学位論文要旨



No 117742
著者(漢字) 二口,尚樹
著者(英字)
著者(カナ) フタクチ,ナオキ
標題(和) 選択MOVPE成長を用いた光能動・受動素子の集積化に関する研究
標題(洋)
報告番号 117742
報告番号 甲17742
学位授与日 2003.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5375号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 田島,道夫
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 田中,雅明
 東京大学 助教授 霜垣,幸浩
 東京大学 助教授 染谷,隆夫
内容要旨 要旨を表示する

 (本文)ここ1・2年の内にブロードバンド化が急速に進んだ。これを牽引したのが,接続料金が世界最低水準で提供されているADSLによるものである。このことは,インターネットユーザは常に高速通信への欲求を有し,その接続料金さえ安くなれば,容易に移行し得るということを如実に表したものといえる。今後も高速通信への欲求が続くならば,ADSLよりも高速な通信媒体,すなわち「光ファイバ」による通信へ移行していくだろうと思われるが,そこで問題になるのはやはりデバイスのコストに関してである。このように,デバイス作製の低コスト化技術というのは,それが広く普及するうえで重要な要素となる。高度な機能を持つ光集積デバイスについても同様である。低コストで作製する技術が今後重要度を増してくる。

 集積化手法としては,集積デバイスを構成する個々のデバイスを別々の工程で作製し,最後に一体化する「ハイブリッド集積化」と,はじめから単一の基板上に集積デバイスを作製する「モノリシック集積化」がある。前者は,最後の集積化工程で精度良いアライメント技術を要するために,高コストなものになってしまう。一方,後者のうち成長工程が1回ですむ選択成長技術を用いたものは,構成デバイス間のアライメントをとる必要が無く,プロセスも簡単化できるために,光集積デバイスの低コスト作製技術として非常に有望である。

 選択成長法とは,絶縁膜などで基板上を部分的に覆うことにより,その部分だけ成長を行わないようにすることで,その近傍の成長可能な領域の膜厚や組成を変化させて成長を行う技術である。この技術により,レーザや半導体光増幅器など,バンドギャップの小さい層を必要とする能動素子と,導波路やカプラなど,バンドギャップの大きな層を必要とする受動素子とを1回のステップで同時に成長することが可能になる。

 これまでにも選択成長を用いた集積デバイスの研究は行われてきた。ただ,半導体レーザと電界吸収型変調器との集積化といった例のように,ごく小規模なもので直線導波路しか必要としないものが中心であった。これは,より多くのデバイスを集積化しようとすると,個々のデバイス間を曲がり導波路で結ばなければならないなど,規模に応じて急激に作製が難しくなるからである。そこで本研究は,有機金属気相エピタキシャル成長(MOVPE)を用いた選択成長法を用いることにより,大規模な光集積デバイスにも応用可能な,より簡単な作製技術を確立することを目的とする。

 選択成長においては,絶縁膜(ここではSiO2膜)のマスクの幅によって,その近傍に成長される層の膜厚や組成が変化する。光集積デバイスの設計では,この膜厚や組成を把握することは非常に重要である。これらを簡単な方法で見積もるために,選択成長層の膜厚を測定することで,成長速度だけでなく組成も見積もる方法を検討した。ここで,組成を見積もる際には,V族原料は,III族原料に対して十分多くMOVPEの反応炉に供給されるために,V族組成はマスク幅の影響を受けず一定であり,III族組成のみ変化するという仮定の下で行った。まず,InP基板に格子整合するいくつかの組成(InP,Q1.25[波長が1.25μmとなるInGaAsP],Q1.55[波長が1.55μmとなるInGaAsP],InGaAs)の層を選択成長し,その成長速度とマスク幅の関係を調べてみると,本研究で用いた成長条件ではほぼ直線と近似してもよいことが分かった。平坦面に成長したときの成長速度に対する選択成長時の成長速度を成長速度増大量と呼ぶことにすると,Inの組成が多いほど,つまりInGaAsよりもInPのほうが成長速度増大量は大きくなる。このことはGaよりもInのほうが,選択成長による拡散の効果を強く受けることを示している。

 次に,マスク幅に比例して局所的な原料分圧が増大し,その部分の成長速度はその局所原料分圧に比例するという簡単な選択成長モデルを立て,測定により求めたマスク幅と成長速度との関係をうまく表すように,モデルに関係する各係数の値を求めた。その係数を用いることにより,InPからInGaAsまで実験結果と測定結果とを非常に良く一致させることができた。

 成長速度とマスク幅の関係は,そのIn成分とGa成分を分離することができるので,III族組成も見積もることが可能と考え,組成を見積もる簡単な計算モデルを立てた。このモデルから計算される組成と,成長速度モデルから計算される膜厚を利用して,井戸層をQ1.55,障壁層をInPとする多重量子井戸(MQW)構造のバンドギャップを予測し,フォトルミネッセンス(PL)測定結果と比較した。これにより,波長として10nm以下のずれで予測できることが確認できた。ただ,実際のデバイスに用いられる,光分離閉じ込め(SCH)構造の圧縮歪み系MQW構造の場合は,この単純なモデルではうまく予想できなかった。これについては,今後の検討課題である。

 このように,成長速度と条件によっては組成についても予測ができるようになったが,その構造の利得(あるいは損失)の大きさがマスク幅によりどのように変化するのかを予測するのは,今のところできていない。そこで,光集積デバイスに適した構造とはどういうものか,選択成長条件を変えて検討してみた。光集積デバイス全体の特性は,能動素子の特性によるところが大きいと考えられるので,その観点から,能動素子(つまり選択成長を行う)領域の利得が大きくなるような条件で成長するべきである。SCH-MQW構造を選択成長し,井戸層に用いる材料やその膜厚,および井戸層と障壁層の歪み量を検討した結果,井戸層としてInGaAsPを用い,井戸層の膜厚は,マスク幅50μmの領域において12nmになるように,歪み量は井戸層が+0.4%,障壁層が+0.1%(いずれもマスク幅50μmの領域において)に設定する場合に,より好ましい特性が得られることが分かった。

 以上の結果を用いて,能動素子と受動素子を集積化したデバイスの一例として,制御光のON/OFFにより信号光の進路を切り換える「全光スイッチ」を,選択成長をはじめとする簡単なプロセスで作製することを試みた。能動素子としては,半導体光アンプ(SOA)を用いた。この部分のみ選択成長で作製するため,50μmあるいは40μmの対向したSiO2マスクパターンを形成し,選択成長を行った。SOA以外の部分は平坦面に成長することになり,成長後にパターニングプロセス等を行うことで導波路を形成する。層構造は,上述の能動素子の特性を重視したSCH-MQW構造を用いた。選択成長後のサンプルの,選択成長領域のストライプ方向のPL測定を行った結果,マスク幅が50μmの領域から平坦面の領域に至るまで,ピーク波長シフトが146nm得られた。この値は,能動素子と受動素子とを集積化する上で十分な値である。半値全幅(FWHM)は,30meVから40meVと良好な値が得られた。また,ストライプと垂直方向のピーク波長については,中央付近3μmは均一で,導波路の形成には問題ないことが分かった。

 この成長サンプルを用いて,ウェットエッチングプロセスを用いるリッジストライプ型光スイッチと,ドライエッチングプロセスを用いるハイメサ型光スイッチの2通り構造を作製した。ウェットエッチングを用いる方法は,従来とほぼ同様のプロセスで作製できるのに対し,ドライエッチングを用いる方法は,エッチンダマスクにTi膜を用いるなど,多少複雑になっている。作製したデバイスのサイズは,リッジストライプ型が5.5mm×1.0mm,ハイメサ型が3.5mm×1.0mmと,ハイブリッド集積デバイスと比較して,大幅に小型化されている。

 こうして作製したデバイスの,構成要素である導波路,MMIカプラおよびSOAの基本的な測定を行った後,全光スイッチとしての静特性および動特性の測定を行った。SOAを本来の利得媒質としてではなく,電流を注入せずに吸収媒質として用いた静特性では,制御光の強度を増加させることにより,Crossポートからの出力光が弱まり,逆にBarポートからの出力光が増加する様子が観測できた。この変化は,制御光の強度を変化させることで位相としてπシフトに相当していることも確認した。次に,SOAに電流注入することで本来の利得媒質として働かせることによってスイッチングさせたときの静特性の測定を行った。制御光をON/OFFすることにより,ひとつのポートからの出力光の消光比が14dB以上得られることが確認できた。

 最後に,全光スイッチの動特性の測定を行った。制御光には,矩形波に変調された光を用いた。250Mbpsまでの変調では出力光も追随してON/OFF動作をしていることが確認できたが,それより高速のスイッチングでは,出力光の波形はかなり崩れてしまった。これは,制御光パワー密度が足りないなど,測定系側の問題もあるため,今後さらなる検討を行い,選択成長により作製された全光スイッチの実力がどれくらいのものか,より詳細に検討する必要がある。

 以上のように,選択成長をはじめとする簡単なプロセスで,全光スイッチという高度な処理を行う光集積デバイスを実現することができた。このことは,光集積デバイスを低コストで作製する上で,選択成長法は有望な方法であることを良く表している。さらに,本研究で取り上げた構造の全光スイッチばかりではなく,光源を含めた集積デバイスやAWGなどとの集積化も本研究の方法で容易に行うことができ,これらの成果が今後の光集積デバイスの作製に大いに役立つことを期待している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,モノリシック光集積回路プロセス技術としての有機金属気相エピタキシー(MOVPE)選択成長と,その全光スイッチ回路応用について論じたものであり,7章より構成されている.

 第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成が述べられている.光集積回路の低コスト化,高機能化には,全体を単一の材料系統で作製するモノリシック集積化のアプローチが有効である.特に成長工程が1回で済む選択成長技術を用いた手法は,構成デバイス間のアライメントをとる必要が無く,プロセスも簡単化できるために極めて有望である.

 第2章は「選択成長法とその応用」と題し,選択成長技術の概要,課題をまとめている.これまでにも選択成長を用いた集積デバイスの研究は行われてきたが,ごく小規模なもので直線導波路しか必要としないものが中心であった.より多くのデバイスを集積化しようとすると,個々のデバイス間を曲線導波路で結ばなければならないなど,規模の拡大とともに急激に作製が難しくなる.本論文では,MOVPE選択成長法において,大規模な光集積デバイスにも応用可能でかつ簡便な作製技術を確立することを目的に研究を行った.

 第3章は「膜厚測定データからの組成の推定」と題し,InP基板上のInGaAsP選択成長領域の組成の推定問題を論じている.選択成長では絶縁膜マスクの幅によって,その近傍に成長される層の膜厚や組成が変化する.光集積デバイスの作製にあたって,この膜厚や組成を掌握することが非常に重要である.本論文では,選択成長層の膜厚を測定することで,成長速度のみならず組成をも見積る方法を考案している.マスク幅に比例して局所的な原料分圧が増大し,その部分の成長速度はその局所原料分圧に比例するという簡単な選択成長モデルを立て,測定により求めたマスク幅と成長速度との関係を再現するよう各係数の値を定めたところ,InPからInGaAsまで実験結果と計算結果とを良く一致させることが可能となった.成長速度とマスク幅の関係は,In成分とGa成分に分離することができるので,III族組成も見積ることが可能である.このモデルから計算される組成と,成長速度モデルから計算される膜厚を利用して,多重量子井戸(MQW)構造のバンドギャップ波長を予測し,フォトルミネッセンス測定結果と比較した.その結果,10nm以下の誤差で予測できることが確認された.

 第4章は「選択成長量子井戸構造の最適化」と題し,能動領域や導波路コアとして働く量子井戸の実験的最適化について述べている.前章で,選択成長における成長速度と組成について予測ができるようになったが,その構造の光学利得がマスク幅によりどのように変化するかを予測するのは困難であった.そこで選択成長による能動領域の特性を実験的に最適化するため,分離閉じ込め(SCH)MQW構造を多数成長し,井戸層に用いる材料やその膜厚,および井戸層と障壁層の歪量を検討した.その結果,井戸層としてInGaAsPを用い,井戸層の膜厚はマスク幅50μmの領域において12nmとなるように,また歪量は同じマスク幅の領域において井戸層が+0.4%,障壁層が+0.1%となるようにする場合に,最も良好な特性の得られることがわかった.

 第5章は「全光スイッチの作製と評価」と題し,能動素子と受動素子を集積化したデバイスの一例として,制御光のオン・オフにより信号光の進路を切り換える「全光スイッチ」を,前章までの成果を用いて作製することを試みている.ここでの能動素子は半導体光アンプ(SOA)であり,受動素子はマッハツェンダー干渉計である.能動領域のみを50μmまたは40μmの並行した一対のSiO2マスクパターン間に選択成長で形成し,受動領域は平坦面に成長され,成長後にパターニングプロセスで直線や曲線導波路が形成される.層構造は,4章の能動素子特性を重視したSCH-MQW構造が用いられた.選択成長後,サンプルのフォトルミネッセンス測定を行った結果,マスク幅が50μmの領域と平坦領域との間で,146nmの発光ピーク波長シフトが得られた.この値は,能動素子と受動素子とを集積化する上で十分な値と言える.発光半値全幅も,30meVから40meVと良好な値が得られた.この成長基板を用いて,ウェットエッチングを用いるリッジストライプ型光スイッチ回路と,ドライエッチングを用いるハイメサ型光スイッチ回路の2通りの構造を作製した.チップのサイズは,リッジストライプ型が5.5mm×1.Omm,ハイメサ型が3.5mm×1.Ommと,ハイブリッド集積デバイスと比較して,大幅に小型化された.

 作製したデバイスの構成要素である導波路,多モード干渉カプラおよびSOAの基本的な特性の測定評価を行った後,全光スイッチとしての動作試験を行った.SOAを吸収媒質として用いた実験では,制御光の強度を変化させることでπ位相シフトに相当する全光スイッチングが確認された.SOAを本来の利得媒質として働かせた場合の全光スイッチング静特性では,制御光のオン・オフにより消光比14dB以上の出力光切り替えが達成された.

 第6章は「拡散方程式による成長速度・組成のシミュレーション」と題し,様々なマスクパターンに応用可能な,より一般的成長速度・組成の推定方法について論じている.まず拡散方程式に基づく成長速度・組成の推定モデルを構築し,次に選択成長ストライプに垂直な方向の膜厚プロファイルから,拡散方程式モデルに含まれるパラメータを抽出した.これを用いて3章の結果を計算により再現したところ,定性的には良い一致が得られた.次に同モデルを用いて隣接マスクの干渉効果を調べたところ,実験結果を良く説明する結論が得られた.この干渉効果を逆に利用して全光スイッチの小型化が可能な新たなマスクパターンを設計している.

 第7章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している.

 以上のように本論文は,モノリシック光集積回路のシンプルな製造技術としてMOVPE選択成長技術をとりあげ,成長膜厚や組成の事前予測を可能とするモデルを構築し,また能動領域量子井戸の性能を最大化する条件を実験的に求めるとともに,同技術を適用して半導体光アンプとマッハツェンダー干渉計をモノリシック集積化した光スイッチ集積回路を作製し全光スイッチングに成功したもので,光集積回路標準プロセスヘの道を拓いた点で電子工学分野に貢献するところが少なくない.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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