学位論文要旨



No 117819
著者(漢字) 伊野部,智由
著者(英字)
著者(カナ) イノベ,トモナオ
標題(和) アデニンヌクレオチドにより引き起こされるGroELのアロステリック転移の平衡論と速度論
標題(洋) Equilibrium and Kinetics of the Allosteric Transition of GroEL Induced by Adenine Nucleotides
報告番号 117819
報告番号 甲17819
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4290号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 和達,三樹
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 小林,孝嘉
内容要旨 要旨を表示する

 細胞内でのタンパク質の立体構造の形成には、様々な分子シャペロンによる介助が必要である。分子シャペロンがどのようにタンパク質の巻き戻りを介助しているのか、その研究が最も進んでいるのは大腸菌シャペロニンGroELである。GroELは14量体の巨大なタンパク質装置で、7量体の二つのリングが背中合わせに重なった構造をとっている。このGroELに介助されたタンパク質が効率的に立体構造を形成するには、GroELへのATPの結合と加水分解が必須である。ATPによるGroELの大きな構造変化が、ターゲットタンパク質の効率的な巻き戻りを促進しているものと考えられている。このようなGroELの構造転移を説明するモデルとして、ヌクレオチドの結合がGroELの協同的構造変化をもたらすというアロステリックモデルが広く受け入れられている。

 しかしながら、どのようなヌクレオチドでもGroELのアロステリック転移を引き起こすわけではない。これまでの研究でATPはGroELのアロステリック転移を引き起こすものの、ADPや非加水分解性ATPアナログ(ATPγSとAMP-PNP)の結合はGroELのアロステリック転移は引き起こさない、ということが明らかになっている。このことは、GroELはアロステリック転移する際に、高いヌクレオチド選択性を持っていることを示している。

 しかしながらこれまでのGroELのアロステリック転移の研究では、ATP選択的に起こるGroELのアロステリック転移の、構造的かつ実時間の測定はなされてきていない。またATPや様々なATPアナログに対する、GroELのアロステリック転移の選択性に関して詳しく調べた研究もない。

 このような現状から、本論文では、(1)ATPによるGroELのアロステリック転移は、構造的、速度論的にどのようなに起こっているのか?(2)何故GroELはアロステリック転移のために、高いヌクレオチド選択性を持つのか?という疑問に対する研究を行った。

 第一の疑問に対して、X線小角散乱法(SAXS)とストップトフロー蛍光スペクトル法を用いて、ATPによるGroELのアロステリックな構造転移を調べた。X線散乱法によりGroELの3つのアロステリック状態を明確に区別することができ(図la)、またストップトフローx線散乱法により、85μMATPにより引き起こされたGroELのアロステリック転移の速度過程をはじめて直接観測することができた(図1b,1c)。そのアロステリック転移の速度定数は5℃において3〜5S-1であり、ストップトフロー蛍光スペクトル法で観測したトリプトファン挿入変異体GroELのATPによる蛍光強度変化の第二相に対応することが明らかとなった(図lb,ld)。

 速度論的蛍光変化の第二相がアロステリック転移の過程であるというSAXSの結果をもとに、蛍光変化のATP濃度依存性を調べた。その結果、蛍光変化の第一相はATPがGroELへ非協同的2分子反応で結合する過程であると結論された。この2分子反応の結合速度定数は5.8×105M-1S-1であり、共に大きな負の電荷を持ったGroEL(pH75で一つのサブユニットあたり一18の電荷)とATPの間の静電的反発を考慮すると、この結合反応は拡散律速的な二分子反応であると考えられる。アロステリック転移に対応する第二相のATP濃度依存性は、遷移状態理論とMonod-Wyman-Changeux(MWC)アロステリックモデルを組み合わせた、速度論的MWC(kineticMWC)モデルでよく説明できた。このモデルに基づいた解析により、遷移状態のGroELへのATP結合定数を含め、アロステリック転移の平衡論的及び速度論的パラメーターを見積もることができた。

 またGroELによるATP加水分解反応の実時間測定により、今回観測されたSAXS及び蛍光で観測されたATPによるGroELのアロステリック転移は、ATPの加水分解が起こる前の、ATPの結合により起こされていることも確認された。

 第二の疑問に対して、種々のリン酸アナログとADPの複合体よりなるATPアナログを用いて、GroELのアロステリック構造転移を調べた。フッ化アルミニウム及びフッ化ベリリウム、フッ化ガリウムとADPの複合体は、蛍光ラベルしたGroELに速度論的に観測できる蛍光強度の上昇をもたらした。これに対し、フッ化スカンジウム及びバナジン酸とADPの複合体は、ATPγSやAMP-PNPと同じく速度論的な蛍光上昇をもたらさなかった。

 速度論的に観測される蛍光強度の上昇の早い過程(バースト相と第一相)は可逆的な反応過程で熱力学的な解析が可能であることが分かったので、バースト相と第一相の蛍光変化のフッ化金属-ADP複合体濃度依存性を調べた。その結果、バースト相の蛍光変化は非協同的なヌクレオチド結合をあらわしていることが分かった。第一相の蛍光の変化は速度論的MWCモデルでよく説明することができるアロステリック転移の過程であることが分かった。速度論的MWCモデルによる解析により、フッ化金属-ADPによるGroELアロステリック転移の遷移状態は、ATPによるアロステリック転移の遷移状態に比べ、相対的安定性が5〜6kcal/molも増加していることも分かった。

 更にX線小角散乱により、アロステリック転移を示す蛍光変化を引き起こしたフッ化アルミニウム、フッ化ベリリウム及びフッ化ガリウムとADPの複合体は、ATPと同じ構造変化をGroELにもたらすことが分かった。このこともフッ化アルミニウム及びフッ化ベリリウム、フッ化ガリウムとADPの複合体はGroELのアロステリック転移を引き起こすことを支持する。

 以上の結果をもとに、ATPγリン酸基及びγリン酸基アナログのサイズ及び配位ジオメトリーと、アロステリック転移の関係について考察した。その結果、リン酸及びリン酸アナログがテトラヘドラルなジオメトリーをもつこと、フッ素-金属イオン及びリン-酸素原子間の距離が1.6A前後であることが、GroELのアロステリック転移には重要であることが分かった(表1)。ATPγSやAMP-PNPがGroELのアロステリック転移を引き起こさない理由も、γリン酸基部位のサイズとジオメトリーがATPとの異なっていることに起因するとおもわれる。

図1、GroELのSAXSパターンと構造変化のkinetics.

(a)GroEL各アロステリック状態のSAXSパターン。TT状態(黒)、TR状態(赤〉、RR(青)。(b)SAXS積分散乱強度(Iint)でみた85μMATPによるGroEL構造変化のKinetics.(c)85μMATPを加えた後10〜110m秒(赤)と1.5〜3秒のGroELのSAXSパターン。(d)蛍光変化でみた85μMATPによるGroEL構造変化のKinetics.

表1、アロステリック転移とγ-リン酸アナログのサイズとジオメトリーの関係

審査要旨 要旨を表示する

 この論文ではシャペロニンGroELの機能発現に重要なATPによるGroELのアロステリック転移のメカニズムに関して、(1)X線小角散乱及び蛍光法で調べたATPによるGroELのアロステリック転移の構造的速度論、(2)アロステリック転移に関するGroELのヌクレオチド選択性、について二章に分けて述べられている。

 細胞内での蛋白質の立体構造の形成には、シャペロニンGroELをはじめとする様々な分子シャペロンによる介助が必要である。GroELに介助された蛋白質が効率的に立体構造を形成するには、GroELへのATPの結合と加水分解が必須である。ATPによるGroELの大きな構造変化が、ターゲット蛋白質の効率的な巻き戻りを促進している。このようなGroELの構造転移を説明するモデルとして、ヌクレオチドの結合がGroELの協同的構造変化をもたらすというアロステリックモデルが広く受け入れられている。

 しかしながら、GroELのアロステリック転移の、構造的かつ実時間の測定はなされてきていない。また、どのようなヌクレオチドでもGroELのアロステリック転移を引き起こすわけではない。ATPはGroELのアロステリック転移を引き起こすものの、ADPや非加水分解性ATPアナログ(ATPγSとAMP-PNP)の結合はGroELのアロステリック転移は引き起こさない。このことは、アロステリック転移の研究にはATPを用いる必要があることを示しているが、ATP自身GroELにより加水分解されてしまうのでそのことを考慮しなくてはならない。また上の結果は、GroELはアロステリック転移する際に、高いヌクレオチド選択性を持っていることも示しているが、その高いヌクレオチド選択性の原因は謎である。

 このような現状から、本論文では、(1)ATPによるGroELのアロステリック転移は、構造的、速度論的にどのようなに起こっているのか?(2)何故GroELはアロステリック転移に関して、高いヌクレオチド選択性を持つのか?という疑問に対する研究を行っている。

 第一の疑問に対して、X線小角散乱法(SAXS)と蛍光スペクトル法をストップトフロー法と組み合わせて、ATPが加水分解する前のATP結合によるGroELのアロステリックな構造転移を調べた。スローX線散乱法により、世界で初めてATPにより引き起こされたGroELのアロステリック転移の速度過程を直接観測することができた。そのアロステリック転移の速度定数は5℃において3〜5S-1であり、ストップトフロー蛍光スペクトル法で観測したトリプトファン挿入変異体GroELのATPによる蛍光強度変化の第二相に対応することが明らかとなった。このことを踏まえ、蛍光変化のATP濃度依存性を調べた結果、蛍光変化の第一相はATPが結合速度定数5.8×105M-1S-1でGroELへ非協同的2分子反応で結合する過程であると結論された。アロステリック転移に対応する第二相のATP濃度依存性は、遷移状態理論とMonod-Wyman-Changeux(MWC)アロステリックモデルを組み合わせた、速度論的MWC(kinetic MWC)モデルでよく説明できた。

 第二の疑問に対して、大きさと配位ジオメトリーの異なる種々のリン酸アナログとADPの複合体よりなるATPアナログを用いて、GroELのアロステリック構造転移を調べた。その結果、フッ化アルミニウム及びフッ化ベリリウム、フッ化ガリウムとADPの複合体は、GroELのアロステリック転移を引き起こした。これに対し、フッ化スカンジウム及びバナジン酸とADPの複合体は、ATPγSやAMP-PNPと同じくGroELのアロステリック転移を引き起こさなかった。以上の結果は、リン酸及びリン酸アナログが4配位ジオメトリーをもつことと、フッ素-金属イオン及びリン-酸素原子間の距離が1.6A前後であることが、GroELのアロステリック転移には重要であることを示している。

 本論文では、世界で初めてSAXSを用いて構造論、速度論的にATPによるGroELのアロステリック転移を観測している。そしてその結果よりGroELのアロステリック転移の新しいモデルを提唱している。またアロステリック転移におけるγ-リン酸基の特性を明らかにした点もGroELアロステリック転移のメカニズムの解明に多大な寄与をなすものである。

 この論文の第一章は新井宗仁博士、中尾正治氏、鎌形清人氏、槇尾匡博士、伊藤和輝博士、雨宮慶幸教授、木原裕教授、桑島邦博教授との共同研究、第二章は菊島健児氏、槇尾匡博士、新井宗仁博士、桑島邦博教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、提出者の寄与が十分であると認められる。従って審査員一同、博士(理学)の学位を授与するのにふさわしい研究であると判断した。

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