学位論文要旨



No 117838
著者(漢字) 沼田,健司
著者(英字)
著者(カナ) ヌマタ,ケンジ
標題(和) 鏡の熱雑音の直接測定
標題(洋) Direct measurement of mirror thermal noise
報告番号 117838
報告番号 甲17838
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4309号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大橋,正健
 東京大学 教授 高瀬,雄一
 東京大学 助教授 柴田,大
 東京大学 助教授 小形,正男
 国立天文台 教授 藤本,眞克
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、干渉計型重力波検出器の感度を観測帯域で制限する鏡の熱雑音を、短基線長干渉計を用いて直接測定した実験についてまとめたものである.

 重力波とは一般相対性理論のEinstein方程式から導かれる、光速で伝播する時空の歪みである.その存在は、Einstein自身により、一般相対性理論を発表した翌年の1916年に理論的に指摘された.それから約60年後、1978年、J.H.TaylorとR.A.Hulseの連星パルサーPSR1913+16の公転周期変化の観測により、この存在は間接的に証明された.これにより、重力波の存在は確実なものとされ、現在までその直接検出に向けて様々な実験が行われてきた.

 重力波の直接検出には、一般相対性理論の直接検証という物理的な意義の他に、天文学的な意義もある.重力波の相互作用はきわめて小さいことから、連星中性子星合体や超新星爆発といった現象から放出された重力波は、電磁波やニュートリノの観測からは得られない情報を我々にもたらすと考えられている.重力波の直接検出によって、重力波を使った、新しい天文学を創生することができると期待されている.

 しかしその相互作用の小ささゆえ、重力波の直接検出には、1960年代に開始されたJ.Weberによる共振型検出器による実験以来、現在まで成功していない.共振型検出器は、重力波によって励起された弾性体の振動を検出する装置であり、観測の周波数幅が数Hz程度と狭く、重力波の波形を知ることができないという大きな欠点がある.そのため、現在、精力的に開発されているのは、干渉計型重力波検出器である.干渉計型検出器においては、鏡が観測帯域で自由質点となるように懸架され、重力波による鏡の間の固有距離の変化が干渉計により検出される.その検出器では100Hzから1kHzまでの広い観測帯域で、重力波の波形や偏波の情報を得ることができる.近年のレーザ技術や極限精密計測技術の発展を受け、現在世界で4つの大型レーザ干渉計型重力波検出器が建設されつつあり、重力波検出の可能性が高まってきている.

 しかし、干渉計型検出器の観測帯域では、原理的に避けられない雑音、鏡の熱雑音が存在する.鏡の熱雑音とは、干渉計を構成する鏡が熱俗に接していることにより熱振動し、光路長を変動させる雑音である.鏡の熱雑音は、干渉計型検出器の感度を最も重要な帯域において制限し、直接検出を困難にする要因となる.従って、その研究は干渉計型検出器の開発において最も重要な課題となっている.しかし、鏡の熱雑音の振幅も非常に小さいものであるため、その研究は理論的なものや間接的な測定実験に限られてきた.特に、検出器で問題となる帯域は鏡の共振周波数より十分低く、熱雑音の振幅も非常に小さくなる.揺動散逸定理によると、その帯域での熱雑音の振幅は鏡の機械損失に比例しているはずである.これまでに、その関係を利用した、熱雑音の理論的な計算、鏡の機械損失の測定による間接的な実験が数多く行われてきた.

 しかしながら、鏡の熱雑音が共振周波数外で測定された例はなく、理論や間接的な実験による熱雑音が正しいかどうかは、鏡の熱雑音の研究における最大の課題として残されたままであった.機械系の熱雑音の直接測定という観点から見ても、共振周波数外を含む広い周波数幅での測定は、小さな板バネやねじれ振り子といった簡単な系において、一桁未満の周波数帯で行われていたに過ぎない.従って、鏡の熱雑音の直接測定は、干渉計型検出器の開発においての必須の課題であると共に、揺動散逸定理のより詳細な検証という物理的な意義も持つ.そのため、干渉計型検出器を模した実験室レベルの干渉計を構築し、鏡の熱雑音を、共振周波数を含む広帯域な周波数額域において直接測定する実験を行うこととした.

 ここで直接測定を試みたのは、これまでに鏡の熱雑音として予言されていた、Brownian noiseとthermoelastic noiseの二つである.前者は材質の中に均一に分布しており、多くの場合一定と考えられるバックグラウンドの機械損失に由来し、現象論的に取り扱われる.後者は、熱弾性効果による機械損失に由来し、熱力学と弾性体力学からその損失の大きさが正確に予言されるものである.これらは、鏡の機械的な特性や熱的な特性によって振幅が決まると考えられる.そのために、二つの鏡材料、光学ガラスBK7とフッ化カルシウム(CaF2)を用意した.BK7は、実際の検出器で使われる溶融石英と同じく、機械損失が一定であることが分かっており、Brownian noiseの測定に適している.また、CaF2は、次世代検出器の鏡であるサファイアと類似した熱的特性を持ち、その線膨張率の大きさからthermoelastic noiseの測定に適している.

 これらの特性とこれまでの理論から予言される、熱雑音の大きさを目標感度と設定し、干渉計の各部を注意深く、且つ、実際の検出器で起こる状況を再現するよう、設計、構築した.測定の原理は、周波数安定化されたレーザによって、二つの短基線長Fabry-Perot共振器(test cavity)の鏡の熱雑音を測定するというものである(図1).レーザ光腺は、その周波数が固定光共振器(reference cavity)の長さに対して安定化され、test cavityに入射される.Test cavityはそのレーザ光に対して位置が制御され、変位に敏感となる共振状態に置かれる.その共振器長を短くすることにより、レーザの周波数雑音の影響を受けにくくし、且つ、熱雑音の効果を大きくすることができる.また、等価な二つの共振器からの変位信号を引き算することで、二つの共振器に同相に働く他の雑音を除き、無相関な鏡の熱雑音の信号を得ることが可能となる.

 本実験では、その干渉計により、約100Hzから100kHzの3桁に渡り、鏡の熱雑音を測定することに、初めて成功した.それにより、鏡の共振周波数から離れた帯域での熱雑音を直接理論と比較することが可能となった.測定された熱雑音は、Brownian noise、thermoelastic noise共に、理論より計算されていた熱雑音と一致していることが確認離れた.図2にBK7で測定された熱雑音を示す.内部損失が一定であることを反映し、Brownian noiseは周波数fに対して、1/f1/2に従っている.図3にCaF2で測定された熱雑音を示す.Thermoelastic noiseの理論値と周波数依存性を含めて一致している.これらの理論値は揺動散逸定理も含んでおり、このような広い帯域で機械系における揺動散逸定理が実験的に検証されたのも、この実験が最初である.高い感度によって、鏡の共振付近での熱雑音も直接測定され、これまでに単純な系でのみ行われてきた共振付近での熱雑音の議論を、実際の鏡の熱雑音を用いて行うことも可能となった.

 この干渉計は鏡の熱雑音で感度が制限されている.他に考えられている雑音源は、今回測定された鏡の熱雑音より十分小さいか、容易に低減することのできるものである.これは、将来、より小さな鏡の熱雑音を、この干渉計を用いて直接評価できる可能性があることを示唆している.この干渉計は、検出器に導入する鏡のテストベンチとして、用いられていくことになる.

 また、この直接測定の実験と共に、数値的な熱雑音の計算法、intrinsicな損失の測定による間接的な実験法の開発も行った.数値的な計算法とは、有限要素法を用いて運動方程式を解くことにより、一般の形状、一般の損失分布、周波数依存性をもつ損失のある系の熱雑音を、任意の周波数において計算する手法である.これまでに行われてきた鏡の熱雑音の計算は、解析的、静的であり、鏡界条件の変化にも弱かったが、この計算手法はより一般化されており、鏡の共振付近の熱雑音も取り扱える.Intrinsicな損失の測定法とは、鏡の振動モードの不動点を点接触で支持することにより外的な損失の導入を抑え、鏡の内部損失を直接測定することのできる手法である.これらの計算や実験は正確な熱雑音の推定のためには不可欠なものであり、且つ、現在、ほぼ唯一の方法である.これらによむ推定された鏡の熱雑音は、実験的に測定した熱雑音と確かに一致していることが確認された.

 この研究で開発された直接測定を行う干渉計、熱雑音の計算法、機械損失の測定による間接的な実験法の三者は、相互に用いられながら、鏡の熱雑音の研究を促進し、重力波の直接検出にとって重要な役割を果たしていくと考えられる.

図1:鏡の熱雑音の直接測定実験の模式図.

図2:BK7において測定された変位雑音スペクトル.

太線は理論値.

図3:CaF2において測定された変位雑音スペクトル.

太線は理論値.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、未だ直接的には検出されたことのない重力波を超高感度レーザー干渉計によってとらえようとする場合に問題となる熱雑音を実験的に検証したものである。これまで熱雑音については様々な検討が重ねられ、鏡の熱雑音がレーザー干渉計においてどの程度の雑音となるかが、ようやく定量的に示されるようになってきた。しかし実際にレーザー干渉計の観測帯域で熱雑音が広い帯域で測定されたことがなく、理論的な予想曲線のまま留まっていた。本論文では、鏡の熱雑音を3桁の周波数帯域にわたって測定し、それが予想曲線に一致することを初めて示している。

 本論文は7章からなり、第1章と第2章でレーザー干渉計による重力波検出について解説している。一般相対論から導かれたアインシュタイン方程式には光速度で伝播する波動解が存在する。これを重力波と呼び、時空の歪みの伝播としてとらえられている。重力波の直接検証が行われれば、一般相対論の検証という意義にとどまらず、従来行われてきた電磁波による情報以外の新しい情報をもたらすものとして、重力波観測は天文学の新しい観測の窓になると考えられている。しかし重力波と物質の相互作用はきわめて小さく、空間の歪みそのものをとらえる提案は多くあったが、現実には不可能に近いと考えられていた。しかし近年、極限技術の高度化により性能が飛躍的に向上したレーザー干渉計が建設されるようになり、LIGO(米)やTAMA300(日本)、およびGEO600(英独)など数台の大型レーザー干渉計型重力波検出器が実際に観測を始めている。

 第3章では次世代の大型レーザー干渉計の感度を制限すると予想されている鏡の熱雑音を議論している。鏡の熱雑音とは、レーザー干渉計を構成する鏡が熱浴に接していることにより熱振動し、光路長を変動させる雑音である。これはレーザー干渉計型重力波検出器の感度を最も重要な帯域で制限し、重力波の直接検出を困難にする要因になる。しかし、その振幅が非常に小さいため、熱雑音の研究は理論的なものや間接的な測定実験に限られていた。特に検出器で問題となる帯域は鏡の共振周波数より十分低く、振幅が極端に小さい。遥動散逸定理によれば、その帯域での熱雑音の振幅は鏡の機械損失に比例しているはずであり、これを根拠とする間接的な実験が数多く行なわれてきたのである。熱雑音にはBrownian noiseとthermoelastic noiseの2種類がある。前者は材質の中に均一に分布している機械損失に由来し、現象論的に取り扱われる。後者は熱弾性効果による機械損失に由来し、熱力学と弾性体力学から正確に予想することができる。その計算には、鏡の機械的特性や温度特性が用いられる。以上の2種類の熱雑音を別々に測定するために、測定材料として光学ガラスBK7とフッ化カルシウム(CaF2)を選んだ。BK7は、実際の検出器で使われている合成石英と同様に機械損失が一定であることがわかっており、Brownian noiseの測定に適している。一方、CaF2は、次世代検出器の鏡となるサファイアと類似した熱的特性を持ち、その線膨張率の大きさからthermoelastic noiseの測定に適したものである。この2つの基材、BK7とCaF2の熱雑音を測定するための実験装置について説明しているのが第4章である。他の雑音の影響を抑えるために、非常に短いファブリーペロー共振器を構成し、高安定化レーザーを用いて鏡の振動を測定する実験装置となっている。ファブリーペロー共振器のフィネスは600-800であり、コーティングされている誘電体多層膜の機械損失は無視できる。

 第5章では上記の実験装置で得られた測定結果を示している。予想どおりにBK7ではBrownian noise、CaF2ではthermoelastic noiseが約100Hzから100kHzの3桁の周波数帯城にわたって測定され、理論計算による曲線と一致した。このような広い帯域で遥動散逸定理を機械系において検証したのは初めてである。第6章ではこの結果について詳細な解析を行なっており、これまで行なわれてきたバルクの機械損失から熱雑音を推定する方法の問題点を明らかにするともに、その解決策が示されている。結びの第7章では鏡の熱雑音の測定がまとめられ、今後の展望が解説されている。

 以上のように、本研究により次世代レーザー干渉計型重力波検出器で問題となる鏡の熱雑音が実験によって検証されたと考えられ、重力波物理学の進展に貢献大と認められる。なお、本論文は坪野公夫・安東正樹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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