No | 117833 | |
著者(漢字) | 鈴木,謙 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | スズキ,ケン | |
標題(和) | 錫同位体におけるπ中間子原子の深束縛1s状態の観測による原子核中でのカイラル対称性の部分的回復の研究 | |
標題(洋) | Precise measurement of deeply-bound pionic 1s states in Sn nuclei and its implications on partial chiral symmetry restoration in nuclei | |
報告番号 | 117833 | |
報告番号 | 甲17833 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4304号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | QCDのカイラル相転移とその過渡状態、なかでも核媒質密度でのカイラル対称性の部分的回復とその帰結について近年ますます多くの理論的研究がなされている。π中間子を原子核中に生成し、その有限密度下でのふるまいを測定することによってこれらの理論を実験的に検証することは極めて重要である。本研究は錫同位体におけるπ中間子の深束縛1s状態の観測を通じて、原子核中でのカイラル対称性の部分的回復の実験的証拠を提出することを目的としている。 ハドロンの質量(典型的に1GeV程度の大きさをもつ)がそれらの構成粒子であるクォークとグルーオンの自由度で記述されるQCD理論においてどのように記述されるのかという問題は現代物理学の大きな問題の一つである。クォークおよびグルーオンの質量は共にほぼゼロ(mu,md,=5MeV,mgluon=0)であり、ハドロンの巨大な質量の生成起源はダイナミカルなものである考えられている。その枠組で中心的な役割を果たしていると考えられているのがカイラル対称性とその破れである。ゼロ温度・ゼロ密度でのQCD真空中では、カイラル対称性の秩序変数である、クォークと反クォークが対凝縮したクォーク凝縮(<qq>)が有限の真空期待値をもつ(<qq>)0=-(250MeV)3),π中間子はカイラル対称性の自発的破れに伴い現れる南部-ゴールドストーン粒子と考えらており、その崩壊定数(fπ92.4MeV)もまたカイラル対称性の秩序変数の一つである。このQCDの真空は系の温度・密度を上げていくとこのクォーク凝縮は減少してゆき、最終的にある転移条件において消滅し、カイラル対称性が回復することが期待されている。 このクォーク凝縮は測定可能量でないことが知られているが、その密度依存性が次の式のように近似的に書き表せることがDrukaevらによって示された。σπNはπNシグマ項(=45MeV)である。この式の予言に基づくと通常の核物質密度.(=ρ0=0.17fm-3)においてカイラル対称性は35%も回復していることになる。一方また同様にπ中間子の崩壊定数が有限密度下において媒質効果を受けて減少し、以下のように線形の密度依存性を持つことが予言された。この崩壊定数の減少の度合は、やはり媒質効果を受けたπ中間子の原子核中でのアイソベクトル散乱長(b1(ρ))(以下b1と記す)と関連があることが示され、以下の式のように表される。これらのことから核媒質中でのb1の決定を通してカイラル対称性の部分的回復を実験的に測定することが可能である。 本研究の第一の目的は、π中間子の深束縛1s状態を重く中性子余剰な核中に生成しその精密な測定から核媒質中でのs波アイソベクター相互作用強度(b1(ρ))を精密に決定することである。π中間子原子の1s状態はほぼ完全に相互作用のs波項部分によって支配を受けているためp波項の不定性による影響を無視でき、s波項部分のみを分離した議論が可能となる。また中性子の余剰な核はアイソベクター相互作用を一意に決定するための本質的な役割を果たす。我々は近年確立された(d,3He)原子核分光法を用い、標的として錫同位体を用いたπ中間子深束縛1s状態の系統的測定を行った。錫同位体を標的とすることで得られる最大の点として、核中fermi面付近にある中性子3s状態の存在を上げることができる。このことは(d,3He)反応でのπ中間子1s状態を選択的に生成し、統計誤差および系統誤差の少ない測定を可能にする。また多数の安定な同位体が存在することから幅広い領域での同位体効果の測定を行うことができる。実験はドイツ重イオン研究所(GSI)のUNILAC/SIS加速器施設から得られる重陽子ビームおよび後段に控えるスペクトロメータ(FRS)を用いて行った。ビームエネルギー(Td=250MeV/u)は反応の無反跳条件を満たし、π中間子1s状態の選択的生成を促進する。ビーム強度は0.5×10110.5/sec平均、標的には分解能向上のために幅1.5mmの細さにまで絞った厚さ20mg/cm2の錫同位体(A=116,120,124)を用いた。FRSは4基の二重極磁石と二十基の四重極磁石等からなるスペクトロメータでFRSの前半部を用いて運動量解析を(dispersion=6.8%/cm)、後半部を用いて粒子識別のための飛行時間計測とエネルギー損失の測定を行った。そのようにして得られたスペクトルが(図1)に示されている。スペクトルは3Heの運動エネルギーを横軸として上から124Sn(d,3He),120Sn(d,3He),116Sn(d,3He)となっている。スペクトルの中心(T3He=365MeV)にあるピークはおのおのπ中間子1s状態であり、T3He=371MeVにあるピークはスペクトルのエネルギースケールを高精度に補正するために組み込まれたp(d,3He)π0反応に起因する較正ピークである。この較正から我々はエネルギーの絶対値を7keVの精度で決定した。得られたスペクトルの1s状態生成部分は精密に分解され、その束縛エネルギー(B)と幅(Γ)はおのおのB(115Sn)=3.906±0.024B(119Sn)=3.820±0.018B(123Sn)=3.744±0.018Γ(115Sn)=0.441±0.087Γ(119Sn)=0.326±0.080Γ(123Sn)=0.341±0.072と決定された。 次に我々は、先にYamzakiらによって提案のなされた手法にそってπ中間子-原子核相互作用を詳細に解析した。π中間子-原子核相互作用は9つのパラメータ(s波項に4つp波項に5つ)が含まれる。しかし先に述べたようにパイオン1s状態のみに着目する限りs波項に限定した議論が可能であり、またs波項のある変数間に存在する強い相関関係を考慮した相互作用の再定式化やまた既知の対称核における1s状態の情報(アイソベクター項がない)を援用することにより、最終的にb1のみの自由度に帰着される。図2の差し込み図には計算されたb1と束縛エネルギーの関係の曲線および実験が与えた制限が斜線の入った帯で示されている。また図2はb1を変数として計算された束縛エネルギーと幅の関係の曲線が示されており、実験で値が統計誤差(楕円)と系統誤差を含めた全誤差(十字)で示されている。これらの関係からb1の一意な導出を行った。得られた結果が図3に示されている。白抜きの円で示されているのが各々の同位体から決定されたb1、また四角い点で示されているのがこれらの加重平均をとった最終値であり、その値はb1=0.115±0.005m-1πである。この値と真空中でのb1(=0.090),図ではfree valueと示されている)の比からb1free/b1(ρeff)=f*(ρeff)2/f2π=0.78±0.03,が得られる。ここでρeffはπ中間子原子1s状態がeffectiveに感じる核密度でありρeff=0.6ρ0であることが知られている。このことから通常核媒質密度ρ0においてはf*π(ρ0)2/f2π=0.63±0.05を得る。これらを用いて最終的に計算された<qq>p/<qq>0の値は0.66±0.06であり、先のDrukaevらの式の予言と比べて非常によい一致が得られることが示された。 図1得られた3Heの運動エネルギースペクトル。 束縛エネルギーのスケールも同様に示されている。 図2 b1を変数として計算された束縛エネルギーと幅の関係曲線および実験で得られた束縛エネルギー幅(楕円:統計誤差、十字:全誤差)。 (差し込み図)計算されたb1と束縛エネルギーの関係。斜線の入った帯は実験値を示す。 図3おのおのの核より決定されたblとそれらの加重平均。 真空中でのb1の値が点線で示されている。 | |
審査要旨 | 量子色力学(QCD)の基本的な性質であるカイラル対称性の自発的な破れとその回復については、近年多くの理論的及び実験的研究がなされている。有限密度ハドロン物質中のカイラル対称性の部分的な回復を調べる手段として、パイオン原子を用いたπ中間子と原子核の相互作用の詳細な研究が注目されている。最近の理論研究によれば、パイオンの崩壊定数の2乗f2πとカイラルオーダーパラメータ<qq>との間に比例関係があり、又、f2πはパイオンと原子核の光学ポテンシャルのs波アイソベクター相互作用強度b1に反比例することが知られている。従って、有限密度中でのb1を決定することで、カイラル対称性の部分的回復の度合いについての定量的に論ずることが可能となる。 本研究の目的は、重い中性子過剰核についてπ中間子の深束縛1s状態を生成し、その束縛エネルギーを精密に測定することで、b1を精密に決定し、その結果から、有限密度下でのパイオンのf2πを決定し、カイラル対称性の部分的回復についての証拠を探ることである。 重い原子核におけるπ中間子の深い束縛状態は、従来の方式、即ち高い励起状態からのカスケードを用いる方法では、原子核による強い吸収過程の競合のため生成が困難であったが、近年確立された原子核分光法を用いることで、直接、深い束縛状態のπ中間子原子を生成することが可能となった。本論文の基になる実験では、標的として錫同位体を用いたπ中間子深束縛1s状態の系統的測定を行った。錫同位体を標的とした最大の理由は、原子核のフェルミ面付近に中性子3s状態が存在することで、反応においてπ中間子1s状態が選択的に生成される。π中間子原子の1s状態はp波項の不定性による影響が無視でき、s波項部分のみを分離した議論が可能となる。また重い原子核、即ち中性子過剰核を用いることは、アイソベクター相互作用を一意に決定するための本質的な役割を果たる。また、多数の安定な同位体が存在することから幅広い領域での同位体効果の測定を行うことができる利点もある。 本論文の基になる実験は、ドイツ重イオン研究所(GSI)のUNILAC/SIS加速器施設から得られる重陽子(d)ビームを用いて行なわれた。(d,3Heπ-)反応から放出される3Heの運動エネルギーを測定することで、π中間子原子核の束縛エネルギーが決定されるが、3Heの運動量測定はスペクトロメータ(FRS)を用いて行なわれた。ビームエネルギー(=250MeV/u)は、反応の無反跳条件を満たし、π中間子1s状態の選択的生成を助長するように選ばれた。ビーム強度は0.5/sec平均、標的には分解能向上のために幅1.5mmの細さにまで絞った厚さ20の錫同位体(A=116,120,124)が用いられた。FRSは4基の二重極磁石と二十基の四重極磁石等からなるスペクトロメータで、FRSの前半部を用いて運動量解析を(dispersion=6.8%/cm)、後半部を用いて粒子識別のための飛行時間計測とエネルギー損失の測定が行なわれた。そのようにして3Heの運動エネルギースペクトルが得られた。エネルギースケールを高精度に較正するために、いくつかの方法を用いているが、その一つが、p(d,3He)π0反応からの3He運動エネルギーの測定であるが、錫同位体標的に薄いマイラー膜を重ねることで同時測定を可能とした。この更正からエネルギーの絶対値を7keVの精度で決定することができた。 解析の結果、得られたスペクトルの1s状態生成部分は精密に分解され、その束縛エネルギー(B)と幅(Γ)が以下のように決定された(単位はMeV)。 次に、先にYamzakiらによって提案のなされた手法にそってπ中間子-原子核相互作用の詳細な解析がなされた。π中間子-原子核相互作用は9つのパラメータ(s波項に4つp波項に5つ)が含まれる。しかしながら、先に述べたようにπ-1s状態のみに着目する限りs波項に限定した議論が可能であり、またs波項のある変数間に存在する強い相関関係を考慮した相互作用の再定式化やまた既知の対称核における1s状態の情報(アイソベクター項がない)を援用することにより、最終的にs波アイソベクター相互作用強度b1のみの自由度に帰着される。この事実を利用して、実験から決められた束縛エネルギー及び幅から、s波アイソベクター相互作用強度b1を一意的に導出された。その値はb1(ρeff)=0.115±0.005m-1πである。ここで、パイ中間子の感じる平均的な原子核密度ρeff中での相互作用強度という意味でb1(ρeff)と表現している。この値と真空中でのbfree1(=0.090)の比から、bfree1/b1(ρeff)=f*π(ρeff)2/f2π=0.78±0.03が得られる。ρeff〓0.6ρ0であるので、このことから通常核媒質密度ρ0においては、f*π(ρeff)2/f2π=0.63±0.05が得られる。これらを用いて最終的に計算されたカイラルオーダーパラメーター(<qq>)の値は0.66±0.06であり、最近の理論的な予言と非常によい一致が得られることが示された。 本論文の基になった実験は複数名との共同研究に基づくが、論文提出者である鈴木謙君は、実験の企画・遂行において中心的な役割を果たし、論文に用いられているデータの解析、まとめ、考察を行なっており、その寄与は十分であると判断した。 したがって、審査員全員一致で、博士(理学)の学位を授与できるもとと判断した。 | |
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