学位論文要旨



No 117812
著者(漢字) 安部,航
著者(英字)
著者(カナ) アベ,コウ
標題(和) 大気上層部におけるμ、p、及びHeのエネルギースペクトラム
標題(洋) Measurements of μ, p and He Energy Spectra at Small Atmospheric Depths
報告番号 117812
報告番号 甲17812
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4283号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梶田,隆章
 東京大学 教授 坂本,宏
 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 助教授 瀧田,正人
内容要旨 要旨を表示する

 宇宙から飛来する一次字宙線中の陽子、ヘリウムなどは地球大気中で大気の原子核と衝突してシャワーを起こし、大気μや二次起源陽子、ヘリウムそして大気ニュートリノなどを生成する。この相互作用を正確に理解するためには、大気中の各高度におけるμ、陽子、ヘリウムなどの精密なエネルギースペクトラムを測定することが非常に重要である。スーパーカミオカンデ実験において観測されたニュートリノ振動をさらに詳細に解析するためには、大気ニュートリノ流束が精密に計算されている必要があり、その計算には大気と宇宙線との相互作用を正確に把握していることが不可欠である。

 大気中で生成されるミューオンはその生成、崩壊過程においてニュートリノの生成を伴うが、その崩壊確率とエネルギー損失はミューオンのエネルギーに強く依存する。従ってその絶対流束とエネルギースペクトラムの形が重要で、大気各高度においてこれらの粒子の精密な絶対流束とエネルギースペクトラムを測定し、その変化を知れば、大気ニュートリノ流束計算で使用されているモデルを検証し、計算の正確さを向上させることができる。

 大気各高度における宇宙線観測はこれまで、地上や山頂における測定、気球を用いた測定が行われており、長時間の測定が可能な地上や山頂(0km〜3km〕、気球到達高度(〜35km)では精度のよいデータが得られている。しかし、崩壊による効果が少なく、相互作用による効果を見る上で非常に重要となる大気圧で数10g/cm2から気球到達高度に至るまでの領域においては気球上昇中に測定される短時間のデータしか存在せず、そのため精度の高いエネルギースペクトラムはこれまで求められていなかった。

 BESS測定器を用いて2001年に行われた飛翔実験では、高度37km大気圧4・5g/cm2から27km、20g/cm2の高度領域においてl1.3時間に及ぶ長時間の観測を行なうことができた。本研究ではこの飛翔実験で高精度なBESS測定器を用いて測定された4.5g/cm2から20g/cm2の領域における大気ミューオン、陽子、ヘリウムのエネルギースペクトラムをもとに、大気ニュートリノ流束計算で用いられているシミュレーションから計算されるスペクトラムとの比較を行い、その計算の妥当性についての検証を行った。

 図1に示したBESS測定器は薄肉超伝導ソレノイドを使用した気球搭載型超伝導スペクトロメーターで、ソレノイドの採用により気球搭載型測定器としては、かつてない大面積・大立体角、一様な磁場を持つ。ソレノイドの内側、均一な磁場領域にはドリフトチェンバーが置かれ、粒子の飛跡を測定し、その運動量を高い精度で決定する。粒子の識別はこの運動量と、TOFホドスコープで測定される粒子速度から粒子の質量を同定する非常に確実な方法で行われる。また測定器は閾値型エアロジェルチェレンコフカウンターを備えており、陽子とμ、電子を広いエネルギー領域で識別することができる。さらに厚さ11,8mmの鉛板が下側のTOFホドスコープの上に搭載されており、TOFホドスコープで測定される粒子のエネルギー損失を用いて、ミューオンと電子を識別することが可能になっている。大面積・大立体角であることから大量のデータを測定することが可能で、統計誤差を小さくすることができる。ドリフトチェンバーでは複数の飛跡の検出も容易で測定器内で相互作用を起こした事象について確実に識別でき、また同軸円筒上に配置された検出器はその面積立体角を見積もることが容易である。これらの特徴から系統誤差についても非常に小さく抑えることが可能である。

 観測は2001年9月にアメリカニューメキシコ州のフォートサムナーで行なわれた。高度37km(大気圧4・5g/cm2)から27km(20g/cm2)での観測で、測定時間11.3時間、総事象数930万のデータを収集した。解析ではまず、上下のTOFホドスコープを通過しドリフトチェンバーの中で飛跡を一つだけ残した事象を選びだし、アクシデンタルな事象とわずかに存在する測定器内で相互作用を起こした事象を取り除く。選ばれた事象から粒子を識別するには、1/βと磁気硬度(magnetic rigidity)を用いて同定した質量と、上下のTOFホドスコープで測定される粒子のエネルギー損失から求めた電荷を用いる。図2、3に横軸に磁気硬度をとった1/βとエネルギー損失の分布を示してある。ミューオン識別の際に問題となるバックグラウンドの電子を見積もるため、ミューオンの識別は鉛板を通過した事象だけを用いる。鉛板を通過する際、電子は電磁シャワーを起こして複数の粒子が発生し鉛の下にあるTOFホドスコープからは大きなシグナルが出す、一方ミューオンはほとんど相互作用をせず小さなシグナルしか出さない、鉛板の厚さが11.8mmしかないため、1事象毎にはっきりと識別できるほどのシグナルに差はできないが、シグナルの分布図をモンテカルロシミュレーション、GEANTを用いて計算した電子およびミューオンそれぞれのシグナル分布図と比較することで、電子/ミューオン比を見積もることができる。求められたシミュレーションのシグナル分布と測定されたシグナル分布が図6で、シミュレーションにより測定データを非常によく再現できている。求められた電子/ミューオン比は磁気硬度0.5V付近で約30%、エネルギーが高くなると急速に小さくなり、10GV付近では2×10-5程度である。

 観測されたエネルギースペクトラムが図7〜9に示してある。陽子については0.5GeVから20GeVの領域で8%の精度でで、ヘリウムについては0.5GeVから10GeVの領域で10%の精度、ミューオンについては0.5GeVから10GeVの領域で20%の精度で求められた。

 測定を行なったフォートサムナーでの地磁気カットオフ硬度が4.2GVであるため、硬度がこれ以下の一次宇宙線は地磁気による影響で地球に到達することができない。測定されたエネルギースペクトラムにもこの効果があらわれており、陽子・ヘリウムではカットオフ付近で急激に流束が減少している。(図はそれぞれ横軸が核子あたりの運動エネルギーであるため、カットオフは図6では3.4GeV/n、図7では1・4GeV/nとなる。)陽子についてカットオフ硬度以下の領域に見えている流束は大気中で生成される二次起源の陽子流束で、ミューオン流束と同様高度と共に増加している。

 シミュレーションによるエネルギースペクトラムの計算では、大気ニュートリノ流束計算で用いられているものと同じものを使用した。比較の結果シミュレーションと測定値は非常によく一致し、現在大気ニュートリノ流束計算で用いられている相互作用モデルが実際の相互作用をよく反映していることが確認された。

 シミュレーションによる計算において大きな不確定要素となっているのが、大気構造、地磁気による一次宇宙線への影響、そして相互作用の効果である。ミュレーションにおいて入射させる一次宇宙線として本研究で得られた陽子、ヘリウムのエネルギースペクトラムを使うことで一次宇宙線への地磁気の影響は正確に再現することができる。また飛翔実験中に測定された大気構造を使用することで、大気構造からの不確定要素も取り除ける。従って、これらの測定データを取り込んだシミュレーションを行えば、そのシミュレーションの結果と測定データの比較することで、さらに正確に相互作用による効果を評価することが可能である。

図1:BESS 2001 測定器

図2:1/βvs磁気硬度分布

図3:TOFホドスコープでのエネルギー損失vs磁気硬度分布

図4:各大気高度における陽子のエネルギースペクトラム

図5:ヘリウムのエネルギースペクトラム

図6:μ-のエネルギースペクトラム

図7:μ+のエネルギースペクトラム

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなり、第1章は大気中での宇宙線観測と大気ニュートリノの関連、第2章と第3章はこの研究でもちいられたBESS観測装置と2001年の気球実験について、第4章はデータ解析の詳細、第5章は測定結果、第6章は測定結果の解釈と大気ニュートリノのフラックス計算との関連に関する議論、第7章はまとめが述べられている。

 宇宙線が大気中の原子核と相互作用した結果ニュートリノが生成される。これは大気ニュートリノと呼ばれている。大気ニュートリノをもちいて精密なニュートリノ振動の研究を行う際には、大気ニュートリノのフラックスを精密に知る必要がある。特に大気上空でのミューオンの観測はミューオンとニュートリノのフラックスに非常に強い相関があることから重要である。しかし、大気ニュートリノのフラックス計算のモデルを議論できるほどの精度の高いミューオンの観測は今までなされていなかった。そこで本論文では、BESS観測装置をもちいて、大気圧5から20g/cm2でミューオン、及び陽子とヘリウムの観測を行った。観測結果に対する誤差の評価も綿密に行い、今までの観測よりはるかに高精度でフラックスを求めた。

 観測された、陽子とヘリウムのスペクトルは、太陽活動や地磁気の効果を考えると過去のデータと矛盾なく、また、大気中で2次的に生成された陽子のフラックスも明確に観測され、データの質の高さを示した。

 得られたミューオンに関する観測結果を用いて、大ニュートリノのフラックス計算にもちいられているシミュレーションプログラムの正当性の検定を行った。その結果、観測されたフラックスは計算値とおおむね合うが、細かく比較すれば計算値より、高度に依存して5から8%程度低く、今後大気ニュートリノ計算の改良の際にこの点を理解すべきであると結論された。

 なお、本論文の第2、3章はBESS共同実験によるものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク