学位論文要旨



No 117763
著者(漢字) 青木,健
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,タケシ
標題(和) 中世インドのイスラーム的ゾロアスター教 : アーザル・カイヴァーン学派の思想とサーサーン王朝時代ゾロアスター教からの連続性
標題(洋)
報告番号 117763
報告番号 甲17763
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第399号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹下,政孝
 東京大学 助教授 柳橋,博之
 東京大学 教授 熊本,裕
 東洋文化研究所 教授 鎌田,繁
 東洋文化研究所 教授 永ノ尾,信悟
内容要旨 要旨を表示する

 「中世インドのイスラーム的ゾロアスター教-アーザル・カイヴァーン学派の思想とサーサーン王朝時代ゾロアスター教からの連続性-」と題したこの論文は、その名の通り、ムガル帝国時代のインドでイスラームに影響されつつ活動したゾロアスター教神官団の思想を追究したものである。そして、本論文の意義は、ゾロアスター教思想史上殆ど無視されてきたイスラーム時代の思想動向に焦点を当て、インド各地に散在する写本・石版刷りの資料に依拠しつつ、ゾロアスター教とイスラームの融合過程を実証的に明らかにしたところにある。多分、このような主題を扱った研究は世界でも絶無であろうし、ゾロアスター教とイスラームを同時に研究しようとする研究者も皆無である。その上、資料も手付かずのままで放置されていた訳であるから、大変興味のある資料とテーマが埋もれた状態にあったと云える、

 しかし、これらの文献群は幾つもの謎を秘めていた。何故、突然16世紀と云う時期にゾロアスター教神官団が活発化したのかも不明なら、彼らの指導者アーザル・カイヴァーンの人間像も思想も曖昧なままであった。それに加えて、彼らは『アヴェスター』の他に新聖典『ダサーティール』を奉じているのである。このような文献が何に由来し、誰が執筆したのか、全然分からなかった。

 そこで、筆者の目的は、これらの謎を順次解明し、このゾロアスター教神官団の思想内容、人的構成、活動の動機、伝統的ゾロアスター教との繋がり、イスラーム思想との接点などを明らかにすることに定められた。達成できたかどうか分からないが、本論文はその意図に於いては、これらの謎を全て解き明かすことになっている。

 而して、本論文は以下のような流れでこれらの謎に迫っている。

 第I章では、議論の前提として資料的問題を扱った。第1節では、今のところ判明している彼らの文献を、現代まで網羅した。

 第2節では、彼らの資料を最も豊富に所蔵していた在ムンバイーのカーマ東洋研究所に於ける写本の収蔵状況について、詳細にデータを列挙した。

 第3節では、彼らに関する、主に『ダサーティール』の言語学的側面に関わる先行研究を紹介した。

 第II章では、アーザル・カイヴァーンの全体像が資料の許す範囲内で明らかになった。即ち、アーザル・カイヴァーンとは、非正統的な出自で神秘主義に惹かれたゾロアスター教神官であり(第II章第1節参照)、「東方神智学」や「クブラウィー教団」に影響されつつ、独自のゾロアスター教神秘主義思想を構築した人物である(第II章第2節参照)。

 第III章では、サーサーン王朝時代のゾロアスター教と「アーザル・カイヴァーン学派」との連続性も明らかになった。即ち、アーザル・カイヴァーンによって形成された「アーザル・カイヴァーン学派」は、哲学思想に関する限り、サーサーン王朝時代の新プラトン主義の系統を継承している(第III章第1節参照)。また、彼らは、サーサーン王朝崩壊以降のゾロアスター教に一般的な救世主思想を引き継ぎ、ムガル帝国のアクバル皇帝をその救世主の具現化だと考えてインドへ移住した(第III章第2節)。

 第IV章では、聖典論の観点から『ダサーティール』形成の背景が明らかになった。即ち、サーサーン王朝時代以来、ゾロアスター教徒の聖典観はセム的一神教に影響され、それに伴って『アヴェスター』は空洞化した(第IV章第1節参照)。そして、アーザル・カイヴァーンは、17世紀のペルシアに特有の思想状況に乗じて、この問題を解決するべく新聖典『ダサーティール』を執筆した(第IV章第2節)。

 第V章では、アーザル・カイヴァーン没後、弟子たちの拡散する思想状況も明らかになった。即ち、ゾロアスター教の伝統に対する立場の相違から教団が二分される中、伝統主義神官アーザル・パジューは『ザンド・アヴェスター』を援用してアーザル・カイヴァーンの思想を基礎付けようと試みた(第V章第1節)。また、ファルザーネ・バフラームとモーベド・シャーは、ゾロアスター教とペルシア・イスラーム思想を一貫して流れる「ペルシア思想史」を構想した(第V章第2節)。

 以上の結論を、巨視的に評価するとどうなるだろうか?筆者の印象では、アーザル・カイヴァーンが創出した「アーザル・カイヴァーン思想」は、サーサーン王朝時代のゾロアスター教の伝統を若干継承しているとは云え、圧倒的に「人造宗教」のイメージが強い。「アーザル・カイヴァーン思想」は、その大部分が理性の産物であるが故に17世紀当時の最新の思想的成果を吸収し得たし、また、一部のゾロアスター教神官から熱烈に支持されて「アーザル・カイヴァーン学派」を形成することに成功したのである。

 しかし、この為にアーザル・カイヴァーンは事細かな偽装工作を行った。その際たるものは、言語面に重点を置いた新聖典の偽作であり、ゾロアスター教を凌ぐ古代ペルシアの預言者の仮面である。その上で彼は、ペルシア民族主義を鼓吹しながらゾロアスター教の神秘主義を語った。アーザル・カイヴァーンは、余りにも奇策を弄し、多角的な目標を追い過ぎた。それ故に、アーザル・カイヴァーン学派は、彼の没後に空中分解して、幾許もなく消滅してしまったのである。

 イスラーム哲学やイスラーム神秘主義思想を導入してゾロアスター教を改革しようとの試みは、17世紀と云う時代背景を考えれば全く正当な発想だったし、他にもそんな構想を抱いたゾロアスター教神官も存在したかも知れない。ただ、アーザル・カイヴァーン学派だけが多数の文献を残している点から、アーザル・カイヴァーンのみがこの種の試みで成功寸前までいっていたことは間違いない。彼は、このゾロアスター教神秘主義思想のラスト・チャンスだった。彼の企てが成功していれば、現在のゾロアスター教社会で流布しているような神智学運動よりは遥かに深みのある思想が展開されていたであろうし、少なくともゾロアスター教とペルシア・イスラーム思想との間に何がしかの親近感が生まれていたであろう。この意味では、例え後世への伝達の点で不成功に終わったにしても、全く異質のゾロアスター教とセム的一神教を融合して神秘主義思想を樹立しようとしたアーザル・カイヴァーンの思想そのものは、現在でも充分に検討対象とする価値がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、17世紀初頭にイランから、インドに移住し、イスラーム哲学とイスラーム神秘主義の影響のもとで、独自のゾロアスター教の再解釈を行ったアーザル・カイヴァーンと彼の弟子たちの思想を明らかにしたものである。

 論文は5章から構成される。第1章では、アーザル・カイヴァーン学派の残した著作の書誌学的紹介と現在までのこの学派に関する研究史がきわめて詳細に検討される。第2章第1節では、アーザル・カイヴァーンの弟子たちの著作から、アーザル・カイヴァーンに関する言及が全て抽出され、それをもとに、アーザル・カイヴァーンの生涯の全体像が復元され、さらには偽典『ダサーティール』の真の著者がアーザル・カイヴァーンであることが推測される。第2節では、アーザル・カイヴァーンの名で伝わる唯一の著作である『カイホスローの杯』の内容が分析され、彼の神秘主義思想がクブラーウィー系教団、特にヌールバフシュ教団の強い影響下にあることが明らかにされる。第3章では、流出論と救世主思想の二側面において、アーザル・カイヴァーン学派が、サーサーン王朝時代のゾロアスター教を継承している可能性があるとの推論がなされる。第4章では、偽典『ダサーティール』に焦点を当てて、偽典形成のメカニズムが追求される。第5章ではアーザル・カイヴァーンの弟子たちの思想が取り扱われる。第1節ではアーザル・パジューの著作『古代の章』が取り上げられ、そこではイスラーム哲学の思想が支配的でゾロアスター教文献の援用は従属的な役割しか果たしていないこと、さらには、そのゾロアスター教文献の援用も不正確であることが明らかにされる。第2節ではファルザーネ・バフラームとモーベド・シャーの著作をもとに、彼らが構想した、ゾロアスター教とイラン・イスラーム思想を一貫して流れる「ペルシア思想史」が復元される。

 本論文の主題となったアーザル・カイヴァーン学派は今日では完全に忘れ去られた存在であり、本論文に取り上げられた著作の大部分は今まで誰によっても論じられたことがない。その意味では先駆的な研究であり、ムガール帝国時代のイスラーム的ゾロアスター教というユニークな研究分野を独自に開拓した意義は大きい。所々に論理の飛躍や強引な推論がみられたり、またパフラヴィー語やアヴェスター語の読解に不正確さがみられるとはいえ、アーザル・カイヴァーン学派を研究する上での最初の確実な基礎を提供したことに疑問はない。よって審査委員会は一致して、本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと判定する。

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