学位論文要旨



No 117780
著者(漢字) 橋本,龍一郎
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,リュウイチロウ
標題(和) 左前頭前野における文理解に特化した領域のfMRI研究
標題(洋) An fMRI Investigation of Functional Specialization in the Left Prefrontal Cortex for Sentence Comprehension
報告番号 117780
報告番号 甲17780
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第416号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 酒井,邦嘉
 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 助教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 石浦,章一
内容要旨 要旨を表示する

 人間の言語能力において、文法知識は極めて重要な要素である。文法規則を適用し、文の意味を理解する過程は文法処理とよばれるが、その過程には言語性短期記憶が大きく関与している。文法処理から言語性短期記憶を分離することが困難であるため、文法処理に固有のシステムが存在するのか(モジュール仮説)、あるいは領域一般的な言語性短期記憶システムが文法処理をおこなうのか(非モジュール仮説)という問題が現在にいたるまで議論されてきた。近年の機能イメージング研究により、左下前頭回(left inferior frontal gyrus,以下L.IFG)と左前頭前野背側部(left dorsolateral prefrontal cortex,以下L.DLPFC)、および左前頭前野背部(left dorsal prefrontal cortex,以下L.DPFC)が文法処理に特化した領域の候補として挙げられているが、これらの領域は、いずれも文法処理が直接要求されない単語の記憶課題においても賦活されること、および、その活動は記憶課題の難度によって強まることが報告されている。これらの領域の中でも特に、L.DPFC/L.DPFCは、単語のアイテム記憶よりも、順序記憶に選択的に関係していることがイメージング研究、および神経心理学的研究によって示されている。これらの結果は、文法処理の非モジュール仮説を強く支持する結果として解釈されている。

 一方、言語学では、言語性短期記憶など一般的な認知機能とは異なる、文法処理に固有の性質がいくつか存在することが示されている。その代表として、「文法規則の構造依存性」が挙げられる。例えば、「太郎は三郎が彼をほめると思った」という文においては、「三郎が彼をほめる」と、「太郎が〜と思った」という二つの節の間には階層的な関係が存在し、前者の節が後者の節に埋め込まれる構造をとっている。文法規則の適用は、このような階層性をもつ文法構造に依存しており、単語間の線形順序では、文法規則を記述できないことが示されている。そして、この構造依存的な性質は、英語・日本語といった個別言語の違いによらず、自然言語に普遍的に観察されることも明らかにされている。また、主に行動データや事象関連電位の研究から、通常の文処理においては、単語が継時的に新しく入力されるごとに、自動的に文法情報が処理されることが示されている。この性質は、意識的な努力や注意を強く要求する、一般的な言語性短期記憶課題と対照的である。この研究は、文法処理の性質の中でも、特に構造依存性と自動性に焦点をあて、文法処理と言語性短期記憶を解離する実験課題を作成した。

 本研究では、文法処理に含まれる言語性短期記憶の要素を排除するために、文法判断(syntactic judgment,以下SYN)課題と言語性短期記憶(short-term memory,以下STM)課題を設定した。SYN課題では、固有名詞(人物名)2つ、動詞2つ、および代名詞1つを含む中央埋めこみ文(例:「太郎は三郎が彼をほめると思った」)を視覚的に提示し、課題条件に従って文中の単語1つに下線を付した。SYN課題として2条件を設定し、(1)下線部の動詞の主語が文中のどの人物に対応するか(SYN-1)、(2)下線部の代名詞が文中のどの人物を示し得るか(SYN-2)を判断させた。これらの課題では、明示的に文法判断が求められるため、文法処理をつよく必要とした。一方、STM課題では、SYN課題で用いた文をそのまま記憶する課題(STM for sentence,以下STM-S)と、同じ文の単語をランダムに並べ換えた単語列を、語順を保持したまま記憶する課題(STM for words,以下STM-W)の2種類を用意した。STM課題においては、提示された単語("what")だけでなく、その順番("when")を記憶することが求められた。STM-S、STM-Wともに課題内容は同じであるが、STM-Sは単語が文法的に正しい順序で提示されるため、課題内容に依存せず自動的に機能する文法処理が含まれている。また、先行研究により、文中の語順をランダムに並び換えた単語列の記憶は、文法規則に従った文の記憶・理解と比較して、著しく困難であることが示されている。従って、STM-Wは4課題中もっとも短期記憶の負荷が強く、難度が高いことが予想された。これらの課題遂行中の被験者の脳活動を機能的磁気共鳴影像法(functional magnetic resonance imaging,以下fMRI)を用いて測定することにより、文法処理に特化した神経的基盤が存在するかを検討した。

 被験者は16名の日本語を母国語とする男性(年齢:18-37歳)で、うち15名は右利き、1名は両利きであった。1.5テスラの日立製MRI(STRATISII)を使用し、Echo-planar法により機能画像の撮影をおこなった。繰り返し時間は3秒、空間解像度は3×3×6mm3で、前交連・後交連ラインから-24〜+66mmの範囲を撮像した。データ解析にはSPM99を使用し、統計処理をおこなった。

 行動データ解析により、STM-Wは、他の3課題と比較して有意に正答率が低く、かつ反応時間が長いことが示された。この結果は、STM-Wが最も難度の高い課題であるという予想を裏付けるものであった。

 最初に、STM-SとSTM-Wの間で脳活動を比較した。両課題とも、提示された単語列のwhat・whenを記憶する点においては同じであるが、STM-Sは単語が文法規則に従って配列されているため、自動的な文法処理を伴うのに対し、STM-Wは最も難度が高く、短期記憶をはじめとする一般的な認知的負荷が強い課題である。検定の結果、L.DPFCにおいてSTM-Sに有意に強い反応が観察されたのに対し、左運動前野下部、左頭頂葉弁蓋部、および右帯状回前部はSTM-Wに選択的な反応を示した。この結果は、言語性短期記憶や一般的な認知的負荷には還元できない、文処理に固有のシステムが、左前頭前野に局在していることを示唆する。一方、左運動前野下部と左頭頂葉弁蓋部は、これまでに言語性短期記憶システムのなかでも、とくに内言(subvocal-rehearsal)に関係することが報告されている。従って、今回観察されたSTM-Wに選択的な活動は、STM-Wが要求する言語性短期記憶の負荷の強さを反映していると考えられる。

 次に、2つのSYN課題(SYN-1+SYN-2)とSTM-Wの比較をおこなった。SYN課題は、文の解釈が明示的に求められるため、STM-S課題よりも文法処理の負荷が強い課題である。その結果、STM-SとSTM-Wの比較により同定されたL.DPFCに加えて、L.IFGにおいて、SYN課題に選択的な活動が観察された。この結果は、文法処理と意味処理の対比、および文法的に複雑な文と単純な文を比較によって、L.IFGの一部が文法処理に選択的に関係していることを示した過去のイメージング研究の結果と一致する。一方、両側舌状回と右半球襖部はSTM-Wに選択的な活動を示した。

 次に、SYN課題(SYN-1+SYN-2)とSTM-Sの比較をおこなった。その結果、L.IFGとL.DPFCにおいて、先の比較と同様にSYN課題に強い反応がみられた。この活動は、SYN課題とSTM-S課題が要求する文法処理の負荷の差を反映していると考えられる。逆に、両側舌状回、および右頭頂葉後部はSTM-Sに選択的な活動を示した。

 最後に、L.DPFCとL.IFGの各領域において、STM-SをベースラインとしたSTM-W,SYN-1,SYN-2課題の信号変化量をそれぞれ計算した。その結果、SYN-1,SYN-2では2つの領域の間で有意な差は観察されなかったが、STM-Wに対しては、L.DPFCにおいてL.IFGよりも有意に大きい信号変化を観察した。この結果は、L.DPFCがL.IFGと比較して、STM-Sに含まれる自動的な文法処理に強く関係していることを示しており、左前頭前野における2つの領域の間に機能分化が存在する可能性を示唆している。

 本研究では、文法処理課題と言語性短期記憶課題を直接比較することにより、左前頭前野において、文法処理に特化した領域を同定することができた。この結果は、言語能力のモジュール性仮説を支持する、脳機能イメージングからの初めての証拠である。言語理論においては、文法知識のなかに、いくつかの内部モジュールが仮定されている。従って、本研究の成果は、これらのサブモジュールが各々どのように機能するかを解明するための基礎を与える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、左前頭前野において、文法処理に特化した脳領域が存在するか、あるいは、文法処理に関わる左前頭前野の活動は、一般的な言語性短期記憶で説明できるのかという問題について、機能的磁気共鳴影像法(fMRI)を用いて検討したものである。

 これまでの機能イメージング研究により、左前頭前野において文法処理に選択的に関係している領域があることが報告されている一方、左前頭前野の活動を一般的なワーキングメモリによって説明しようとする研究も多い。この対立をめぐって、これまでに神経科学の分野で活発な論争が行われてきたが、どちらかの立場を決定的に支持する結果は今のところ報告されていない。左前頭前野の機能的役割は何かという問題が持つ意義は、神経科学という特定の分野にとどまらず、複数の関連分野に及んでいる。例えば、言語学・心理学において、文法に固有の神経基盤を認めるモジュール仮説と、すべての言語処理を単一の言語性ワーキングメモリシステムに帰属させる非モジュール仮説との論争は、現在でも大きな関心を集めている。従って、左前頭前野の活動が文法処理に特別なものか、あるいは言語性ワーキングメモリで説明できるかという問題は、神経科学・言語学・心理学を含めた認知科学の広い分野に対して影響を与える重要な問題である。

 導入部分で、著者は、文法処理のモジュール仮説・非モジュール仮説をそれぞれ明らかにした上で、左前頭前野の機能に関係する先行研究を、機能イメージング、神経心理学、および事象関連電位を含め幅広く概観している。これらの研究の蓄積にも関わらず、論争が未解決であることを示した後、とくに、過去のイメージング研究について、文法処理と言語性ワーキングメモリの負荷が解離できていないことが重大な問題として指摘された。そして、左前頭前野において、文法処理に特化した脳領域が存在するかを検討するためには、最小対を構成する、文法課題と言語性短期記憶課題を作成し、両者の脳活動を機能イメージングで検討することが必要であると述べられている。

 導入部分の後半では、本実験パラダイムの概略が説明されている。文法処理と言語性ワーキングメモリを分離させるために、著者は、文法処理に固有の性質である構造依存性と、言語性短期記憶にも共通して観察される、線系順序性を対比させる実験パラダイムを考案した。文法処理の構造依存性と線形順序記憶を対比させた点は、本研究の新しい着眼点である。また、行動実験や脳波の実験によって、文法処理は意識的な努力を伴わなくとも、自動的に行われることが明らかにされている。筆者は、文法処理の自動性が、意識的な努力や方略を要する言語性ワーキングメモリと比べて著しく異なっていることに注目し、意識的な文法判断を求めないが、文を読むことで自動的に起こる文法処理を検討する実験課題を考案した。文法処理の自動性と言語性ワーキングメモリの意識的な努力を伴う点を対比させる試みも、本研究の斬新な点である。

 本実験では、文法判断課題2つ、文を記憶する課題、および互いに文法的なつながりのない文節列を記憶する課題の計4つの課題を作成した。これらの条件では、提示単語を同一にすることにより、単語の使用頻度や音節列の長さなど、単語レベルの要因を統制することに成功している。文法判断課題と文の記憶課題では、まったく同じ刺激文のセットを使用し、課題の内容だけが異なっている。一方、2つの短期記憶課題は、課題内容はまったく同じであるが、提示刺激が文か文節列かという点だけが異なっている。従って、文の記憶課題を導入することで、刺激を統制して課題を変える比較と、逆に課題を統制して刺激を変える比較の両方が可能となる。これら2つの最小対を同一の実験でデザインし、文法処理を検討した研究は、過去に例がなく、オリジナル性を高く評価できる。また、各課題が、文法処理、および言語性ワーキングメモリの要素を相対的にどの程度強く含むかを前もって予想できるため、各課題の脳活動を比較したときに、その結果がどの認知要素を反映しているかを明確に解釈できる点も評価に値する。

 続く方法では、実験手続き、使用した機器、データ解析方法、および各課題の詳細な説明がなされている。本実験の特徴として、十分な数の被験者(16名)を集めた上で、被験者の分散を考慮してランダムイフェクトモデルを用いることにより、結果の信頼性を高めていることが挙げられる。データ解析では、機能イメージングの分野において現在最も標準的に使用されている解析ソフト(SPM99)を用いているため、他のイメージング研究との比較が容易である。また、各課題の説明では、例えば、記憶課題において、最後に提示される文節のペアに、オリジナルの文・文節列を一部修正したものをプローブとして提示するなど、被験者が実験者の意図しない方略で課題を解けないように細心の注意を払っている。また、語順が比較的自由な日本語の特徴を利用して文型を6パターン設定し、各パターンについて異なる語彙を用いた文を12文作成するなど、できるだけ文にバリエーションを与えることによって、被験者の刺激・課題に対する馴れを防ぐ工夫がみられる。

 結果では、まず4課題の正答率・反応時間を比較し、実験者の意図どおり、文節列記憶課題が最も課題難度が高く、ワーキングメモリの負荷が高いことが示された。イメージングデータの解析では、まず文記憶課題と文節列記憶課題を比較した。前述のように、記憶課題の内容・および使用単語は両条件で同じである。違いは、文記憶課題が自動的な文法処理を含む一方、文節列記憶課題は文レベルの文法処理を含まないこと、および言語性ワーキングメモリの負荷が4課題中最も高い点である。左前頭前野が言語性ワーキングメモリの要素で説明できるなら、文節列記憶課題に対してより大きな活動が観察されることが予想されたが、実際には、左前頭前野背部(L.DPFC)において、文記憶課題に選択的な反応がみられた。この結果は、一般的なワーキングメモリには還元できない、文法処理に特化した脳領域が、左前頭前野において存在することを示している。この2つの課題の比較は、左前頭前野の活動に関する二つの対立仮説のうち、どちらの立場をとるかによって、全く逆の結果が予想できたため、どちらの仮説が正しいかを明確に検証できた点が評価できる。

 次に、文法判断課題と文節列記憶課題の比較をおこない、L.DPFCに加えて、左前頭回下部(L.IFG)において、文法判断課題に対して選択的な活動を観察した。この結果は、自動的な文法処理に加えて、文法処理が意識的に強く要求されたときに、L.IFGが活動することを示す重要な発見である。この左前頭前野の2つの領域の活動は、続く文法判断課題と文記憶課題の最小対の比較においても観察された。従って、本研究は、これら3つの比較を通して、一貫して左前頭前野において文法処理に特化した領域があることを示すことに成功している。また、右頭頂部や帯状回をはじめ、それぞれの比較において、記憶課題に対して選択的な活動を示した領域は、これらの領域が順序記憶やワーキングメモリの負荷に対して選択性があることを示した過去のイメージング研究の結果と一致しており、結果の信頼性を高めている。最後に、被験者の分散を考慮して、L.DPFCとL.IFGの各領域の脳活動について、被験者の平均と分散を示したグラフが提示された。統計検定により、L.DPFCはL.IFGよりも、文記憶課題と文節列記憶課題の脳活動の差が大きいことが明らかにされた。この結果は、左前頭前野において文法処理に関わるこれら2つの脳領域の間に機能分化があることを示唆している。

 考察では、まず結論をまとめた後、左前頭前野が言語性ワーキングメモリに関連していることを示した過去のイメージング研究が概観されている。本研究の結果が、左前頭前野と言語性ワーキングメモリの関連性を否定するものではないが、少なくとも左前頭前野の一部は、ワーキングメモリや一般的な認知機能では説明できない、文法処理に特化した活動があることが述べられている。さらに、意味処理や音韻処理など、文法処理以外の言語処理の要素と左前頭前野の関係を検討し、本研究で観察された結果は、おもに文法処理の活動を反映していると結論された。

 本論文は、第一に問題設定において、神経科学だけでなく、言語学・心理学を含めた認知科学の幅広い分野に対して重要な意味を持つ問題を扱っていること、第二に、その問題に対して、機能イメージングの手法を用い、仮説検証型の明確な実験デザインを考案してアプローチしていること、第三に、現在のイメージングデータ解析の標準に照らして、厳正な解析手法をとっていること、第四に、得られた結果は、左前頭前野において、文理解に特化した領域が存在することを明確に支持するものであること、第五に、その結論は先行研究の成果に照らして斬新な成果であること、以上の五点が特に評価された。

 したがって、本審査委員会は、東京大学大学院総合文化研究科課程博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと全員一致で認定した。

 なお、本論文の一部は、"Specialization in the Left Prefrontal Cortex for Sentence Comprehension"という題で、Neuron誌35巻,589-597頁に掲載されている。

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