学位論文要旨



No 117822
著者(漢字) 梅澤,直人
著者(英字)
著者(カナ) ウメザワ,ナオト
標題(和) トランスコリレイティッド法による電子状態計算
標題(洋) Transcorrelated Approach for Electronic State Calculation
報告番号 117822
報告番号 甲17822
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4293号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 羽田野,直道
 東京大学 助教授 高田,康民
 東京大学 教授 藤原,毅夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、トランスコリレイティッド法(以下TC法)の基本的なアイディアを発展させた新しい電子状態計算手法を提案する。TC法では、以下のような相似変換によって電子相関効果をあらかじめハミルトニアンに繰り込んでしまう。ここで、FはJastrow因子と呼ばれ、電子間の相対的な位置に依存した関数である。このハミルトニアンに対する固有方程式は、もとの固有方程式とまったく同じ固有値を持つので、これを正確に解くことで、電子相関効果を効率的に取り扱おうというのがTC法の基本的なアイデアである。Htcにはすでに相関効果が含まれているので、式(2)を解く際に、Φを比較的少ない数のSlater行列式で表現しても精度の高い結果を得ることができる。我々はΦを1個のSlater行列式で近似し、以下の2つの局面に応用した。

 一つ目の応用として、変分モンテカルロ(VMC)法と組み合わせた(Transcorrelated Method with Variational Monte Carlo calculation,以下TC-VMC)を開発した。従来のVMC法でよく使われてきたJastrow-Slater型の波動関数は多くの場合Jastrow因子の最適化のみが行われ、Slater行列式にはHartree-Fock軌道やKohn-Sham軌道が使われてきた。しかし、これらの軌道がJastrow-Slater型の波動関数に対して必ずしも最適でなく、エネルギーの最小化を妨げる原因になっている。TC-VMC法ではVarianceを最小化する方法に基づき、Jastrow因子のみならず、Slater行列式をも最適化できる。Slater行列式を構成する一体波動関数の最適化は、相関効果を2体、3体のポテンシャルとして実効的に含んだself-consistent-field(SCF)方程式を解くことで行われる。それゆえ、波動関数の節の位置をも決定することができるため、Jastrow-Slater型の波動関数の最適化を非常に正確に実行することができる。その結果、He類似型の2電子系の計算では、波動関数の最適化が進むに連れて全エネルギーが減少し、最終的には相関エネルギーの90%程度を再現することに成功した(図1)。これは従来のHartree-Fock軌道を使った変分モンテカルロ法の計算と比較して大幅な改善である。また水素分子の全エネルギー計算では、原子間距離が離れるに従って水素原子2個分のエネルギーに近づき、Hartree-Fock軌道を使ったモンテカルロ計算では得られなかった漸近的な振る舞いを正確に再現した。さらに、このSCF方程式を解いて求められた固有行列の対角成分には、Hartree-Fock法のKoopmansの定理に相当する定理が成り立ち、波動関数の緩和を無視するならば、軌道エネルギーをイオン化ポテンシャルとみなすことができる。それゆえ、TC,VMC法は基底状態のみならず、励起状態をも近似的に取り扱うことができる極めて有用な手法である。

 TC法の二つ目の応用として、密度汎関数法における交換相関エネルギーの汎関数をJastrow因子から作りだす一般的な手法を提案した。本研究では、近距離相関を規定するカスプ条件と、長距離相関に対する乱雑位相近似の条件を課すことにより、通常VMC法でよく使われるJastrow因子のパラメーターを完全に決定し、式(2)の変換を行い、交換相関エネルギーの汎関数ETCxc[n]を構築した。ETCxc[n]で計算された電子ガスの相関エネルギーはγs=2〜10近傍で厳密な値とよく一致した(図2)。また全エネルギーに関しては(1<γs<10)で厳密な結果が非常によく再現され(図3)、ETCxc[n]がよい汎関数になっていることを示した。また、本研究では電子ガスの結果から。ETCxc[n]に対する局所密度近似の汎関数LDA(TC)を作成し、原子や固体Siの電子状態計算を行った。その結果、LDA(TC)ではパラメトライズを一切していないにも関わらず、Siの格子定数、凝集エネルギー、体積弾性率において、従来のLDA(電子ガスで正確にパラメトライズされたPerdew-Zungerや、経験的によい結果を与えるWigner)と同等の結果が得られ、原子の全エネルギーや固体Siのバンドギャップの値はむしろ改善されることがわかった。将来的には、ETCxc[n]を近似なしに取り扱うことで更なる大幅な改善が期待される。本研究の要点は、交換相関エネルギーの汎関数型を系統的に改善する方法論を提案したことにあり、より複雑なJastrow因子を使うことで、より精度の高い交換相関エネルギーを構築することができるため、密度汎関数法の発展に指針を与えうる理論である。

図1:TC-VMCによるHeとH-の全エネルギー。

FirstはHartree-Fock軌道を使って計算したVMC計算に相当している。最適化が進むに連れて厳密な値に近づいていく様子が分かる。βは変分パラメーターである。

図2:電子ガスの相関エネルギー。

我々の計算結果(TC)はγSが大きくなるに従って厳密な(GFMC)の値に近づく。RPA,Wignerはそれぞれ乱雑位相近似、Wignerの内挿式による計算である。また、EPX:2,EPX:4はそれぞれ、有効ポテンシャル展開法の2次と4次の展開まで含んだ計算である。

図3:電子ガスの全エネルギー。

我々の計算結果(TC)は厳密な値(GFMC)をほぼ再現した。HF,WignerはそれぞれHartree-Fock法、Wignerの内挿式から求められた全エネルギーである。矢印はそれぞれの最小を表す。

審査要旨 要旨を表示する

 修士梅沢直人提出の本論文は「トランスコリレイティッド法」による電子状態計算について新たな工夫を提唱し応用を研究したもので、英文で5章からなる。電子相関の効果を無視できない多体電子系に対する計算手法は近年の活発な研究対象であり、LDA+U、GW,自己相互作用補正法、動的平均場を加味した局所密度近似やGW法などさまざまな方法が試みられている。信頼性の高い第一原理計算手法には、広大な応用の可能性がありながら、しかし、満足できる手法は確立されていない。強力な手法が開発されれば多くの分野での理論研究のブレイクスルーが期待されている。この背景を研究動機として、本論文はBoys,Handyによって提唱された「トランスコリレイティッド法」に新たなアイデアを加えて、電子相関の効果を第一原理計算に取り入れる方法について考察した。

 「トランスコリレイティッド法」とはもとの電子系のハミルトニアンHに相似変換Ht=F-1HFを行ない、Fとしてジャストロ因子などの相関効果を取り込むことによって、電子相関効果を考慮した波動関数を求めようとするものである。電子相関効果を考慮した固有状態Ψをシュレーディンガー方程式HΨ=EΨの解とするとき、HtΦ=EΦの解Φは形式的にΨ=FΦと書けるから、Fが相関効果を十分に取り入れて最適化されたものになっていれば、Htの固有状態は単一スレーター行列のような簡単なもので表現できる可能性がある。この手法は以上の定式化から明らかなように、Fに変分因子を含めた変分モンテカルロ法のような変分評価の方法とよく似た部分がある。

 梅沢氏は第1章で一般的な導入について述べた後、第2章で「トランスコリレイティッド法」の基本的な考え方とこの論文で採用するジャストロ因子Fの2つのタイプを定義している。Htの固有値問題の持つ困難は、Htがエルミートでないことと、その結果、固有波動関数の近似に対して変分原理を満たすことが出来ないということである。しかし、Htの真の固有状態はもとのハミルトニアンの固有状態と完全に一致するという顕著な性質がある。梅沢氏は良い固有状態の近似を求めるために、従来の変分原理に代えてHandyらの処方箋を踏襲してHtΦ-EΦの分散を最小化するという方法を採用した。

 第3章では、波動関数Φが一体状態の単純な積である単一スレーター行列で表現されるという制限を課すと、上記の分散の最小化の条件が一体状態を自己無撞着に決める方程式で表現されることが示されている。自己無撞着方程式の解となる一体状態をエネルギーの低い方から埋めたスレーター行列によって基底状態を表現する。これによって、自由フェルミ粒子のような単純なスレーター行列を超えて相互作用効果を取り入れた形で、単一スレーター行列の範囲内での最適化が可能となった。この自己無撞着方程式を解くプロセスとFの中の変分因子の最適化を上記の分散最小とする条件で行なうプロセスを組み合わせることによって、従来の変分モンテカルロ法のような方法を超えて、電子相関効果を取り入れることができる。これは興味ある成果である。この章では、以上の方法を実際に水素イオンとヘリウム原子、リチウム原子、ベリリウム原子、水素分子などに適用し、ハートレーフォック近似や変分モンテカルロ法の計算結果よりも厳密な値に近い結果を得ることに成功した。また電子密度分布関数は変分モンテカルロ計算の欠点を克服し、良い精度を与えると考えられているハートレーフォック近似に近い結果を得た。

 第4章では密度汎関数法と「トランスコリレイティッド法」を組み合わせる手法を提唱している。従来の局所密度近似では相関エネルギーを評価するときに、量子モンテカルロ法などから求めた結果を対応する電子密度の電子ガスでの相関エネルギーとして代入するという方策がとられる。この章では量子モンテカルロ法の結果に依存することなく、局所密度近似での相関エネルギーを評価する方法を提案した。ジャストロ因子を固定し、「トランスコリレイティッド法」でエネルギー分散を最小にして求めることによって、電子密度を与えたときの相関エネルギーの計算を行ない、密度汎関数法の局所密度近似の枠組みに組み込んだ計算を行なった。電子ガスでの相関エネルギーの評価では電子ガスパラメタrSが5から10程度の比較的電子相関の強い領域でも、相関エネルギーは厳密と考えられる値と大変良い一致を示した。ただしrSの非常に大きな領域ではずれが大きくなり、またrSの小さい領域でもジャストロ関数の欠点の影響でずれが見られる。この方法は本論文の範囲では局所密度近似を超えるものではなく、また量子モンテカルロ法の評価などに比べて、相関エネルギーの精度そのものが高いというわけではないが、相関因子を取り入れて、局所密度近似を超えようとしたときに、将来興味あるステップを提供する可能性がある。いずれにせよ、従来の局所密度近似に、新しいタイプの相関エネルギー評価法を導入したものと評価することはできる。この相関エネルギーの評価法を用いて、ヘリウム、リチウム、ベリリウムなどの固体の格子定数などが計算された。今後の課題についても的確に記述されている。

 以上、本論文は「トランスコリレイティッド法」を用いて、ジャストロ因子と一体スレータ状態を同時に効率的に最適化する方法を新たに提案したことと、局所密度近似を超え、非局所的な効果を取り込んで密度汎関数法における相関エネルギーを評価する方法を提案したことなどが、電子状態計算の新たな方法論への試みとして評価される。この成果について議論した結果、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文としては合格であると判定した。

 なお本研究は、指導教官常行真司助教授との共同研究の部分があるが、上に述べた成果の主要部分について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。

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