学位論文要旨



No 117769
著者(漢字) 中村,元哉
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,モトヤ
標題(和) 戦後中国の憲政実施と言論の自由(1945年〜1949年)
標題(洋)
報告番号 117769
報告番号 甲17769
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第405号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 村田,雄二郎
 東京大学 教授 若林,正丈
 東京大学 助教授 吉澤,誠一郎
 東京大学 教授 並木,頼寿
 信州大学 教授 久保,亨
内容要旨 要旨を表示する

 ここ数十年来、中華民国史の再検討がすすみ、近代化へ向けたその役割が再評価されてきた。だが、抗日戦争終結から中華人民共和国成立までの戦後期(1945年〜1949年)に限定して言えば、「革命史観」の影響力は依然として強く、それを相対化するはずの基礎的研究-一次史料に基づいて戦後国民党政権を実証的に分析する研究-は、ここ数年を例外とすれば、さほど進展してきたわけではない。従って、戦後中国史像は、以前の「革命史観」の影響を引きずりながら、内戦・反動・混乱・腐敗…等のダークなイメージで語られることが多かった。

 本論の目標は、このような戦後中国のイメージを、第二歴史档案館(南京)、国史館(台北)、中国国民党中央文化伝播委員会党史館(台北)所蔵の各種行政文書(档案)および南京図書館特蔵部(南京)、国家図書館(北京)所蔵の党・政府内部資料、日本では閲覧できない当時の新聞・雑誌(南京、北京、重慶、上海)を利用しながら再検討していくことにある。本論では、戦後中国の最大の政治目標であった「三序」構想の完成、即ち訓政から憲政への移行に注目して、非民主的とされてきた従来の戦後中国史像を再構築していくことにしたい。その際、当時の世界的な自由主義潮流-例えば国際報道自由運動-にも注意を払いながら議論をすすめていくことにする。

 ただし、憲政実施問題をあらゆる角度-中央・地方行政機構の変遷と党政関係の推移、「新県制」実施以後の地方自治の実態、国民大会代表問題、党内の派閥闘争など-から分析することは不可能に近い。そこで本論では、憲政実施問題を考察するにあたり、言論の自由化問題に特に焦点をあてる。その理由は、言論の自由化こそが民主主義の最大のバロメーターであるとする一部の法学者の見解を想定するからではなく、むしろ次のような30・40年代の中国の歴史的文脈を重視するからである。(1)国民参政会あるいは民盟に結集していった知識人が政治の民主化を主張する際に絶えず言論の自由を要求していたこと、(2)そこから派生した下からの憲政運動の高まりをうけて、国民党が言論統制政策を緩和していったこと、(3)文化政策機関(党機関の宣伝部と政府機関の内政部)の党政関係(「党国体制」)の再編過程が如実に示されていること。

 では、戦後中国の憲政実施問題を言論の自由から再考する本論は、この課題にどのように取り組むのか。本論では制度・政策と社会の実態との対応関係を重視し、第一部で政権内部の動向と政策の展開過程を分析し、第二部では戦後言論界の復員状況と新聞・雑誌の商業化・市場化問題および戦後思想界の憲政批判の実態を分析していく。このように政治史のみならず社会経済史の視角をも重視する理由は、市場経済が政治の民主化に対して与える影響力が極めて大きいと考えられているからであり、同時に言論界の実態を量的かつ質的に解明し、政策の理念と実態とのバランスを比較検討できるからである。

 各章の内容は次のとおりである。

第一章:国内の憲政運動の高まりとアメリカを中心とする国際報道自由運動の影響を受けて、抗戦末期に言論統制政策が部分的に緩和され、戦後の憲政を意識した言論自由化論が国民党内部で議論されていく事実を指摘する。

第二章:従来の研究は「一党独裁体制下での憲政移行」を強調するあまり、戦後の党政分離過程について言及してこなかった。そこで第二章では、六全大会以降の憲政実施に向けた党政分離過程(宣伝部改組問題)を分析し、党政関係の維持につとめてきたとする従来の政権イメージを再考していく。

第三章:第一章・第二章の政権内部の自由化の動きを受けて、戦後国民政府が45年10月、46年1月に言論統制を大幅に緩和したこと、しかし47年春以降、軍事・経済・国際情勢の悪化から、憲政精神に反するかのように統制政策へと逆戻りしたことを指摘する。

第四章:戦後言論界の実態を主に数量的に分析する。この分析からは、戦後言論界が47年後半までは復興・発展段階にあり、多用な議論を創出していたこと、しかしその後は、再統制のうねりの中で、国民党内の反蒋人士・第三勢力知識人・中共人士が香港へと難を逃れ、国民党統治地区の言論界が停滞していったことを指摘する。

第五章:新聞・雑誌の商業化という観点から、戦後言論界の変遷を辿る。終戦後、各新聞社・雑誌社は戦後言論界の復興・発展をうけ、熾烈な生き残り競争にさらされることになった。だが、「副刊」の充実化、党報の企業化といった経営努力も、47年以降の戦後自由主義経済の破綻と軍事情勢の悪化にともなう市場の縮小により、思うような成果をあげられなかった。47年後半以降の言論界の停滞は、統制政策のみならず商業化の破綻という側面も見逃せなかった。

第六章:政策が統制へと再転換し、言論界が停滞期をむかえる47年前後において、どの程度の政府批判が展開され許容されていたのかを、憲政批判という視点から取り上げる。ここでは、戦後思想界最大の政論誌『観察』をとりあげ、戦後の転換点にあたる47年前後にも政府批判の言論空間が確固として存在していたことを証明する。

 以上のような構成からなる本論は、次のような結論を得る。戦後国民党政権は、国際報道自由運動に象徴される世界規模での言論の自由化と政治の民主化を背景に、当初は統制から自由へと比重を移していった(第一章〜第三章)。そのような言論自由化政策をうけて、一部に制度的欠陥による恩恵を含んでいたとはいえ、戦後前期の言論界は復興・発展段階へと向かい(第四章)、戦後思想界も厳しい政府批判を展開していった(第六章)。だが、米ソ冷戦や国共内戦が深刻さを増す戦後後期に入ると、言論統制が再強化され(第三章)、更には戦後経済が崩壊し(第五章)、戦後思想界も文化論を盾に憲政批判を展開したことから(補論)、言論の自由化は挫折することになった。

 本論も、以前の研究と同様に、戦後の憲政そのものを全面的に肯定するつもりはない。しかし、その取り組みの一環である言論自由化政策を、「反動」「反民主」といった負のイメージを連想させる語彙の下で、完全に否定していくことには反対である。つまり、憲政をスローガンに掲げた戦後中国は、少なくとも47年までは、抗戦末期以来の言論自由化路線の延長線上に位置し、統制よりも自由を強調した時代として再定義されるべきである(ただし、戦後後期においても政権内部で自由化論が完全に消滅したわけではない)。そして、このように戦後中国史像を再構築してこそ、当該時期の歴史を真に「革命史観」の弊害から開放し、49年以後の台湾における「不完全な党国体制」論や自由化論、或いは大陸中国での反右派闘争へと至る過程および80年代以降の体制改革論(文化論・人権論を含む)をより説得的に分析できると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 近二十年来,大陸中国における政治路線の転換と社会経済の変貌にともない,中国史像にも大きな変化が生じている。近現代史研究の領域で,それは脱「革命」・脱「共産党」を志向する歴史の書き換え要求となってあらわれており,たとえば中華民国期(1912-1949年)における近代国家建設の進展を再評価しようとする「中華民国史」研究や,政権交代を超えた持続的変化の実像に迫ろうとする「20世紀中国」研究といった新たなアプローチや枠組みが提起されてきた。これに加えて,大陸や台湾では1980年代以降,档案(行政文書)の整理・公開が飛躍的に進み,個別の事例や案件について,史料にもとづく実証研究が可能となった。本論文は,以上のような研究環境の変化をふまえた上で,従来研究が比較的手薄であった戦後期中国(1945年の抗日戦争勝利から1949年の中華人民共和国成立まで)の政治過程を対象に,豊富な档案史料の発掘を通じて,この時期には戦時の集権体制から脱して民主化・自由化を求める力強いうねりが政権内外に存在したことを指摘し,あわせて20世紀中国という時間軸の中で,その歴史的意義を探求しようと試みたものである。

 論文は,序章と本論二部六章,および終章の全七章からなり,補論として「憲政実施をめぐる文化論争」を収める。本文は117ページ(統計表を含む)で,補論,史料解題,参考文献一覧を含めると,総ページ数は146ページ,400字詰め原稿用紙に換算して,約560枚の分量になる。

 以下,章をおって本論文の内容を紹介する。まず,序章では,戦後中国に関する先行研究を逐一紹介しつつ,その問題点を指摘する。著者によれば,これまで内戦・反動・混乱・腐敗など否定的なイメージで語られてきた戦後中国像は,その実,憲政への移行をめぐって政権内部に存在した民主化要求や自由主義的理念を見逃してきた点,大きな限界を抱えている。これを是正するために,著者は「言論の自由」政策に焦点を合わせ,その実施過程をたどることを通じて,戦後中国史の書き直しを試みようとする。

 本論の部分は,言論政策を扱う第一部(第一〜三章)と言論界の実態を扱う第二部(第四〜六章)に大きく分かれる。第一章「抗戦末期の言論政策」は,政策の決定と執行にあたる国民党・国民政府の主要な機関や人物の動向をたどりつつ,1944年にはすでに「戦後」に向けた言論統制緩和の動きが胎動していたことを指摘する。この緩和政策に,党外知識人(第三党勢力)の圧力が一定程度作用していたことはたしかだが,それ以上に政権担当者の対外認識が重要だと著者はいう。とくに,当時アメリカを中心に広がっていた「国際報道自由運動」が,国民党の言論政策に大きな影響を与えた事実が,本章では提示される。

 続く第二章「戦後の文化政策機関の変遷」では,国民党六全大会(1945年5月)をきっかけに,党国体制(party-state system)から憲政への移行が,宣伝部の改組問題をめぐって浮かび上がってくる経緯が分析される。著者によれば,この間,従来のイメージとは異なり,国民党政権は憲政実施を前提に,党と政府の分離を模索していた。言論の自由化政策もその一環として,政策担当者により自覚的に追求されたことが,本章では明らかにされる。

 第三章「戦後国民政府の言論政策」は,以上の第一,二章での考察を踏まえて,1945年から1946年にかけて国民政府が戦時言論統制を解除し,出版法改正などを通じて「言論の自由」化政策を推進しはじめたこと,しかし1947年になると国共内戦の本格化や国際情勢の転換などを背景に,言論統制が再び強まっていったことを述べる。著者は行政院新聞局の档案などを駆使しながら,戦後国民政府の政策決定が,国際情勢や権力関係の変転きわまりない状況の下で,1947年を転機に「自由」から大きく「統制」に傾斜してゆくさまを,一つの大きな流れとして描き出している。

 論文の第一部が国民政府による言論政策の変遷を扱うのに対して,第二部では新聞・雑誌を中心にした戦後中国の言論界の実態が考察対象になる。第四章「戦後言論界の復員状況」は,雑誌・新聞の復刊や創刊があいつぐ中,1945年以降言論界が活況を呈したことを,新聞社・通信社の登記データなどをもとに論じる。だが,皮肉なことに1947年の憲政実施以降,言論再統制により,言論界は沈滞に向かい,多くの批判的知識人が難を避けて香港などに移った。

 第五章「戦後自由主義経済と新聞・雑誌の商業化」では,戦後の言論界が統制と自由の間で揺れ動いていたばかりでなく,商業化・市場化の洗礼を受けつつ,熾烈な競争を展開していたことが指摘される。この中で著者は,新聞副刊の充実化や国民党の党報の企業化など,「弾圧と抵抗」という単純な図式には還元できない錯綜した言論界の状況にも眼を向けている。

 第六章「戦後最大の政論誌-雑誌『観察』の憲政批判」は,戦後の統制緩和の中で代表的政論誌としての声評を得ていた『観察』編集長儲安平の言論活動を通じて,戦後中国に自由主義知識人による政治批判の空間が存在し,国民党の憲政実施に対する社会の注視と監督の機能が作動していたことが指摘される。

 以上の各章の考察を受けて,終章では次のような結論が導かれる。すなわち,戦後国民党政権は当初,中国をとりまく国際的な自由化・民主化の潮流を背景に,「言論の自由」化を含む戦時統制の解除へと進みつつあった。これは,戦後中国の民主憲政への移行を促すものであり,この過程で党政分離の可能性も浮上しつつあった。戦後の一時期あらわれた言論界の活況も,政府のこうした政策転換と切り離して論じることはできない。だが,そうした貴重な努力と模索も,冷戦に帰結する国際情勢の緊迫化や政府の自由主義的経済政策の失敗により,結局は挫折せざるを得なかった。

 以上のような,構成と内容を持つ本論文は,平易で論理的な表現・文体で書かれているので,全体の叙述の流れは理解しやすい。また,大量に引かれる一次史料の扱い方や読解も正確で,学術論文としての要件を十分にそなえている。審査委員会は,本論文を中国近現代史・中華民国史研究への新たな貢献として,高く評価する。より具体的に論文の長所を挙げると,以下の諸点にまとめられる。

 第一に,従来ややもすれば暗黒面ばかり強調されてきた憲政導入期の国民党政権のイメージを描き直そうとの鮮明な問題意識を,豊富な史料と事実確証をもって結実させたことである。政権内部に言論の統制解除と自由化を推進しようという強力な意見があり,しかもそれが政策決定に結びついたことは,論文中できわめて説得的に分析されており,著者のねらい通り,党外(共産党・第三党など)からの憲政批判や国民党の保守反動性にのみ注目していた既往の研究への有力な反論となっている。

 第二にそれと関連して,国内の政治・経済状況のみならず,言論の自由化政策をもたらした国際環境にも眼を向け,政策決定者の国際認識や海外経験がこの時期進められた自由化政策の背景にあったことを指摘した点は,論文の大きな功績に数えられる。民主化・自由化を求めるさまざまな動きの中で,その選択可能性は次第に狭められたとはいえ,政権担当者も含めた主体的な適応努力を取り出し,それに明確な像を与えるのに,本論文は十分成功していると言えよう。

 第三に実証研究としての質の高さが挙げられる。上述したように,中華民国期研究の分野では,近年になって一次史料の整理・公開により,新たなデータの解析や事実の発掘が可能になった。著者はそのすぐれた中国語運用能力を活かして,南京・北京・台北・上海などに分散している戦後期の档案史料を精力的に収集し,論文の中で効果的に利用している。とりわけ,第四章で図表化されている統計データや新聞雑誌の一覧表は,著者によりはじめて明らかにされたものであり,今後のさらなる研究の礎ともなるべきものである。また,言論自由化をめぐって党や政府の内部にあった種種の構想や議論も,档案の活用によって,かなりの程度までその実相が解明されている。

 以上のような長所を持つ本論には,しかしながら短所もないわけではない。審査委員会では,著者が取り出した戦後期の自由主義の潮流を20世紀中国の全体像でどのように位置づけるのか,論文では必ずしも明確に記述されていない,との指摘があった。また,論文が提起する「自由とは何か」「自由と統制の関係はいかなるものか」という問題についての考察も,十分に深められていないとの不満も表明された。さらに,言論の自由化は政権内部や思想界のレベルだけで展開したのではなく,言論出版の受け手である広汎な都市民衆や「世論」の動向が重要であるにもかかわらず,論文では十分に触れられていないとの批判も出された。また,文章表現や档案の扱い方にもやや配慮を欠く面があったのではないかとの指摘もなされた。

 しかしながら,以上述べたような短所は,本論文の学術的な価値を損なうものではない。むしろ,本論文が書かれることによって,既往の研究の限界が自覚され,新たな視圏が開かれたという意味で,研究史上の寄与と見なすこともできるだろう。実際,中華民国史・中国近現代史・ジャーナリズム史等の分野でこれからなされる研究は,本論文の切りひらいた地点から出発しなければならないという一つの水準を示した点で,本論文が学術界に多大の貢献をもたらすことは疑いない。

 したがって,本審査委員会は一致して博士(学術)の学位を授与するのにふさわしい論文と認定する。

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