学位論文要旨



No 117737
著者(漢字) 鳥井,亮
著者(英字)
著者(カナ) トリイ,リョウ
標題(和) 数値シミュレーションによる脳動脈瘤の成長予測に関する研究
標題(洋)
報告番号 117737
報告番号 甲17737
学位授与日 2003.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5370号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 久田,俊明
 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 助教授 牛田,多加志
 東京大学 助教授 大島,まり
 東京大学 助教授 高木,清
内容要旨 要旨を表示する

 我が国で年間1万3千人が亡くなっているクモ膜下出血の90%以上は脳動脈瘤の破裂が原因であることがわかっている.最近の研究によってひとたび発生した脳動脈瘤が破裂する可能性は0.05%程度であることがわかってきた.クモ膜下出血は非常に致死率が高いため,発見された脳動脈瘤は破裂時の危険性を考慮して,その破裂の可能性に関わらず予防的に手術されることが多い.しかし手術には相応の危険が伴い,手術によって死亡するか何らかの後遺症が残る可能性は15%にものぼるとの報告もある.したがって発見された脳動脈瘤を手術するべきか否かの判断は非常に困難であり,その判断は現在のところ医師の経験に大きく依存している.近年脳ドックと呼ばれる脳専門の健康診断の普及を背景に脳動脈瘤が未破裂のまま発見される機会は増加しており,脳動脈瘤破裂の客観的な危険性予測方法の確立が望まれている.

 脳動脈瘤の破裂を予測するためには脳動脈瘤の成長のメカニズムを知ることが必要である.現在,脳動脈瘤の成長には血流が血管壁に及ぼす壁面せん断応力などによる機械的刺激が関与していると考えられている.したがって,脳動脈瘤成長のメカニズムを解明するためには血管壁面上の応力分布を予測することが不可欠である.現時点で血流が血管壁に及ぼす壁面せん断応力の評価法として最も有力なものはImage-Based Simulationである.Image-Based SimulationとはCT(Computed Tomography)に代表される医用画像から抽出した実際の3次元血管形状を用いて血流の数値シミュレーションを行うことである.しかし従来のImage Based Simulationのほとんどは血管壁を剛体壁として取り扱っており,血管壁の変形の影響は考慮されていない.この理由としては

 ・脳血管は剛性が高く管壁の変形量が小さい

 ・医用画像から血管形状を抽出する際の誤差の影響が大きく変形の影響の正確な評価ができない

 という2点が挙げられる.実際に脳血管は他の部位に比べて非常に剛性が高く変形量も小さいが,それが直接壁面変形の影響を無視できる理由にはならない.医用画像に含まれる誤差は血管形状の粗さとなって現れ,その大きさは最大で血管径の数%にも及ぶ.通常血圧における頭蓋内血管の血管壁の変形量は実験によれば血管径の数%程度であり,医用画像の誤差と同程度である.しかし医用画像の誤差に起因する血管壁の粗さは内部の血流に対して静的に影響を与えるのに対し,血管壁の変形は内部の血流に動的に影響を与える.したがって血管内部の血流に対する医用画像の誤差の影響と血管壁の変形の影響とは分離して考えることができる.血管壁の変形は壁面付近の流れ場と密接に関連しており,血管壁面上に働くせん断応力分布に対して影響を与えることが予想される.ゆえに本研究では血流と血管壁との相互作用を考慮した流体構造連成問題を解析するための数値解析システムを開発し,血管壁の変形が血管壁に働く壁面せん断応力に与える影響を解析する.数値解析を行うにあたっては特に

 (1)血管壁の変形が壁面せん断応力に与える影響の有無

 (2)血管壁の変形が壁面せん断応力に影響を与えるメカニズム

 について検討する.

 開発する流体構造連成数値解析システムにおいては,流体の基礎方程式と構造の基礎方程式とをそれぞれ独立に解き,流体部と構造部との境界面上における力の平衡条件を利用して流体部と構造部とをカップリングさせる弱連成法を採用する.流体の基礎方程式は移動境界問題の解析手法の一つであるDSD/SST(Deforming-Spacial-Domain/Stabilized Space Time)法によって離散化・時間進行させた.構造部は血管壁を線形弾性体と近似し,線形弾性体の運動方程式を有限要素法によって空間的に離散化し,Newmark-β法によって時間進行させた.計算領域の変形に伴う流体計算格子の更新は,流体の計算格子を線形弾性体と仮定して血管壁の変形に合わせた変形解析を行うことで実行した.上記の計算手法に基づいて開発した流体構造連成数値解析プログラムを著者らがこれまでに構築してきたImage-Based Simulationの解析システムに組み込むことにより,血管壁の変形と血管内部の血流との相互作用を解析可能な数値解析システムを構築する.構築した数値解析システムを用いて,血管を直円管でモデル化した形状,およびCTより形状を抽出した3通りの実形状血管を対象に解析を行った.境界条件として対象とする血管の入口には超音波ドップラー流速計によって計測された流速に基づく流速分布を与え,出口には下流の血管による抵抗に相当する圧力抵抗を与えた.血管壁面での流体の速度境界条件はnon-slip条件とし,血管壁の変形に対する変位境界条件には,血管の端面における変位を拘束する条件を与えた.

 脈動する速度および圧力の境界条件を与えて直円管の流体構造連成解析を行った結果,管内部の圧力変動に同期して管壁が膨張,収縮し,その動きによって管内部の流れ場の管軸と直交する断面内に2次流れが発生した.発生した2次流れは管内部の軸方向流速分布を変化させる.軸方向流速分布の変化は壁面付近の速度勾配の変化につながり,結果として壁面上に作用するせん断応力の分布を変化させる.

 次にCTより血管形状を抽出した実形状の内頸動脈について流体構造連成解析を行った.実形状の内頸動脈においては直円管の場合とは変形の挙動が異なり,直円管の場合にみられた管の半径方向の変形は小さいが,管軸が変形し管全体が剛体変位するような挙動がみられた.内頸動脈は非常に複雑な曲がりを有しており,曲がりの大きな部位周辺において血流による壁面せん断応力が集中的に血管壁に作用する領域が存在する.数値解析の結果得られた血管壁面の変位は,壁面せん断応力が集中する血管の湾曲が大きい部位の周辺において大きく現れた.壁面せん断応力が大きい壁面付近においては血流の速度勾配が大きく,血管壁面の変形を考慮することによって血管内の管軸方向の流速成分が大きい領域と壁面との相対的な位置関係が変化し,壁面付近の速度勾配に変化が生じる.すなわち壁面の変形を考慮することにより,壁面を剛体として取り扱った場合と比較して壁面せん断応力分布に差が生じることが示された.

 さらに動脈瘤の周囲において壁面変形が壁面せん断応力に与える影響を調べるため,CTより血管形状を抽出した実形状の動脈瘤つき中大脳動脈の流体構造連成解析を行った.このモデルでは壁面変形の最大値は動脈瘤の瘤壁上に現れた.しかしこの中大脳動脈モデルにおいては動脈瘤が血流が流入しにくい位置に発生しており,動脈瘤壁面上の壁面せん断応力は非常に低い.逆に血管壁面上で高い壁面せん断応力が発生する部位における壁面の変形量は非常に小さい.壁面せん断応力が高い領域と変形が大きく現れる領域の位置が離れていることから,この中大脳動脈モデルにおいては,壁面の変形と内部の流れがお互いに与える影響は小さかった.

 動脈瘤の周囲において壁面変形が壁面せん断応力に与える影響を調べるためのもうひとつのケースとして,動脈瘤と分岐をともなう実形状の中大脳動脈の流体構造連成解析を行った.このモデルにおいては,ネックと呼ばれる動脈瘤の付け根付近の血管壁面上で変形が大きく現れた.壁面せん断応力も同様に動脈瘤のネック付近において集中的に現れる.このモデルにおいては入口から流入してきた血流が動脈瘤のネック付近に衝突しているため,動脈瘤ネック壁面において壁面せん断応力が大きく現れる.壁面の弾性を考慮することによって,血流の衝突部付近が変形する,および管径の増大により流れの衝突部位に近づく流速が小さくなるという2つの流れ場に対する影響が確認され,壁面を剛体壁として取り扱った場合に比べて壁面せん断応力分布に差異が生じることが示された.

 本研究で行った流体構造連成数値解析の結果,検討課題(1)に対しは血管壁の変形が壁面せん断応力分布に与える影響を確認した.さらにその影響について,血管壁の形状によって壁面の変形が顕著にみられる部位と壁面せん断応力が高い部位との位置関係が近い場合と遠い場合があり,その位置関係によって壁面の変形が壁面せん断応力分布に与える影響が大きく異なることが示された.すなわち,血管の形状によって壁面せん断応力分布に与える壁面の変形の影響が現れやすい形状と現れにくい形状があることが示された.検討課題(2)に対しては以下の4つのメカニズムが示された.

 (a)管壁が半径方向に変形するような場合,管軸と直交する断面内に2次流れを発生させ,その影響によって管軸方向の流速が剛体円管における流速分布とは異なる分布となり,剛体円管の場合に比べて特異な壁面せん断応力分布が現れる.(b)内圧による血管の膨張により血管の断面積が増大し断面と垂直な方向の流速が減少する.壁面に衝突するような流れがある場合にはその衝突速度が減少する.

 (C)複雑な曲がりを有する血管の場合には管軸方向の流速分布が偏り,壁面付近に血流が非常に速い領域が存在し,管軸が剛体変位をすることで管内における血流の速い領域と管壁との相対位置が変化する.それによって壁面付近の速度勾配が変化し,壁面せん断応力分布が変わる.

 (d)壁面に衝突するような流れがある場合,衝突部付近の壁面が変形することにより,衝突部の壁面付近における血流の速度勾配が変化し,壁面せん断応力分布が変わる.

 以上により,血流の数値シミュレーションにおいて,従来は無視されてきた壁面の変形を考慮することの重要性が示されている.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「数値シミュレーションによる脳動脈瘤の成長予測に関する研究」と題して,脳動脈瘤の成長に重要な役割を果たしていると言われている壁面せん断応力を正確に予測することを目的として,血流と血管壁との相互作用を考慮した流体構造連成問題を解析可能とする数値シミュレーションシステムを開発し,開発したシステムを脳動脈瘤を有する実形状の血管形状に適用することで壁面せん断応力分布に血管壁の変形が与える影響を検討したものである.近年,血管病変の解析ツールとして,Image-Based Simulationと呼ばれる医用画像から抽出した実際の3次元血管形状を用いた血流の数値シミュレーションが盛んに行われているが,本論文では数値シミュレーションを行った結果から,壁面せん断応力の予測を行うに際して壁面の変形が得られる結果に大きな影響を及ぼしているとの知見を得ており,このことは現状において血管の弾性を無視し,血管形状を剛体壁として取り扱っているImage-Based Simulationに対して新たな方向性を提案するものである.

 第1章においては序論として研究の動機,背景および目的が述べられている.ここで論文提出者は,疫学統計の結果から脳動脈瘤の成長および破裂の予測に対する要求と意義を述べるとともに,多くの血流解析に関する研究活動をまとめることにより脳動脈瘤の成長・破裂予測ツールとして血流数値シミュレーションが期待されること,またその血流数値シミュレーションを用いて脳動脈瘤の成長・破裂を解析する際に血流と血管壁との相互作用を考慮することの重要性について述べている.

 第2章において,論文提出者は脳動脈瘤の発生,成長および破裂を疫学統計および病理学の2つの側面から詳しく見ることにより,脳動脈瘤の発生,成長および破裂に関する特徴についてまとめている.また,これまでに行われた脳動脈瘤の発生・成長・破裂に関する研究,および血管と血流との病理学的な関係に関する研究の結果から,脳動脈瘤の成長予測のためには特に壁面せん断応力分布を予測することが重要であることが説明されている.

 第3章では,血液流れの特徴が述べられ,数値シミュレーションによって体内の血流を解析する際に注意すべき条件がまとめられている.特に血流および血管壁を数値シミュレーションによって解析する際に検討すべき課題である(1)血液の非ニュートン性,(2)血管壁の変形特性,(3)血流の境界条件(脈動速度および圧力),(4)血管壁の変位に対する境界条件,について本研究での取り扱い方法とその理由について説明している.さらに本研究において行われるCTのデータから血管形状を抽出してImage-Based Simulationを行う際の具体的な手順の構築について述べられている.

 第4章では,流体構造連成の解析手法について述べられている.本論文では流体の挙動は移動境界問題として取扱い,その計算手法としてDeforming-Spatial-Domain/Stabilized Space-Time法を採用し,これを血管形状に適用する際に構造の挙動を線形弾性体の動的変形として取り扱っている.流体と構造の連成を考慮した系全体の解法の構築について述べるとともに支配方程式の離散化と離散化された方程式系の解法が詳しく示している.

 第5章では数値シミュレーションの結果が述べられている.単純形状の直円管およびCTより形状を抽出した3通りの実形状の血管を対象として数値シミュレーションが行われ,その結果,血管壁面の変形が壁面せん断応力の分布に有意な影響を与え得ることが示されている.さらに血管壁と血流との相互作用について,(1)内圧によって血管が半径方向に変形するような場合,管壁の半径方向の変形が管軸と直交する断面内に2次流れを発生させ,その影響によって管軸方向流速分布が剛体円管における流速分布と異なること,(2)血流が血管壁に衝突するような場合,内圧により血管壁が半径方向に膨張し,血管径が増大することによって管軸方向の速度が減少するため,血管壁に衝突する流速の大きさが小さくなること,(3)複雑な曲がりを有する血管の場合には管軸方向の流速分布が偏り,壁面付近に血流が非常に速い領域が存在し,管軸が剛体変位をすることで管内における流れの速い領域と管壁との相対位置が変化すること,(4)血流が血管壁に衝突するような場合,その衝突部分において内圧による血管壁面の変形があると衝突部周辺の壁面付近における血流の速度勾配は大きく変化することが示されている.以上の4通りのメカニズムは全て壁面付近の血流の速度勾配に影響を与え,結果として壁面せん断応力の分布に影響を与えるものであることが説明されている.

 第6章において本論文全体の結論が述べられている.

 以上を要約すると,本論文において開発された流体構造連成数値シミュレーションシステムを用い血流と血管との相互作用をシミュレーションした結果,血流の数値シミュレーションにおいて従来は無視されてきた壁面の変形を考慮することの重要性が示されている.それと同時に壁面の変形が脳動脈瘤の成長に寄与していると考えられる壁面せん断応力に対してどのようなメカニズムにより影響を与えているかが示されており,血管壁と血流との相互作用に関する新たな知見が与えられている.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる.

UTokyo Repositoryリンク