学位論文要旨



No 117798
著者(漢字) 久津輪,武史
著者(英字)
著者(カナ) クツワ,タケシ
標題(和) 量子ドットのマイクロ波・遠赤外光分光
標題(洋)
報告番号 117798
報告番号 甲17798
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第434号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 前田,京剛
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 氷上,忍
 東京大学 助教授 深津,晋
内容要旨 要旨を表示する

1.序論、目的

 最近、強磁湯中量子ドットをSET(Single Electron Transistor)としての性質を用いて遠赤外光単一光子検出が可能になった。

 半導体量子ドットはGaAs/AlGaAsヘテロ構造基板の界面にある2次元電子系(2DEG)を表面に蒸着した金属ゲートによって排斥して形成する。量子ドットに強磁場を印加するとランダウ準位に対応した領域(RingとCore)に分離する。ランダウ準位間に等しいエネルギーの光子(ω)を吸収すると、サイクロトロン共鳴励起によって電子・ホール対を生成し、電子とホールが空間的に引き離された状態となり分極状態を形成する。光子吸収による分極状態はコンダクタンスに変化を及ぼし、光子検出が可能になった。

 このような量子ドットによる高感度な光検出は、従来不可能であった単一量子ドットによる分光を可能にした。それは量子ドット自身の基礎物性を探ることに大きく貢献する。そしてより詳細な物性を探るために、また検出器としてより応用性の広いものにするために改良を行う必要がある。そこで本研究の目的は

i)量子ドットの高感度な光応答を用いて量子ドット自身の分光学的な基礎物性を探る。

a)サイクロトロン励起状態の緩和過程

b)プラズマ励起による光子検出機構

ii)単一光子検出器としての応用に必要な改良を行う

a)磁場なし二重量子ドットによるマイクロ波単一光子検出

b)RF-SETを用いた高速単一光子検出

 である。

 また、要旨では紹介しないが(本論文ではAppendix中)、並列二重量子ドットのコヒーレンス結合をマイクロ波分光によって観測した。

2.実験装置

 量子ドット試料は希釈冷凍機に装着し、約70mKに冷却して測定した。量子ドットに照射する遠赤外光・マイクロ波の発光源として、GaAs量子ホール効果素子、InSbのサイクロトロン発光(ωemit=eB/m*)を用いており、印加する磁場の強さによって発光波長を変えることができる。エミッタから出た光はライトパイプを通って量子ドット試料まで導いた。エミッタと量子ドットに印加するために二つの超伝導マグネットを用意し、エミッタ用のマグネットは冷凍機内部に組み込まれている。

 量子ドットのS-D間のコンダクタンス測定は、S-D間にAC電圧(25μV、1kHz)をかけて電流アンプ、ロックインアンプを通してPCで取り込んだ。この測定系の時間分解能は1ms程度である。

3.強磁場中量子ドットにおける遠赤外光分光

 従来、半導体量子ドットの分光学的研究は多数の量子ドットを規則的に並べた量子ドットアレイの遠赤外光透過スペクトルを測定する方法がとられてきたが、多数の量子ドットの平均化されたスペクトルしか測定することができなかった。また、サイクロトロン励起状態の再結合寿命は量子ホール効果素子のエッジ状態間でその平衡長から寿命が見積もられてきたが、このような測定では多数の電子がいっせいに流れた結果を見ており、単電子による変化を見ることができなかった。

3-1強磁場中量子ドットの遠赤外光スペクトラム

 量子ドットに印加する磁場を固定し、入射光子のエネルギーを変えてフォトン計測したスペクトルを測定すると明確な共鳴を示す。Fig1は3.4T〜4.2Tの各磁場においてスペクトルを測定し、スペクトルのピークを示す光子エネルギーをプロットしたものである。得られたスペクトルはいずれもサイクロトロン周波数より3〜5%大きなエネルギーをもつフォトンを吸収していることを示していることがわかる。このスペクトルが何を意味するのかは4章で述べる。

3-2サイクロトロン励起状態の寿命の磁場依存性

 コンダクタンススイッチングは量子ドットがサイクロトロン共鳴励起によって電子ホール対の分極状態を作ってから、緩和して再結合するまで寿命を現しており、再結合寿命を調べることによって量子ドット内の緩和過程を知ることができる。また、再結合寿命は光子検出器の動作速度を決める重要な要素である。

 量子ドットに印加する磁場による再結合寿命の変化を調べた(Fig2)。磁場の増加による寿命の振る舞いの特徴は二つある。一つは寿命は全体的に増加していき、B=4Tで寿命は1000秒に達する。二つ目は寿命は単調増加ではなくノコギリ波構造をもっている。またノコギリ波構造はコンダクタンスにステップが現れる位置と関係があることがわかる。つまり、Coreの電子数の変化と関係があることがわかる。

 ここでは、再結合寿命のこのような振る舞いが何によって決まっているのかを考えた。

 まず、長い再結合寿命が実現できるのは、量子ドット内で電子ホール対が空間的に大きく分離されているために、相互作用が弱く散乱確率が少ないからだと考えられる。そこでCoreとRing間の距離△Xに着目し、電子の波動関数の重なりの大きさを考えた。

 △Xは実験から得られたCore、Ringの電子数の磁場依存性とハートリー近似による数値計算から見積もった。また、不純物による効果は、Core付近にある70nm程度の大きさの不純物を仮定して2)式を計算すると、ノコギリ波構造や寿命の増加をよく再現する(Fig??)。また、これらの結果から、測定系の時定数を短くすることによって大きく波長範囲を広げることができると考えられる、

4.二重量子ドット

 序論で述べたような単一光子検出は強磁場を必要とするという点で、光子検出器は強磁場を必要とするという点で、光子検出器として実用化する場合に問題となる。そこで、磁場を必要としない二重量子ドットによる単一光子検出器を開発した。そして、ここで得られたスペクトルから量子ドットによるフォトンの検出機構を解明した。

 二重量子ドット(Fig.3)は量子ドットを横に二つ並べたもので、一つ(Dot1)はS-D電極と結合してSETとして働き、もう一つ(Dot2)はアンテナとして働くゲート電極と結合してマイクロ波領域の検出に使う。すなわち、Dot2がマイクロ波光子を吸収すると、Dot2から電子が一個逃げ出す。Dot2の電子数変化を静電的に結合しているSETのコンダクタンス変化として検出することで、マイクロ波領域の単一光子検出が可能になった。この磁場なし二重量子ドットによる単一光子検出器は、マイクロ波領域の波長λ〜500μm(ω=20cm-1)にスペクトルピークを持ち、雑音等価電力(NEP)は10-19〜10-21W/Hz1/2に達する。

 また、二重量子ドットで得られたスペクトルピークは、3-1で紹介した単一量子ドットの遠赤外光分光によるスペクトルのプラズマ振動とよく一致する。そこで量子ドットを形成している閉じ込めポテンシャルの形状を計算によって求めた。2DEGを形成する正電荷と金属ゲートが作る閉じ込めポテンシャルの形状はほぼ放物型の形状をしていることがわかった。放物型の閉じ込めポテンシャルをもつ電子系は座標分離することができ、重心座標の特性振動数(プラズマ振動数)は閉じ込めポテンシャルの形状と一致する(コーンの定理)。閉じ込めポテンシャルの特性振動数はω0=19.8cm-1となる。このことから、二重量子ドットによる励起過程はコーンモードプラズマ振動を介した一電子励起であることがわかった。

5.RF-SET

 3章で得られたスペクトルの測定可能な波長範囲は測定系の時定数1msで制限されている。より短い寿命をもつスイッチングが測定できれば波長領域は大きく拡張することができる。これを実現するために、RF-SET(Radio Frequency-SET)による遠赤外光領域の単一光子検出を行った。

 RF-SET測定系はSETをつないだLC共振器(タンク回路,Fig.4)からの反射波を測定することで、SETのインピーダンス変化を高速で観測することを可能にする。SETをLC共振器と組み合わせることでSETの高インピーダンスから逃れ、時間分解能が向上することが期待される。ここで、RF-SET測定の時間分解能を制限するのは、マイクロ波ノイズと増幅器のノイズである。これらに配慮したRF-SET測定系を用いてコンダクタンススイッチングの測定を行った結果、S/N比=1となる帯域幅は△f〜50kHz(τ〜6μs)であった。ここで得られた帯域幅は増幅器のノイズに起因しており、増幅器ノイズを十分に減らすことができれば2.5倍程度帯域幅を広げることができる。また、再結合寿命の測定を行い、従来の検出領域から波長30μm長い遠赤外光領域λ=244〜273μmの単一光子検出に成功した。

6.まとめ

 単一量子ドットによるマイクロ波・遠赤外光領域のマイクロ波分光を行い、量子ドットのサイクロトロン励起の緩和過程は再結合寿命の振る舞いから波動関数の重なりと不純物を介した音響フォノン散乱であることがわかった。さらに、その励起過程はコーンモードのプラズマ振動を介した一電子励起であることがわかった。

 また、光子検出器としての拡張も行い、二重量子ドットによるマイクロ波単一光子検出、RF-SETによる高速光子検出に成功した。

Fig.1

Fig.2

Fig.3

Fig.4

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章と付録からなり、第1章では序論として量子ドットの分光学的研究とこれまでに得られている成果として単一量子ドットの遠赤外光単一光子検出について述べられている。第2章は実験装置の説明にあてら、第3章では強磁湯中の量子ドットにおけるサイクロトロン励起状態の緩和過程が、励起状態の寿命の測定結果を元に考察している。第4章ではマイクロ波ノイズに関する対応と測定回路の改良によって得られた高速測定系を用いた高速単一光子検出について述べられている。第5章では二重量子ドットによるマイクロ波領域の光検出器について述べられている。第6章は本論文のまとめとなっている。最後に付録として、結合量子ドットのマイクロ波応答によるコヒーレント結合の観測について述べられている。

本論文の目的

 本論文では強磁湯中においた単一量子ドットを単一電子トランジスター(SET)として働かせて、遠赤外光領域の単一光子検出が可能になったことを基礎としている。そのうえで研究目的は2つあり、一つは強磁湯中量子ドットの単一光子レベルの光検出器として働く機能を利用した単一量子ドットそのものの分光学的研究を行いその基礎物性を探求すること、そして2つめの目的として、より綿密な量子ドット研究を行っていくために、あるいは検出器としての実用化に向けて単一光子検出器としての性能の向上させることである。

単一量子ドットの分光

 論文提出者はこの目的に沿って、単一量子ドットにおける励起、緩和過程に調べている。まず強磁場中量子ドットのサイクロトロン励起状態の寿命が印可する磁場に対してどのように振舞うのかを測定し、この測定によって従来の量子ドットの分光学的研究では調べることの出来なかったサイクロトロン励起した量子ドットの緩和過程ついて調べている。そして、再結合寿命そしてその特徴的な振る舞いを量子ドット内部の電子分布とその分布の変化との関連性から、緩和過程に関する一つのモデルを作り、そのモデルを用いて量子ドットの寿命の振る舞いを再現することに成功している。また、このようなモデルを作ったことで単一光子検出器としてその波長範囲を拡張するために必要な示唆も行っている。

 また量子ドットの励起過程を調べるために、強磁湯中単一量子ドットと二重量子ドットについて励起スペクトルを測定している。このような単一量子ドットによる励起スペクトルは従来の測定方法では得ることのできなかったものである。この単一量子ドット分光に成功したことで、量子ドットの分光学的研究は飛躍的にその精度を高めることができ、またより詳細な研究が可能になると思われる。ここでは得られた励起スペクトルについて定量的な解析が行われており、量子ドットの形成方法とその特徴的な閉じ込め構造を考慮したモデルを作成し閉じ込め構造に関する数値計算を行い、そのスペクトル構造を説明している。

測定系の高速化と新たな検出器

 一方、本論文は量子ドットを光子検出器として応用性を広げるために、測定系の改良と検出器そのものの改良について述べられている。測定系の改良では、量子ドット間の電気伝導度測定系の高速化を図り、その結果として検出可能な波長領域を広くすることを目的としている。そのために必要なマイクロ波フィルターとSETの高速読み出し回路の原理と作製について述べられている。高周波回路を用いると高周波信号と同時にマイクロ波ノイズを量子ドットに伝えてしまい、そのマイクロ波ノイズは量子ドットを単一電子トランジスターとして動作させるときに誤作動の原因となる。これを防ぐためは同軸ケーブルを伝わるマイクロ波を非常に強く減衰させ、かつ極低温で働くマイクロ波ノイズフィルターが必要である。ここで述べられているマイクロ波フィルターは従来考えられてきた同種のフィルターに比べると、マイクロ波の吸収効率がはるかに良くなるように設計がなされている。また一方で単一電子トランジスター動作を高速で読み取ることができる測定回路も作っている。このようにマイクロ波フィルターと高速読み取り回路が完成させたことによって単一光子検出を高速で行うことに成功し、それによって10μs以下の単一光子による応答を検出することを可能にした。またそれによって従来の測定系に比べて広い波長領域の単一光子検出に成功させている。この高速測定系が完成したことで、量子ドットの光子検出器を実用化に向けて、その特性も向上し、新たな検出器を作成する際に設計自由度も増した。

 また、量子ドットの検出器の改良として、二重量子ドットを用いた光検出の動作解析と測定系の改良が行われている。二重量子ドットは2つの量子ドットを並べたもので、その一つを単一電子トランジスターとして働かせて、もう一つの量子ドットによる光吸収の電子励起を観測するものである。その大きな特徴は磁場を必要とせず、また従来の検出器では不可能であったマイクロ波領域での単一光子検出を可能にするものである。しかし、これはマイクロ波領域の光を検出ができると同時に、冷凍機内にあるマイクロ波領域の光子が誤作動の大きな原因となる。そこでマイクロ波領域の光が試料に入射しないように、シー・ルドキャップやマイクロ波ッ吸収体を塗るなどのマイクロ波ノイズ対策を施した。この改良によって、二重量子ドットの測定において当初は光応答としてしか観測されなかった信号を、単一光子吸収による信号として観測することに成功さまた、量子ドット研究には、電子系の位相制御という流れがあり、結合量子ドットによるコヒーレント結合をマイクロ波トンネル分光によって観測を行ったことが付録に述べられている。ここではコヒーレントに結合した結合量子ドットの量子物性を探ることを目的としている。

 またこれまでコヒーレント結合が観測されたことのある直列結合量子ドットでは、将来その量子力学的な性質を利用した量子ビットに発展させるには不利な点がある。これを補うために並列結合量子ドットを用い、そのコヒーレント結合をマイクロ波分光によって観測することに成功し、その解析が行われている。

 このように、論文提出者は単一量子ドットをSETとして働かせることによって高感度な量子ドット分光の研究を行い、励起、緩和過程について探求を行っている。また、量子ドットを長波長光の単一光子検出器として利用するために改善を行ってきた。

結び

 なお、本論文中の第3、5章の一部はOleg Astafievとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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