学位論文要旨



No 117790
著者(漢字) 山内,昌和
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウチ,マサカズ
標題(和) 日本の沿岸漁業の動態に関する地理学的研究 : 九州北西部を事例として
標題(洋)
報告番号 117790
報告番号 甲17790
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第426号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 助教授 松原,宏
 関西学院大学 教授 田和,正孝
内容要旨 要旨を表示する

 日本の沿岸漁業は、約200万トンという生産量を長期間維持してきたことが理由の一つとなって有効な資源管理の事例として世界的に知られている。ところがその担い手に目を向けるならば、地理的な差異をともないながら戦後は一貫して縮小再生産されてきた。そこで本研究では、現在も活発に漁業を営む漁業者集団を対象に、戦後から現在という時間スケールの中で、人々がどのように漁業を維持してきたのかを検討することにした。その上でかれらが長期的に漁業を持続しえた要因を社会経済的な側面から考察することにした。

 第1章では、最初に戦後の沿岸漁業の変遷を整理した。戦後の沿岸漁業は3つの時期に区分できた。第1期は終戦直後から1959年までであり、経営環境は悪かった。第2期は1960から1979年である。沿岸漁業の経営環境は比較的良好であり、高度経済成長期の進展にもかかわらず、脱漁化は農業ほど進まなかった。第3期は1980年以降であり、沿岸漁業の経営環境は悪化した。沿岸漁業者の減少傾向は強まった。

 続いて既存研究を分野横断的に整理したところ、それらに共通する方法論的な問題は、漁業者個人の行動に注目しながら現象を動態的に把握できていないことであった。そこで、本研究では自然。社会。人間の相互関係に注目するという地理学的な研究視角に依拠しつつ、漁業者の相互作用が生み出すダイナミズムに注目することにした。その上で3つの作業課題を提示した。1点目は沿岸漁業全体の構造と事例地域との関係を明確化することである。2点目は、漁業者の帰属する集団のうち集落という単位の重要性を示すことである。3点目は本稿の主題でもある漁業者の行動の解明である。その際、集団内部における漁業者相互の関係性が構築する共同行為や集団規範、社会関係、漁業者の再生産メカニズムに関心を払いつつ漁業の動態を検討する。

 2章では第1の作業課題として、九州の市町村別沿岸漁業者数の推移を検討した。研究対象地域である長崎県郷ノ浦町や福岡県小呂島の含まれる北西部地区は、全国的にみて沿岸漁業の盛んな地域であり、多数の沿岸漁業経営体が分布していた。また、漁業生産量はほぼ一定であった。第2期以降の沿岸漁業者数の推移は全国的な沿岸漁業の経営環境の変化を反映していた。すなわち第2期には多数の市町村で沿岸漁業者が増加し、若年者の参入も少なからずみられた。第3期に入ると経営環境の悪化によって過剰生産力が顕在化し、いずれの市町村でも沿岸漁業者は減少した。いったん漁業に従事した中年世代の廃業も多く、新規に漁業に従事する若年者は大幅に減少した。

 3章と4章では、九州北西部地区の特徴を典型的に示し、沿岸漁業の主要な経営形態である家族経営が卓越する長崎県郷ノ浦町の漁業を取り上げた。3章では、集落単位でみられる共同行為に注目し、第2の作業課題の解明を試みた。漁場条件や制度条件の類似する5つの漁業集落を取り上げて詳細に比較検討したところ、技術革新への対応や漁場情報の共有といった集落単位の共同行為のあり方が各集落の漁業の変遷に強く影響していた。集落単位の共同行為を生み出す要因を検討したところ、集落内部で共有されている集団規範が重要であった。集団規範は歴史的な変化の過程で形成される他、ある時代の漁業者の年齢構成など集団構成にも影響されていた。さらに1990年代に新たに漁業に参入した後継者について分析したところ、大部分が良好な経営状態を示す経営体の子弟であることがわかった。ただし、後継者の参入を促すような共同行為や集団規範がみられる集落では多くの後継者が確保されていた。

 4章では、郷ノ浦町の中から現在まで漁業者の再生産がなされてきた長島という集落を取り上げ、戦後の漁業の動態と持続性について検討した。これは第3の作業課題に相当する。その結果、3章で検討した集落単位の共同行為だけでなく、技術の普及や継承、漁業投資のなされ方などの面で多様な共同行為がみられることが明らかになった。こうした共同行為は局面に応じて解体。構築を繰り返しており、漁業を維持する上で重要な役割を果たしていた。漁業者の再生産メカニズムを検討したところ、追加労働力の確保が漁業所得の増加に繋がるという経済的な要因が存在したものの、経営環境の変化に左右されやすいものであった。また、共同行為や集団規範を通じて社会的に後継者を確保する仕組みも存在した。

 5章と6章では、共同経営の卓越する福岡県小呂島を取り上げた。いずれも第3の作業課題に相当する。5章では、戦後小呂島の漁業の動態を技術や組織に注目して検討した。小呂島では様々な革新的な技術が導入され、それが生産力の拡大に繋がっていた。革新的な技術の普及過程を検討したところ、積極性という気質を有する漁業者が人的なネットワークを通じて外部から技術を導入し、それが集団内部に行き渡るように工夫されていた。経営組織については、第1期に日本の沿岸漁業一般にみられたように家族経営化が進んだにもかかわらず、第2期には一転して共同経営化が進んだ。この変化は経済合理性に基づいており、その過程では血縁関係を基盤とする柔軟な漁業者相互の関係性がみられた。これらによって漁業世帯の所得は大幅に増加した。

 6章では、小呂島の基幹的な漁業種類の1つである集落協業的なまき網に注目し、漁業者の再生産メカニズムについて検討した。小呂島のまき網は、多くの安全網を備えた低投資低生産型の経営方式を特徴とし、経営環境の変化に対する適応力は高かった。まき網は小呂島の漁業者の再生産メカニズムに対して強い影響力を有しており、第3期以降も後継者の参入を可能にする漁業所得を保証した。さらに共同行為としてのまき網が直系世帯の維持という共同規範と結びつくことによって、社会的な意味でも漁業後継者の参入が促されていた。

 7章では以上の知見を整理しながら、人々が漁業を維持することができた要因について社会経済的な観点から考察した、長島、小呂島ともに、漁業を維持する上で重要な役割を果たしていたのは、集団内部における漁業者の様々な結びつきが可能にした技術的。組織的。社会的な対応力であった。こうした漁業者集団の対応力は、一定の安定した構造を示すのではない。それは漁業者の相互作用を通じて常に解体。構築を繰り返しながら、長島や小呂島といった個別地域の文脈に沿った形で表出するものである。九州北西部地区における戦後の沿岸漁業の縮小再生産過程は、漁業者集団のあり方に規定ながら進行したのであった。

 戦後の沿岸漁業の再編過程における漁業者集団の重要性を受けて、沿岸漁業経営に果たす漁業者集団の機能を中。長期的なものと短期的なものに区分して整理した。中。長期的な漁業者集団の機能は、集団規範の生成、技術の普及や継承、漁業投資の可能性拡大、経営組織の柔軟な組替え、漁業者の再生産メカニズムヘの影響、という5つにまとめることができた。一方、短期的な漁業者集団の機能については、漁業者自身は自らの生産曲線を認識できないという産業上の特質に規定されており、かれらは相互の行動を通じて漁業活動を成立させていることを指摘した。

 沿岸漁業では、短期的にも中。長期的にも漁業資源変動は避けられない。しかもその変動が非常に大きいこともありうる。くわえて漁業資源以外の環境条件も常に一定であるわけでない。どれだけの経験を積もうとも、常に変化する自然に対して個人の能力だけでは克服し得ないものが存在するのである。結局、漁業の持続性は個人の能力にのみ還元されるものではない。常に変化する環境条件に対して、漁業者相互の関係性が作り出す集団としての対応力が重要なのである。

 漁業者集団の機能は集落という地縁的な社会の中で生成されてきた。その要因として考えられるのは、集落への帰属意識が人々の間で常に再生産されやすい状況の存在を受けて、集落という地理的単位が人々の関係構築の枠組みとして機能するからである。ただし、漁業者相互の関係は集落内で完結しているわけではない。長島の漁船漁業では、外部からも漁業情報を集める努力がなされていた。小呂島では外部との人的ネットワークを通じて革新的な技術導入が図られていた。このことから、漁業者集団の機能の基盤として集落が重要であるとしても、それは決して閉鎖的なものを意味するのではない。外部社会との人的な繋がりも当該漁業者集団の漁業の持続性にとって重要な役割を果たしているのである。

 長期的な人々の沿岸漁業の持続性にとって重要な要因となったのは可変的な環境条件に対する漁業者集団の適応力であり、その基盤となったのが血縁。地縁の折り重なった伝統的社会集団としての集落であった。持続的な資源利用として知られる日本の沿岸漁業の内部では、環境条件に対する柔軟な適応力を備えた漁業者集団が生き残ってきたのであり、そうした人々によってほぼ一定量の漁業生産が維持されてきたと考えられる。第3期に入ってから続く沿岸漁業の経営環境の悪化は、今後、一部の優良な経営状態にある漁業者のみが再生産されるという状況の一般化と同時に、これまで沿岸漁業を支えてきた社会的な基盤の喪失をもたらすことが予想される。こうした中で、これまで沿岸漁業を支えてきた社会的な基盤に代替するものとして、集落という単位を越えた広域的な漁業者同士のネットワークの重要性が増すものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 日本の沿岸漁業は、漁業権という日本特有の漁業制度の下で長期にわたり安定的な生産量を維持し、有効な資源管理の事例として世界的に知られている。しかし、その担い手となる沿岸漁業者の数は1950年以降一貫して減少を続けており、決して安定的に推移してきたわけではない。本研究は、高度経済成長期以降の日本の沿岸漁業の動態を、複雑な空間的差異を伴いながら進行する漁業者集団の縮小再編過程ととらえ、その変動のメカニズムを、沿岸漁業を取り巻く生態・社会環境変化に対する漁業者集団の中・長期的な適応という観点から明らかにしたものである。

 本論文は7章からなる。第1章では本研究の基本的な問題関心とその方法論が提示され、全国レベルでのマクロ的な動向の整理と、人文地理学、文化生態学、漁業経済学など関連諸分野の、詳細かつ批判的なレビューが行われている。第2章では、第3章以下の事例研究地域を含む九州沿岸部の沿岸漁業者の推移が検討され、市町村単位で見ても、その変動が非常に複雑な空間的パターンを伴っていることが明らかにされる。

 第3章と第4章は、沿岸漁業の主要な経営形態である家族経営が卓越する長崎県壱岐郡郷ノ浦町の事例研究である。まず第3章で、町内の集落レベルでの漁業の動態の差異が検討され、続く第4章では、今日まで活動的な漁業者集団の再生産がなされてきた長島の事例が詳しく分析されている。長島では、家族経営を基本としつつも、局面に応じて、集落ないしはそれ以下のレベルで柔軟な形での共同行為をとりながら、生態・社会環境の劇的な変化に対応してきた、

 第5章と第6章は、郷ノ浦町とは対照的に共同経営の卓越する福岡県小呂島の事例研究である。小呂島では、終戦直後から1950年代までは家族経営化が進んだが、1960年代以降は一転して共同経営化が進んだ、生態・社会環境変化に対しても、外部からもたらされた革新的な技術はスムーズに集団内部に浸透した。特に第6章で考察されている集落協業的なまき網漁は、多くのセーフティーネットを備えた低投資型の経営方式を特徴とし、環境変化に対する適応力はきわめて高く、小呂島の漁業者の再生産に対しても強い影響力を持ってきた。

 以上のように本研究は、日本の沿岸漁業の動態に関する斬新な理解を示したばかりでなく、不安定かつ不確実な天然資源利用に依存する生業活動の中・長期的な持続性に関して、生態・社会環境に対する短期的な高い適応力よりも、一方向的かつ劇的な環境変化に対する柔軟かつ個性的な適応力が重要であることを示す興味深いモデルを提示している。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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