学位論文要旨



No 117756
著者(漢字) 清水,久代
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ヒサヨ
標題(和) 蛋白質膜透過反応の欠陥が遺伝子発現に及ぼす影響の網羅的解析
標題(洋)
報告番号 117756
報告番号 甲17756
学位授与日 2003.03.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2482号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 助教授 横田,明
 産業技術総合研究所 特別研究室長 岩橋,均
 東京大学 助教授 松山,伸一
内容要旨 要旨を表示する

 蛋白質が遺伝情報に基づいて発現されるためには、転写・翻訳の過程を経て合成されたポリペプチドが機能するための場所に局在し正しい高次構造を取らなければならない。大腸菌の蛋白質は通常細胞質で合成されるが、大腸菌のゲノムにコードされている蛋白質のうち、30%以上が内膜、ペリプラズム、外膜などに局在する。蛋白質膜透過および蛋白質の膜挿入といった細胞表層のバイオジェネシスにおける欠陥は細胞にとって強いストレスであり、蛋白質膜透過反応が完全に阻害されると細胞は致死となる。蛋白質膜透過反応の不全により細胞が受ける影響については、SecMによるSecAの翻訳調節が明らかになっているが、細胞全体がどのような影響を受けるかはほとんど解析されていない。

 本研究は分泌蛋白質膜透過不全が遺伝子発現に与える影響を詳細に解析することを目的として行った。

方法

 secG遺伝子破壊による細胞への影響を調べるため、KTY培地を用いてベクターを導入したsecG遺伝子破壊株KN553と野生型株K003を20℃または37℃で培養し、全RNAを調製した得られた全RNAを鋳型に蛍光標識したcDNAを合成し、大腸菌マイクロアレイにハイブリダイズさせた。発現率に特徴の見られた遺伝子についてイムノブロッティングによる解析を行った。リン脂質組成は、20℃で4時間培養した菌体をクロロホルム抽出し、TLCで展開し発色させた。GnsAの過剰発現によるsecG遺伝子破壊株の影響を調べるため、KN553株にgnsAを20℃または37℃で3時間過剰発現させて培養して全RNAを抽出し、マイクロアレイ実験を行った。高浸透圧培養は、標準KTY培地に終濃度0Mから0.8MのNaClを添加した培地を用い、低浸透圧培養は標準KTY培地に含まれるカリウムーリン酸緩衝液の濃度を1倍、1/10倍、0倍にした培地をそれぞれ用いて生育曲線を描いた。

結果

1.secG遺伝子破壊による細胞への影響の網羅的解析

 secG遺伝子破壊による細胞への影響を調べるため、secG遺伝子破壊株KN553の遺伝子発現を野生型株K003株を対照にマイクロアレイで網羅的に解析した。蛋白質膜透過反応が不全となり前駆体蛋白質が蓄積する20℃では132遺伝子の誘導が見られた。蛋白質膜透過反応が阻害されているにも関わらず、リボゾームサブユニット蛋白質など蛋白質合成系に関与する遺伝子群に大きな誘導が見られた。また、リボゾームサブユニット蛋白質とオペロンを形成するsecY遺伝子を除き、Sec装置構成因子には顕著な誘導は見られなかった。SecG遺伝子破壊による膜透過不全を回復させるマルチコピーサプレッサーとしてリン脂質合成系に関与するpgsAとgpsAが報告されているが、これらは顕著な誘導は見られなかった。しかし、リン脂質合成の前駆物質であるグリセロール三リン酸を合成する経路の遺伝子群に誘導が見られた。また、膜脂質の脂肪酸の不飽和度はsecG遺伝子破壊による膜透過反応の回復に関与すると考えられているが、脂肪酸合成系の遺伝子群にも誘導が見られた。しかし、不飽和脂肪酸の合成に特化した誘導でなかった。 secG以外のsec温度感受性変異のマルチコピーサプレッサーとして報告されている分子シャペロンDnaK、GroEL/ESの遺伝子発現に誘導が見られたが、これらは蛋白質レベルでは明らかな誘導は見られなかった。TCA回路は膜透過反応に必須であるATPと膜透過反応を促進するプロトン駆動力を供給するが、TCA回路の遺伝子群に大きな誘導が見られた。これらの一連の遺伝子発現の変化は、膜透過反応に大きな阻害がみられない37℃においても、発現率は低くなるが同様の傾向が認められた。また、SigmaSに関連する一連の遺伝子に誘導が見られた。しかし、SigmaSをコードするrpoS遺伝子には誘導が見られなかった。SigmaS蛋白質のレベルをイムノブロッティングで確認したところ、20℃においてsecG遺伝子破壊株では野生型株に対して7倍程度の蓄積が認められた。37℃においてはSigmaS蛋白質のレベルに差は見られなかった。

2.蛋白質膜透過反応と脂質合成系遺伝子の発現の影響

 secG遺伝子破壊株の低温における膜透過不全に対する脂質合成系遺伝子の関与について調べた。gpsAはすべてのリン脂質の前駆体であるグリセロール三リン酸を合成し・過剰発現によりsecG遺伝子破壊株の生育および膜透過反応の低温感受性が回復する。gpsAの過剰発現の膜脂質への影響を調べるためリン脂質組成を調べた。secG遺伝子破壊株KN370において細胞中のgpsA活性はアラビノースプロモータの誘導により数百倍に上昇するが、膜のリン脂質組成に大きな変動は見られなかった。細胞内のグリセロール三リン酸の合成は複雑な経路で厳密に制御されており、リン脂質組成はgpsAの過剰発現により大きな変動は見られなかったが、リン脂質の代謝速度等に影響を受けていた可能性が考えられる。

 また、gnsAは過剰発現により膜リン脂質のアシル基の不飽和度を上昇させ、酸性リン脂質の割合を増加させることが明らかになっているが、その詳しい作用機構は不明である。GnsAの機能について詳しく調べるため、DNAマイクロアレイを用いて網羅的に解析した。secG遺伝子破壊株KN553にpSRAを導入し、アラビノースの誘導によりgnsAを過剰発現させた株の遺伝子発現の変化をKN553にベクターを導入した株を対照として調べた。gnsAを20℃において180分誘導したところ、172遺伝子に誘導が見られた。一方、37℃180分間の条件では14遺伝子しか誘導が見られず、GnsAは低温でのみ大きな影響を及ぼす可能性が示唆された。またgnsAを過剰発現させた株ではトレハロース合成遺伝子やグリシンベタイン-プロリン輸送系遺伝子など、高浸透圧応答に関与する遺伝子が多数誘導されていた。高浸透圧応答はSigmaSの支配を受けるが、rpoS遺伝子そのものに強い誘導は見られず、SigmaSの制御や代謝回転に関わる遺伝子に誘導が見られた。SigmaSの蛋白質レベルを調べたところ、蛋白質膜透過反応が回復しているにも関わらず3倍以上の誘導が見られた。また、高浸透圧応答の遺伝子が多数誘導されているにも関わらず、低浸透圧応答に関与する機械刺激感受性チャンネルmscL、yggBの遺伝子にも誘導が見られた。GnsAの過剰発現により浸透圧ストレスに対する耐性の変化を確かめるため、20℃でKTY培地に塩を添加し浸透圧を高めた培地とりン酸塩を減少させて浸透圧を低めた培地の両方で培養を行い、生育速度を比較した。その結果、GnsAの過剰発現により高浸透圧と低浸透圧のどちらの培地でも生育速度は減少していた。GnsAは細胞膜組成に影響を与え、その結果膜の機械的性質が大きく変化して浸透圧等の物理的ストレスヘの耐性が低下したと考えられる。また、GnsAを過剰発現させた株ではペプチドグリカン合成系遺伝子の抑制も検出された。GnsAの過剰発現はこれら細胞表層の生合成全体に影響を及ぼしている可能性が考えられる。

考察

 secG遺伝子破壊により多数の遺伝子に誘導がみられ、特に蛋白質合成系の誘導が著しかった。またリン脂質前駆体を合成する遺伝子群、脂肪酸合成遺伝子群など膜脂質合成に関与する一連の遺伝子の誘導が見られた。また膜透過反応に必須であるATPと膜透過反応の効率を大きく上昇させるプロトン駆動力を形成するTCA回路の一連の遺伝子が大きく誘導されていた。また、これらの遺伝子と同時にSigmaSに誘導される遺伝子やSigmaSの代謝に関わる因子も誘導されていた。低温下においてSigmaS蛋白質はsecG遺伝子破壊株では野生株に比べ7倍程度誘導されていた。SigmaSは異種蛋白質の過剰発現により誘導されるという報告があるが、蛋白質膜透過反応が阻害された株においても前駆体蛋白質の蓄積がこれに近い影響を与えている可能性が考えられる。

 いくつかの脂質合成系遺伝子の誘導によりsecG遺伝子破壊株の膜透過反応が回復することが知られているが、gpsAを過剰発現させても、細胞質gpsA活性は大きく上昇するにも関わらず膜リン脂質の組成に大きな変化は見られなかった。また、GnsAを過剰発現させると膜の不飽和脂肪酸の割合が増加し酸性リン脂質の割合が上昇することが知られているが、同時に浸透圧など機械的なストレスに弱くなり、圧力ストレス応答遺伝子群が誘導されていることが明らかになった。膜の性質の大幅な変化は膜透過反応を促進させる一方で、細胞に非常に高い負荷を与えていると考えられる。gpsAの過剰発現では膜脂質組成に大きな変動は見られなかったが、膜透過反応は回復する。膜透過反応はリン脂質組成のごく軽微な変動で回復する可能性が考えられ、secG遺伝子破壊株の膜透過反応を回復させるのに必要な膜脂質組成の変動の程度を考える上で興味深い。

審査要旨 要旨を表示する

 大腸菌のゲノムにコードされている蛋白質のうち、30%以上が内膜、ペリプラズム、外膜などに局在する。これらの蛋白質を、内膜を越えて輸送する反応や、内膜に挿入する反応に生じた欠陥は、細胞にとって強いストレスとなり、これらの反応が強く阻害されると細胞は生育できない。蛋白質の内膜輸送反応に欠陥が生じると、SecAの発現が翻訳段階で上昇することが知られているが、他の遺伝子の発現が転写レベルでどのような影響を受けるかはこれまでほとんど解析されていない。本論文は分泌蛋白質の膜透過不全が遺伝子発現に与える影響を網羅的に解析したものであり、三章よりなる。

 第一章は序論であり、蛋白質膜透過反応機構について現在までに明らかになっている知見をまとめ、その生理的意義が論じられている。

 第二章では、膜透過装置を構成する膜蛋白質であるSecGを、遺伝子破壊により欠損させた時、遺伝子発現にどのような変化が現れるか調べている。secG伝子破壊株KN553と野生型株K003を20℃または37℃で培養し、抽出した全RNAを鋳型に蛍光標識したcDNAを合成した。蛍光標識cDNAと大腸菌ゲノムDNAマイクロアレイを用いて、遺伝子発現の変化を網羅的に調べた。前駆体蛋白質が蓄積する20℃では、蛋白質合成系に関与する遺伝子群を中心に132遺伝子の誘導が見られた。一方、リボゾーム蛋白質の遺伝子とオペロンを形成するsecY遺伝子を除き、Sec装置構成因子の遺伝子発現には顕著な誘導は見られなかった。 secGの機能はリン脂質の役割と深く関連しているが、secG遺伝子破壊によりリン脂質合成の前駆物質であるグリセロール三リン酸合成経路の遺伝子群が誘導されていた。Sec因子に生じたある種の温度感受性変異は、分子シャペロンDnaK、GroEL/ESの過剰発現で抑制される。これらの遺伝子は発現が誘導されていたが、蛋白質のレベルでは明らかな上昇は見られなかった。また、エネルギー形成に関連するTCA回路の遺伝子群に大きな誘導が見られた。これらの一連の遺伝子発現の変化は、膜透過反応に大きな阻害がみられない37℃においても、同様の傾向であった。また、SigmaSに関連する一連の遺伝子に誘導が見られた。SigmaSをコードするrpoS遺伝子には大きな誘導は見られなかったが、蛋白質レベルでは、20℃においてsecG遺伝子破壊株では野生型株に対して7倍程度の蓄積が認められた。一方、37℃においてはレベルに差は見られなかった。これらの結果に基づき、遺伝子発現変化の生理的意義が詳細に論じられている。

 第三章では、secG遺伝子破壊株の低温感受性を回復させるgnsAの過剰発現が、遺伝子発現に及ぼす影響を網羅的に解析している。gnsAは過剰発現により膜リン脂質のアシル基の不飽和度を上昇させ、酸性リン脂質の割合を増加させるが、その機構は不明である。secG遺伝子破壊株でgnsAを過剰発現させると、20℃では172遺伝子の発現が誘導された。一方、37℃では14遺伝子が誘導されるに過ぎなかった。またgnsAを過剰発現させた株では、浸透圧変化に応答する遺伝子が多数誘導されていた。そこで、培地浸透圧を変化させて生育を調べ、gnsAの過剰発現は細胞を浸透圧感受性とすることが判明した。gnsAの過剰発現は、secG遺伝子破壊株の低温感受性を回復させるが、同時に細胞表層構造の形成にストレスを与えると考えられる。

 以上、本論文は蛋白質膜透過反応の不全が遺伝子発現に与える影響を網羅的に明らかにしたものであり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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