学位論文要旨



No 117767
著者(漢字) 尾山,大輔
著者(英字)
著者(カナ) オヤマ,ダイスケ
標題(和) 社会ゲームと均衡選択
標題(洋) Societal Games and Equilibrium Selection
報告番号 117767
報告番号 甲17767
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第167号
研究科 経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松井,彰彦
 東京大学 教授 神取,道宏
 東京大学 教授 松島,斉
 東京大学 助教授 大森,裕浩
 東京大学 助教授 柳川,範之
内容要旨 要旨を表示する

 この博士論文は,それぞれ社会ゲームの観点から均衡選択の問題を分析する3つの論文から構成される.

 第1章では,完全予見動学による均衡選択を分析し,p-支配という概念との関連を考察する.多数の合理的なプレイヤーが対称nxnゲームをランダム・マッチングによって時間を通じてプレイする状況を考える.プレイヤーが行動を変更できる機会は独立なポワソン過程にしたがう.それぞれのプレイヤーは将来に関する予想を構成し,行動変更の機会を得た際には期待割引利得を最大にする行動をとる.Nash均衡が完全予見動学において線形安定であるとは,すべてのプレイヤーがその均衡行動をとるという予想が現在の行動分布によらず整合的になることをいう.強Nash均衡が十分小さな摩擦度に対して線形安定であるための必要十分条件は,この均衡が1/2より小さなpに対してp-支配均衡である,ということことが示される.

 第2章では,簡単なマクロ経済学的なモデルにおける均衡選択の問題を分析する.戦略的補完性をもつ投資ゲームが時間を通じてプレイされる.各t期において第tプレイヤーが行動を決め,そのプレイヤーは2期間その行動にコミットする.第tプレイヤーの利得は第t-1プレイヤーと第t+1プレイヤーの行動に依存する.さらに,利得はファンダメンタルズを表す確率変数に依存して毎期変化していく.このゲームにおいては均衡は一意に存在し,均衡経路は段階ゲームの2つの均衡を変動するようなものになることが示される.

 第3章では,プレイヤーの合理性が共通知識になっているが各プレイヤーの予想が一致しているとは限らないような動学過程を分析する.合理化可能予見経路とは,各プレイヤーが別の合理化可能予見経路に対して最適反応をしている経路のことをいう.合理化可能予見の下での安定状態とは,そこから逃げていく合理化可能予見経路がない状態のことをいう.合理化可能予見の下での安定集合も定義され,その存在が示される.合理化可能予見の下での安定状態は常に完全予見の下で安定であるが,一般に逆は成り立たない.合理化可能予見の下での安定性概念は完全予見の下での安定性概念より優れた理論予測を与えうることが示される、

審査要旨 要旨を表示する

1 完全予見動学

 人は社会の中で様々な人と出会い、様々な人間関係を築く。相手がいれば,すべての物事が自分の思うように運ぶとは限らない。ゲーム理論はこのような人間関係の本質を取り出し分析していこうという学問である。さて、人間関係はその当事者間の嗜好や性向によってのみ決まっているわけではない。どの人間関係を取り出してみてもその背後には社会というものが厳として存在し、人々の行動もその社会というものによって大きく規定されている。この「社会」と「個々の人間関係-ゲーム」との関係を扱い得る理論が進化ゲームないし社会ゲームの理論である。

 尾山氏の論文はこの社会ゲームの理論の中に位置付けることができる。とくにかれが扱った内容は完全予見(perfect foresight)と合理化可能予見(rationalizable foresight)という問題である。

 人間は現状を見て望ましい戦略を選択していく能力がある。しかし、それだけでは他の生物と人間の行動を峻別しきれているとは言い切れないかもしれない。通常,われわれが生物には与えず人間に与える能力とは将来を見据える能力である。人々は多かれ少なかれ将来の社会の動向を予測して行動している。例えば,コンピュータのOSの選択に関していえば,将来Linuxが主流になると読んで今から使いはじめている人もいるかも知れない。また,新しい産業における企業の投資決定には将来の市場の変化を読むことは不可欠であろう.

 このような問題を考えるため、Matsui=Matsuyama(JET,1995)は完全予見動学を提示し、分析を行なった。この論文で扱われたのは2x2ゲームという単純なゲームであったため、応用範囲が限られていたが、尾山氏の第1章の論文はこれを一般の2人ゲームに拡張し、その特徴付けを行なうことに成功した。さらに、この動学過程で得られた安定性の概念を「不完備情報アプローチ」においてMorris,Rob, and Shin(1995),Kajii and Morris(1997)などが提示したp-支配という概念に結び付けてその比較を行なった。

2 通貨危機と好不況

 第2章は、第1章よりも理論的な内容をやや簡略化し、現実問題に同様の考え方を当てはめて議論している。具体的には、通貨危機など国際投資活動における急激な資金引き上げの問題と、それに伴って起こる好不況の波との関係を絡めて分析している。

 東南アジアおよび東アジアを襲った1997年の通貨危機を見てみよう。1997年7月2日、タイ・バーツがドルペッグを廃止し、変動相場制に移行した瞬間にそれは始まった。その目のうちにバーツは、1ドル24.7バーツから一時1ドル29バーツ台へと急落した。通貨への信認が急速になくなり、売り圧力を受けるというアジア通貨危機の勃発である。通貨の暴落はバーツに留まらなかった。マレーシア、インドネシア、フィリピン、そしてその火の粉は韓国にまでふりかかってきた。

 なぜこのような突発的な事態が発生したのであろうか。問題はこれより前に発生していた。5,6月辺りに投機筋のバーツ売り圧力があったという。しかし、これでは説明になっていない。この時期になぜ売り圧力が発生したのかということを解明するという問題に置き換わっただけである。まずこのときに大事件が勃発してこれらの国の経済のファンダメンタルズが悪化したという観察は成立しないようである。この時期、確かにタイ国の資本収支赤字はGDPの7%に達し経済は必ずしも健全とは言えない状況にあった。しかし、一斉にバーツを売り浴びせるほどのファンダメンタルズの悪化を示す指標が公表されたりしたわけではない。

 それにもかかわらず人々はわれさきにこれらの通貨を売ろうとした。なぜか。群集心理が働いたという考え方もある。いわゆる通貨危機パニック説である。パニックという言葉は通常、冷静になれないために右往左往してしまったり、他者の行動に同調してしまうような状況を指している。しかし、この状況に冷静に対処していたならば、投資家による資金引き揚げとそれに伴う各国の通貨危機は防げたのであろうか。

 社会心理学者ならばこの現象を他者の行動に引きずられて合理的な判断ができなくなった投資家の行動として説明するかもしれない。それに対し、本章の議論では合理的な判断をしていたとしても同様の資金引き上げが生じたと主張するものである。

 ここで重要な結論は、資金引き上げによる不況の発生が、ファンダメンタルズが悪化し資金引き上げが必須とされるよりもはるかに早い段階で資金引き上げが始まるという点である。さらに、この資金引き上げが一度発生すると、ファンダメンタルズが回復しても再投資がなかなか進まない、ということを示した。

3 合理化可能性理論と進化ゲームの理論

 ゲーム理論は長い間、均衡という概念を中心として展開されてきた。あるプレイヤーが意思決定を行うとき、かれは他のプレイヤーの戦略を知っているわけではない。しかし、相手の戦略によって自分の最適戦略が異なってくるため、プレイヤーたちは相手のとる戦略に関する何らかの予想を立てる。均衡概念はこの予想が正しいということを要請する。しかし、予想と実際の戦略との不一致は均衡理論そのものによっては解決されない。1

 多くの場合、予想の一致はプレイヤーたちが合理的であるのみならず、全知であることを要求する。この問題は複数均衡がある場合には深刻なものとなる。なぜならたとえ均衡が達成されるということがわかっていたとしても、それぞれが別々の均衡が達成されると思っていたとしたら実際には均衡が達成されないからである。また、長期的な状況でも均衡が達成されると考えるのは実質的に無理がある。われわれはまだ生まれていないプレイヤーたちとまで予想を一致させることは不可能であろう。

 プレイヤー間の予想の一致を要請するのは合理性の仮定からでは導かれないとの反省から2つの理論が生まれてきた。一つは本書第II部でメインテーマとなっている進化ゲームの理論、そしてもう一つが合理化可能性(rationalizability)の理論である。

 合理化可能性理論は、Bernheim(Econometrica,1984)とPearce(Econometrica,1984)によって提唱された。この理論はプレイヤーたちの合理性のみが共有知識となっているような状況を想定した。この理論においては、実際の意思決定がプレイヤーの予想と一致している必要はない。したがって、行動と予想の不一致が観察されることとなる。

 合理的だが全知ではないプレイヤーの理論として理論的にはすっきりしたものであったにもかかわらず、合理化可能性の理論は応用問題において使用されてこなかった。その最大の理由は、その予測可能性にある。予想が現実と一致していなくてもいいということは、それだけとりうる戦略の組の可能性が広がるということである。その結果、合理化可能な戦略の組の集合は定義により均衡戦略の組の集合より広がってしまう。予測という点から言えばこれは欠点といってもよい。

 一方、進化ゲームの理論は過去の行動様式を参照するという形で予想の不一致の問題を解消したものの、プレイヤーの合理性まで奪い取ってしまった。元々の問題意識からすると、これは少し行き過ぎである。

 進化ゲームの理論で捨ててしまった人間の合理性を復活させる形で構築されたものが社会ゲームの理論である。生物の自然淘汰や学習理論と人間の行動原理との間にはいくつかの違いが見られる。本章では、その中でもとくに将来を合理的に予想して行動する主体を扱うことで、社会ゲームを進化ゲームから峻別する。この動学モデルにおいて本章は、将来の他者の動きを合理的に予想しながら行動するプレイヤーを想定しつつも、かれらの間の予想の一致は保証しない。これを通じて、限られた状況ではあるにせよ、均衡理論、合理化可能性理論および進化ゲームの理論の欠点を補い合うことを目指している。

4 結論

 第1章は、国際的な研究水準に達しており、昨年国際学術誌であるJournal of Economic Theoryに掲載された。第2章は、第1章と比較するとやや創造性には乏しいものの現実問題への応用を試みた点で評価できる。これは日本経済学会の学会誌でもある国際学術誌、Japanese Economic Reviewから改訂の要請が来ており、同誌に掲載されることが期待される。第3章は現在Econometricaに投稿中でありまだ連絡は来ていない。

 分野的に指導教官と重なる部分が多く、より独創性のある研究を目指して精進してもらいたいという意見が出た。

 しかし、博士論文としての完成度は極めて高く、本研究科が要求する博士論文の基準を十分に満たしている。それゆえ、審査委員会は、本論文を博士(経済学)の学位を授与するにふさわしいものであると全員一致で判断した。

1本章は、Matsui-Oyama(mimeo,2002)に基づいている。当論文は教官との共同論文であるが、その分担および貢献度は50-50だと考えられる。

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