学位論文要旨



No 117770
著者(漢字) 小西,優
著者(英字)
著者(カナ) コニシ,ユウ
標題(和) 膝前十字靱帯損傷に伴う大腿四頭筋筋力低下のメカニズム
標題(洋)
報告番号 117770
報告番号 甲17770
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第406号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福林,徹
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 助教授 川上,泰雄
 東京大学 助教授 渡會,公治
内容要旨 要旨を表示する

 膝前十字靭帯断裂後の大腿四頭筋の筋機能低下は残存し、たとえ再建術を受け、筋機能の改善のためのリハビリテーションを行ったとしても受傷前の状態に完全に復帰させることは困難であるといわれている。このリハビリテーションの難しさの一因として、筋萎縮以外の筋機能の低下の原因が未だ明らかになっていないことが挙げられる。そこで本研究では、膝前十字靭帯損傷時に生ずる大腿四頭筋の最大筋力の低下は、筋萎縮以外にガンマループの機能低下の存在によること。この機能低下は膝前十字靭帯内のメカノレセプターの機能不全に起因することという2つの仮説を設けた。これを明らかにすべく以下、第二章から第五章の4つの研究をおこなった。各章の研究において、大腿四頭筋の筋力は,ASICS社製Myolet RZ-450を用い、膝90度屈曲位における最大等尺性筋力を測定し、そのときの外側広筋(VL)、内側広筋(VM)、大腿直筋(RF)からの筋放電をMEGA社製MP3000Pを用いて導出した。

 第二章の研究では、局所麻酔剤を用い膝関節からの求心性インパルスを阻害し、最大筋力発揮中の大腿四頭筋のアルファ運動ニューロンの活動性を見た。第二章は、二つの実験により構成されている。実験1では健常者の膝関節、その結果、実験1では、健常者の麻酔後の最大筋力(229±35Nm)と筋放電量(VL:0.26±0.22, VM:0.30±0.28, RF:0.19±0.12)は、麻酔前の最大筋力(251±29Nm)と筋放電量(VL:O.29±0.23, VM:0.35±0.31、RF:0.24±0.14)に比べ有意に低下した。このことから、膝関節内にあるメカノレセプターからのフィードバックの阻害が、最大筋力発揮中の健常者の大腿四頭筋に分布するアルファ運動ニューロンの活動レベルを低下させると考えられた。これに対して、実験2では、膝前十字靭帯断裂患者にたいして、健常者と同量の局所麻酔剤を注入したにも関わらず、麻酔後の最大筋力(164±55Nm)と筋放電量(VL:0.12±0.07, VM:0.13±0.10, RF:0.09±O.05)は、麻酔前の最大筋力(167±49Nm)と筋放電量(VL:0.11±0.06, VM:O.13±0.10, RF:0.09±0.04)に比べ低下しなかった。実験2の結果を実験1の結果と合わせて考えると膝前十字靭帯にあるメカノレセプターからの求心性フィードバックが、大腿四頭筋のアルファ運動ニューロンの最大賦活に貢献していることが推測できる。しかし、関節内のメカノレセプターからのフィードバックが、直接大腿四頭筋のアルファ運動ニューロンの活動に影響を与えることは稀であると考えられていることから、健常者の最大筋力と大腿四頭筋の筋放電量の有意な低下は、その他の介在するメカニズムが存在すると考えられる。

 そこで、第三章の研究では、健常者群、膝前十字靭帯断裂群、膝前十字靭帯再建群、麻酔剤注入群(局所麻酔剤注入を行った健常者)の4群に対して大腿四頭筋でのガンマループの機能異常の存在を比較検証するために50Hzの振動刺激を20分間膝蓋腱に与え、振動刺激による最大筋力と筋放電量の変化率((振動後の値-振動前の値)/振動前の値×100)を測定した。結果を表-1a、bに示す。

 膝前十字靭帯断裂群、膝前十字靭帯再建群、麻酔剤注入群の振動刺激後の最大筋力と筋放電量の変化率は、健常者とは異なり、下降していないことがわかった。このように、膝前十字靭帯断裂患者や麻酔剤注入群の筋活動が、振動刺激に対して異常応答を示したことは、これらの患者の大腿四頭筋でガンマループの機能異常が存在している可能性を示唆している。このことから我々は、膝前十字靭帯断裂のように膝関節からのフィードバックを欠落させることが、ガンマループの機能を変化させる要因となりうると考えた。更に膝前十字靭帯再建患者も健常者とは異なる傾向を示しており、膝前十字靭帯断裂により引き起こされるガンマループの機能異常は、靭帯再建後も残存することが考えられた。

 第三章の研究結果において、振動刺激後、膝前十字靭帯断裂群の最大筋力と筋放電量は、上昇しており、振動刺激後、最大筋力発揮時のアルファ運動ニューロンの活動が高まっていることを示している。このアルファ運動ニューロンの活動の上昇は、ガンマループを介して引き起こされていると考えられ、20分間の振動刺激により、膝前十字靭帯断裂患者のガンマループの活動が、上昇している可能性を示唆している。もし最大筋力発揮中のガンマループの活動が、上昇しているのならば、患者に対する更に長時間の振動刺激は、健常者と似た応答を引き起こすと考えられる。

 よって第四章では、第三章の実験より更に長時間の振動刺激に対する患者の最大随意筋出力と大腿四頭筋の筋放電量の変化を測定した。20分間の振動刺激後、同じ患者にさらに30分の振動刺激を与えた結果として、これらの患者の最大筋力(変化率;-2.0±8.2%)と筋放電量(変化率;VL:-9.2±14.0%, VM:-5.8±20.9%, RF:-9.2±14.6%)は、減少傾向をみせ、20分振動刺激を与えたことによる増加傾向(変化率;最大筋力;2.1±6.2%,筋放電量;VL:2.4±21.0%, VM:17.3±19.8%, RF:9.4±33.6%)とは、有意に異なる傾向を示した。このことは、合計50分もの長時間の振動刺激を与えることにより、患者の最大筋力と筋放電量は、減少傾向を示し、振動刺激に対するガンマループの応答が、正常に近いものになっている可能性を示している。一方20分間振動刺激後のアルファ運動ニューロンの活動性の一過性の上昇には、二つの機序が考えられる。1.膝前十字靭帯断裂により引き起こされたガンマループの機能不全が、正常範囲内で一定程度改善することによるもの。2.膝前十字靭帯断裂により引き起こされたガンマループの機能不全が、正常範囲内で改善するだけでなく、最大筋力発揮中のその活動が、正常範囲を超えて改善することによるものである。

 そこで、第五章では、ガンマループの機能不全が存在しない健常者おいて、振動刺激の持続時間帯の推移に伴い一過性の最大筋力と筋放電量の上昇が存在するのかを確認する実験を行った。健常者に2分間と5分間の振動刺激を与えた結果、2分間ではやや上昇傾向、5分間ではやや下降傾向が見られるものの、大腿四頭筋の最大筋力と筋放電量は、振動刺激前の値と比較して有意な差が見られないことが判明した(表-2)。この結果から、ガンマループの機能不全が存在しない健常者の場合、最大筋力発揮中のガンマループの活動は、正常範囲を超えて上昇しないことが判明した。

 今回の一連の研究により、膝前十字靭帯損傷患者における大腿四頭筋の筋力低下には、膝前十字靭帯からのフィードバックの不全が関わっていることが証明された。大腿四頭筋最大筋力低下のメカニズムとしては、膝前十字靭帯のメカノレセプターからのフィードバックの欠除により生じたガンマループの機能不全が、アルファ運動ニューロンの高閾値運動単位の動員率を減少させることによっておこると考えられる。よって膝十字靭帯損傷患者のリハビリテーションにおいては高閾値運動単位の動員を促すためのアプローチを積極的に組み入れる必要性がある。

表-1a.各群における振動刺激前後の最大筋力の変化率

表-1b.各群における振動刺激前後の筋放電量の変化率

表-2. 2分間、5分間の振動刺激前後の最大筋力と筋放電量の変化率

審査要旨 要旨を表示する

 膝前十字靱帯損傷は手術的治療を要すること、術後長期間のリハビリテーションを要することで知られ、スポーツ外傷の中でも最重要疾患の一つとされている。手術術式に対しては80年代以降臨床医学の分野で急速な進歩が見られ、現在動揺性の面ではほぼ後遺症のない膝関節を再建することができるまでに至っている。しかし大腿四頭筋の筋萎縮と筋力の低下は術後1年以上を経ても残存し、スポーツ復帰の大きな妨げになっている。前十字靱帯損傷例、および再建術後例に生ずる筋力低下はリハビリテーションに抵抗することより、最大随意筋出力メカニズムに関連する神経筋のループに何らかの異常が生じたことが想定されるが、いままでこのメカニズムに対しての明確な解明はなされていない。本研究は健常者および前十靱帯断裂患者に対し、膝関節内への局所麻酔剤の注入、および膝蓋腱への振動刺激の負荷という単純な2種の方法を用い、前十字靱帯損傷に伴う靱帯組織からの求心性インパルスの欠如がガンマループの機能不全を招き、大腿四頭筋の随意性最大筋出力の低下を招くことを証明しようとした。

 論文の概略を以下に説明する。第1章は前十字靱帯の重要性と膝関節内での神経伝達経路につきその概略が述べられており、第2章から第5章まで大きく4つの研究が行われている。第2章の研究では、局所麻酔剤を用い膝関節からの求心性インパルスを阻害し、膝90度屈曲位での最大等尺性伸展筋力と、大腿四頭筋中の外側広筋、内側広筋、大腿直筋からの筋放電量を見た。この章では二つの実験がなされている。実験1では健常者群の膝関節に局所麻酔剤(1%リドカイン5ml)を注入し、その前後での最大筋力と放電量を比較した。その結果局所麻酔剤注入前に比較して注入後は筋力にして9%、筋放電量にして15%の有意な低下を見た。このことから局所麻酔剤注入により膝関節内にあるメカノレセプターからのフィードバックの阻害が生じ、最大筋力発揮中の健常者の大腿四頭筋に分布するアルファ運動ニューロンの活動レベルの低下が生じたと考えられる。これに対して、実験2では膝前十字靱帯断裂群に対して、健常者と同量の局所麻酔剤を注入したにも関わらず、麻酔後の最大筋力と筋放電量は、麻酔前に比べ低下しなかった。実験2の結果を実験1の結果と合わせて考えると膝前十字靱帯にあるメカノレセプターからの求心性フィードバックが、大腿四頭筋最大筋力を出すのに重要なアルファ運動ニューロンの最大賦活に貢献していることが推測される。しかし、関節内のメカノレセプターからのフィードバックが、直接大腿四頭筋のアルファ運動ニューロンの活動に直接的な影響を与えることは稀であると考えられており、局所麻酔剤注入による健常者の最大筋力と大腿四頭筋の筋放電量の有意な低下は、その他に介在するメカニズムが存在すると考えられる。

 そこで第3章の研究では大腿四頭筋へのガンマループの影響を見るため、長時間の振動刺激を膝蓋腱に加え、それに対する大腿四頭筋の最大筋力の低下と筋放電量の減少を見た。具体的には健常者群、膝前十字靱帯断裂群、膝前十字靱帯再建群、麻酔剤注入群(局所麻酔剤注入を行った健常者)の4群に対して50Hzの振動刺激を20分間膝蓋腱に与え、振動刺激による最大筋力と筋放電量の変化率を第2章と同一の方法で測定した。結果として健常者の最大筋力と筋放電量は各々9%、17%振動刺激前に比較して有意に減少するのに対し、膝前十字靱帯再建群、麻酔剤注入群では振動刺激前後で有意な変動を示さず、膝前十字靱帯断裂群では逆に4.4%の最大筋力の有意な上昇をみた。このように、膝前十字靱帯断裂群、膝前十字靱帯再建群、麻酔剤注入群の筋活動が、振動刺激に対して異常応答を示したことは、これらの患者の大腿四頭筋にガンマループの機能異常が存在している可能性を示唆している。このことから我々は、膝前十字靱帯断裂のように膝関節からのフィードバックを欠落させることが、ガンマループの機能を変化させる要因となりうると考えた。更に膝前十字靱帯再建患者も健常者とは異なる傾向を示しており、膝前十字靱帯断裂により引き起こされるガンマループの機能異常は、靱帯再建後も残存すると考えられた。

 膝前十字靱帯断裂群の最大筋力と筋放電量は、振動刺激後有意な上昇傾向を示しているが、これは振動刺激後アルファ運動ニューロンの活動が高まっていることを示唆している。このアルファ運動ニューロンの活動の上昇は、ガンマループを介して引き起こされると考えられるので、振動刺激により膝前十字靱帯断裂患者のガンマループの活動が、上昇したと思われる。この推論が正しければ、患者に対する更に長時間の振動刺激は、健常者と似た応答を引き起こすと考え第4章の実験を行った。本章では20分間の振動刺激後さらに30分の振動刺激を加え、これに対する膝前十字靱帯断裂患者の最大筋力と大腿四頭筋の筋放電量の変化を測定した。結果としてこれらの患者の最大筋力と筋放電量は減少傾向をみせ、20分振動刺激を与えたことによる増加傾向とは、有意に異なる傾向を示した。このことは、合計50分もの長時間の振動刺激を与えることにより、患者の最大筋力と筋放電量は減少傾向を示し、振動刺激に対するガンマループの応答が正常化してきている可能性を示している。

 膝蓋腱に加える刺激時間の長さにより最大筋力と筋放電量は変化する。一般的には刺激時間が長くなるほど筋力と筋放電量は減少するが、ごく初期においては促通効果により一時的に最大筋力と筋放電量が増大することも考えられる。そこで第5章では健常者おいて、振動刺激の持続時間帯の推移に伴い一過性の最大筋力と筋放電量の上昇が存在するのかを確認する実験を行った。健常者に2分間と5分間の振動刺激を与えた結果、2分間ではやや上昇傾向、5分間ではやや下降傾向が見られるものの、大腿四頭筋の最大筋力と筋放電量は、振動刺激前の値と比較して有意な差が見られなかった。この結果から、ガンマループの機能不全が存在しない健常者の場合、最大筋力発揮中のガンマループの活動は、正常範囲を超えて上昇しないことが判明した。これより第4章で見られた、20分間の振動刺激による膝前十字靱帯断裂患者の最大筋力と大腿四頭筋の筋放電量の一時的増加は、何らかの形でのガンマループの活動の増加に伴う異常反応であると思われた。

 本研究は膝前十字靱帯をはじめとする膝関節内のメカノレセプターがいかに大腿四頭筋の筋力発揮に関わっているかを、非常に単純な手法で明らかにしたところに学問的価値がある。理論にはまずガンマループの最大筋力発揮に対する重要性に言及している。次に健常者でガンマループが振動刺激後働かなくなる理由として、Ia求心性回路の長時間の賦活による神経伝達物質の枯渇や閾値の上昇などをあげ、これがIa求心性インパルスの低下を招き、最終的に最大筋力と筋放電量の低下を生じるとしている。一方膝前十字靱帯損傷患者や靱帯再建患者ではメカノレセプターからの刺激がないため、このガンマループそのものが賦活化されないので、当然神経伝達物質の枯渇や閾値の上昇も起こりえず、最大筋力と筋放電量の低下も生じないとしている。この末梢神経回路だけでの筋力減弱の解説は十分理にかなったものであるが、ガンマループは実際には中枢からの支配も受けており、今後さらに中枢レベルの影響を含めた幅広い研究を行うことが、より緻密な理論構築のためには必要と思われる。本研究はその基礎的意義もさるものながら臨床レベルヘの波及効果も見逃せない。膝前十字靱帯損傷後筋力回復が十分にできないスポーツ選手やそれを現場で指導する理学療法士にとっては本研究の意義は大きい。ガンマループを賦活化するリハビリテーション法を今後具体的に提示できれば、スポーツ選手の現場復帰が促進されスポーツ界にとっても明報となりうる。

 以上のように、本研究は膝前十字靱帯損傷後の大腿四頭筋の筋力低下についてのメカニズムを初めて明らかにし、前十字靱帯のメカノレセプターとしての生理学的重要性を決定づけた画期的研究である。よって本研究論文は学位に相応しい内容をもった論文であると審査委員会は認定した。本論文の各章の研究は申請者が主体的に行ったものでありその貢献度はきわめて高い。また審査委員会での最終評価の投票でも合格とされた。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク