学位論文要旨



No 117792
著者(漢字) 今藤,夏子
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ナツコ
標題(和) アズキゾウムシにおける細胞内寄生細菌Wolbachia : その多重感染と遺伝子水平転移
標題(洋) Parasitic endosymbiont Wolbachia in the adzuki bean beetle, Callosobruchus chinensis : its multiple infection and horizontal gene transfer.
報告番号 117792
報告番号 甲17792
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第428号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 農業生物資源研究所 研究チーム長 野田,博明
 産業技術総合研究所 主任研究員 深津,武馬
内容要旨 要旨を表示する

第1章 緒言

 昆虫とその体内に生息する共生微生物の関係は、お互いの存在が必須である相利共生から、一方がもう一方から搾取する寄生までと実に様々な様相を示す。昆虫─共生微生物系の成立や維持機構の解明は、宿主─寄生/共生系における相互作用の共進化にとって、より深い理解を与えるだろう。近年、昆虫の細胞内共生細菌として注目されているαプロテオバクテリア網Wolbachia属の細菌は、卵を介した垂直感染のみによって伝わり、生まれてくる宿主の性表現をメス偏向にしたり、生殖を操作したりすることで、宿主集団中に蔓延する利己的な細胞質遺伝因子の1つである。また、全昆虫種の20%前後に感染していると考えられているほど一般的な細菌である(Werren et al.1995)。Wolbachiaの利己的戦略の中で、特に多くの昆虫種で見られるのが細胞質不和合性(CI)という生殖操作で、Wolbachiaに感染した雄と非感染の雌の交配では、産まれた卵が全く孵化しない、あるいは卵孚化率が低下するという現象である。CIをもたらすWolbachia(CI Wolbachia)の宿主集団における感染動態は、これまでの理論研究と実証研究により、垂直感染の確実さ/CIの強さ/感染が宿主にもたらす適応度コスト、という3つの要因で規定されることが概ね確認されている。ただし、これは宿主1個体にCI Wolbachiaが1系統のみ感染している場合である。

 近年、複数の系統的に異なるWolbachiaが1個体の宿主に同時に感染する多重感染が、幾つかの昆虫種で報告された。CI Wolbachiaの多重感染については理論研究が先行していて、感染動態を規定する3要因の作用は、単一感染と同じであると予想されている。単純に考えると、異なるWolbachia系統を持てば持つほど、CIの点では有利になると考えられ、自然界には多重感染が多く見られることが予想されるが、実際には、多重感染は単一感染に比べて報告例が少ない、その原因の1つに、多くのWolbachia系統を保持すればするほど宿主に負担がかかり、その結果宿主の適応度が低下する、という「多重感染のジレンマ」が考えられる。また、多重感染系では、単一感染に比べて、様々な要因が非相加的に作用した結果が感染動態に反映されることが予想される。多重感染個体の体内には、異なるWolbachia系統間の相互作用があり、いわば一つのコンパクトな生態系が存在すると考えられる。この体内生態系での相互作用の結果は、宿主個体レベルでの適応度やCIの強さに反映されるだろう。そして、異なるWolbachia系統の組合せをもつ宿主間の競争の結果、最終的に宿主集団中のWolbachia感染頻度が決定されると考えられる。よって、多重感染のメカニズムを解明するには、宿主体内、宿主個体、そして宿主集団レベルという3つの異なるレベルから、Wolbachiaのふるまいや宿主に与える影響を総合的に調べることが必要である。

 本研究は、アズキゾウムシCallosobruchus chinensisにおけるWolbachia多重感染の実態を上記の3つのレベルから把握し、Wolbachiaの多重感染について包括的に理解することを目的とした。アズキゾウムシからは、Wolbachiaに特異的な遺伝子wspについて異なる3つの配列が既に発見されている(Kondo et al.2002a)。本研究において、そのうちの1つ(wBruAus=以後AusまたはAと略記)は、Wolbachiaとしての実体がなく、宿主X染色体に水平転移した遺伝子断片として存在することが明らかになった。また、本研究では、残りの2系統wBruCon(ConまたはCと略記)およびwBruOri(OriまたはOと略記)について、上記3レベルからの感染の実態を調べた。

第2章 アズキゾウムシの地理的個体群におけるWolbachiaの多重感染の蔓延

 アズキゾウムシが属するマメゾウムシ科で、アズキゾウムシを除く12種20系統について診断PCRを用いて調べた結果、全てWolbachiaに非感染であった。次に、診断PCRにより旧大陸各地9力国26地域76個体のアズキゾウムシについてWolbachia感染の有無を調べたところ、72個体が3系統のwsp遺伝子配列を全て持ち、三重感染(ConとOriの二重感染と、宿主核に水平転移している可能性の高いAusの保有)が非常に広範な地域にわたり見られることがわかった。さらに、日本の9地域個体群410個体において3系統のwsp遺伝子の頻度を調べたところ、3系統とも保有する系統が90%以上と圧倒的に高い頻度を示した(図1)。従って、アズキゾウムシには非常に高い頻度で、広範な地域において多重感染が蔓延していることが明らかになった。

第3章 Wolbachia感染がもたらす宿主の適応度コストと細胞質不和合性

 感染タイプ別(宿主が持つWolbachia系統の組合せ)に、産卵数や羽化数などの適応度成分の比較を行った。宿主の遺伝的背景を揃えた異なる感染タイプの系統を確立し、適応度成分の比較を行ったところ、二重感染(感染タイプ:CO)<非感染<単一感染(C)の順に適応度が有意に高いことがわかった。よって、Conの単一感染は宿主適応度の利益になる可能性が示唆された。一方、Oriが加わった多重感染になると宿主の適応度に対し負の効果が大きいことが示唆された。

 次に、各Wolbachia系統によるCIの程度を、交配実験において産下された卵の孵化率によって調べた。その結果、Conは孵化率0%の完全なCI、Oriは中程度(孵化率60%)のCI、そしてAusはCIを示さなかった。よって、各Wolbachia系統がそれぞれ異なる強さのCIを示すことがわかった。

第4章存在量からみたWolbachia系統間の相互作用

 体内におけるWolbachia系統間の相互作用の有無を、Wolbachiaの存在量(定量PCRにより測定したwspコピー数)の比較から調べた。日本9地域個体群で採集した感染タイプCOA個体における存在量は、いずれの個体においてもConとOriが107〜108コピーであるのに対し、Ausはその1/10である106〜107コピーと非常に少ないことがわかった。次に、同じく宿主一個体におけるConの存在量を、Oriとの二重感染時(CO)とOriのいない単一感染時(C)で比較した。すると、単一感染個体において、Conの存在量は二重感染時に比べて有意に増加し、その増加分は二重感染におけるOriの存在量と同じか、それを上回る量であることがわかった。よって、二重感染個体におけるConは、Oriの存在量の分以上にその存在量が抑制されていることが示唆された。さらに、二重感染(CO)におけるWolbachiaの体内分布を系統別に調べた。すると、体細胞系列の組織・器官ではConが、生殖細胞系列においてはOriが、それぞれ全Wolbachia量に占める割合を伸ばすことがわかった。これらの知見から、ConとOriは宿主体内の存在量において何らかの制御を受けていること、また、相互作用をしていることが示唆された。

第5章 Wolbachiaから宿主X染色体への遺伝子水平転移

 アズキゾウムシから発見された3系統のwsp遺伝子配列のうち、Ausは、CIを示さないことや宿主体内における遺伝子コピー数が少ないなどの特徴を持つことが本研究で示された。そこで、さらにAusに注目し、まず、三重感染の宿主(COA)に抗生物質処理を行ったところ、他の2系統は1世代の抗生物質処理で容易に除去されたが、Ausは5世代にわたる処理でも除去されなかった。次に、Ausを持つ個体と持たない個体を用いた正逆交配実験により、宿主子孫に伝わるAusの遺伝様式を調べた。その結果、Ausの遺伝様式は宿主X染色体との伴性遺伝と一致することが示された(図2)。アズキゾウムシの核型はXY型であることが既に確認されており、これらの知見を総合すると、Ausは細菌であるWolbachiaとしての実体を持たず、宿主のX染色体上に存在する遺伝子断片である可能性が示唆された。また、共同研究者の実験からも、Ausからの宿主X染色体への遺伝子水平転移が結論された。本研究は、原核生物から真核生物へのゲノム遺伝子の水平転移を示した初の報告例である。

第6章 総合考察

 本研究における宿主体内レベル、宿主個体レベル、宿主集団レベルという3つの視点からのWolbachia多重感染の実態の総合的な把握は、これまでに例がない。本研究により、アズキゾウムシにおいては、宿主体内においてWolbachia同士が相互作用をしていること、感染タイプ・Wolbachia系統によって宿主適応度やCIの強さに与える影響が異なることが明らかになり、多重感染の複雑さが改めて示された。なぜアズキゾウムシにおいて多重感染が蔓延したのかを解明するには、さらにOriの単一感染系統を確立して宿主への影響を調べたり、宿主と共生細菌の相互作用の現実性を取り込んだシミュレーション解析などが必要となるだろう。

 また、本研究が初の報告例となった原核生物から真核生物へのゲノム断片の水平転移は、異なる生物間において遺伝子がやり取りされる可能性を大きく示唆した。水平転移のメカニズム解明に向けた更なる研究は、生物進化に関わるあらゆる生物分野のみならず、生物工学などの応用分野にも影響を与えるだろう。

図1:アズキゾウムシの日本野外個体群におけるWolbachia感染頻度

図2:wBruAusの遺伝様式

審査要旨 要旨を表示する

 昆虫とその体内に共生する微生物の関係は、相利共生から寄生まで様々である。昆虫─共生微生物系の成立や維持機構の解明は、宿主─寄生/共生系における相互作用の共進化に対して、より深い理解を与える。近年、昆虫の細胞内共生細菌として注目されているWolbachiaは、卵を介した垂直感染のみによって伝わり、宿主の生殖や性表現を操作することで、宿主集団中に蔓延する。Wolbachiaの利己的戦略の中で、特に頻繁に見られるのは細胞質不和合性という生殖操作で、Wolbachiaに感染した雄と非感染の雌の交配では産下された卵が全く孵化しないか、孵化率が低下し、これによりWolbachia感染が宿主集団中に広まる。

 さらに、最近報告され始めた%Wolbachiaの多重感染は特に興味深い。それは、異なるWolbachia系統を持てば持つほど、細胞質不和合性の点では有利になると思われるが、一方では、多くのWolbachia系統を保持すればするほど宿主に負担がかかり、宿主の適応度が低下する、という「多重感染のジレンマ」が想定されるからである。このような背景をもとに、本研究は、実験個体群のモデル生物として知られるアズキゾウムシに異なる3系統(Con、Ori、及びAus)のWolbachiaが細胞内共生している現象を見出し、この多重感染の実態を、宿主個体群/宿主個体/宿主体内の3レベルにおいて総合的に研究したものである。

 第1章は研究の背景と目的を述べた緒言であり、それに続く第2章では、アズキゾウムシの地理的個体群におけるWolbachiaの多重感染の蔓延について調査している。3系統のWolbachiaにそれぞれ特異的なwsp遺伝子プライマーによる診断PCRを用いて調べた結果。アズキゾウムシ以外のマメゾウムシ類はすべてWolbachiaに非感染であった。また、アジア。アフリカ大陸9力国26地域のアズキゾウムシは95%が三重感染であり、さらに、日本全国9地域個体群でも三重感染が90%以上と極めて高い頻度を見出している。アズキゾウムシでは多重感染が非常に高頻度かつ広範な地域において蔓延していることが明らかになり、これほどの事例は他に類を見ない。

 第3章では%Wolbachia感染がもたらす細胞質不和合性の強さについて、交配系を組んで、産下された卵の孵化率により調べている。その結果、Con系統は孵化率0%の完全な不和合、Ori系統は孵化率60%の中程度の不和合を示し、Aus系統は不和合を示さなかった。このように、同時に共感染している各Wolbachia系統が異なる強さの細胞質不和合性を示しているという報告は、極めて興味深い。

 第4章は、Wolbachiaから宿主X染色体への遺伝子水平転移の発見である。アズキゾウムシから見出された3系統の曜ρ遺伝子配列のうち、Ausは細胞質不和合を示さず、数世代にわたる抗生物質処理でも体内から消滅せず、宿主体内における遺伝子コピー数が卵の初期発生期では特に少ない、などの特徴を持つ。そこで、Ausを持つ個体と持たない個体を用いた正逆交配実験により、宿主子孫に伝わるAus系統の遺伝様式を調べたところ、Ausの遺伝様式は宿主X染色体と連鎖した伴性遺伝と一致することが示された。これは、卵を通じた垂直感染のみが知られているWolbachiaの常識を覆す発見である。アズキゾウムシの核型はXY型であることが既に確認されており、これらの知見を総合すると、Ausは細菌としての実体を持たず、宿主のX染色体上に存在する遺伝子断片であること、すなわちAusからの宿主X染色体への遺伝子水平転移であると結論している。

 第5章ではWolbachia感染による宿主適応度への影響を定量的に評価している。宿主が持つWolbachia系統の組合せを様々に変えて、産卵数や羽化数などの適応度成分の比較を行った。その結果、Con-Oriの二重感染は、単一感染(Con)や非感染系統よりも適応度が有意に低いことが分かり、「多重感染のジレンマ」が定量的に示された。また、第6章では、宿主体内におけるWolbachia系統間の相互作用の有無を、Wolbachiaの存在量(定量PCRにより遺伝子コピー数を測定)の比較から調べている。感染タイプCon-Ori-Aus個体における存在量は、いずれの個体においてもConとOriの遺伝子コピー数に比べて、Ausはその1/10程度であった。また、Conが単一感染時の存在量は、Oriと共にいる二重感染時に比べて有意に増加し、その増加分は二重感染におけるOriの存在量を上回る量であることを明らかにした。すなわち、二重感染では、Oriの存在量の分以上にConの存在量が抑制されており、干渉や他感作用が示唆される。このような体内での細胞内共生者の系統間相互作用を定量的に示したのは、本研究が初めてである。第7章は、全体を通した結語である。

 本博士論文は、宿主個体群レベル/宿主個体レベル/宿主体内レベルという3つの視点からの、単一昆虫種における%必θ面∫a多重感染の実態の総合的な研究であり、隔心θ訪fa研究の国際的水準を大きくリードするものである。本研究により、アズキゾウムシにおいては、宿主体内において防ノ加。毎θ同士が相互作用をしていること、防函館hf∂の系統やその組み合わせによって、宿主の適応度や細胞質不和合性の強さに与える影響が異なることが明らかになり、多重感染の実態の理解に大きく貢献した。特に、本研究(第4章)が世界初の報告例となった原核生物から真核生物へのゲノム断片の水平転移は米国科学アカデミー紀要に掲載され、内外の科学ニュースで広く取り上げられた。これらの研究成果を総合的に判断して、審査委員会は全会一致で、本論文を博士(学術)の学位に相応しいものであると認定した。

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