学位論文要旨



No 117793
著者(漢字) 土田,努
著者(英字)
著者(カナ) ツチダ,ツトム
標題(和) エンドウヒゲナガアブラムシAcyrthosiphon pisum自然集団における内部共生細菌の維持機構に関する生理生態学的研究
標題(洋) Ecological and physiological studies on mechanisms for maintenance of endosymbiotic bacteria in natural population of the pea aphid, Acyrthosiphon pisum
報告番号 117793
報告番号 甲17793
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第429号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 教授 ��橋,正征
 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 産業技術総合研究所 主任研究官 深津,武馬
内容要旨 要旨を表示する

 微生物を体内に取り込んで密接な共生系を構築するという内部共生は、多くの生物に普遍的に見られる現象である。そのなかでも、エンドウヒゲナガアブラムシ(Acyrthosiphon pisum)は多種多様な内部共生微生物系を発達させており、内部共生進化研究の優れたモデル生物と考えられる。すべてのA.pisumは、宿主の生存・繁殖に必須の共生細菌Buchneraを体内に保有することが知られている。さらに一部の個体は、Buchneraに加え、二次的に獲得された多種多様な共生細菌(二次共生細菌)を保有している。二次共生微生物が宿主に必須ではないのにも関わらず集団中に広く存在しているという事実から、宿主集団中に共生微生物が維持されるメカニズムは何か、という内部共生の進化生態学における重要な問題が提起される。

 そこで本研究では、内部共生細菌の自然集団中での維持機構を明らかにすることを目的として、調査、観察、および実験をおこなった。野外集団における二次共生細菌の感染実態

 二次共生細菌が野外集団中にどのような機構で維持されているのかを理解するための出発点として、野外での感染実態を把握しておくことが必要である。まずは、どのような共生細菌が日本集団に存在しているかを明らかにするため、本州のほぼ全域をカバーする81地点から採集した119単一雌由来系統を材料に、特異的PCR法を用いて大規模なスクリーニングを行なった。検出対象としては、これまでにエンドウヒゲナガアブラムシから発見されている5種類の二次共生細菌(PASS,Rickttsia,Spiroplasma,PAUS,PABS)に加えて、アブラムシからは発見されていないものの様々な昆虫の共生細菌として知られているWolbachiaおよびArsenophonusを選定した。その結果、4種類の二次共生細菌(PASS,PAUS,RickttsiaおよびSpiroplasma)がエンドウヒゲナガアブラムシ日本集団から検出された。そこで、それら4種類の二次共生細菌を対象に、本州の43地点で、より詳細な解析をおこなった(20個体/地点)ところ、興味深いことに4種類の二次共生細菌は、それぞれ特徴的な集団内感染頻度および地理的分布を持っていることが示された。そのパターンは、PASSは全国に高頻度、PAUSは北日本に集中的に高頻度、RickttsiaおよびSpiroplasmaは関東以南に低頻度というものであった。

二次共生細菌の地理的分布に関与する環境要因

 感染実態の調査から、PAUSは実に興味深い分布のパターンを持っていることが示された、そこでPAUSに焦点を絞って、この共生細菌の分布の規定に関与している環境要因を明らかにしょうと試みた。PAUSの感染頻度と相関が高い環境要因を明らかにする目的で共分散分析をおこなったところ、PAUSの感染頻度と環境要因との間に有意な相関が検出された。そして、PAUSの感染頻度は、シロツメクサ上で高頻度になる、年平均気温が低い地点で高頻度になる、また年平均降水量(湿度)が少ない地点で高頻度になるという傾向が示された。共分散分析によって抽出された3つの候補のうち、どの要因が実際にPAUSの維持にかかわっているのかを野外データに基づいて推察しようと、同一地点の異なる寄主植物上で、気温および降水量の変化に伴うPAUSの頻度変化を調査した。その結果、PAUSはシロツメクサ上でのみ高頻度で推移しており、気温や降水量の変化に対してはほとんど相関が見られず、この傾向は調査した3地点の全てで観察されな。このことから、寄主植物の種類がPAUSの維持にもっとも影響を与えているらしいことが示唆された。

PAUSの微生物学的実態

 PAUSは、これまで16SrDNA配列によって認識されているに過ぎず、微生物学的な実態はほとんど明らかにされていない。そこで、PAUSの形態、宿主体内での局在、微細構造、および感染能力が調査された。蛍光in Situハイブリダイゼーション(FISH)を用いた解析によって、PAUSは主に、一次共生細菌Buchneraが存在する菌細胞の周辺部の鞘細胞、および体液中に存在していることが明らかになった。このBuchneraとの空間的に密接な局在は、必須共生細菌と二次共生細菌のあいだで様々な生物間相互作用が生じていることを示唆している。Mた、感染個体の体液を非感染個体に注入することでPAUSの感染能力を調査したところ、PAUSは体液注入9日後から次世代に伝わり始め、13日後以降に産まれてきた仔は全てPAUSに感染していた。感染したPAUSは安定して垂直伝播し、24世代後にも安定して保持されていた。これらの結果から、PAUSは垂直感染の他に水平伝播する能力をも有していることが示唆された。

異なる寺主植物上におけるPAUSの宿主適応度に及ぼす影響

 シロツメクサ上でPAUSが高頻度に維持されている機構として、PAUSの感染がシロツメクサ特異的に宿主アブラムシの適応度を上昇させている可能性が考えられる(PAUS感染による寄主特異的適応度上昇仮説)。

 この仮説を検証するためには、宿主の遺伝的背景による影響を除いてPAUSによる影響だけを評価できる実験系が必要である。そこで抗生物質処理により、宿主に必須の一次共生細菌Buchneraには影響を及ぼさずに、PAUSを選択的に除去する技術を開発した。エンドウヒゲナガアブラムシは単為生殖によって増殖するため、この方法の適用によって宿主の遺伝的背景はまったく均一でPAUSの有無だけが異なる系統を作成することができる。これらの系統について、カラスノエンドウとシロツメクサという野外における2種の主要な寄主植物上における、体重、産仔数、寿命といった各種の適応度指標を調査した。カラスノエンドウ上においてPAUS感染個体は、非感染個体よりも産仔数が若干増加する傾向を示した。一方、シロツメクサ上におけるPAUS感染個体の産仔数は、非感染個体よりも劇的に増加し、総産仔数では約2倍もの差が現れた。これらの結果は、"PAUS感染による寄主特異的適応度上昇仮説"を支持し、シロツメクサ上での感染個体の維持にはPAUSの生物機能が大きく関与していることが示唆された。

総合考察

1)維持機構および地理的分布の形成

 PAUSのシロツメクサ特異的な維持メカニズムは、次のように考えられる。PAUSは、シロツメクサ上で特異的に宿主の適応度を大きく上昇させる。そのため、シロツメクサ上ではPAUSの頻度は増加する。一方、カラスノエンドウ上では、PAUS感染は宿主の適応度を若干増加させるにとどまるため、中頻度でPAUSは維持されることになる。

 しかし、たとえシロツメクサ上の個体からでも、PAUSは南日本では検出されなかった、この理由としては、PAUSの地理的分布は、侵入、分散の歴史を反影しているということが考えられる、もう一つの可能性として、PAUS感染個体の適応能力は、南日本では(相対的に)減少するのではないかということが考えられる。適応能力の減少に影響を与えている環境要因としては、高温、高降雨量の存在が本研究の結果から想定される。またこれまでに、別の種類の二次共生細菌PASSが、高温条件下で宿主の適応度を上昇させるという報告がなされている。この報告から、PASS感染虫がPAUS感染虫を南日本のシロツメクサ上から競争的に排除しているという可能性も生じる。現時点ではどれがもっとも適当であるのかは定かではない。今後、実験的に明らかにしていく必要があるだろう、2)植物一昆虫相互作用系および進化に与える内部共生細菌の影響

 本研究で得られた結果から、宿主にとって好適な植物が、PAUS感染の有無によって、変化してしまうという非常に興味深い現象が示された。このことは、共生微生物が昆虫の寄主植物特異性(成長、繁殖、そして生存の効率などが寄主植物の種類に応じて異なるという性質)に大きく関与する場合があることを意味している。二次共生細菌が、寄主特異性に関与しているというのは本研究が初めての報告である。本研究(第4章)でも示されたように、PAUSは水平感染をたびたび起こしていると考えられる、そのことは、寄主植物への適応、寄主植物範囲の拡大、さらにはホストレースの誘導が、宿主昆虫の遺伝的変異を全く伴わずに、共生微生物の水平感染によって生じうることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

 微生物の内部共生は、多くの昆虫に普遍的に見られる現象である。そのなかでも、エンドウヒゲナガアブラムシ(Acyrthosiphon pisum)はそれを発達させていて、すべてがアブラムシの生存・繁殖に必須の共生細菌Buchneraを体内に保有することが知られている。さらに一部の個体は、Buchnera加え、二次的に獲得された多種多様な共生細菌を保有している。この二次共生細菌はアブラムシに必須ではないが集団中に広く存在しているという事実から、アブラムシ集団中に共生微生物が維持されるメカニズムは何か、という進化生態学における重要な問題が提起される。そこで本研究では、二次内部共生細菌の自然集団中での維持機構を明らかにすることを目的として、調査、観察、および実験を行っている。

 まず、どのような共生細菌が日本集団に存在しているかを明らかにするため、本州のほぼ全域をカバーする81地点から採集した119の単一雌由来系統を材料に、特異的PCR法を用いて大規模なスクリーニングを行なっている。その結果、4種類の二次共生細菌(PASS,PAUS,RickettsiaおよびSpiroplasma)をエンドウヒゲナガアブラムシ日本集団から検出している。さらに、それらを本州の43地点で、より詳細な解析を行い、4種類の二次共生細菌は、それぞれ特徴的な集団内感染頻度および地理的分布を持っていることを明らかにしている。そのパターンは、PASSは全国に高頻度、PAUSは北日本に集中的に高頻度、RickettsiaおよびSpiroplasmaは、関東以南に低頻度というものであった。

 そこでPAUSに焦点を絞って、この共生細菌の分布の規定に関与している環境要因を明らかにすることを試みている。重回帰分析をおこなったところ、PAUSの感染頻度と環境要因との間に有意な相関が検出している。そして、PAUSの感染頻度は、シロツメクサ上で高頻度になり、年平均気温が低い地点で高頻度になり、また年平均降水量(湿度)が少ない地、無高頻度になるという傾向が示めされている。重回帰分析によって抽出された3つの候補のうち、どの要因が実際にPAUSの維持にかかわっているのかを野外データに基づいて推察しようと、同一地点の異なる宿主植物上で、気温および降水量の変化に伴うPAUSの頻度変化を調査している。その結果、PAUSはシロツメクサ上でのみ高頻度で推移しており、気温や降水量の変化に対してはほとんど相関が見られず、この傾向は調査した3地点の全てで観察している。このことから、宿主植物の種類がPAUSの維持にもっとも影響を与えているらしいと考察している。

 PAUSは、これまでその微生物学的な実態はほとんど明らかにされていない。そこで、PAUSの形態、アブラムシ体内での局在、微細構造、および感染能力を調査している。蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)を用いた解析によって、PAUSは主に、一次共生細菌Buchneraが存在する菌細胞の周辺部の鞘細胞、および体液中に存在していることを明らかにしている。このBuchneraとの空間的に密撚局在は、必須共生細菌と二次共生細菌のあいだで様々な生物間相互作用が生じていることが示唆される。また、感染個体の体液を非感染個体に注入することでPAUSの感染能力を調査したところ、PAUSは体液注入9日後から次世代に伝わり始め、13日後以降に産まれてきた仔は全てPAUSに感染していた。感染したPAUSは安定して垂直伝播し、24世代後にも安定して保持されていた。また、PAUSは垂直感染の他に水平伝播する能力をも有していることを明らかにしている。

 シロツメクサ上でPAUSが高頻度に維持されている機構として、PAUSの感染がシロツメクサ特異的にアブラムシの適応度を上昇させているという宿主特異的な適応度上昇仮説を提出している。この仮説を検証するために、抗生物質処理により、アブラムシに必須の一次共生細菌Buchneraには影響を及ぼさずに、PAUSを選択的に除去する技術を開発している。そして、カラスノエンドウとシロツメクサという2種の主要な宿主植物上における、アブラムシの体重、産子数、寿命といった各種の適応度を指標にして調査している。カラスノエンドウ上においてPAUS感染個体は、非感染個体よりも産子数が若干増加する傾向を示した。一方、シロツメクサ上におけるPAUS感染個体の産子数は、非感染個体よりも劇的に増加し、総産子数では約2倍もの差が現れた。これらの結果は、"PAUS感染による宿主特異的な適応度上昇仮説"を支持し、シロツメクサ上での感染個体の維持にはPAUSの生物機能が大きく関与していると考察している。

 本研究で得られた結果から、アブラムシにとって好適な植物が、PAUS感染の有無によって、変化してしまうという非常に興味深い現象が明らかとされている。この結果は、共生微生物が昆虫の宿主植物特異性に大きく関与する場合があることを意味していて、本研究が初めての重要な報告である。よって、本研究は博士(学術)の学位を授与するに相当するものと審査委員会は認める。

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