学位論文要旨



No 117815
著者(漢字) 松田,亮史
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,リョウジ
標題(和) 強磁性単電子トランジスターにおける磁気抵抗増大
標題(洋) Enhanced Magnetoresistance in Ferromagnetic Single-Electron Transistor
報告番号 117815
報告番号 甲17815
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4286号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樽本,清悟
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 助教授 岡本,徹
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 教授 長澤,信方
内容要旨 要旨を表示する

 1975年にJullierによって見出された、Fe/GeO/Co強磁性トンネル接合における抵抗が外部磁場に対して変化する現象、すなわちトンネル磁気抵抗(TMR)効果は、多くの関心を集め現在も盛んに研究が行われている。このTMR効果は、(1)強磁性トンネル接合における伝導が強磁性体の磁化の相対角に依存し変わること、(2)両強磁性金属に保磁力差を持たせることで外部磁場により両強磁性体磁化の平行或いは反平行な配置が実現できることの2つの原因が相まって生じ、TMR比γ≡(RA-Rp)/Rpによって特徴づけられる。ここでRA(Rp)は(反)平行磁化配置における抵抗を表す。

 トンネル接合のサイズをサブミクロンまで減少させると、接合に付随する静電容量Cが極めて小さくなり、接合に電子1個分の電荷が帯電したとする時に生じる単一電子帯電エネルギーEc=e2/(2C)が低温で無視できなくなる。すなわちEcが熱エネルギーより充分に大きくなる様な低温においては、電子のトンネリングが抑制されるクーロンブロッケードという現象が現れる。微小トンネル接合を用いた1電子のトンネリングを制御するデバイスは単一電子デバイスと呼ばれ、その中でも基本となる単一電子トランジスタ(SET)は、2つの微小トンネル接合とゲートキャパシタンスからなる3端子デバイスである。低温において、ゲート電圧により島電極の静電ポテンシャルを変化させることにより、一定の条件下でクーロンブロッケードが緩和され、抵抗が周期的に変化するクーロン振動が観測される。また、I-V特性において、ゲート電圧に依存した非線形特性が得られる。

 強磁性トンネル接合系に微細加工を施し接合サイズを減少させた強磁性微小トンネル接合系では、電子の電荷とスピンを含む新奇な物理が現れ多くの注目が集まっている。1997年に大野等により、強磁性Ni/Co/Ni-SETにおいて磁気クーロン振動(MCO)と磁気抵抗増大という2つの現象が見出された。前者(MCO)は、磁場による抵抗の周期的な変化であり、これは、ゼーマン効果を考慮した単一電子トンネリングに関する標準理論によって説明される。後者は、低温でクーロンブロッケードが顕著になるとTMR効果に起因する磁気抵抗が顕著に増大するという現象である。1接合当たりのトンネル抵抗がRT=35kΩであるSETを用いた彼等の実験では、4.2Kで4%であったTMR比が、20mKの低温ではSETのオフ状態に対して40%と10倍に増大し、一方オン状態に対して増大は現れなかった。彼等はこのオフ状態におけるTMR増大を高次トンネル過程に基づいて議論した。同様の磁気抵抗増大は、強磁性トンネル接合2次元アレイにおいても観測されていたが、その後、東北大やドイツの研究グループでも報告された。強磁性SETにおける、TMR増大は単電子トンネリングの標準理論では説明できず、コトンネリングをはじめとする高次のトンネル過程にその原因を求める理論が複数提案されている。しかし、それらの理論的予測と実験結果の定量的一致は未だ得られていない。従って、この現象のメカニズムは未だ解明さていない。

 我々の研究の目的は、このTMR増大のメカニズムを解明することである。そのために、量子抵抗RQ(≡h/(2e2)=12.9kΩ)を挟む広い領域のトンネル抵抗RT(600Ω〜3.3MΩ)を持つ11個の強磁性SETを作製し、低温におけるTMR増大をRTに対して系統的に調べた。

 強磁性SETの作製は、Geを挟んだ3層レジストに対して、標準的な電子線リソグラフィ法、2方向斜め蒸着法を用いて行った。トンネルバリアの作製は、酸素雰囲気中でのAl2O3蒸着、或いはNiのプラズマ酸化により行った。レジスト間にGe層を挟むことで、NiOトンネルバリア作製時のプラズマ酸化に対して微細加工パターンの保護をさせた。これにより、NiOトンネルバリアを有するSETのトンネル抵抗を、600Ωから最大で3.3MΩ迄高めることに成功した。また、Al2O3トンネルバリアを有するSETに対しても、22kΩ〜410KΩという広範囲なRTを持たせることに成功した。こうして作製した強磁性SETのトンネル接合の大きさは約0.lμm×0.lμmである。磁場は、磁化容易軸方向となるSETのリード電極方向に印加して測定した。

 作製した11個の強磁性SETの4.2KにおけるTMR、また、希釈冷凍機を用い25mK迄冷却し、低温におけるR-T依存性、I-V特性、クーロン振動等を測定することで、各デバイスの基本特性を表すパラメータRT、Ec、Cg等を決定し、更に、低温でTMRの測定を行った。4.2KにおけるTMRの測定では、RTの高いSET程TMR比も高かった。また、Al2O3バリアを用いたSETのTMR比は3.8〜7.5%、NiOを用いたものでは1.1%〜6.2%と後者が若干小さかった。これは、NiOトンネルバリア中での電子スピンの反転に起因しているものと思われる。低温におけるTMRの例として、RT=36kΩを持つデバイス#5の26mKにおけるTMRを図1に示した。この図にはゲート電圧によるクーロン振動の抵抗変化が含まれ、上側の包絡線がオフ状態、下側がオン状態を表す。各温度に対して同様な測定を行い、l1個のデバイスに対して各温度でTMRの測定を行った。

 磁場を固定してR-T依存性を調べたところ、RT>RQのデバイスでは、T≧0.3Kでほぼ標準理論と一致する温度依存性が見られた。しかし、より低温ではそれよりも弱まった温度依存性しか見られなかった。これは、コトンネリングやホットエレクトロンによる影響が大きいと思われる。以下のデータ解析では、標準理論を仮定し、抵抗の温度変化を有効電子温度Teを通して考える。Teは低温で冷凍機温度よりも高く、ホットエレクトロンに起因する電子温度、或いはコトンネリングに起因する現象論的なパラメーターを意味するが、いずれの場合もEc/kBTeが、クーロンブロッケードによる抵抗増大の程度を表すパラメーターとなる。

 TMRの増大は、図2にまとめられる。Y軸にTMR比の、4.2Kでの値からの増大率γ(T)γ(4.2K)をとり、X軸に抵抗の温度依存性から決定したEc/kBTeを採用したこの図から、温度減少に対するTMRの増大の仕方がRT≧RQである限り、RTによらず共通した特徴を持つことが分かった。すなわちEc/kBTe=2〜3付近からTMRは序々に増加を始め、Ec/kBTe>3に対して顕著に増大し、Ec/kBTe〜6で10倍に増大する。一方、RTがRQより小さなSETでは、低温での抵抗変化は小さく、TMRの増大も小さかった。また、オン状態では、RTによらずTMRの増大は観測されなかった。

 このことから、TMR増大はクーロンブロッケードによって引き起こされていることは明らかである。クーロンブロッケードによる抵抗の増大はT、RT、Ecによって決定される。スピン散乱の影響を含めても、抵抗はこれらの量によって決定されるはずである。但し、その場合、これらの量はT、Hに依存し得るだろう。スピン散乱の低温での減少はRTの増大を引き起こす。しかし、オン状態ではTMRの増大が観測されなかったことから、これによるTMR増大のシナリオは否定される。また、Tを有効電子温度Teと考えた時、Teが磁化配置に依存して変化する様なことが起こり得るかを考察した。Co島伝極の磁化反転に伴う熱の島電極電子系への流入により、Teが磁化配置に依存して変化することが予想されたが、Co島電極磁化反転後の平行磁化配置に対する抵抗測定より、抵抗が一様であることからその可能性は否定された。

 次に実験結果を、TMR増大機構として提案されている高次トンネル過程に基づく理論と比較検討した。(ここでは、TMR効果によるRT変化のみを考慮しており、そのT依存性は考えでいない)。高橋等は、強磁性SETのTMRに関して、コトンネリングに基づいた理論予想を発表している。この理論では、クーロンブロッケードの顕著な低温において、TMR比が2倍程度迄増大する。彼等の理論と比較するのに最もふさわしいRt>>RQであるSETを我々は有している。しかし、我々の実験結果とは定量的に異なった、また、大野等にならい、高次トンネル過程を繰り込んだ有効帯電エネルギーEc*の理論と実験結果を比較した。その結果、有効帯電エネルギーEc*理論に基づく、低温でのTMR増大はRT〜RQに対して最も顕著であり、RT>>RQに対して増大はなく、また、最大でも1.4倍にとどまり、定性的、定量的に実験結果を説明できない。従って、これら高次トンリングに基づく理論予想は、TMR増大の起源ではないということが判明した(図3)。

 そこで、RTと共にEcも磁場によって変化を受けると仮定し(T依存は共に考慮していない)、標準理論を用いた計算結果を実験結果と比較検討した。その結果、約3%のEcの増大を仮定すると、実験結果を大よそ再現した(図4)。Ecの磁場変化は接合容量Cの磁場変化を意味する。最近、海住等により0.1mm×0.lmmのサイズのCo/Al2O3/Co接合の実験で、この様なC変化を示唆する結果が得られていた。彼等は、交流インピーダンスを磁場中で測定し、抵抗だけでなくキャパシタンスも磁場に対して変化することを見出した(tunnel magnetocapacitance(TMC)効果)。そのC変化は8%程度となり、反平行磁化配置に対して減少する。これは、反平行磁化配置でEcが増加するという我々の結果と一致する。

 この様なEc変化をもたらすTMC効果の起源としては、トンネルバリアを挟んだ強磁性体電極における電子の波動関数のバリアへのしみ出し方が、強磁性電極間の磁気的相互作用に依存して変化し、実効的にバリア厚さの変化を生じるという予想、Chui等によるスピンの蓄積と注入効果に起因するキャパシタンスの実効的な厚さが磁化配置に依存して変化するという予想、そして、Martineckによる強磁性体の磁歪に起因する予想等があるが、まだ明らかになっていない。

 しかしながら、この約3%のEc変化を仮定した理論曲線は、実験結果に見られる低温で特に顕著なTMR増大を完全には再現できていない。コトンネリングによる寄与を含めて同様な計算を行なったが、低温での顕著な増大を表さなかった

 図4を詳しく見ると、実験結果は温度低下と共にEcの磁場変化が増加した曲線に対応している。各デバイスの最低温度での実験データは、およそ7%程度のEcの磁場変化を仮定した理論曲線に対応する(図5)。従って、実験結果を詳細に説明するためには、温度低下と共にEcの磁場変化が増加することが必要となる。

 スピン散乱に起因する1電子のトンリングに必要な付加的なエネルギーは、この様な低温でのEcの増加をもたらす可能性の1つかもしれない。その例として、電子のマグノン吸収が起これば、電子のトンリングに必要なエネルギーはEc-α(αはマグノンの励起エネルギー)と表せるだろう。マグノン励起は低温で減少することから、このエネルギーはEc-αから低温においてEcに増大する。また、強磁性トンネル接合系におけるスピン蓄積効果はEcの磁場変化が低温での増大をもたらす可能性を持っているが、我々のデバイスに対しては残念ながらあてはまらない。

 この様に、強磁性SETにおけるTMRの増大をRTに関して系統的に調べ、クーロンブロッケードによる抵抗の増大を決定するパラメーターTe、RT、EcのH或いはT依存性に基づいてTMR増大を議論してきた。その結果、磁場によるEcの変化が強磁性SETにおけるTMR増大のメカニズムとして有力だと思われる。TMC効果の起源についてはまだ明らかになっていないが、その様なEcの変化は接合容量Cの磁場変化により生じていると思われる。より詳細に実験結果を表すためには、Ecの磁場変化が低温で増加する必要がある。しかし、Ecの温度変化の原因は、そもそも不明であるがTMC効果の温度依存に関係するのか、スピン散乱に起因するのか、或いは別の理由であるのか現在のところ明らかではない。

 この問題及びTMCの起源解明は今後の課題である。

図1:TMR at T=26mK(デバイス#5)

図2:TMR増大率Ec/kBTe依存性

図3:TMR増大率のRT依存姓

RT≧22kΩのデハイスに対して、最低温度で見積もったTMR増大率と実験との比較 ■ 実験値 

図4:TMR-Ec/kBTeの理論計算と実験の比較

図5:△Ec/Ecの理論計算と実験のRT依存性(最低温度に対する見積もり)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり、第1章では本研究でとりあげる研究の強磁性単一電子トランジスタの説明と本研究の動機が述べられている。強磁性単電子トランジスタはクーロンブロケードとトンネル磁気抵抗という電荷とスピンの関与する電気伝導が共存する点で興味深い。従来、クーロンブロケード領域の磁気抵抗が低温で増大することが報告され、その起源として高次のコトンネルが提案されていることが述べられている。しかし、この提案にはまだ確証がなく、その解明が本研究の動機とされている。そのシナリオとして、従来になく広い範囲をカバーする接合抵抗をもつ試料を作って、その磁気抵抗の温度依存性を理論と詳細に比較することがあげられている。

 第2章では研究の背景が説明されている。強磁性体接合に対しては、一般に、平行スピン、反平行スピンそれぞれのトンネルコンダクタンスを障壁両側の強磁性体のスピン状態密度の積として与え、その差を使って磁気抵抗比が定義される。トンネル抵抗の計算では強磁性体のスピン状態密度はバルク d-バンド電子に対する値が用いられるが、s-バンド電子の寄与も無視できないことが紹介されている。次に、単一電子トランジスタのクーロン振動が、標準理論で、コトンネル効果が2次摂動論で定式化されることが紹介されている。

 第3章は試料作製と抵抗測定法に関する章で、まず、Ni(電極)/Co(クーロン島)/Ni(電極)の各接合にAI2O3あるいはNiOを障壁層とする単一電子トランジスタをシャドウマスク法で作ったことが述べられている。Geを挟み込んだレジストを使って酸化膜作成プロセスによる微小強磁性金属を保護することよって接合抵抗を0.6kΩから3.3MΩまで高めることに成功している。なお、接合抵抗は、接合面積の大きさを変えることでも調節されている。この技術改良は、従来の試料では実現することができなかった抵抗範囲での実験を可能にした点で、本研究のポイントである。測定手法は一般的なもので、簡潔にまとめられている。

 第4章では、実験結果の詳細、それに基づく解析と議論に関する章である。実験結果としては、まず、4.2Kでの磁気抵抗測定では、数%程度の磁気抵抗比が得られ、その値は、AI2O3障壁の試料ではNiO障壁の試料より、一様に高い。その原因として、NiOが反強磁性的であり、トンネル電子のスピン反転を起こす可能性があることが推論されている。強磁性単一電子トランジスタの特殊性を示す一例といえる。つぎに、零磁場コンダクタンス振動のEc/kBTe(クーロンブロケードの温度安定性の目安、Ec:単一電子帯電エネルギー、Te:電子温度)依存性の実験とクーロンブロケードに対する標準理論、コトンネル理論の比較が示されている。これにより、0.3K以上の実験では、標準理論が使えるが、それより低温では、コトンネリングが重要であることが明らかにされている。これは、磁気抵抗の実験の前提になっていて、低温での磁気抵抗に対しては、コトンネル理論を想定する必要が有ることが予見されている。本研究の成果の第2のポイントである。次に、極低温(25mK)での磁気抵抗測定の結果が示され、4.2Kに比べて、10倍程度の磁気抵抗の増大が観測されている。

 さらに、温度変化の全てのデータが磁気抵抗比とEc/kBTeの関係のグラフにまとめられている。これにより、Ec/kBTe=2〜3以上で磁気抵抗比が、接合抵抗の大小に依らず、一様に増大することが示されている。これは、本研究オリジナルの知見で、磁気抵抗の温度依存性の説明には、Ec/kBTeの関数として変化するような要因が必要であることを示唆している。これを説明すべく、まず、標準理論、コトンネル理論との比較がなされ、いずれも適合しないことが示されている、次に、磁場中での接合容量の変化を考慮した計算が示されている。これは、低温で磁気抵抗比を増大するように働くので、ある程度実験を説明するが、十分ではない。このため、論文では、従来のコトンネル理論に帯電エネルギーや接合抵抗の温度変化を取り入れる必要が有ることが議論されている。これらの要因は、強磁性体トンネル接合の特殊性に関わるもので、不明な点が多く、推論の域を出ない。しかし、実験で得られた磁気抵抗の結果は非常に明瞭で信頼性があり、今後の理論的解釈のための大きな指標となるであろう。

 第5章では研究結果が簡潔にまとめられている。

 以上、各章を紹介しながら本論文の物理学への貢献点を解説した。作成法を工夫することによって、従来になく優れた特性を有する試料を実現し、これにより、実験的に強磁性単一電子トランジスタにおける低温での磁気抵抗増大の起源を明らかにしようとする研究は独自性の高いもので、得られた結果も当該分野に対して、学術的に優れた寄与をしている。これをまとめた本論文は、学位論文として充分な水準にあることが審査員全員によって認められ、博士論文として合格であると判定された。なお、本論文の内容は、国際会議のプロシィディング(World Scientific)に掲載されているほか、Physica B 誌に掲載が予定されている。この論文の業績は第一著者である論文提出者が主体となって実験、及び結果の解釈を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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