学位論文要旨



No 117796
著者(漢字) 井上,亮太郎
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,リョウタロウ
標題(和) 空洞共振器摂動法の測定技術
標題(洋)
報告番号 117796
報告番号 甲17796
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第432号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 助教授 加藤,雄介
 東京大学 助教授 前田,京剛
 東京大学 助教授 花栗,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

 空洞共振器摂動法はマイクロ波・ミリ波領域における物質の電磁波応答を測定する一方法である。空洞共振器中に微小な試料を挿入し、引き起こされる共振周波数と〓値の変化から挿入した試料の複素誘電率もしくは複素透磁率を求めることができる。共振器中の定在波を考慮して電場もしくは磁場のアンチノードの位置に試料を挿入し、これをそれぞれE測定及びH測定と呼ぶことにする。データはΔω/ωo=Δ〓-〓Δ(1/2〓)のように定義された複素共振周波数シフトとして得られる。ここで記号Δは試料挿入時と非挿入時(ブランク)の差をとることを表している。複素共振周波数シフトから試料の複素誘電率もしくは複素透磁率を抽出する作業を、データ解析と呼ぶことにする。空洞共振器摂動法は非接触の測定法であるためにこのデータ解析が測定上きわめて重要になってくる。空洞共振器摂動法のデータ解析は、ひとことで言えばMaxwell方程式の固有値逆問題である。そして次に示すような所謂Waldronの摂動公式が基本的であるとこれまで考えられてきた。

 ここで(E0,H0)はブランク共振器の電磁場分布、(E,H)は試料挿入時の電磁場分布である。またε及びμはそれぞれ試料の複素誘電率、複素透磁率を表している。しかしこの摂動公式の適用限界がどこにあるのかはっきりしていなかった。そこで本研究ではMaxwe11方程式の厳密解が得られるDouble Sphereモデルについて調べた。

 図1にDouble Sphereモデルを示す。完全導体でできた球形空洞共振器の中央に等方性物質からなる球形試料が挿入されている。試料の複素誘電率ε、複素透磁率μ、試料と共振器のサイズ比ξ=6/αは自由に変えることができる。また固有モードを選択することによってE測定H測定両方について調べられる。

 図2にE測定における複素共振周波数シフトの厳密解と球状試料に対してこれまでに知られている幾つかのモデルによる近似解を示す。ξが十分に小さい時には全ての近似解は厳密解と一致しているが、現実の実験に使われるξの範囲である0.01から0.1では、これまでに知られていたChamplin-Krongard-Cassimirモデル及びInoue-Tompkin-Spencerモデルは何れも厳密解からかなりずれている。これに対して厳密解をサイズ比ξに関して0(ξ5)まで摂動展開して得た次の公式は現実の実験に使われるξの範囲でかなり厳密解をよく近似できている。

 ここで〓は所謂cavity constant、PEは補正因子である。これまでに知られていたモデル計算は何れもWaldronの摂動公式に基づいており、摂動公式が現実の実験に対応するξの範囲で破綻しかかっていることが示された。Double Sphereモデルで厳密に求められる共振周波数シフトを使ってこれまで知られている近似公式の精度を逆解析の視点から定量的に議論できる。図3に示す通り試料の表皮深さが試料サイズに比べて十分に大きいと考えられる反分極領域の解析公式によって得た複素誘電率の実部と虚部をそれぞれの真の値と比較した。まず虚部(電気伝導度)の解析は試料内波数の虚部と試料サイズの積k"αが1より大きいところで一様に破綻している。またζが0.1に近づくとWaldronの摂動公式の破綻によって1より小さいk"αでも測定誤差が大きくなる様子が見てとれる。次に実部の解析の方を見るとε〓ε"で出現する所謂Depolarization Peakより電気伝導度が増加すると周波数シフト□〓/〓0の符号の変化に伴って解析が破綻することが分かる。このように同じ公式の実部と虚部であってもその適用条件に違いがあることが分かった。

 上に示した新しい公式における0(ξ5)の効果の物理的起源について考えることによって空洞共振器摂動法の全く新しい近似方法が明らかになった。これまで空洞共振器摂動法の摂動パラメータは試料と共振器の体積比、ξ3であると考えられてきたが、これに従えば摂動展開の次の項はξ6になるはずである。このO(ξ6)の効果は例えば試料で散乱された電磁場が共振器の壁で再び散乱される効果を含んでおり、試料近傍の電磁場のみを考慮しても決めることができないという意味で、大域的である。これに対して新しく現れた0(ξ5)の効果は局所的であり、試料近傍の電磁場のみから決定することができる。即ち上の球状試料に関する公式は共振器の形状が球でなくても正しい。

 そこで本研究では引き続き空洞共振器摂動法のデータ解析に散乱問題を応用する手法の研究を行った。まず、ブランク共振器の電磁場分布を調べて、試料挿入位置の近傍では測定する側の場(E測定における電場、H測定における磁場)のアンチノードが測定しない側の場(E測定における磁場、H測定における電場)のラインノード上にあるという共通の特徴に注目し、試料にかかる外場を4つの平面波の重ね合わせとして近似した。そしてRayleigh散乱において用いられる波数によって電磁場を展開するStevensonの展開を空動共振器摂動法に応用した。その結果表皮深さが試料の曲率半径に比べて十分小さいと考えられる、所謂表皮深さ領域においては幾何学的な効果を完全にO(ξ5)の精度で計算できることを示した。また等方性物質についてはWaldronの摂動公式に替わる新しい0(ξ5)の精度の公式を提唱した。これによってデータ解析の精度が向上するのみならず、複雑な形状の物質や異方性物質の測定に散乱問題を応用し電磁波解析シミュレーションが利用できる可能性が出てきた。

 次いで異方性物質におけるデータ解析の問題に取り組んだ。空洞共振器摂動法を用いての異方性物質の測定は古くから行われているが、その解析手法の妥当性について定量的に論じた研究はほとんどない。(株)エー・イー・ティー・ジャパンの協力によって3次元電磁波解析シミュレータMW-STUDIO(ver.4)の固有値ソルバによって一軸的異方性を持った誘電体の応答について調べた。直方体試料の形状、かけた交流電場に平行な方向と垂直な方向の複素誘電率を変化させて計算を行った。

 図4は等方性物質の場合で規格化した周波数シフトである。また図5は平行・垂直軸方向の〓値比例係数の比で、各軸方向の電気伝導度がもし同じであった場合のエネルギー散逸の比を表している。これらを見ると異方性の効果は共振周波数に対して約3%、〓値に対しては各軸方向の電気伝導度の大きさによるがおよそ1%以下であるということができる。また〓は直方体試料の形状をあらわすパラメータであり、〓=0.1の平板状試料や〓=10の針状試料に比較して〓=1.0程度の立方体に近い直方体の場合が一番異方的な効果が大きいと分かった。これは直方体試料の形状がもっとも楕円体からずれる場合であることを反分極係数の実効値から調べた。低誘電率領域では特に応答が激しく変化していて、これは楕円体と見なして解析を行う従来の方法が破綻している可能性を示唆する。最後にデータ解析の研究によって得られた知見を活かし新しい空洞共振器摂動法の測定システム開発に取り組んだ。寒剤非接触型の超伝導空洞共振器による高精度・高安定の測定システムを目指し、E測定に円柱型空洞共振器のTE111、モードというこれまでに使用してこなかったモードを使った。

審査要旨 要旨を表示する

 固体物性の研究を進める上で、物質のマイクロ波・ミリ波領域(1GHzから100GHzの周波数)における複素誘電率や複素透磁率を知ることは、極めて重要で基本的な要素である。低次元電子系や超伝導体を始めとして多くの新規物質が開拓されつつある昨今、超伝導体中の磁束ダイナミクスや低次元電子系および強相関電子系の電荷ダイナミクス等を解明するための手段として、その重要性は近年ますます高まっている。このような高周波複素誘電率または複素透磁率を決定する測定方法として、古くから最も広く利用されているのが、本論文が研究対象とする空洞共振器摂動法と呼ばれる方法である。この方法は、非定形の小さな試料を非接触的に測定できる、という際立った長所を有し、多くの物質にとって他に代替のきかないほぼ唯一の可能な測定方法である。ところが、測定結果(共振周波数のずれと共振Q値の変化)を物性的知見(複素誘電率または複素透磁率)に結びつける際に用いる近似的な解析方法の体系が確立していない、という問題を内包していた。数値計算による電磁場解析がいまだ現実の試料に適用できる段階に至っていない現在、測定者は実験条件に応じて近似公式を選び、その近似が成立することを期待して物性を議論せざるを得なかった。その際、近似が破綻しているかどうかを判定すべき客観的指針が存在しない、という点が根本的な問題であった。そのため、特に物性が温度や磁場等の物理パラメーターで大きく変化する場合、同一の測定結果から大きな任意性をもって異なる物理的解釈を導くことが可能となり、それが研究の前線にしばしば混乱した議論をもたらす、という弊害が広く存在した。

 本論文は、共振器摂動法による解析方法の体系化を試みることにより、上記の状況に光明の糸口を与えることを意図している。その成果の第1は、ある条件での厳密解を初めて導いたことである。それをもとに従来の近似方法を点検し直し、それらの適応限界を明らかにした。第2に、厳密解からO(ξ5)公式と呼ばれる新しい表式を導出したことである。この新たな公式は従来の全ての近似公式のなかで最良の近似を与える。第3に、散乱問題との対比により、空洞共振器の壁からの反射波の効果を含めない摂動法の範囲内では、O(ξ5)公式以上の精度を持つ近似公式が存在し得ないことを明らかにしたことである。これらの結果を纏め、本論文は空洞共振器摂動法に対して現時点での最も体系的で徹底した理解を与えている。その結果、広く用いられているこの測定方法の正当な適用方法が初めて明確に示されたが、そのことは、物性研究の進展全般に対して潜在的な寄与が大きいと認められる。

 本論文は5章からなる。第1章は序論で、データ解析のあらましと具体的測定例における問題点を指摘し、本論文の目的を記述している。第2章は球形空洞の中心に球状試料を置くモデル(Double Sphereモデル)を取り上げて厳密解を求めている。無限小伝導度の極限で成立する「反分極領域」の公式と、逆に、無限大の伝導度極限で成立する「表皮深さ領域」での公式が存在したが、厳密解を試料の空洞に対する相対的大きさ,ζ,をパラメータとして摂動展開することにより、それら既知の公式がパラメータξ,の3乗項までの近似公式であることを示した。また、従来の議論の一般的基礎となっていたWaldronの摂動公式が、実は「反分極領域」以外には適用不可能であることを明らかにしている。さらにξ,の5乗項まで取り入れた新たな公式(O(ξ^5)公式)を導き、そこにおけるξの5乗項が電場(磁場)による測定の際の、(試料の有限サイズによって)消失しきらない磁場(電場)による効果であること、また、摂動的取り扱いの範囲内では0(ξ^5)公式が期待し得る最良の近似公式であることを議論している。さらに、具体的実験との関連を議論するために、誘電率の実部と虚部をそれらの公式を適用して求めたばあいの真の値からずれを、ζや複素誘電率の(真の)値をパラメータとして求めている。特に、上記両極限の中間には、全ての近似公式が破綻するかなり大きな中間的伝導度領域が存在することを示し、スピンラダー系銅酸化物の測定例を取り上げて具体的問題点を指摘している。また、誘電率の実部が大きい場合も、試料サイズが試料中のマイクロ波波長より大きくなるために従来の近似が完全に破綻することを計算で示し、TaS3、NbS3系の具体的測定例が含む問題点を指摘している。第3章はO(ξ^5)公式を一般形状の試料に拡張する意図で電磁波の散乱問題との関連を探求し、いくつかの試みを行っている。第4章では異方性物質と直方体試料につき、その効果を商業的な3次元電磁波解析シミュレータを用いて調べ、解析上の幾つかの問題点を指摘している。第5章は総括と結論を述べている。

 なお、本論文中の第2、3章の一部は、北野氏・前田氏との共同研究だが、論文の提出者が主体となって分析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術〉の学位請求論文として合格と認められる。

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