学位論文要旨



No 117751
著者(漢字) 原田,喜美枝
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,キミエ
標題(和) 金融システムの機能不全と資本市場の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 117751
報告番号 甲17751
学位授与日 2003.03.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第162号
研究科 経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀内,昭義
 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 教授 若杉,敬明
 東京大学 助教授 澤田,康幸
 東京大学 助教授 柳川,範之
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、1990年代以降日本の金融システムが機能不全になる過程について、銀行経営に関わる諸要因の変化に対する市場の反応に焦点をあてて分析している。資本市場が銀行業の健全性に対してシグナルを与えたという点を鑑み、インターバンク市場、株式市場の動きに注目する。金融システムが機能不全に陥ったことから、2度にわたり公的資金が注入されたが、資本市場はこの公的資金注入の政策効果をみる判断材料も提供している。そこで、銀行の異なる利害関係者の反応と資本市場に現れる効果のあり方について概念を整理し、そのうえで、株主、債権者、預金者の反応を分析している。また、銀行業の機能不全を打開する施策の一つとして注目される証券化の役割についても考察している。

 第1章では、日本の銀行の財務体質が市場でどのように評価されているかという指標として、ジャパン・プレミアムと銀行株価指数の非銀行株価指数との乖離をとりあげている。これらの2つの指標により、日本の金融機関・金融システムの信用度の低下がどのような要因に影響を受けていたか、株価指数間の一時的あるいは構造的関係を変化させていったかについて検証した。

 ダミー変数を用いた回帰分析の結果、ジャパン・プレミアムを大きく上昇させた要因として、大和銀行事件や1997年11月の相次ぐ大型金融機関破綻などがあげられた。銀行業株価が一般株価から大きく乖離した要因としては、金融機関の度重なる破綻が大きく関連しており、両指標の密接な関係は1995年夏に崩れていたことも明らかになった。また、株式市場参加者とインターバンク市場参加者の反応の違いも浮かび上がった。さらに、国内の金融システムに関連するニュースが銀行業株価と一般株価の連動性に影響し、ジャパン・プレミアムヘと影響する因果関係が示された。

 第2章では、1990年代後半における金融機関の破綻はそれぞれ固有の要因と背景をもっており、破綻に至る過程や金融システムに与えた影響は異なっていたことを確認している。個別の銀行の破綻に対する銀行業株価の変化、格付けの低い銀行の株価などを見ることにより、投資家による連鎖破綻リスクや金融システム不安に対する評価の度合いを類推できると考え、図示した。そのうえで、ニュースが株価に与える一時的な影響について、イベント・スタディを試みた。イベント・スタディの結果、銀行・証券会社の破綻ニュースによって、1997年11月にはシステミック・リスクが発生していた可能性が示された。また、破綻金融機関の株価の下落は、銀行業種の中でもとりわけ格付けの低い銀行に大きく波及したことが明らかになった。

 さらに、イベント・スタディの分析対象期間において、株価収益率の分散を分析した結果、1997年11月にはシステミック・リスクの影響が存在していたことが示唆された。また、分散分析の結果からは、株価収益率の変動と金融機関の破綻ニュースは密接に関連していること、破綻ニュースが株価収益率に与えた影響は無視できないことが示された。

 第3章では、1998年3月と1999年3月の2度にわたる公的資金注入に焦点をあて、資金注入という緊急政策の効果を調べている。インターバンク市場と株式市場の市場参加者の反応を調べることによって市場の評価を明らかにすると同時に、資金注入の効果が個々のエージェントに与えたシグナル、金融システム安定化策としておこなわれた政策が株主と債権者に与えた利害関係についても検証している。

 総じて、劣後債・優先株式発行による公的資金注入は、銀行の自己資本比率を改善し、債権者の信用リスクの縮小に役立ったとみられ、短期のインターバンク市場参加者のリスク・プレミアムを引き下げた。しかし、優先株式発行により既存株主の配当率が下がるという懸念や、普通株式が債券に比べると償還順位が最も劣後することなどがマイナスに働き、株価には影響がなかった。株主と債権者によって公的資金注入に対する反応は異なっており、債権者はプラスに評価したが、公的資金注入によるプラスとマイナス両方の効果があったことから、株主に対する効果はキャンセルアウトされたことが示された。

 さらに、公的資金注入は、銀行経営をめぐるガバナンス構造に影響を与えることができず、長期的には経営改善が見込めないと市場で受け取られた。つまり、政府が優先株式を保有するという形で銀行経営に介入することは、関与の方法に曖昧さがあり、株式市場に有意な影響がなかった。全般に、公的資金注入は、議決権のない株式保有という形で政府が関与する手段であり、銀行をコントロール権があいまいなことから、インパクトは限定されたものでしかなかったという結論を得ている。

 第4章では、預金取扱金融機関の個別財務諸表を用いて、1990年代後半の金融システム不安の時期を対象に、預金者の銀行選別行動を分析している。預金者が取引金融機関に対して不安を感じて預金を移動させていたとすれば、預金者には銀行を監視する規律付けが働いていたことを意味するだけでなく、セーフティ・ネットが信頼できるものとして機能していなかったということも導かれる。

 預金者が個別銀行の健全性をどの程度問題としているかは、各項目、分析対象とする銀行によって結果が大きく異なっていた。一般に、個々の銀行の資本勘定の変化は、その銀行の預金残高を有意に変化させたが、不良債権残高の変化は預金残高に有意な影響をおよぼさなかった。同様に、資本項目としてBISの自己資本比率は有意な影響がなく、単純な形で定義した資本と資産の比率が説明力をもったことから、銀行が開示するBIS比率が客観的に信頼されなかったことが示された。格付け変更の情報が意味を持ったことから、預金者は外部の情報機関の判断を参考にして行動していたことも明らかになった。

 また、都市銀行と地方銀行では結果は大きく異なった。都市銀行に対しては、公的資金注入などがシグナルとなり、預金者は"Too big to fail"の原則が働くと受け止めていた可能性がある。さらに、不良債権情報に関するニュースの伝播効果が観察されたことから、預金者は漠然とした信頼に基づいて行動していたことがうかがえた。定額保証制度の一時停止(ペイオフの一時凍結)という暫定政策は、政府主導の預金者保護政策であったにも関わらず、それが伝染効果を完全には払拭できなかった。ペイオフが凍結されている期間内であっても、より安全な銀行として都市銀行、国際基準が適用される銀行へと緩やかに預金は移動していた。

 資産の証券化は、銀行業の機能不全を打開する施策の一つとして注目されている。補章1において、銀行の貸付債権が証券化される理由を体系的に論じるとともに、日米両国の証券化の発展を制度面から概観し、米国で証券化が発展を遂げた背景にどのような制度的基盤があったのかについて、日本の諸制度と比較する形で分析している。

 資産証券化商品の市場は、1970年代に新しい金融革新として米国で急成長した市場である。市場の急発展を説明する要因としては、米国特有の法・会計制度のもとでインフラ整備が進められたという制度要因、1970年代後半からの預金金利規則の下で生じた金利高騰によって金融仲介システムの機能が低下したこと、それに伴って不良債権問題が発生したこと、1980年代におけるBIS規制に代表される自己資本比率規制の強化といった環境要因の影響が大きい。日本の証券化市場が1990年代に成長した背景には、深刻化した銀行の不良債権問題や自己資本比率規制の強化などがあり、銀行の不良債権処理策の一つとして証券化の手法を活用することが考案され、法改正を伴ってインフラ整備が進められてきている。

 両市場を制度的要因という観点から整理している補章1に対し、続く補章2では、米国の証券化市場に関する理論・実証分析文献のサーベイをおこない、仮説検定結果を分類し、証券化が金融システムにおよぼした影響を考察している。金融資産、特に銀行資産が市場で取引される商品として扱われ、銀行経営者だけでなく、監督官庁や政策立案者も銀行が経済活動の中で果たす役割、政府が銀行セクターに果たす役割を再考しなければならなくなってきていることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

はじめに

 この学位申請論文は日本の銀行の経営状況にかかわる様々な情報が金融資本市場のどのような反応をもたらしたかを、詳細な統計データに基づいて実証的に分析する試みである。近年の銀行危機は、銀行に対して資金を供給している投資家たちの経済厚生に直接、間接に影響を及ぼすことは言うまでもない。そのような影響は、投資家の銀行に対する評価を、時として大きく変化させ、それが銀行の経営に影響を及ぼすことが考えられる。また、ある銀行の経営悪化に関する情報が金融資本市場へ伝わると、それが別の銀行、あるいは銀行全体の健全性についての投資家の評価に影響し、その評価の変化を通じて他の銀行の経営にマイナスの影響を及ぼすこともありうる。これは「伝染効果」と呼ばれるものであるが、このような外部性が銀行経営に対する様々な公的規制の論拠となってきた。現実に、金融資本市場に、外部効果を伴う「伝染効果」が見られるか否かは、金融制度を評価する場合に、考慮しなければならない最も重要な要因であると言える。そのように考えると、この学位申請論文の主題は非常に重要であり、また応用経済学の課題として時宜に適っている。以下では、まずこの論文の概要を要約し、その上で論文を構成している各章毎に簡単な論評を加える。最後に、審査委員会の総合的評価を述べる。

申請論文の概要

 この申請論文は序章と、4つの独立した研究論文によって構成されている。

 序章「金融システムの機能不全と資本市場の反応」は、主に株式会社としての銀行にかかわるステーク・ホルダーたちの間に見られる利害対立関係を、Jensen-Mecklingタイプの標準的なエージェンシー・モデルに即して分析している。分析自体の理論的な水準は深くはないし、分析の結果も自明と思われるものが多いが、それらはあくまでも,第1章以下の実証的分析を準備するための作業と位置づけることができよう。それでも、銀行への公的資金中による資本増強が、既存の株主と預金者(あるいは預金者を保護する預金保険機構)に違った方向の利益、ないしコストを与えるという結果は重要である。

 第1章「ジャパン・プレミアムと株価による銀行危機の分析」は、日本の銀行がユーロ・ドル市場で資金調達する際に外国の代表的銀行に比較して余分に負担しなければならないジャパン・プレミアムと銀行株の価格の推移をたどることによって、日本における銀行危機のプロセスを分析している。基本的なアプローチはいわゆる「イベント・スタディー」であり、銀行の経営上の危機を示すと考えられるいくつかの変数が、銀行の支払うジャパン・プレミアム、および株価の変化にどのような影響を及ぼすかを調べる。特に株価については、銀行株式指数と非銀行株式指数の乖離をとるという工夫がなされている。分析結果に依れば、1995年秋に発生し、かつ急上昇したジャパン・プレミアムの原因が、大和銀行ニューヨーク支店における巨額損失発生と隠蔽、さらに日本の政府がその処理能力を示すことができなかったという要因に帰着できること、また1995年には銀行株の反応とジャパン・プレミアムの反応に有意な相違が見られたことなどが明らかになっている。後者の結果は、銀行危機が銀行の債権者と株主に、必ずしも同一の影響を及ぼすとは限らないという、序章の理論分析の結果を裏付けるものと言えよう。

 この第1章のイベント・スタディーは、必ずしもテストされる仮説が明確になっていないと言う点で、実証分析として物足りない面があることは否定できない。また技術的には、通常のイベント・スタディーで用いられる株価収益率ではなく、株価を用いていると言う点にも問題がある。しかし、全体としてみると、銀行経営を取り巻く県境の変化、行政当局の対応の変遷など、非常に詳細な資料データを駆使した研究になっている点を評価したい。

 第2章「銀行危機のニュースと株価の反応」は、銀行部門全体の株価指数を見るのではなく、長期の定期預金に関して相対的に低い格付を与えられている銀行グループの株価だけを取り出し、個別銀行の経営破たんのニュースが、それらの低格付銀行の株価にどのような影響を及ぼしているかを統計的に分析している。この分析も、個々の銀行の経営破綻が汚染効果を伴っているか否かを検証する研究の一つである。この章の統計分析によれば、1997年以降、破綻のニュースが銀行株式全体、そしてとりわけ低格付銀行の株価にマイナスの影響を及ぼしている。また97年11月に連続して生じた銀行、金融機関の破綻が「システミック・リスク」を惹起した点が強調されている。

 これらの実証的分析は、これまで経済学者の間で十分に検討されてこなかった領域に属しており、その点で原田氏の努力を評価したい。問題点としては、システミック・リスクの定義に曖昧な部分があることを指摘しておきたい。ある銀行の破綻ニュースが、別の銀行の市場における評価を引き下げてしまうという「外部性」を強調するのであれば、銀行家部全体の指数や低格付銀行の株価をイベントと統計的に比較するだけではなく、影響を受ける側の個別銀行のパフォーマンスの推移をもっと厳密にコントロールしておく工夫が望まれる。

 第3章「株主と債権者からみた公的資金注入の効果」は1998年と99年にかけて政府が大手銀行に、主に劣後ローン、優先株の形で資金注入した政策の効果を分析している。分析の目的は、公的資金注入を受けた銀行の株主と債権者の利害対立を見極めることである。基礎となる理論的な枠組みは、比較的単純なJensen-Mecklingタイプのエージェンシー。モデルであるが、破綻に瀕した銀行に資本注入することは、銀行の債権者、とりわけインターバンク市場の貸手たちの利益に結びつく一方、銀行の株主の利益に及ぼす影響は曖昧である。

 統計的分析によれば、銀行への公的資金注入はインターバンク市場の投資家の銀行評価を改善し、インターバンク市場における金利を有意に引き下げたが、株価への影響は理論1通り曖昧であった。原田氏は、株価が曖昧な反応を示した理由として、事実上・銀行の大株主になる政府が銀行経営を改善する上で積極的な役割を担うことができるかどうか株式市場の投資家たちが疑心暗鬼になったとも解釈している。原田氏が強調するように、銀行のバランスシート変更は、そのきっかけがどのようなものであれ、銀行のステークホルダーに多様な相互に異なる影響を及ぼす可能性がある。銀行への公的資金注入を巡る議論においては、そうした多様な影響が無視される傾向があるが、原田氏の分析はその点を明確に考慮している点で、評価できる。しかし仮説を演繹する理論的分析の部分には、あまり見るべき点が無いことはいささか残念である。銀行のステークホルダーとしての債権者、株主、そして政府の利害対立や一致についての理論的分析は今後の課題である。

 第4章「金融システム不安に対する預金者の反応」は個々の銀行の財務状態などに関する情報の伝達が、預金者の銀行選別行動に有意な影響を及ぼしているか否かを統計的に分析することが目的である。90年代以降、政府がすべての預金者を銀行破綻から護るという政策をとり続けたにもかかわらず、銀行がかなり銀行を選別するかの動きを見せたことはよく知られている。この章の主な目的は、預金者の選別行動が、どのような情報に反応して起こっているかを統計的に調べることである。

 政府は金融行政の梃子としてBISルールの自己資本・リスクアッセット比率(いわゆるBIS自己資本比率)を重用していることは周知の事実であるが、同時にその比率が必ずしも十分に信頼できないものであることも知られている。なぜならば、銀行は不良債権の自己査定などを通じて自己資本の額を相当程度操作できるからである。実際、原田氏の計測結果によると、BIS自己資本比率の変化にたいして預金者は体系的な反応を示していない。他方、外国の格付け機関による銀行格付けの引下げや単純な自己資本・資産比率の減少に対して、預金者は鋭敏に反応していることが示されている。また銀行部門全体の不良債権額に関する情報が、個別銀行の預金残高を有意に引き下げるという意味での「伝染効果」も観察された。この最後の結果は、政府が預金を全面的に保護する政策をとり続けたにもかかわらず、そのような包括的なセーフティ・ネットの実効性に預金者たちが十分な信頼を置かなかったことを示唆していると原田氏は解釈している。

 預金者の銀行選別行動に関する研究は、これまで十分におこなわれてこなかったこと、また銀行の財務状態などの変化を示す変数を丁寧にフォローしていることなどによって、この第4章の実証分析は大変にユニークな研究成果になったと評価できる。ただし、統的な方法としては、説明変数間に存在しうる同時決定関係を考慮した手法を採用していないなど、問題点も見られる。(この点については、原田氏はデータ数の制約のために多段階の推計を試みることができなかったと断ってはいる。)また政府の政策スタンスの微妙な変化の影響なども、分析をきめ細かに進めれば、見出すことができたかもしれない。それらの点がこの研究の延長上に考えられると思われる。

総括

 原田喜美枝氏が提出した学位申請論文は、これまでの説明にも示したように、いくつかの点で完壁とは言えない部分を残している。しかし、テーマが現在進行中の日本の銀行危機を巡るものであるために、統計データに相当程度制約があり、それが分析の完成度を高める障害になった点は率直に認めるべきであろう。理論的分析による、仮説の構築などの面で不満足な面も残るが、丹念な資料の収集やデータの加工、政策当局の政策決定過程のあとづけなど実証研究して優れた力量も示されている。よって審査委員会は、この学位申請論文の提出者に経済学博士の学位を認めることが適当であるとの結論に達した。

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