学位論文要旨



No 117813
著者(漢字) 斎藤,政通
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,マサミチ
標題(和) 膜厚を制御したヘリウム3薄膜の超流動転移の研究
標題(洋)
報告番号 117813
報告番号 甲17813
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4284号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 助教授 久保田,実
 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 助教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

(背景)

 バルク超流動3Heの性質は、これまでに理論、実験とも盛んに研究され、p波超流動の様々な性質が明らかになり、固体内電子の振舞いを理解する上でも重要な概念を我々にもたらした。ゼロ磁場中のバルクの3He超流動相は、エネルギー・ギャップが等方的なB相と、ノードを持った異方的なA相が高温高圧側に存在することがよく知られている(図1)。

 一方・超流動3Heをコヒーレンス長ξ(T)=ξ(0)(1-T/Tc)-1/2程度の狭い隙間に閉じ込めると、境界の秩序変数への影響が顕著になり、バルクとは異なる性質が現れる(サイズ効果)。間隔Dの平行な狭い隙間(スラブ)に閉じ込められた場合、壁面での準粒子の散乱のため、等方的なB相より、異方的なA相の方がtベクトルを壁に垂直に向けることで、安定に存在できることが知られており、0 barでもA相の出現が予想されている(図2)。このような振舞いを、系のサイズをコヒーレンス長でスケールした量D/ξ(T)で表すと、D/ξ(T)≦5〜7あたりでB相よりA相が安定となり、D/ξ(T)≦πでは超流動状態が存在できず、常流動状態となることが理論的に示唆されている。

 一方、実験的には高圧領域でA-B相境界が低温側にシフトするのが確認されているが、あまり詳しいことは分かっていない、特に飽和蒸気圧(0bar)下での超流動3He薄膜の測定は、超低温環境下において、微小量のサンプルを取り扱うという、技術的困難が伴い、実験を進展させる上での障害となっている。

(研究目的)

 最近の微細加工技術の進歩により、そのような技術的困難を克服できる可能性が開けてきた。本研究ではくし型電極という微細な構造を持った装置を製作し、超流動3He薄膜の実験に臨んだ。この装置では、超流動3He薄膜の膜厚の制御が可能であることが第1の特長であり、系のサイズを自由に操作できるため、サイズ効果の詳しい検証に強力な道具となることが期待される。具体的には、くし型電極を用いて、超流動転移温度の膜厚依存性を測定し、D/ξ(T)=πの検証、および臨界流の膜厚依存性の測定からA-B相転移を流れの散逸機構の変化として捉えることを本研究の目的とした。

(実験装置)

 くし型電極とは図3(a)にあるように、くしの形をした電極の「歯」を互いの隙間に入れる形で配置し、平面展開型のコンデンサーを形成したものである。このくし型電極の「歯」は幅10μmであり、これがガラス基板の上に200本並び全体で上下2対の電極を構成している。この微細な構造は電子線描画装置を用いて作成した。

 このくし型電極を図3(a)のようにバルク液面に対し垂直に設置して実験を行った。電極間に電圧を印加し電極上に電場を発生させると、液体3Heは有限の比誘電率があることから、電極上に引き寄せられる(図3(b))。この性質を利用して、DCバイアス電圧により、液体3Heの流れを制御することが可能となる。また、電極上の液体3Heの量は電極間の静電容量の測定から知ることができ、静電容量の時間変化を測定すれば、液体3Heの流れに関する情報を得ることができる。

 さらに、この実験で使用したくし型電極は、上下に2対並んだ構造であるために、上下それぞれ独立にバイアス電圧で制御することが可能となっている。したがって、下側電極は、一定のバイアス電圧を印加し続けることで、バルクと上側電極を結ぶある一定の膜厚を保持した流れの経路となる。下側電極への印加電圧によりこの経路の膜厚を変えることができるので、流れの膜厚依存性を調べることが可能となる。

(実験方法)

[超流動転移温度の測定方法]

 図4が超流動転移の測定例である。この例では下側電極上の膜厚は1.7μmに設定し、上側電極への印加電圧を80Vと85Vで500秒ごとに切り替える操作を繰り返しながら、温度を1μK/min程度で比較的緩やかに変化させ、上側電極の静電容量を測定し電圧の変化に対する液体3Heの応答を観測した。常流動相から超流動相への転移が、液体3Heの粘性の劇的な変化のために、静電容量の電圧に対する応答が突然鋭敏になることで観測できた。下側電極を種々の電圧で固定して同様の測定をすることで、膜厚7.3〜0.21μmの範囲の超流動転移温度を測定することができた。

[超流動臨界流の測定方法]

 上側電極への印加電圧で流れを駆動するという操作性の自由度を活かし、「リニア掃引」「パラボリック掃引」という2種類の方法で、非散逸的な流れ(永久流)と散逸的流れとの境界としての臨界流を測定した。

 リニア掃引は図5のように時間tに対して一定の傾き(V∝t)で電圧を変化させ、静電容量の変化から流れの振舞いを調べる方法である。この方法により、ある掃引速度より速くしたときに、それまで非散逸的(図5(a))だった流れが散逸的となる変化が観測された(図5(b))。即ち散逸的流れのオンセットとしての臨界流の測定をすることができた。

 また、V∝t2の形で、電圧を掃引することで(パラボリック掃引)、時間に比例した掃引速度V∝tとなり、リニア掃引では多数の掃引が必要であったが、一度のパラボリック掃引で臨界流の観測が可能となる。

 以上2つの掃引方法それぞれの特長を活かし、リニア掃引では流れを駆動する速さに依存した超流動3He薄膜の振舞い、パラボリック掃引ではより広い温度、膜厚範囲での臨界流の振舞いを調べることができた(図8)。

(実験結果と考察)

[超流動転移温度の結果]

 膜厚dについて0.21≦d≦7.3μmの範囲で、超流動転移温度を決定することができた(図7)。その結果、0.8μm以上の厚い膜ではバルクとほとんど同じ転移温度を示した。0.8μm以下の膜厚では転移温度の低下が見られ、バルク的性質から、サイズ効果の顕著な領域への変化を連続的に捉えた初めてのデータとなった。ややデータのばらつきはあるものの、バルクと0.28μm以下のSteelら[2]、Xuらの距離であるのに対してここで用いているdは「壁〜自由表面」[3]およびSchecterら[4]の実験結果に一致するような傾向となり、これらの他の実験とはコンシステントな結果となった。一方、理論との比較に際し、前述のDは「壁〜壁」の距離であることに配慮すると、自由表面は超流動を抑制しない境界であるので、後者は実効的に2倍の膜厚、即ち、D=2dとなると考えられている。これによりSteelら[2]、Xuら[3]は、D/ξ(T)≦πの曲線(図7破線)および、Kjaldmanら[5]の計算結果(図7実線)とほぼ一致した結果を得た。しかし、本研究の結果はそれらの曲線と一致しない変化をたどり、膜厚の薄い方で、再び一致する傾向となった。

[超流動臨界流の測定結果]

 リニア掃引、パラボリック掃引の2つの方法で、0.59〜0.26μmの範囲で7種類の膜厚について臨界流を測定した。図8に0.47μmと0.26μmの測定例を挙げる。

 膜厚が厚くなるにつれて傾きが徐々に急になる傾向が見られた。また、JcがOとなる温度として決めた転移温度(図7◇)も、前述の方法で決めた超流動転移温度とほぼ同様の膜厚依存性を示した。

 また、スラブ中でのペア・ブレイキング(対破壊)による臨界流の計算を行ったJacobsenら[6]の理論との比較を行ったが、温度依存性の一致は見られるものの、臨界流の大きさは、理論予測の20〜30%にとどまり膜厚の増加に対して増加傾向を示すなど([6]の理論では膜厚に依存しないとされている)、一致は見られず、ペア・ブレイキング以外の散逸機構が働いていることが考えられる。

 なお、この測定は、超流動3He薄膜において、流れを駆動する速さにより、このような、非散逸的流れと、散逸的流れの領域に分けられるということを実験的に示した初めての例となった。

参考文献

[1] Y.H.Li, and T. L. Ho, Phys. Rev. B 38, 2362 (1988).

[2] S. C. Steel, J. P. Harrison, P. Zawadzki, and A. Sachrajda, J. Low Temp. Phys. 95, 759 (1994)

[3] J. Xu, and B. C Crooker, Phys. Rev. Lett. 65, 3005 (1990).

[4] A. M. R. Schechter, R. W. Simmonds, R. E. Packard, and J. C. Davis, Nature 396, 554 (1998).

[5] L. H. Kjaldman, J. Kurkiijarvi, and D. Rainer, J. Low Temp. Phys. 33, 577 (1978).

[6] K. W. Jacobsen, and H. Smith, J. Low Temp. Phys. 67, 83 (1987).

図1バルク超流動3Heの相図

図2スラブでのA-B相境界

左からD=0.2、0.3、0.5μmの場合のA相とBプラナー相との相境界の様子。最も右の線はD=∞でバルクの常流動相との境界を示している。(Liらの理論による結果[1])

図3くし型電極の概念図

(a)試料セル中くし型電極を液面に対して垂直に設置した様子。(b)くし型電極に電圧を印加したときの概念図。上下の電極へは独立に電圧を印加することができる。

図4超流動転移温度の測定例

時刻tにおける静電容量C、上側電極への印加電圧、温度Tをプロットした。矢印で示したt=9000秒、T=0.93mK付近で常流動相から超流動相へ転移したことが静電容量の応答の変化から分かる。

図5リニア掃引の測定例

膜厚0.47μm、温度0.71mKで電圧を40Vから80Vへ掃引したときの例。(a)は75秒で掃引(破線)し、掃引終了とほぼ同時に静電容量(・)が平衡値に達しているのに対し(非散逸的流れ)、70秒で掃引した(b)は掃引終了から20秒遅れて平衡値に到達している(散逸的流れ)。

図6パラボリック掃引の測定例

(a)40Vから120Vへ電圧を放物線状に変化させた様子(左軸)。このとき電圧の傾き(右軸)は時間に比例して増加する。(b)同時刻での静電容量の変化の様子。破線は膜厚7.3μmの結果であり、終始電圧と平衡を保った場合の曲線を示している。それに対し、0.47μm(。)はt=40秒付近で遅れが生じているのが分かる。(・)は両者の差を表している。

図7超流動転移温度の膜厚依存性の測定結果

図8臨界流の測定例

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなり、第1章はこの研究の背景、第2章は研究に用いた実験装置と実験方法、第3章は実験結果とその解釈、第4章は全体のまとめが述べられている。

 p波スピン三重項のクーパー対からなるBCS状態であるバルクの超流動3Heでは、低温でBalian-Werthamer(BW)相が、高温高圧下でAnderson-Brinkman-Morel(ABM)相が現れることが知られている。これをコヒーレンス長と同程度の長さスケールの制限された空間に閉じ込めると、異方的BCS状態特有の秩序変数構造の豊かさを反映して、バルクとは異なる複雑な様相を呈することが期待できる(サイズ効果)。理論的には、隙間2dの平行平板に挟まれたスラブ状空間に制限されたとき、(1)隙間がπξ(0)より狭いと絶対零度でも超流動相が不安定になること、(2)πξ(0)≦2d≦7ξ(0)のときは絶対零度までABM相が安定となり、超流動転移温度(Tfc)が2d/ξ(Tfc)=πの関係式で決まること、(3)それ以上の隙間のときは2d/ξ(Tfc)=7で決まる温度以下でBW相が安定となること(A-B転移)、などが予測されている。ここで、ξ(T)=ξ(0)(1-T/Tc)-l/2は温度に依存するコヒ-レンス長で、ζ(0)=65nmである。本研究は、よく制御された膜厚(d)の薄膜試料についてTfcと臨界流を観測することにより、上記の理論予測を検証すると共に、制限された空間内での超流動3Heの流れの性質を実験的に調べる目的で行われた。

 本研究で最も独創的かつ評価できる点の一つは、電子ビーム描画法によってガラス基盤上に微細加工した平面展開型の金の「くし形」コンデンサーを巧みに使って、超流動3He薄膜の膜厚を0.2≦d≦7μmというこれまで作成が難しかった範囲で自在にコントロールし、その流速を精度よく測定する実験技術を確立したことである。具体的には上下2組のくし形コンデンサーを3He液面上に垂直に立て、それぞれに印可する直流電圧を調節して、上側コンデンサーが流れの駆動、下側コンデンサーが膜厚の制御を行う仕組みになっている。流量は上側コンデンサーのキャパシタンスを同時測定することで分かる。過去に行われたフィルムフロー現象を利用した実験では、膜厚範囲が0.1≦d≦0,3μmの領域に限られており、膜厚も均一ではなかった。また、スラブ構造の実験ではサイズを自在にコントロールすることは不可能である。

 Tfcの決定は、上側コンデンサーヘ印可した矩形波の駆動電圧に対する流量の追随性を観測することで行っている。実験では、ゆっくりした温度掃引の途中で温度がTfcを越えると追随性が劇的に変化することで、超流動転移が明瞭に捉えられている。また、これとは多少異なる方法でもTfcの決定を試みている。まず、Tfc以下温度一定のもとで上側コンデンサーへの印可電圧を時間に対して直線的あるいは2次関数的に掃引し、これに流量変化が追随できなくなる、つまり流れが散逸的となる時の流速(臨界流速:Jfc(T))を測定する。次に同様の測定をさまざまな温度で行い、Jfcがゼロでなくなるときの温度としてTfcを決定するというものである。これら二つの方法から求めたTfcは比較的よく一致しており、膜厚の薄い領域では2d/ξ(Tfc)=πに近い結果が得られ、過去の膜厚0.3μm以下の実験とスムースにつながっている。ところが、それより膜厚が厚い領域では2d/ξ(Tfc)=7の振る舞いに近い結果が得られた。この結果は、膜厚の厚い領域でA-B転移が流れの散逸度の変化として本実験で観測されたことを示す可能性がある。これは、2d=1.1μmのスラブ構造にP=1.0MPaの超流動3Heを閉じ込めたときのNMR実験で、A-B転移が報告されていることと符合するように見える。

 本研究では、Jfc(T)の温度依存性も精度よく観測され、Ginzburg-Landau理論から期待される温度依存性Jfc(T)∝(1-T/Tfc)3/2が確認された。ところが、その係数は理論から期待される大きさよりずっと小さく(10〜20%)、その比は膜厚に対して一次関数的に増加することが判明した。この振る舞いもTfc同様、過去のより薄い膜厚の実験結果に漸近するように見える。これについては、対破壊よりずっと低エネルギーの散逸機構が働いていることを実験的に示す証拠として、今後、理論も含めたさらなる解明が待たれる。

 以上のように、本研究は超流動3Heのサイズ効果に関し、重要かつ新しい実験的知見をもたらしただけでなく、自由表面をもつ薄膜の膜厚と流れを超低温域で自在かつ精密に制御する新しい実験手法を開発した点で、独創的であり高く評価できる。

 なお、本論文の研究は河野公俊、椋田秀和、池上弘樹の各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の遂行、解析及び解釈を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク