学位論文要旨



No 117773
著者(漢字) 川田,茂雄
著者(英字)
著者(カナ) カワダ,シゲオ
標題(和) 骨格筋肥大と萎縮におけるミオスタチンの役割
標題(洋) The role of myostatin in skeletal muscle hypertrophy and atrophy
報告番号 117773
報告番号 甲17773
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第409号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 助教授 山田,茂
 東京大学 助教授 八田,秀雄
内容要旨 要旨を表示する

 骨格筋はヒトが立つ、歩く、走るといった極めてダイナミックな運動から、呼吸、排泄といった生命に直接関わる運動まで、幅広い運動の源となる。この生命の根幹に関わる骨格筋についての研究は生命科学の重要命題であると考えられる。これまで、骨格筋の肥大・萎縮に関する研究は成長ホルモンやIGF-1などに代表されるような、筋の肥大に対して促進的に働く因子を中心に進められてきた。しかし、生物は成長の促進と抑制との絶妙なバランスによって、その生物固有の形を示すという観点からも、筋肥大に対して抑制的に働く因子の研究も重要である。以上の観点から筋の肥大に対して抑制的に働くと考えられる成長因子の一つであるmyostatinについて研究を行った。

 1)加齢との関係

 骨格筋は生物が誕生してから自らの力で重力に対抗するために幼齢時には急激な肥大を見せる。また高齢になるに伴い萎縮を示す。このような変化にmyostatinがどのように関与しているかを調べるために、マウスを用いて幼齢(5週齢)から高齢(92週齢)で骨格筋myostatin量がどのように変化するかを調べた。その結果、加齢と伴に筋が萎縮する時にはmyostatin量に有意な変化は見られないが、幼齢時の筋が急激に肥大する時期には、myostatin量が有意に低く抑えられていることが分かった。

 2)廃用性萎縮と過負荷による筋肥大時のmyostatin量の変化

 骨格筋は力学的な刺激に対して極めて敏感に反応する組織である。Myostatinが成体骨格筋において重要な役割を担っているのであれば、力学的刺激の変化に敏感に反応するはずである。そこでマウスに尾部懸垂を施し、後肢筋に廃用性萎縮を起こさせたときのmyostatin量の変化を見た。また尾部懸垂後再び地面に戻すことにより萎縮した筋に過負荷を課し(リロード)、筋の適応の方向を萎縮から肥大へと変化させた時のmyostatin量の変化も調べた。その結果、尾部懸垂により筋が萎縮する時には、myostatin量に有意な変化は認められなかったが、リロードさせることにより筋の適応の方向を萎縮から肥大へと変化させた時に、myostatin量が有意に減少することが分かった。(l)と(2)の結果から、myostatin量の減少が骨格筋肥大を促す可能性が示唆された。

 (3)急激な外部環境変化への適応におけるmyostatinの役割

 生物が急激な外部環境の変化に晒され、急激にその環境への適応を余儀なくされる時には、生体内の因子の挙動は顕在化されると考えられる。そこで、マウスに大型遠心器を用いて過重力(3G)を3週間負荷し、その時の骨格筋myostatin量の変化を調べた。過重力を負荷されたマウスは、初期の段階ではその環境に適応するために急激に体のサイズを減少させる。そして、その後徐々に体のサイズを増加させて行く。Myostatin量は、体のサイズを減少させる初期の段階では増加する傾向を示し、その後の体のサイズを増加させる局面では徐々に減少して行った。そして、後肢筋がコントロール群と比べて肥大する3週間後にはmyostatin量は有意に減少することが分かった。

 (4)ホルモンとの関係

 骨格筋量の増減には力学的刺激や局所的な成長因子の働きに加え、循環性のホルモンも影響する。これらは、単独、または相互作用をすることによって筋量の増減を調節しているものと考えられるが、そのメカニズムは完全には解明されていない。そこで、代表的な同化ホルモンであるテストステロンと異化ホルモンであるコルチコステロンをマウスに投与しmyostatinとの関係を調べた。テストステロンをマウスに投与すると、容量と筋重量の増加は正の相関を示した。逆にmyostatin量は容量依存的に有意に減少した。Myostatin遺伝子の上流域にはアンドロジェン・レセプターの結合部位の存在が報告されており、同化ホルモンであるテストステロンが抑制因子であるmyostatinの発現を調節していることが示唆された。また、コルチコステロンをマウスに投与すると容量と筋萎縮の程度は正の相関を示した。この時、myostatin量は容量依存的に減少した。コルチコステロンを投与すると、体重の減少より筋萎縮の程度の方が大きく、筋が他の組織に比べて選択的に萎縮していると考えられた。このことが相対的に筋への力学的負荷を増大し、myostatin量を減少させたのかも知れない。(3)と(4)から、骨格筋量の増減といった力学的ストレスヘの適応にmyostatinが関与していることが示唆された。また、力学的刺激だけではなく、循環性のホルモンの制御も受けている可能性も示唆された。

 (5)骨格筋肥大の新規動物モデルの開発

 骨格筋が力学的刺激や同化ホルモンによって肥大することは、これまで多くの先行研究によって示されてきた。また腱切除法による代償性肥大や大型遠心器を用いた過重力負荷、同化ホルモン剤の投与といった筋肥大の動物実験モデルも確立されている。しかし、筋肥大は複雑な因子の相互作用によって起こされると考えられるので未知の筋肥大の機構も存在すると考えられる。これまで、細胞にとって障害性があると考えられていた活性酸素種が細胞増殖作用もあることが近年報告されてきている。骨格筋肥大は既存の筋線維の肥大と未分化な幹細胞に由来する新たな筋線維の増殖によるものと考えられているが、活性酸素種が細胞増殖作用を持ち合わせているならば、骨格筋の肥大にも関与しているものと考えられる。そこで活性酸素種が筋肥大に関与するか、また筋肥大の抑制因子であるmyostatinをどのように制御するかを調べるために、新規の動物実験モデルの開発を行った。活性酸素種は生体内において低酸素刺激により生成されることから、ラットの後肢の血管(浅腹壁静脈・浅腸骨回旋静脈・大伏在静脈・外側伏在静脈・大腿静脈のそれぞれ一部)を外科手術にて閉塞させた。手術後2週間で足底屈筋を調べたところ有意な筋重量(湿重量・乾燥重量伴に)の増加を示した。そこで、この筋肥大のメカニズムを調べるために一酸化窒素合成酵素であるNOS-1と筋肥大の促進因子であるインスリン様成長因子・1(IGF-1)、筋肥大の抑制因子であるmyostatinについて検討した。その結果、IGF-1mRNA発現量には有意な変化は見られなかったが、NOS-1mRNAの発現量は有意に増加し、myostatinタンパク量は有意に減少した。IGF-1はメカニカルな刺激による筋肥大時に増加することが報告されているが、今回の筋肥大モデルは筋への力学的刺激を増大させるものではないと考えられるので有意な変化がなかったものと思われる。一酸化窒素の寿命はin vitroの実験で空気中の酸素分圧下では数秒であるが、生体内の生理的酸素分圧下ではその寿命が数分〜数十分に伸びることが分かっている。そのことから、NOS-1発現量の増加による一酸化窒素の増加が今回の筋肥大に関与している可能性は大きいものと考えられる。またmyostatin量も有意に減少したことから、低酸素刺激がなんらかの経路を介してmyostatinを制御していると考えられる。当然のことながらNOS-1やmyostatin以外の既知、未知の因子がこの筋肥大に関与していることが予想され、さらなる研究が必要である。

 まとめ・今後の展望

 骨格筋は極めて可塑性に富む組織であり、様々な刺激に応じてその量を増減させる。本研究でも力学的刺激やホルモン刺激、局所的な低酸素刺激に反応して筋量の増減を示した。このような反応は、筋肥大に対する促進因子と抑制因子の量的、質的バランスの変化によって引き起こされると考えられる。そこで、本研究では筋肥大に対する抑制因子であると考えられるmyostatinについて調べた。その結果、筋に肥大を促す刺激を与えたときに、抑制因子であるmyostatinが筋内でその量を減少させ、筋肥大を促進することを示唆する結果が得られた。今後はmyostatinが制御する下流の情報伝達系の解明や、新たな筋肥大のメカニズムの解明が重要であると考えられる。また過負荷や同化ホルモンの投与といった積極的な外部刺激による筋肥大に加え、血流制限による低酸素刺激も内部の様々な因子を活性・非活性化させ筋肥大を促す。今後、ヒトへの応用を見据えたときに筋肥大という一つの結果を得るために様々な刺激の方法を提供できるということは非常に有用である。そのためにも、より一層の筋肥大のメカニズムの解明が必要であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 ヒトを含む哺乳類の骨格筋は運動・トレーニングなどの刺激によって労作性肥大を示し,不活動や除負荷によって廃用性萎縮を示す。骨格筋のこうした適応能については古くから知られるが,そのメカニズムに関しては未だ十分には解明されていない。高齢者の筋機能の改善や宇宙飛行士の筋萎縮の防止などが重要な課題となりつつある現在,安全かつ効果的・効率的な運動処方の開発が急務であり,そのためには骨格筋肥大および萎縮のメカニズムについての知見を深める必要があると考えられる。

 骨格筋肥大および萎縮のメカニズムについては,これまでの多くの研究が,筋線維におけるタンパク質の合成と分解に焦点を当ててきた。しかし,最近の数年間に,こうしたスキームは劇的な変化を遂げたといえる。すなわち,多核体としての筋線維が肥大・萎縮する際に,核数がそれぞれ増加・減少することが見出されたことにより,1個の核が細胞機能を支配できる体積(核領域:myonuclear domain)には上限があり,ある範囲を超えて筋線維が肥大するためには,核数を増加する必要があると考えられるようになった。このための核の供給源として,筋線維細胞膜と基本底膜の間に少数存在する筋サテライト細胞,筋線維間質に散在する骨髄由来細胞などの多能細胞が新たな注目を浴びつつある。さらに,これらの細胞の増殖や分化を制御すると考えられる様々な成長因子が,骨格筋の肥大や萎縮において中心的役割を果たす可能性が高い。骨格筋肥大を刺激する成長因子としては,インスリン様成長因子-1(IGF-I)がよく知られるが,一方,骨格筋(特に速筋線維優位の筋)の成長をきわめて強く抑制する因子としてミオスタチン(GDF-8)がある。ミオスタチン遺伝子に変異をもつウシは20-30%の筋量増加を示し,これをノックアウトしたマウスでは筋量が約3倍にまで増大する。ミオスタチン・ノックアウトマウスでは,個々の筋線維の肥大に加え,筋線維数の著しい増加が見られることから,ミオスタチンの主要なはたらきは,発生後期における筋芽細胞の増殖を抑制し,分娩前の胎児の過剰成長を防止することであろうと考えられている。一方,その強力な効果から,個体の成長後においても,筋サテライト細胞などの増殖を制御することにより骨格筋のサイズを調節している可能性があるが,成体におけるミオスタチンの機能については不明の点が多い。本研究は,マウスおよびラット骨格筋を用い,力学的負荷,ホルモン,局所循環など骨格筋のサイズに適応的変化を及ぼす刺激によってミオスタチンがどのように変化するかを調べ,成体におけるミオスタチンの役割について検討したものである。以下にその概略を記す。

 第1章の研究では,加齢,尾部懸垂による除負荷,除負荷後の再荷重などがマウス骨格筋の重量とミオスタチンタンパク量に及ぼす効果について主に調べた。速筋線維優位の腓腹筋・足底筋では,生後5週齢から10週齢にかけて体重当たりの筋重量が著しく増加したが、遅筋線維の多いヒラメ筋(速筋線維:遅筋線維≒1:1)ではそのような変化は見られなかった。さらに,腓腹筋・足底筋では,11週齢以降,加齢に伴い筋重量は減少した。筋ミオスタチン量は,腓腹筋・足底筋では,成長の著しい5週齢では低く,成長のほぼ止まる11週齢では有意に増大した。以後,92週齢まで,筋重量は継続的に滅少したものの,ミオスタチン量には変化がみられなかった。ヒラメ筋でのミオスタチン量は加齢によらず一定であった。一方,成長期を過ぎた(9週齢)のマウスを2週間尾部懸垂すると,腓腹筋・足底筋,ヒラメ筋いずれも筋重量の減少を示したが,このときミオスタチン量には変化は見られなかった。しかし,2週間の除負荷後2日間の再荷重を行った場合には,腓腹筋・足底筋,ヒラメ筋双方でミオスタチン量が有意に低下し,ヒラメ筋では筋重量の回復傾向が見られた。これらの結果から,ミオスタチンは,成長や除負荷後の再荷重によって筋が肥大する際には低下するものの,加齢や除負荷による筋の萎縮時には増加しないことが示された。

 第1章は,除負荷から日常レベルの負荷への復帰(0Gから1G)によってミオスタチン量が減少し,筋が肥大方向に向かうことを示したが,第2章ではさらに,日常レベルの負荷から負荷を増大(1Gから3G)した場合の効果について研究した。マウス(9週齢)を大型遠心器上で飼育し,3週間3Gの過重力中に置くと,体重,腓腹筋・足底筋重量,ヒラメ筋重量のいずれも,一過的に減少後経時的に増加するという二層性の変化を示した。このとき,ミオスタチン量は逆に一過的に増加した後に減少した。一方,循環性のホルモンの影響についても調べ,特にテストステロンの投与により,容量依存的に筋重量が増大し,ミオスタチン量が減少することがわかった。これらの結果から,日常レベルから負荷を増大した際にも,最終的にはミオスタチン量が減少することにより筋肥大を促すこと,この反応の一部にはテストステロンが関与することが示された。また,過重力への短期的適応として積極的に体重を低下させるような一過性の反応が生じ,このときミオスタチン量が増加すること,この反応にはコルチコステロンは関与しないことが示唆された。

 第3章では,新しい筋肥大モデルの開発を試み,このモデルにおけるミオスタチンおよびその他のいくつかの遺伝子の発現を検討した。モデルの作成に当たっては,近年ヒトを対象とし,著しい筋肥大効果が報告されている,血流制限下での筋力トレーニングを参考とした。ラット後肢筋の筋血流を持続的に制限するため,後肢の主要な静脈を外科的手術により閉塞した。2週間の通常飼育後、速筋線維優位の足底筋では,対照群(Sham群)に比べ,湿重量で12%,乾燥重量で10%の増大が認められた。一方,遅筋優位のヒラメ筋には変化が見られなかった。肥大した足底筋では,ミオスタチン量の滅少,およびNOS-I mRNAの発現増加が見られた。しかし,IGF-I mRNAの発現には有意な変化は見られなかった。これらの結果から1局所的な循環制限が,ミオスタチン量の減少や,NO生成の増加を介して速筋の肥大を引き起こす可能性が示された。

 以上のように本研究は,力学的負荷の増大,ホルモン,局所循環の制限などの環境要因が1成体においてもミオスタチンの発現に影響を及ぼすことにより筋のサイズ適応を引き起こしていることを示し、さらに詳細なシグナル伝達系の解明に向かう糸口を与えたと評価される。また,応用面においても,本研究で得られた知見をもとに,ミオスタチンの発現を指標として,より効果的な運動・トレーニング処方の開発が行われるという展開も期待される。いくつかの点でまだ検討が不十分との指摘もなされたが,成体におけるミオスタチンの役割について体系的に調べた研究は世界でも初めてであり,本審査会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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