No | 117760 | |
著者(漢字) | 林,義強 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | リン,ギキョウ | |
標題(和) | アイデンティティの危機 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 117760 | |
報告番号 | 甲17760 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(文学) | |
学位記番号 | 博人社第396号 | |
研究科 | 人文社会系研究科 | |
専攻 | アジア文化研究専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 中国における「国学」という概念は、解釈しようとすればするほど混乱する怪物であり、また、具体的な歴史背景から切り離して語れるものではない。本稿はその概念が最初に提起された清末に立ち返えって、その原点から考え直そうとしたものである。 しかし、その概念の混乱を是正することではなく、むしろその「いい加減さ」を暴きだすことが、本稿の趣旨である。清末国学という研究対象は、清朝最後の十数年間において、アイデンティティの危機の中から国学論を排満革命と同時に提起し、それに基づいて学問研究を行うことによって中国文化を「国学」の名のもとで再構築することを目指すもの、と規定することができる。それは主に「三つの重なる円」によって構成された。つまり、上海で結成された国学保存会、東京で結成された国学振起社・国学講習会、中国の蘇州で結成された南社である。その中心となった人物は、章炳麟、劉師培、�ケ実、黄節、馬叙倫、陳去病、柳亜子などである。取り扱う資料としては各人の著述以外に、中国史上最初の学術誌『国粋学報』、清末最大の革命派雑誌『民報』、そして不定期刊行の文集『南社』がある。その膨大な対象を検討するには、新たな切り口として、本稿は清末の国学論に注目し、その議論から研究テーマを展開しようとするものである。 清末国学の核心はアイデンティティの再構築にあると考えられる。その国学論は、「国」と「学」との二つのサブテーマに分けて検討することができる。そこでの「国」と「学」は「民族」と「文化」との二つの概念に対応しており、それによって、本稿は民族論と文化論に対する二つの考察から構成される大枠を設定した。極端に言えば、この二つの考察なしには、清末国学をいかに語ろうとしても空しいものになりかねない。 本稿は、清末国学において、「民族」と「文化」がどのように語られていたのか、その語りに何を伝えようとされていたのかを問いながら、その国学論の核心に迫るというアプローチを採る。その核心において、清末国学論者は「国」と「学」に向かって、「私は何人?そして、私は何学の人?」という問いにぶつかったのである。その答えは、彼らのアイデンティティの柱を成していたと考えられる。 本稿は日本で書き上げるという背景もあって、清末国学の日本との関わり合い、とくに明治時代の国粋主義からの影響を追究することを新たな課題として加えるほか、これまであまり論及されなかった東京から発信した国学論も大きく取り上げ、さらに、日本および台湾での滞在経験が清末知識人に及ぼした影響をも検討することによって、清末国学をより立体的に見ようとしたものである。 本稿は主に三つの部分から構成される。第1部は歴史事実の究明によって、その国学論と人的ネットワークの成り立ちの過程を再構成するものである。第2部と第3部は論文の中心であり、タイトルの通り、清末国学の民族論と文化論を考察するものである。第2部では「民族」という概念に相当する思想観念を古代から探り、清末においてその変容と破綻を見る。この部の中心は章炳麟と排満論であるが、すでに多くある先行研究を踏まえた上で、これまで研究されてこなかった資料と思想に光を当て、近代中国人のアイデンティティの揺れを明らかにしようとする。そのアイデンティティの再構築のための最大の基礎と見なされたのは歴史と言語である。そのため、第3部は清末国学における歴史と言語を考察することを課題とする。歴史研究は清末国学において最も実りの多い分野であるが、単なる学問研究をはるかに超えた射程を持たせていた。その歴史研究と歴史論を通じて、歴史の再編成という企てから「思想としての歴史」は分析される。清末国学が描き出した言語統一のシナリオは周到かつ穏健なものである。それは古音、方言、白話、文言についての研究と議論を通じて分析される。この二つの分析によって、清末国学におけるアイデンティティの再構築によってもたらされたディスクールの編成と創造を検討する。論文のはじめには、清末国学という対象を越え、より大きな枠組みで問題を提起した。そして、それに呼応するように、論文のおわりに、清末から今日に至るまでの「国学」、「国粋」、「国政」などの諸言説にまつわる議論を検討し、ほぼ百年にわたったこの言説の本質と行方を批判的に見ようとする。 | |
審査要旨 | 本論文は、清朝最末期にあたる20世紀初頭、日本留学ないし亡命の経験を持つ中国知識人を主たる担い手として生起した国学運動に関する包括的な研究である。国学運動に関与した人々は、一方で西洋学術の広範な流入に対して文化的に危機感を抱き、中国の伝統学術を国学として再編成することによってこれに対抗することを試み、他方では西洋列強の中国侵略に対して政治的に危機感を抱き、満洲族の支配王朝である清朝を打倒して漢民族の主体性を回復すべきことを主張した。その意味で国学運動は、20世紀初頭に急速に昂揚する中国ナショナリズム運動の重要な構成要素の1つであり、本論文は、国学運動の主要な論点の分析を通して、中国ナショナリズムの特色の解明を目指すものである。 本論文は3部に分けられ、全12章からなる。「清末国学の成立」と題された第1部では、知識人たちの危機意識が国学運動という1つの運動に収斂していく過程を具体的事実をもとに明らかにしている。「清末国学における『民族』」と題された第2部では、国学運動を支える民族意識の成立過程が分析される。すなわち、まず古代以来の華夷意識の歴史的変遷の過程を詳細に説明したのち、国学運動の中心的指導者であった章炳麟の排満意識の成立過程を、彼の詩を注意深く読み解くことを通して明らかにしている。「清末国学における『文化』」と題された第3部では、清末国学の主要な論点を取り上げ、文化的ナショナリズムの担い手としての彼らの言説の特質の解明が試みられる。清末国学は、民族的アイデンティティを成立させるためのネ可欠の要件として歴史と言語を挙げていたから、第3部では、国学運動に関与した思想家たちの歴史観と言語観がとりわけ重点的に分析されている。 これまで、国学運動に関与した個々の思想家に対する研究は少なからず存在したが、本論文のように国学運動の思想的性格の包括的解明を試みた研究はきわめて少なく、本論文は近代中国思想史研究への重要な貢献である。明治日本の国粋主義が国学運動に与えた影響の分析など、日本留学の成果も十分に生かしており、章炳麟の詩を注意深く分析することで、彼の排満意識の成立時期についても従来の説と異なる新たな見解を提示している。さらに、国学運動家たちの歴史観について、中国人の起源をめぐる様々な議論の分析を行なった点や、言語観について、白話や方言やエスペラント語を視野に入れた分析を行なった点など、多くの点で創見が見られる。 他方で、本論文には幾つかの問題がある。本論文の目的からすれば、ほんらい予備的役割しか持たない華夷意識の歴史的変遷の叙述に多くのページを割き、他方で最も重要な国学家たちの言語観の分析が相対的に手薄になっているのは、最も重大な欠点である。また、国学運動を生み出した重要な要因である西洋学術の流入状況の分析や、国学運動家たちの最大の論敵である梁啓超の分析も、不十分である。 しかしながら、国学運動に関与した思想家の文章は、章炳麟がまさにそうであるように、同時代で最も難解な文章として知られ、それらの資料に果敢に挑戦し、広い視野から1個の意味ある思想史像を構成したことは、本論文の著者が自立して研究を行なうのに十分な能力を有することを証明している。よって審査委員会は、博士(文学)の学位を授与するのが適当であると判断した。 | |
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