れ場の解析を行った。これは改良プロセスの特性として熱分解を中心とした反応と、拡散混合過程双方の時定数関係が最適化されることが重要であるためである。観測対象として2種類の反応管を用いたが、一つは加熱下でプロセスも実現できる減圧十字管光学セルにパルス噴射バルブを装備したもので、高感度で濃度校正も容易だが空間的には中心一点計測である。そのため噴射口を移動して濃度分布を得る工夫を施した。この観測結果から、噴射一定時間後の近似的に一次元分子拡散として扱える範囲と実効拡散係数が得られた。もう一つは時間依存の空間二次元断面計測であり、パルス噴射バルブを備えた石英管にレーザシートを通し、管側面からICCDカメラで観測する手法を採用した。アセトン蒸気を蛍光体として単純軸流パルスノズル噴射のms単位の時間依存プロファイルが得られ、噴射初期の運動量消失までの分散形状が得られた。これら二つの結果を結合するとパルス噴射による添加物分散の全容が解り、ノズルの改良のための指針が得られた。

 第七章は結論であり、この研究から得られた結果と成果をまとめている.

 以上を要約すると,本論文の研究全体として、レーザ分光法を用いて、燃焼工学の諸問題解明を目指した実験的研究と位置付けられ、前半は新奇分光法の基礎特性として圧力・濃度場・温度場が信号強度に与える影響についての知見、今後燃焼場計測の定量的精度を高めるために用いられる情報を提供した。また後半では添加剤混合過程の把握が重要となるNOx還元プロセスにおける濃度場の把握について幾つかの方法論を提起した。これらの成果は機械工学、特に燃焼工学に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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