学位論文要旨



No 117836
著者(漢字) 戸村,友宣
著者(英字)
著者(カナ) トムラ,トモノブ
標題(和) KEKBファクトリーを用いたB中間子時間発展の研究
標題(洋) Study of Time Evolution of B Mesons at the KEK B Factory
報告番号 117836
報告番号 甲17836
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4307号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福島,正己
 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 吉村,太彦
 東京大学 助教授 筒井,泉
 東京大学 教授 酒井,英行
内容要旨 要旨を表示する

 宇宙がビッグバンによって生まれた直後には粒子と反粒子とが同じだけ存在していたはずである。しかし、現在の宇宙には粒子で構成された物質ばかりが存在し、反粒子で構成された反物質はほとんど観測されていない。宇宙の進化の過程でこのような物質と反物質のアンバランスを生じるためには、電荷共役(C)とパリティ(P)の対称性が同時に破れていること、つまりCPの非保存が必要となる。CPの破れは中性K中間子の系で1964年に観測されたが、当時これを説明できる理論は存在しなかった。1973年、小林誠と益川敏英はクォークが3世代、6種類以上存在し、それらの間に混合があればCP対称性の破れが起こり得ることを示した(KM理論)。現在クォークは6種類が見つかっており、KM理論は素粒子物理学の標準理論を形成する重要な骨格となっている。しかしながら、KM理論の十分な検証はなされていない。KM理論が真に正しいか、KM理論が唯一のCP非対称性の起源なのかが素粒子物理学の中心課題の一つとなっていた。

 Bファクトリー実験では、第3世代に属するbクォークを含むB中間子を大量に生成し、その崩壊過程を観測することでKM理論のパラメータを精密に測定し、標準理論の精密な検証をおこなうことが出来る。本論文ではKEK Bファクトリー実験で得られたデータを用い、中性及び荷電B中間子の寿命(τB0及びτB+)、中性B中間子混合の振動周波数(Δmd)、そしてCP非保存のパラメータ(sin2φ1)をB中間子崩壊の時間発展を解析することにより測定した。

 KEK BファクトリーではKEKB加速器により8GeVの電子と3.5GeVの陽電子を衝突させ、電子ビームの方向(z軸方向とする)にboost factor(βγ)Υ=0.425でLorentz boostされたΥ(4S)共鳴状態を生成する。Υ(4S)はおよそ半数がB0B0に、残りの半数がB+B-のB中間子対に壊れるが、Υ(4S)の重心系では2つのB中間子はほぼ静止しているので、2つのB中間子の崩壊点間のz軸方向の距離Δzから2つのB中間子が崩壊するまでの固有時間の差ΔtがΔt〓Δz/[c(βγ)Υ]として計算できる。平均でΔzはおよそ200μm程度であり、時間発展の解析には高い位置分解能を持った測定器が必要である。また、Δmdおよびsin2φ1の測定には中性B中間子のflavorの同定が必要であり、高い精度と効率のためにはe±、μ±のレプトンの同定、K中間子とπ中間子の選別などが重要になって来る。そのためKEK Bファクトリーでは、位置分解能の良いシリコン崩壊点検出器(SVD)、K/π粒子識別のためのエネルギー損失dE/dxを測定できる中央飛跡検出器(CDC)、Cherenkov光による識別が可能なaerogel Cherenkovカウンター(ACC)、粒子の飛行時間による識別が可能な飛行時間測定シンチレーションカウンター(TOF)、電子、光子を観測する電磁カロリーメーター(ECL)、K0L粒子、ミュー粒子を観測するK0L/μ検出器(KLM)から構成されるBelle検出器が設置されている。

 寿命の解析には2000年1月から2001年7月までに集められた31.3×106個のBB対のデータを用いた。まず、次の崩壊モードを用いて片方のB中間子の再構成をおこなった:B0→D-π+、D*-π+、D*-ρ+、J/ψK0S、J/ψK*0、B+→D0π+、J/ψK+。特にSVDの情報を用いて崩壊点の位置を精確に求めた。もう一方のB中間子については、残った荷電粒子の飛跡から崩壊点を求めた。こうして得られたΔt分布はPΔt=1/2τBexp(-|Δt|/τB)の確率密度分布に従うはずである。(ここでτBはB0またはB+の寿命。)実際にはこれに測定器の分解能などから来るresolution関数R(Δt)やバックグラウンド事象のΔt分布を考慮に入れる必要がある。特にresolutionは測定する寿命と同程度であることから、この測定にはR(Δt)の精確な理解が要求される。これらを考慮した確率密度関数を用いてunbinned maximum likelihood法により、Δt分布をフィットすることでB中間子の寿命を決定する。再構成された7863個の中性B中間子、12047個の荷電B中間子対のΔt分布、及びフィットの結果を図1に示す。得られた中性、荷電B中間子の寿命、及びその比は、τB0=1.554±0.030(stat)±0.019(syst)ps τB+=1.695±0.026(stat)±0.015(syst)ps τB+/τB0=1.091±0.023(stat)±0.014(syst)であった。これは現時点で最も精度の高い測定の一つである。

 中性B中間子混合の解析にも寿命の解析同様31.3×106個のBB対のデータを用いた。まず、片方のB中間子をflavorが特定できる崩壊モード(B0→D-π+、D*-π+、D*-ρ+)を用いて再構成をおこなった。Δtを寿命の解析と同様にして求め、もう一方のB中間子のflavorはその崩壊により生じた粒子の運動量、角度分布、粒子識別の情報などを用いて決定する。中性B中間子対が異なるflavorの状態(B0B0)に崩壊する場合、同じflavorの状態(B0B0、B0B0)に崩壊する場合の確率密度分布は、それぞれPOF(Δt)=1/4τB0exp(-|Δt|/τB0)[1+cos(ΔmdΔt)] PSF(Δt)=1/4τB0exp(-|Δt|/τB0)[1-cos(ΔmdΔt)]で与えられる。これに寿命の測定で求めたresolution関数、バックグラウンド事象のΔt分布、flavorの決定精度を考慮に入れ、再構成された6660個の中性B中間子対についてΔt分布(図2)をフィットした結果、得られたB0-B0振動の周波数はΔmd=0.528±0.017(stat)±0.011(syst)ps-1であった。これも現時点で最も精度の高い測定の一つである。

 sin2φ1の解析には2000年1月から2002年7月までに得られた85×106個のBB対のデータを用いた。この解析には中性B中間子のCP固有状態への崩壊を再構成する必要がある。今回はCP固有値ξf=-1のモードとして、B0→J/ψK0S、ψ(2S)K0S、χc1K0S、ηcK0Sを、ξ=+1のモードとしてB0→J/ψK0Lを用いた。また、ξf=±1の混合状態であるB0→J/ψK*0(K*0→K0Sπ0)も用いた。Δtを寿命の測定と同様に、もう一方のB中間子のflavorをΔmdの解析のときと同様にして決定した。時刻tcpに一方のB中間子が固有値ξfのCP固有状態に崩壊し、時刻ttagにもう一方がflavor q(+1:B0、-1:B0)の状態に崩壊したときのΔt=tcp-ttagの確率密度分布はP(Δt)=1/4τB0exp(-|Δt|/τB0)[1-ξfsin(ΔmdΔt)]で与えられる。この分布関数に寿命の測定で求めたresolution関数、Δmdの測定で見積もったflavorの決定精度、バックグラウンド事象のΔt分布を考慮して、2958個の中性B中間子のCP固有状態への崩壊事象のΔt分布をフィットした結果が図3である。得られたCP対称性の破れのパラメータsin2φ1は、sin2φ1=0.719±0.074(stat)±0.035(syst)であった。これは現時点で最高精度の測定結果の一つである。

 以上の結果とその他の実験及び理論の結果を合わせてKM理論のパラメータをフィットした結果が図4である。ここでρ、ηはKM理論のパラメータである。sin2φ1(図中ではsin2βWA)はもっとも強い制限を与えている。またその他の結果から来る制限とも非常に良く一致しており、KM理論の正しさを実証している。

 以上のように、本論文はB中間子の寿命τB0とτB+、混合の振動周波数Δmd、CP非対称のパラメータsin2φ1について最も精度の高い測定をおこない、Bファクトリー実験における時間発展の解析により標準理論の精密な検証が可能であることを示した。また、測定結果は標準理論の予想と高い精度で一致しており、KM理論が正しいことが実証された。

図1:中性B中間子対(左)、及び荷電B中間子対(右)のΔt分布。

図2:同じflavor(左)、及び異なるflavor(右)に崩壊した中性B中間子対のΔt分布。

図3:qξf=+1の時(黒丸)とqξf=-1の時(白丸)のΔt分布。

図4:KM理論のパラメータのフィット結果。

審査要旨 要旨を表示する

 KEKBは、B中間子のCP非保存性を測定するために高エネルギー加速器研究機構に建設された、超高輝度の電子・陽電子衝突型加速器である。KEKBでは2つの独立な加速管中に異なったエネルギーの電子と陽電子を蓄え、重心系でΥ(4s)中間子を作るエネルギーで衝突させる。Υ(4s)は重心系でほぼ静止したB中間子と反B中間子の対に崩壊するが、実験室系では電子・陽電子のエネルギー非対称により、ビーム方向にブーストされる。2つのB中間子は、各々がピコ秒の寿命で崩壊するが、このブーストにより2つの崩壊点には平均して200ミクロン程度の差(ビーム軸方向の間隙)が生ずる。中性B中間子がCPの固有状態に崩壊する場合を考えると、複素位相を持ったCKM行列要素が関与するB反B混合の影響によって、CP固有状態への崩壊の時間当たりの確率はBの崩壊と反Bの場合で大きく異なることが理論的に予想されているKEKBでは、1つのB中間子の崩壊形式の同定によって相棒がBか反Bであるかを決め、その相棒がB反B混合をしながらCP固有状態に崩壊する確率を2つの崩壊点間隙の関数として測定する。その関数形がBと反Bで異なるのが、B中間子におけるCP非保存である。

 本論文は全8章からなる。第1章では、CP非保存の起原をクォーク混合行列の複素位相に求める小林・益川の理論について述べ、これをB中間子の大きなCP非対称性として実験的に検証する意義を説く。第2章では、2つのコヒーレントなB中間子系における崩壊・B反B混合・CP非保存の数学的な取り扱いをまとめている。第3章は、KEKB加速器とBELLE測定器の概説を行っている。上で述べたB反B混合が関与するCP非対称度は、時間積分するとゼロになる為に、CP非保存の測定には崩壊時間の差(すなわち崩壊点間隙)を高分解能で測定することが重要である。崩壊点間隙は、衝突点の直近に設置したシリコンストリップ検出器で測定されるが、この章でシリコン検出器のハードウェア構成等がやや詳しく述べられている。第4章は、事象再構成について述べている。CP非測定に使用する主要な崩壊チャンネルJ/ψKsの他に、混合周波数の測定に使用したDπなどの崩壊チャンネルについても事象選択の条件が検討され、事象選択の純度を示す図が添えられている。

 このような条件で選択された中性B反B事象と荷電B反B事象について、第5章で崩壊点間隙の分布を測定している。これを崩壊時間差に焼き直し、得られた分布を最も正しく再現するB中間子寿命と崩壊点位置測定の分解能関数形を、最尤法によって求めた。得られた寿命は、中性D中間子で1.554±0.030(stat)±0.019(sys)ps荷電B中間子で1.695±0.026±0.015psである。この値は、世界でこれまでに測定された値の中で最も精度の高いものの一つであり、他の実験の値と良い一致を示している。また、得られた分解能関数によって、崩壊点間隙の分布をテイルに至るまで再現することが可能で、バックグラウンドの評価なども含めて時間差測定の誤差が正しく理解できることが示されている。第6章では、同フレイバー崩壊と異フレイバー崩壊の非対称度が、崩壊時間差によってどのように変化するか示されている。前章で得られた寿命と分解能関数を用い、この分布を正しく再現するB反B混合の時間発展パラメーターΔmdを最尤法で求めると、0.528±0.017/psが得られる。この値も、世界でこれまでに測定された値の中で最も精度の高いものの一つである。

 第7章では、前章までに決められたパラメータを用い、CP非対称度の振幅を求めている。本論文で得られた値は、78/fbの積分輝度を使ってsin(2φ1)=0.719±0.074(stat)±0.035(sys)である。BELLEグループの前回の発表は29/fbを使って0.99±0.14±0.06である。新しい測定で中心値は下がっているが、両測定は統計的に許容される範囲ではば一致している。また、本論文の新しい測定では時間分解能関数を改良し、系統誤差を有意に減少させるのに成功している。

 第8章では、得られたsin(2φ1)、Δmdを、世界の他の測定値と合わせて使用し、すべての測定を説明できるCKMユニタリティ三角形の領域を限定して、CKM行列要素の複素位相を決めるフィットを行っている。本論文は、これによって電弱相互作用のエネルギースケールでは、CP非保存性が小林・益川の理論によって説明されることを結論とした。

 本論文の内容は、3編に分けてBELLEグループの共同研究者と共著で印刷公表されている。論文提出者は3編全てについて十分な寄与があると判断するが、特にB中間子混合周波数を測定したPhysics Letters論文では筆頭著者となっており、その貢献が顕著である。

 以上を以て、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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