学位論文要旨



No 117831
著者(漢字) 渋谷,啓介
著者(英字)
著者(カナ) シブヤ,ケイスケ
標題(和) NO合成酵素及びNMDA受容体を発現した人工細胞におけるNO信号の可視化解析
標題(洋)
報告番号 117831
報告番号 甲17831
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4302号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 助教授 陶山,明
内容要旨 要旨を表示する

 脳が発揮する、記憶、情動、思考などの高次機能の基礎は、神経細胞の活動にある。神経細胞は複雑なネットワークを形成して、神経細胞間で情報の伝達を行っている。脳の海馬という部位では、高頻度で繰り返す電気刺激(テタヌス刺激)を与えると神経細胞間の伝達効率が長時間にわたって変化する現象が起こる。この現象をシナプス可塑性と呼び記憶の素過程の1つであると考えられ、現在の記憶研究の中心的役割を担っている。シナプスの可塑性にはシナプスにおけるグルタミン酸受容体の役割が、非常に重要である。中でもイオノトロピック型であるN-メチル-D-アスパラギン酸(N-methyl-D-aspartate、NMDA)型グルタミン酸受容体は特に海馬のCAl領域における長期増強の形成に本質的に不可欠な役割を果たしている。

 一酸化窒素(NO)もシナプス可塑性に関与していると考えられている。NOはシナプス後膜からシナプス自前膜へと細胞膜を透過する逆行牲情報伝達物質と予想され,往日を集めた。シナプス後膜で放出されたNOはシナプス前膜にある可溶性グアニル酸シクラーゼに結合する。NOが結合するとsGCは活性化されてcGMPを産生し、それによってcGMP依存性酵素が活性化され、最終的にNOは神経伝達物質の放出量を変えると考えられている。

 さらに近年、シナプス可塑性に後シナプス肥厚部に存在するPSD-95蛋白が重要な役目を果たしていることを示唆する研究結果が多く報告されている。PSD-95はNOを合成する神経型一酸化窒素合成酵素(nNOS)と相互作用し、さらにNMDA受容体とも結合できる。これはnNOSはPSD-95を介してNMDA受容体に結合できることを示唆している。PSD-95変異マウスの解析によれば、海馬におけるNMDA受容体依存型の長期増強の亢進と空間学習能の低下が報告されており、PSD-95もシナプス可塑性を担う分子として精力的な研究が進んでいる。

 NMDA受容体経由によるNO発生機構に関して解析することはシナプス可塑性の分子メカニズムを議論する上で有意義な情報となる。nNOSはPSD-95を介してNMDA受容体の近傍に局在していると考えられ、またCa2+依存的に活性されることよりnNOSがNMDA受容体の近傍に局在することはNMDA受容体からのCa2+流入を直接うけることができNO産生には有利に思える。しかし、nNOSの細胞膜近傍への局在化によりNO産生の量にどの程度影響するのかは未だに明らかにされていない。そこで、本研究ではPSD-95によってnNOSがNMDA受容体の発現する細胞膜へ局在化すること、また局在によってNO産生がどの程度上がるのか、そのときの細胞膜近傍のCa2+濃度との相関を定量的に調べた。

 さらに、神経ステロイドの1つである硫酸プレグネノロンは脳神経系で合成され、NMDA受容体の機能を修飾して記憶・学習に関与している可能性が高い。そこで硫酸プレグネノロンがNO産生にどのように影響するのかを調べた。

 本研究では、CHO(Chinese Hamster Ovary)細胞にNMDA受容体とnNOSを遺伝子発現させたCHO nNOS/NMDAR細胞及びNMDA受容体を発現させたCHO NMDAR細胞を作成し用いた。神経細胞を用いなかったのは、nNOSの発現時期と初代培養可能な時期が合わないためnNOSを発現している神経細胞を調製することができないことが1つ、またNMDA受容体、PSD-95、nNOSの構成からなるNO産生の効果あるいはNMDA受容体に対する硫酸プレグネノロンの効果をみるためには、単純な系の方が有利であるためである。

 NO産生の測定にはNO感受性色素DAF-FMを用い、細胞質Ca2+濃度の測定にはfura-2を、細胞膜近傍でのCa2+濃度測定には、PSD-95とCa2+感受性蛍光蛋白であるYellow Cameleon3.1(YC3.1)の融合蛋白を発現するcDNAを作成し、細胞に発現させることで測定した。YC3.1は430nmの励起光をあて535nmと480nmの蛍光の比をとることでCa2+濃度の変化をとらえることが出来る蛍光蛋白である。

 CHO nNOS/NMDAR細胞ではnNOSは細胞質に分散していたが、CHO nNOS/NMDAR細胞にPSD-95を発現させるとnNOSは細胞膜近傍に局在した。また、PSD-95に関してもNMDA受容体の発現している細胞膜へと局在した。PSD-95によってNMDA受容体の近傍に局在することが示された。

 CHO nNOS/NMDAR細胞にPSD-95を発現させNO産生を測定するとNO産生はPSD-95を発現していない細胞より2倍量の産生を生じた。

 以上の結果よりNMDA受容体直下での高Ca2+濃度によってNO産生が効率よくなされていると推測される。このことを実証するためには、NMDA受容体直下のCa2+濃度を測定し、細胞質内のCa2+濃度と比較しなければならない。fura-2などのCa2+感受性色素を使った実験では細胞質内のCa2+しか測れず、細胞内の特定の場所を測ることは困難であった。しかし、本研究では、PSD-95とYC3.1を融合させた蛋白をCHO NMDAR細胞に発現させることにより細胞膜近傍のCa2+濃度測定を試みた。PSD-95+YC3.1融合蛋白をCHO NMDAR細胞に発現させると細胞膜へ局在した。YC3.1蛋白を発現させても細胞膜への局在はみられなかったことより、PSD-95によって細胞膜へ局在したことがわかる。よって、PSD-95+YC3.1融合蛋白の蛍光強度比(F535/F480)を測定することで、細胞膜近傍でのCa2+濃度を知ることができる。

 CHO NMDAR細胞にPSD-95+YC3.1蛋白を発現させ測定を行った。NMDAで刺激をおこなうと蛍光強度比(F535/F480)は細胞膜近傍に高い値を示した。この高い値の蛍光強度比(F535/F480)はNMDA受容体の阻害剤であるMK-801で抑えられた。このことより細胞膜近傍の高い蛍光強度比(F535/F480)はNMDA受容体からのCa2+流入であることがわかる。キャリブレーションによって細胞膜近傍のCa2+の濃度を計算すると100μMNMDAの刺激では5μMであることがわかった。これは、同じ100μMNMDA刺激を与えたときの細胞質(fura-2で測定した値)600nMよりはるかに高い濃度であることがわかった。CHO nNOS/NMDAR細胞での細胞内Ca2+濃度とNO産生の関係を測定すると、Ca2+濃度に応じてシグモイダル曲線的にNO産生が増大し、そのEC50は2.5μMとなった。この結果は、NMDA刺激を与えても、細胞内のCa2+濃度(600nM)ではNO産生がほとんどおこらず、細胞膜近傍の高Ca2+濃度で活性化されたnNOSによって効果的にNO産生がなされていることがわかる。

 さらに、CHOn NOS/NMDAR細胞の系を用いて硫酸プレグネノロンの効果を調べた。硫酸プレグネノロンを15分前処理した後にNMDA刺激を加えると硫酸プレグネノロンの濃度に応じてNO産生、Ca2+産生がシグモイダル曲線的に増大した。EC50はともに25μMとなった。一方、PSD-95を発現したCHO nNOS/NMDAR細胞では同様に硫酸プレグネノロンの濃度に応じてNO産生もシグモイダル曲線的に増大したが、そのEC50は800nMと大きく下がった。PSD-95+YC3.1で細胞膜近傍のCa2+を測定すると、硫酸プレグネノロンの効果は変らずシグモイダル曲線的に増大し、EC50は20μMであった。

 本研究では、NMDA受容体を発現した細胞膜近傍でのCa2+濃度の測定に初めて成功し、nNOSの細胞膜近傍への局在によるNO産生とnNOS近傍でうけるCa2+濃度との関係を定量的に明らかにすることに成功した。nNOSがNMDA受容体近傍に局在することは単に効率よくNO産生がなされるだけでなく、NMDA受容体による信号がきたときにだけNO産生が起こるようにするためにも必要であることが定量的に解析することで明瞭になった。さらに、Ca2+に関する硫酸プレグネノロンの効果の結果では生理的には効かないと考えられたが、本研究ではNO産生に関して硫酸プレグネノロンの効果を調べることで、十分に生理濃度で硫酸プレグネノロンが効くことを神経型NOSとCa2+の局所的なふるまいを調べることではじめて発見できた。

 NO産生の生理作用には、情報伝達物質として働く反面、細胞毒性の効果も存在するという善玉、悪玉の二面性を持つことが知られている。細胞毒性としては、NOが脳内で異常に大量発生した場合には、NOはO2-と反応して反応性の高いラジカルであるONOO-となってDNAに損傷を与え、神経細胞死を引き起こすと言われている。本研究からの結果は、nNOSを細胞膜へ局在化させることで、シグナル伝達を可能にし、かつNOの細胞毒性からも守る役割をしていると考えられる。

 神経伝達物質として知られるドーパミンなどのモノアミンは細胞外への放出、細胞内への取り込みという機構で細胞外モノアミン濃度を調節している。そこで、NOが産生されるとモノアミンを取り込むモノアミントランスポーターをNOが阻害してしまう。そのため、細胞外のモノアミン濃度は高くなり、細胞を興奮させる。硫酸プレグネノロンによるNO産生の増大はこのようなシナプス伝達に影響を与えると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文では、チャイニーズ・ハムスター卵巣細胞(CHO細胞)にN-メチル-D-アスパラギン酸(NMDA)受容体遺伝子と神経型一酸化窒素合成酵素(nNOS)遺伝子の両者を共に発現させたCHO nNOS/NMDAR細胞、及び、CHO細胞にNMDA受容体遺伝子のみを発現させたCHO NMDAR細胞の二種の人工的に構築された細胞を利用して、逆行性神経伝達物質として知られる一酸化窒素(NO)の細胞内産生に関する解析を行なっている

 神経細胞間の伝達効率が長時間にわたって変化する現象すなわちシナプス可塑性には、NMDA受容体やNOが重要な役割を果たしており、nNOSによるNOの細胞内産生とそのNMDA受容体との関連性を明らかにすることは神経生物物理学と神経細胞生物学における重要な問題である。nNOSはCa2+依存的に活性化されるので、グルタミン酸の刺激があるとNMDA受容体からのCa2+流入が起こり、この流入したCa2+によってnNOSが活卜生化されNOが産生されると期待される。このようにして産生されたNOがシナプス前細胞に作用して、神経伝達物質の放出量を変え、シナプス可塑性がもたらされると考えられている。さらに、近年、後シナプス肥厚部にPSD-95蛋白質が発見され、次のようなモデルも提案されている。すなわち、PSD-95はnNOSとNMDA受容体との双方に結合できるので、nNOSがPSD-95を介してNMDA受容体の近傍に局在化し、NMDA受容体から流入するCa2+に直接刺激されて効率よくNOを産生するというモデルである。しかしながら、このようなnNOSの細胞膜近傍への局在化がNOの細胞内産生量にどの程度影響するのかは未だに明らかにされていない。そこで、本論文では、CHO細胞由来の人工的構築細胞を利用して、(1)PSD-95によってnNOSがNMDA受容体の発現する細胞膜へ局在化することが明らかにされている。次に、細胞質内および細胞膜近傍のCa2+濃度を調べ、(2)Ca2+依存的に活1生化されるnNOSのこのような細胞膜への局在化がNO産生にどのように影響するか、また、(3)NMDA受容体の機能を修飾して記憶-学習に関与している可能性が期待されている神経ステロイド、硫酸プレグネノロンがNO産生にどのように影響するかが調べられている。

 本論文の実験では、神経細胞の代わりにCHO細胞に由来する人工的構築細胞を用いていることが一つの特徴である。神経細胞では、nNOS発現時期と初代培養可能期間が一致しないためnNOSを発現している細胞を調製することが実質上不可能であったが、ここでは、人工的構築細胞を用いることによって初めてnNOSによるNOの細胞内産生を定量的に解析することを可能にしている。NO産生の測定にはNO感受性色素DAF-FMを、細胞質Ca2+濃度の測定にはCa2+感受性色素fura-2を用いている。また、細胞膜近傍でのCa2+濃度測定では、PSD-95とCa2+感受性蛍光蛋白質であるYellow Cameleon3.1(YC3.1)との融合蛋白質を発現するcDNAを作成し、これを構築細胞内に発現させ、イメージングによる可視化解析を行っている。

 本論文では以下の結果が述べられている。(1)PSD-95によりnNOSがNMDA受容体の発現する細胞膜近傍に局在化することが明らかにされた。(2)CHO nNOS/NMDAR細胞にPSD-95を発現させるとNMDA刺激時のNO産生がPSD-95を発現していない細胞に比べ約2倍増加し、細胞膜近傍の高濃度Ca2+で活性化されたnNOSによって効率的にNOが産生される。(3)硫酸プレグネノロン存在下でNMDA刺激を与えると、硫酸プレグネノロンの濃度に応じてNO産生とCa2+濃度がともにシグモイド状に増大し、PSD-95の発現によって、NO産生に関する硫酸プレグネノロンの効果が硫酸プレグネノロンの生理濃度に近い低濃度(数百nM)でも十分発揮されることが明らかになった。

 本研究の結果、nNOSの細胞膜への局在化によってNMDA受容体からのCa2+流入を契機とするNO産生を効果的に引き起こすシグナル伝達機構が存在している可能性が初めて明らかにされた。さらに、Ca2+に対する硫酸プレグネノロンの効果を見る限り生理的には効かないと考えられていたが、本論文では、NO産生に対する硫酸プレグネノロンの効果を調べることによって、生理濃度でも硫酸プレグネノロンが効くことが明らかになった。これらの結果は神経伝達の分子メカニズムの解明に多大な寄与をなすものである。

 なお、本論文は、川戸佳、木本哲也、向井秀夫、古川愛造、北條泰嗣、高橋泰城らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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