学位論文要旨



No 117782
著者(漢字) 保前,文高
著者(英字)
著者(カナ) ホマエ,フミタカ
標題(和) 左下前頭図における入力モダリティーに共通した文レベルの処理
標題(洋) Modality-independent processing at the sentence level in the left inferior frontal gyrus
報告番号 117782
報告番号 甲17782
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第418号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 酒井,邦嘉
 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 助教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 石浦,章一
内容要旨 要旨を表示する

 音声を聞いたとき、または文字を読んだときに、知覚レベルの処理は入力モダリティーに依存するが、知覚レベルから語彙レベル、さらに高次である文レベルヘと処理が進むと、文処理は入力モダリティーに依存しなくなると予想される。語彙の処理に関しては、Petersenらが聴覚・視覚条件下で動詞生成課題を単語復唱課題と比較し、入力モダリティーに依存して左下前頭回の異なる領域が活動を示したことを報告している。しかしながら、単語復唱課題における感覚情報の処理がモダリティー間で等しいとは限らないため、モダリティー間の皮質活動の違いが動詞生成課題と単語復唱課題のどちらの課題における違いを反映するのかが明らかでなかった。文処理については、Bottiniらが視覚条件下で文理解課題と語彙性判断課題を遂行している際の皮質活動を比較し、左下前頭回を含む広い領域の活動を報告している。しかしながら、活動領域全てが文処理に選択性を示すのかという点については明らかでなかった。本研究では、聴覚・視覚条件で共通した統制課題を新たに用いることで、モダリティー間の比較を可能にした。その上で、言語処理のどの段階で入力モダリティーの違いがなくなるのかを明らかにする。さらに、文の処理と語彙の処理に伴う皮質活動を直接比較し、かつ、文レベルよりも下位のレベルの処理で活動する皮質領域を除くことで、文処理に選択的な活動を示す領域を明らかにする。

 日本語を母国語とする右利き男性9名(年齢:23〜27歳)を被験者とし、以下の課題を遂行している際の皮質活動をfMRI(functional Magnetic Resonance Imaging、機能的磁気共鳴撮像法)を用いて計測した。文(Sentence、S)課題では会話文が文節単位で提示され、その文が会話の文脈にあっているか否かの判断をしボタン押しで回答する。語彙(Phrase、P)課題ではS課題と同じ文節セットがランダムな順序で提示され、提示された文節が意味を持つか否かの判断をしボタン押しで回答する。この2つの課題の対比により、提示する語順の規則性の有無、すなわち文レベルの処理が必要か否かの差を明らかにできる。S課題とP課題においては刺激を音声で提示する聴覚条件と、文字で提示する視覚条件の両方を別々に行った。さらに、音声または文字の知覚レベルの処理を統制するため、無意味音節列を音声と文字で同時に提示する非単語(Nonword、Nav)課題を行った。この課題では提示された音声と文字の読みが一致しているか否かの判断をする。Nav課題を聴覚、視覚の両モダリティーに共通した統制課題とすることで、モダリティー間の比較を単一の基準に従って行うことが可能となる。各課題における被験者の回答と同期して、大脳皮質の機能画像を水平断面で5秒ごとに撮影し、皮質活動を調べた。空間解像度は平面内で3mm、高さ方向は4mmとした。課題遂行に伴うMRI信号値の変化を解析するソフト、SPM99(Wellcome department of Cognitive Neurology、London、UK)を用いてグループデータの統計解析を行い、5%水準を満たす信号変化を有意な活動と見なした。

 各課題の平均正答率は全て90%以上であった。正答率について課題を要因としたF-検定をした結果、主効果は有意であった。事後検定の結果、Nav課題の正答率のみが有意に低かった。入力モダリティー(聴覚、視覚)と課題(S、P)を要因とした2元の分散分析を行った結果、各要因の主効果、交互作用ともに有意ではなかった。この結果は、統制課題であるNavは他の言語課題と比較して難しいのに対し、SとPの課題間では課題の難しさについて統制がとれていることを示している。従って、MRI信号変化量についてS・P課題をNav課題と比較した結果は、課題の難しさを反映するわけではないことが示された。

 聴覚条件下と視覚条件下の皮質活動を直接比較することにより、入力モダリティーごとに知覚の処理に関わる皮質領域を同定した。聴覚条件[(Sa+Pa)-(Sv+Pv)]では、左右両半球の一次聴覚野とその周囲の聴覚連合野が顕著な活動を示した。一方で、視覚条件[(Sv+Pv)-(Sa+Pa)]では、左右両半球の一次視覚野とその周囲の視覚連合野が顕著な活動を示した。これらの結果は、S・P課題が入力のモダリティーに依存した言語情報の知覚処理を必要としており、その処理を担う領域がモダリティーによって異なることを示している。

 さらに、N即課題遂行に必要な聴覚・視覚それぞれの処理に関わる領域を同定した。Nav-Pvの比較はNav課題の聴覚情報の処理を反映し、左右両半球の一次視覚野とその周囲の視覚連合野が顕著な活動を示した。また、Nav-Paの比較はN即課題の視覚情報の処理を反映し、左右両半球の一次視覚野とその周囲の視覚連合野が顕著な活動を示した。これらの比較による活動領域はそれぞれ、上で用いた2つの比較、(Sa+Pa)-(Sv+Pv)と(Sv+Pv)-(Sa+Pa)における活動領域とほぼ一致していた。この結果は、Nav課題は音声・文字の処理の両方を含んでいるため、知覚の処理を統制する課題として聴覚・視覚条件に共通した統制課題として用いることが有効であることを示している。

 P課題は音声もしくは文字の処理だけでなく、提示された語彙の意味処理を必要とする。Pa-NavおよびPv-Navの比較は非常に類似した活動パターンを示した。左半球の下前頭回と中前頭回、左右両半球の角回と縁状回では音声および文字提示条件に共通した活動が見られた。知覚処理に関する皮質活動が左右半球でほぼ対称であったのに対し、語彙の処理に関する皮質活動は左半球優位であった。

 Navをモダリティーに共通した統制課題とすることで、PaとPvの活動パターンを直接比較することができ、語彙の意味処理における皮質活動が入力のモダリティーに共通していることが示された。さらに、このことはPaとPvをSaとSvそれぞれの統制課題として用いることで、SaおよびSv課題における皮質活動をモダリティー間で比較することができることを示している。

 Sa-PaおよびSv-Pvの比較においては、左半球の下前頭回腹側部、中心前溝、中側頭回で入力のモダリティーに共通した活動が見られた。左下前頭回腹側部はPa-NavおよびPv-Navのいずれでも活動を示さず、この領域が文の処理に選択的な活動を示す可能性があることが示唆された。このことを明らかにするために、上で用いた知覚もしくは語彙の処理を反映する比較において有意な活動を示す領域をSa-PaおよびSv-Pvの比較において活動を示す領域から除く解析を行った。この解析を用いることにより、知覚処理や語藁の処理による活動が文処理の過程で強められたためにSa-PaおよびSv-Pvの比較において活動を示した領域を除くことができ、文処理に選択的な活動を示す領域が同定できる。この解析の結果、左下前頭回腹側部のみがモダリティーに共通して活動を示した。以上の結果より、前頭前野の一部である下前頭回腹側部は入力のモダリティーに依らず、文の処理に選択的に関わっていると考えられる。

 本研究では、新しい統制課題を用いることによって、文の処理に選択的な活動を示す皮質領域を明らかにし、その活動が聴覚・視覚の入力モダリティーに共通していることを示した。この結果は、文の処理と語彙の処理を直接比較することにより、文の処理が特異的であることを脳科学の見地から初めて明確にしたものである。さらに、文の理解をする際に、統語処理の過程でどのようにして文を構成する個々の語彙の意味を統合し、文全体の意味を処理するのかという問題を皮質活動として詳細に明らかにするための基礎を与えるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は言語の処理過程において聴覚・視覚という入カモダリティーの違いがどこで収束するのかを機能的磁気共鳴映像法(functional magnetic resonance imaging,fMRI)を用いて明らかにすることを目的とし、さらに、言語の処理において本質的であると考えられる文レベルの処理を司る皮質領域を明らかにすることを目指している。

 これまでの脳損傷の症例研究に基づいた言語処理のモデルでは、音声および文字を入力としたときに、言語情報はそれぞれの感覚野で音声・文字としての知覚がなされた後に、言語野である側頭葉のウェルニッケ野に送られ、さらに前頭葉のブローカ野に至ることが提案されている。このモデルでは、ウェルニッケ野は音声・文字のいずれを入力とした場合にも言語処理に関わっており、語彙レベルの処理の段階で、聴覚・視覚入力の言語情報が部分的には収束していると考えられている。症例研究と共に言語の脳科学に欠かせないのが、機能イメージングを用いた実験である。言語処理における知覚・語彙・文の3つのレベルがそれぞれ入力モダリティーに依存するかどうかを検討するためには、それぞれのレベルにおける皮質活動のパターンを入カモダリティー間で比較する必要がある。しかしながら、従来の研究ではモダリティー間で単一の基準となるような条件を設定していないものが多く、活動パターンの違いが入力モダリティーの違いを反映するのか、条件の違いを反映するのかが明らかではなかった。本研究では、聴覚・視覚条件で共通した統制課題を新たに用いることで、モダリティー間の比較を可能にし、その上で、言語処理のどの段階で入カモダリティーの違いがなくなるのかを検討している。また、過去のイメージング研究では語彙レベルの処理に焦点を当てたものがほとんどであり、語彙レベルの処理だけでは説明できない文レベルの処理に選択的に関わる皮質領域は同定されていなかった。本研究では、文処理に選択的な活動を示す領域を明らかにするために、文の処理を必要とする文(S)課題で語彙の処理を必要とする文節(P)課題よりも強い活動を示し、かつ、文レベルよりも下位のレベルの処理で活動する皮質領域を除くという解析方法を用いている。この方法を用いることで、単に文の処理と語彙の処理に伴う皮質活動を直接比較するだけという、従来の研究では明らかにすることが出来なかった「選択性」について初めて検討した点は新しい試みであり、研究意義は大きいと評価できる。また、S・P課題間で同じ文節セットを用いていること、さらには、聴覚・視覚の入力モダリティー間で同様の言語課題を用いていることで、本研究において報告されている結果の信頼性を増している。

 初めに被験者の行動データに基づき、統制課題であるNavが他の言語課題と比較して難しいのに対し、文(S)課題と文節(P)課題の課題間では課題の難しさについて統制がとれていることを示した。このように、難しい統制課題を用いることで言語処理に伴う皮質活動の増加を課題の難しさによる負荷の増加と切り分けている点は、皮質活動の課題間の違いを言語処理のレベルもしくは入カモダリティーの違いとして評価する上で重要であると考えられる。

 行動データの解析に続いて、MRI信号変化量を課題間、入カモダリティー間で比較することで、知覚レベルの処理から、文レベルの処理に至る言語情報処理に関わる皮質領域を明らかにしている。最初に聴覚条件下と視覚条件下の皮質活動を直接比較することにより、入カモダリティーごとに知覚の処理に関わる皮質領域を同定している。聴覚条件[(Sa+Pa)-(Sv+Pv)]では、左右両半球の一次聴覚野とその周囲の聴覚連合野が顕著な活動を示した。一方で、視覚条件[(Sv+Pv)-(Sa+Pa)]では、左右両半球の一次視覚野とその周囲の視覚連合野が顕著な活動を示した。これらの活動パターンは、音声、文字の処理に関わる皮質領域を同定した先行研究の結果と一致しており、さらに、入カモダリティーに依存した知覚処理を担う領域が左右対称に存在することを確かめるものとなっている。言語処理の最初の段階である知覚レベルの処理を担う領域を同定し、先行研究と一致する結果を示すことで、本研究で用いられた刺激提示方法等の実験条件が特別なものではないことが確認できている。さらに、Nav課題遂行に必要な聴覚・視覚それぞれの処理に関わる領域を同定している。Nav-Pvの比較はNav課題の聴覚情報の処理を反映し、左右両半球の一次視覚野とその周囲の視覚連合野が顕著な活動を示した。また、Nav-Paの比較はNav課題の視覚情報の処理を反映し、左右両半球の一次視覚野とその周囲の視覚連合野が顕著な活動を示した。これらの比較による活動領域はそれぞれ、上で用いた2つの比較、(Sa+Pa)-(Sv+Pv)と(Sv+Pv)-(Sa+Pa)における活動領域とほぼ一致していた。Nav課題の聴覚の要素、視覚の要素ともに、それぞれ対応する一次感覚野およびその周辺の連合野の活動を引き起こしていることから、Nav課題が聴覚・視覚のどちらか一方のモダリティーに偏ることなく、モダリティーに共通した知覚レベルの統制課題となっていることを確かめる結果となっている。本研究で新たに導入されたNav課題の評価をNav課題を統制課題とした比較を用いる前に行うことで、本研究を通じての基礎を固めている点が評価できる。

 P課題は音声もしくは文字の処理だけでなく、提示された語彙の意味処理を必要とする課題となっている。語彙レベルの処理に関わる領域を同定する比較、Pa-NavおよびPv-Navでは非常に類似した活動パターンを報告している。左半球の下前頭回と中前頭回、左右両半球の角回と縁状回は音声および文字提示条件に共通した活動を示している。Nav課題をモダリティーに共通した統制課題とすることで、Pa課題とPv課題の活動パターンを直接比較することができ、語彙の意味処理における皮質活動が入力のモダリティーに共通していることを示唆しており、興味深い結果である。

 Sa-PaおよびSv-Pvの比較においては、左半球の下前頭回腹側部、中心前溝、中側頭回で入力のモダリティーに共通した活動を報告している。左下前頭回腹側部はPa-NavおよびPv-Navのいずれでも活動を示さず、この領域が文の処理に選択的な活動を示す可能性があることが示唆された。このことを明らかにするために、上で用いた知覚もしくは語彙の処理を反映する比較において有意な活動を示す領域をSa-PaおよびSv-Pvの比較において活動を示す領域から除く解析を行った。この解析を用いることにより、知覚レベルの処理や語彙レベルの処理による活動が文処理の過程で強められたためにSa-PaおよびSv-Pvの比較において活動を示した領域を除くことができ、文レベルの処理に選択的な活動を示す領域が同定できる。この解析の結果、左下前頭回腹側部のみがモダリティーに共通して活動を示し、前頭前野の一部である下前頭回腹側部は入力のモダリティーに依らず、文の処理に選択的に関わっていることを示唆している。この結果が本研究の中心となるが、過去の研究では明らかにされていない新しい知見であり、今後の研究につながる興味深い結論となっている。

 被験者間での結果の再現性を確かめるために、本研究では下前頭回腹側部の代表点における信号変化量をNav課題を基準にして被験者ごとに調べることも行っている。9名全ての被験者がS課題においてP課題よりも強い活動を示し、その差は有意であった。聴覚・視覚の入力モダリティー間では信号変化量に有意差が無かったことから、この領域がモダリティーに共通した文レベルの処理を司っていることを示し、さらに、その結果は、被験者間で再現性があることを示している。被験者全体のグループ解析だけでなく、被験者ごとのデータを個別に検討することも重要であり、本研究では、両方の解析を行って一致した結果を示している点が評価できる。

 本研究では、統制課題として用いたNav課題がどのような皮質活動を引き起こすのかを確かめるために、非単語を刺激とする課題(N)と新たなコントロール課題を用いた追加実験を行っている。Nav課題に加えて、Nav課題において刺激を聴覚、視覚で同時に提示している影響を調べるために、非単語を聴覚か、視覚のいずれか一方で提示するNa、Nv課題を用いている。さらに、音声、文字を刺激として用いないCav課題をコントロール課題としている。Nav-Cavの比較で活動を示した領域は、Na-CavおよびNv-Cavの比較の、少なくともいずれかにおいて活動を示していたことは、課題における活動パターンが非単語を聴覚・視覚で同時に提示したことに依存するわけではないことを裏付けている。さらに重要なことはこれら3つの比較、全てにおいて左半球の下前頭回腹側部が活動を示さなかったことから、Nav課題ですでに下前頭回腹側部が活動を示していたためにP-Navの比較で活動を示さなかったという可能住を排除することができる。このことは、下前頭回腹側部の文レベルに選択的な活動が、Nav課題を統制課題にしたことによって引き起こされているのではないことを示している。この追加実験を行うことで、本研究で新たに導入されたNav課題により引き起こされる皮質活動が明らかになり、本研究の結果をより確かなものとしている。

 本研究では、新しい統制課題を用いることによって、文の処理に選択的な活動を示す皮質領域を明らかにし、その活動が聴覚・視覚の入力モダリティーに共通していることを示唆している。この結果は、文の処理と語彙の処理を直接比較することにより、文の処理が特異的であることを脳科学の見地から初めて明確にしたものである。文の理解を明示的に求める課題を用いることで、下前頭回腹側部が文レベルの処理に必要な個々の語彙の意味の選択および統合に関わることを示唆しており、語彙レベルの処理を超えて文全体の意味を処理するという、文の理解に本質的な問題を皮質活動として詳細に明らかにするための基礎を与えている。よって本論文は、東京大学大学院総合文化研究科課程博士(学術)の学位請求論文として審査員全員一致で合格と認定された。

 尚、本論文の内容の主要な部分は、From perception to sentence comprehension; The convergence of auditory and visual information of language in the left inferior frontal cortexという題名で、NeuroImage誌16巻883〜900頁にすでに掲載されている。

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