学位論文要旨



No 117771
著者(漢字) 田中,幹人
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ミキヒト
標題(和) αB-クリスタリン発現制御細胞の様態
標題(洋)
報告番号 117771
報告番号 甲17771
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第407号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 教授 浅島,誠
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 八田,秀雄
内容要旨 要旨を表示する

 αB-クリスタリン(αB-crystallin)は、遅筋の萎縮で特異的に減少し、筋線維組成依存的に発現しており、遅筋の緊張性持続的収縮との関連が示唆される。一方、脳のグリオーマ細胞や心筋・腎臓でも発現が報告されている。αB-クリスタリンはその配列特異性からsmall heat shock protein(sHSP)ファミリーに分類され、シャペロン機能を持つものと目されており、最近の知見からはαB-クリスタリンが力学的負荷を受ける骨格系に局在し、この機能維持・発揮に際して関与している可能性が示唆されている。本研究に於いては、in vivoでのαB-クリスタリンの作用機序の一端を明らかにすることを目標とし、遺伝子工学的にαB-クリスタリン発現量を増大/抑制した培養細胞の特性の解析、ひいてはその特性発現の機作の解明に取り組んだ。

実験の第一段階としては、個々の細胞から細胞集団に至る過程での細胞発達課程における力学的負荷モデルとして、さらにタイムラプス画像からの解析手法確立のためにXenopus laevis A6細胞を用いた実験をおこなった。A6細胞はXenopus腎臓遠位ネフロン由来の上皮細胞であり、増殖して過密状態になると単層上皮膜を形成し、さらにNa+運搬能を持つドーム状構造を分化形成する。力学的刺激として、過重力環境下で培養・分化させた際に、このA6細胞がどのような応答を示すかを観察した。1〜100xgの各種過重力条件における細胞の挙動、及び分化マーカーとしてNa+/K+-ATPase発現量を指標とし、縦断的実験を行った。実験手法としては分子生物学的手法に加え、経時撮影(タイムラプス)画像から細胞動態をキネマティック解析する系を確立し、これを用いて細胞動態を定量的に解析した。実験の結果、A6細胞は、5xg条件で特異的に増殖能が有意に高まることを見いだした。実験の次段階としてはαB-クリスタリン発現がこれらの力学的感受性に影響を及ぼすことを期待した。しかし、各種の方法で試行を繰り返したものの本来αB-クリスタリンを持たないA6細胞には、種間障壁の問題もあってαB-クリスタリンの導入が困難であり、安定した発現量を持つ細胞をクローニングすることが出来なかった。

従って、実験の第二段階においては上記の手法を踏襲しつつ、解析対象を自然型からαB-クリスタリン発現能を持つC6(ラットグリオーマ細胞), L6(ラット筋芽細胞), C2C12(マウス筋芽細胞)へと変更し、これらに対してαB-クリスタリンのsense/anti-senseベクターを導入した系(SE/AS)を用いた。いずれの株もαB-クリスタリン発現量が有意に増減していることを確認した。SE/AS細胞はそれぞれ顕著な形態特性を持っていた。すなわち、αB-クリスタリン量が増加しているSE細胞は葉状仮足が大きく広がった構造を持ち、一方αB-クリスタリン量の減少しているAS細胞は糸状仮足が顕著で細長く、細胞両端の二点で基質に接着している針状構造を取り、接触阻止効果が極めて弱い傾向にあった(図1)。これらの細胞のキネマティクス解析の結果、AS細胞の移動速度はαB-クリスタリン-WT(自然型)の2〜3倍で、尺取り虫様の独特の移動様式を持ち、SEは移動度こそ低いもののラッフル膜の盛んな運動が観察された(図2)。この傾向は、FBSを誘導因子に用いた細胞移動アッセイによっても確認された。チューブリンとアクチンに対する二重抗体染色の結果、SEではラッフル膜の顕著に発達した傾向が、またASでは細胞体の多くを微小管が占め、その二極性両端の末梢部にアクチンが集合している様子が確認された。

これらのαB-クリスタリン発現量多寡による細胞変化が可逆的なものであるかどうかを解析するため、SE細胞に対してαB-クリスタリン抗体を、AS細胞に対してはウシ眼球レンズより精製したαB-クリスタリンをマイクロインジェクションにより導入した。結果は、統計的にも有意に、SE細胞のAS化(αB-クリスタリン減少にともなう様態化)と、AS細胞におけるラッフル膜形成という変化が確認されたことから、これらの様態変化の可逆性が立証された。

この形態差異が、形質転換に伴う細胞外基質との接着性変化や接着因子の産生量変化によるものであるかを検証するため、5種類の基質をコートしたディッシュ上で培養した。結果は基質種により全体的な形態傾向は変化したものの、αB-クリスタリン-WT/SE/AS間の相対的な形態特性は一定であった。従って、これらの差異は能動的な接着能の変化によるものであると推察された。

WTの細胞集団はSE/AS様の形態をとる細胞を均質に含んでいたため、SE/ASの動的・形態的特性が細胞周期に因るものである可能性を検証した。細胞を長時間撮影し、適宜経時的にフローサイトメータで細胞周期を解析することで動画像とDNA性状から解析した。結果、WT/SE/AS細胞の細胞周期分布に差異は認められず、細胞密度の上昇に伴って移動速度は変化したものの、各パラメータの相対的な関係は変わらなかった。

運動性の差異をもたらす要因を検証するため、各種の細胞骨格系に影響を及ぼす薬剤を添加し、薬剤添加後の細胞動態を画像に基づいて解析した。この結果、C6/L6細胞では異なった反応様式を示したものの、AS細胞の極端な移動度が細胞骨格系の収縮力を阻害する薬剤種によって顕著に抑えられる点では一致した。

細胞骨格の動態変化を生化学的に比較するためには、35S-MetラベルしたC6細胞のチューブリン代謝半減速度を比較した。結果、SEでは代謝遅延、ASでは代謝亢進傾向が見られた。また、この際にWT/SE/AS間でのタンパク代謝回転率の差異が認められた。

このWT/SE/ASにおける顕著な形態と運動性の変化から、αB-クリスタリンが低分子量Gタンパク質を介したシグナル伝達系に作用している可能性が示唆されたため、Rac1のWild-Type(WT)及びConstitutively-Active(CA), Dominant-Negative(DN)変異体のEGFP融合タンパク質をαB-クリスタリン-WT/SE/ASに導入し、これを上記画像撮影解析系を用いて経時撮影、解析した。結果、WT/CA/DNは、それぞれのシグナル伝達系変異体によって予想されるとおりの結果をもたらしたものの、その発現様式にはαB-クリスタリン-WT/SE/ASの種類により明確な差があった。

本研究の成果から、αB-クリスタリンは細胞内で細胞骨格系に関与し、細胞形態と運動特性に影響を与えている可能性が示唆された。この変化はαB-クリスタリンの本質的機能に因るものであることが想像される。またこの変化の多くは細胞骨格の動的不安定性の増大あるいは偏向という点に集約されるものと推察される。

図1:αB-クリスタリン発現制御細胞の形態.

左からC6WT, C6SE, C6AS. C6SEはより仮足を伸ばして広がった構造を取り、C6ASでは二極性の形態を取っていることが見て取れる。移動速度はC6AS>C6WT>C6SEの順となる.Bar=50μm

図2:C6-WT/SE/AS細胞の移動傾向.

2時間撮影したタイムラプス画像を元に、左列の画像(撮影開始時)から(画面外へ出てしまう傾向のつよいものは省く、という条件付きで)無作為に抽出した10個の細胞の10分ごとの座標位置を右のグラフにプロットし、線で繋いだもの.○は細胞の撮影開始時の大まかな位置を示す(画像中の○は対象とした細胞を表している.画像とグラフの縮尺比は同一では無い.)C6WT細胞のランダムウォーク様の運動,C6SEの振動、C6ASの方向性を持った運動が伺える.また、細胞形態が運動様式を決定している様子が幾つかの細胞から伺える.

審査要旨 要旨を表示する

身体運動による適応の分子機構を、分子・細胞レベルから機構解析した研究はほとんどない。本論文は、身体運動が生命システムに及ぼす影響のうち、適応機構の鍵分子としてのストレスタンパク質(とくに個体レベルで骨格筋の適応の鍵を握る分子として同定されたαB-クリスタリン)の細胞内機能を、細胞の形態や運動特性-つまり構造から生み出された機能-に関して、細胞の動的観察、数量的解析、細胞骨格の応答特性を通してか明らかにした独創的な研究である。運動時には身体内に様々な力学的変化が起こる。それらは、身体を構成する細胞にとって直接的な機械的・物理的刺激となる。細胞の動的な構造維持と接着性の維持および張力発揮と運動性が、細胞骨格により生み出されること、細胞骨格のシステム維持に対し、分子シャペロンが有意に影響を与えていること、を可逆的データをもって明らかにした。

本論文「αB-クリスタリン発現制御細胞の様態」は、また、ストレスタンパク質・分子シャペロンの新しい側面を提示したものでもある。ストレスタンパク質が運動の力学応答を修飾するという新しい側面を提示したのは初めてである。ストレスタンパク質の機能は「分子シャペロン」である。分子シャペロンの意味は、‘貴婦人の介添え役である。細胞機能を構成する異なる個々のタンパク質に対して、特異的に対応するというよりはむしろ、タンパク質システム自体の維持および機能発現、タンパク質のフォールディング、類似し複数のタンパク質複合体システムヘのケアなどにより、実際に細胞システムの適応能を高める。実際にストレスタンパク質の一つHSP90の変異は、進化をも修飾する因子となっていることが明らかになっている(Lindquist, Nature1998,2000,2002)。

αB-クリスタリン(αB-crystallin)は、動物個体ラットを用いた実験モデルから重力下における骨格筋システムを維持する鍵タンパク質として同定したタンパク質である。遅筋の萎縮で特異的に減少し、筋線維組成依存的に発現しており、遅筋の緊張性持続的収縮を機能的に維持するシステムと考えられる。実際に細胞骨格という細胞の基本的な構造のシャペロンとして機能していることが報告されており、当研究室においてもチューブリン・微小管の動的不安定性の持続的な維持への貢献を示すデータを得ている。本論文でも示されたようにαB-クリスタリンはその配列特異性からsmall heat shock protein(sHSP)ファミリーに分類され、αB-クリスタリンが力学的負荷を受ける骨格系および接着部位に局在し、細胞の力学的な機能を維持する環境に貢献していると考えられ、この論文で行った細胞全体を動的観察により、定量化してゆく研究は、大変難しい多機能タンパク質の機能解析および力学的負荷への対応システム構築原理の解析として必須であると考えられる。この論文は、遺伝子工学的にαB-クリスタリン発現量を増大(SE)/抑制(AS)した培養細胞の特性を動的に解析することで、in vivoでのαB-クリスタリンの作用機序を明らかにした。

第一章は、実験の第一段階として、個々の細胞から細胞集団に至る過程での細胞発達課程における力学的負荷モデルとして、さらにタイムラプス画像からの解析手法確立のためにXenopus laevis A6細胞を対象に過重力実験を行い、増殖時およびNa+運搬能を持つドーム状構造の分化形成について検討した。その結果、細胞が一個で独立して機能している間は、重力による有意な力学応答が観察されたが、分化時においては、むしろ細胞どうしの接着等の影響が大きく影響することが示された。このXenopus laevis A6細胞は、水生の両生類由来であるため、接着が弱く、細胞の運動性が顕著であったため、人工的にαB-クリスタリンを発現させ、その力学的感受性に影響を及ぼすことを期待し実験を行ったが、各種の方法で試行を繰り返したものの本来αB-クリスタリンを持たないA6細胞には、種間障壁の問題もあってαB-クリスタリンの導入が困難であり、安定した発現量を持つ細胞をクローニングすることが出来なかった。

第二章は、第一章を受け、実験の第二段階として、第一章で確立した手法を踏襲し、解析対象を自然型からαB-クリスタリン発現能を持つC6(ラットグリオーマ細胞), L6(ラット筋芽細胞), C2C12(マウス筋芽細胞)を対象に、解析を行っている。このSE/AS細胞は、それぞれ顕著な形態特性を示した。すなわち、αB-クリスタリン量が増加しているSE細胞は葉状仮足が大きく広がった構造を持ち、一方αB-クリスタリン量の減少しているAS細胞は糸状仮足が顕著で細長く、細胞両端の二点で基質に接着している針状構造を取り、接触阻止効果が極めて弱い傾向にあった。これらの細胞のキネマティクス解析の結果、AS細胞の移動速度はαB-クリスタリン-WT(自然型)の2〜3倍で(A6細胞の移動速度と一致した)、尺取り虫様の独特の移動様式を持ち、SEは移動度こそ低いもののラッフル膜の盛んな運動が観察された。この傾向は、FBSを誘導因子に用いた細胞移動アッセイによっても確認された。チューブリンとアクチンに対する二重抗体染色の結果、SEではラッフル膜の顕著に発達した傾向が、またASでは細胞体の多くを微小管が占め、その二極性両端の末梢部にアクチンが集合している様子を示した。

これらのユニークなαB-クリスタリン発現量多寡による細胞変化の可逆性を、SE細胞へのαB-クリスタリン抗体およびAS細胞に対しての精製αB-クリスタリンタンパク質をマイクロインジェクションにより導し、統計的にも有意にSE細胞のAS化(αB-クリスタリン減少にともなう様態化)と、AS細胞におけるラッフル膜形成という変化を確認し、これらの様態変化の可逆性を立証した。

この形態差異が、形質転換に伴う細胞外基質との接着性変化や接着因子の産生量変化によるものであるかを様々な基質上における形態・動態への影響として解析・検証したが、有意な影響はみられず、本論文で得た結果は能動的な接着能の変化によるものであると推察された。また運動性の差異をもたらす要因を検証するため、各種の細胞骨格系に影響を及ぼす薬剤を添加し、薬剤添加後の細胞動態を画像に基づいて解析した。この結果、C6/L6細胞では異なった反応様式を示したものの、AS細胞の極端な移動度が細胞骨格系の収縮力を阻害する薬剤種によって顕著に抑えられる点では一致した。このWT/SE/ASにおける顕著な形態と運動性の変化から、αB-クリスタリンが低分子量Gタンパク質を介したシグナル伝達系に作用している可能性が示唆されたため、Rac1のWild-Type(WT)及びConstitutively-Active(CA), Dominant-Negative(DN)変異体のEGFP融合タンパク質をαB-クリスタリン-WT/SE/ASに導入し、これを上記画像撮影解析系を用いて経時撮影、解析した。結果、WT/CA/DNは、それぞれのシグナル伝達系変異体によって予想されるとおりの結果をもたらしたものの、その発現様式にはαB-クリスタリン-WT/SE/ASの種類により明確な差があることを示したが、この点に関しては、今後のさらなる研究が必要である。

本論文の研究成果から、αB-クリスタリンは、細胞内で細胞骨格系に関与し、細胞形態と運動特性に影響を与えている可能性が示唆された。この変化はαB-クリスタリンの本質的機能に因るものであることが想像された。またこの変化の多くは細胞骨格の動的不安定性の増大あるいは偏向という点に集約されるものと推察された。以上より、個体の運動剥脱で顕著に減少したストレスタンパク質αB-クリスタリンの機能は、培養細胞において、持続的運動を支える細胞骨格の持続的な維持に必要不可欠なタンパク質として、その可逆性をも証明した形で示した。

最近のアメリカソーク研究所のFred Gageグループの研究では、神経幹細胞のニューロンヘの新生が個体の運動(回転ケージ走行運動)により増大することが報告されている。他にまた運動時に活性化するドーパミンを分泌するニューロンの直接的な刺激は、機械的刺激であることが報告されている。身体を構成する細胞のシステムから、個体の運動を生命システムとして解析することは、運動のもつ本質的な局面-実際に脳をも含む身体システムを作りかえてゆく機構-を解明する上できわめて重要である。

以上の内容から、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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