学位論文要旨



No 117842
著者(漢字) 望月,維人
著者(英字)
著者(カナ) モチヅキ,マサヒト
標題(和) ペロフスカイト型Ti酸化物における磁気-軌道状態とその相転移
標題(洋) Magnetic and Orbital States and Their Phase Transitions in Perovskite-Type Ti Oxides
報告番号 117842
報告番号 甲17842
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4313号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 小形,正男
内容要旨 要旨を表示する

 典型的なモット・ハバード型絶縁体であるペロフスカイト型Ti酸化物RTiO3(Rは希土類イオン)では、電子間の強いクーロン相互作用とTi3d軌道の自由度、そして、ある種の格子歪みによってスピン、軌道、電荷の自由度が互いにカップルし合い、多様な磁気-軌道状態を生み出している。近年、この物質でGdFeO3型格子歪みの大きさの関数としての磁気相図が実験的に調べられ、希土類サイト置換により歪みの大きさを制御すると、反強磁性-強磁性転移が起きることが分かった(図1参照)。この磁気相転移は、対称性のまったく異なる磁気秩序への相転移であるにも関わらず転移点にむかってNeel温度やCurie温度が急激に抑制され一次転移というよりは連続転移的な一見不可解な振舞いを見せる。

 また、各相での磁気-軌道状態やその出現機構は、この磁気相転移の性質と密接に関わっていると考えられるが、様々な理論的研究がなされたにも関わらず、ほとんど解明されていなかった。例えば、歪みの大きなYTiO3では様々な実験により軌道秩序が観測されたが、この軌道構造は強磁性相で素朴に期待される反強的整列になっておらず、その起源は謎である。また、歪みの比較的小さな物質;RTiO3(R=La,Pr,Nd,Sm)では、すべてのスピンが反強磁性的に並んだG型反強磁性状態が実現している。この物質系では、今まで有意なJahn-Teller歪みが観測されていないためにt2g軌道の三重縮退が生き残り、その結果スピン-軌道相互作用の基底状態を伴う反強磁性相が実現していると思われていた。しかし、最近の中性子散乱により得られたスピン波分散は、この系でスピン-軌道相互作用が効いていないことを示唆している。したがって、G型反強磁性相の出現はその起源からして謎である。

 このような不思議な性質を持つ磁気相図を包括的に理解するために、本論文では以下の課題に注目して調べた。

・GdFeO3型格子歪みの大きな領域で実現する強磁性相の出現機構とその性質。

・GdFeO3型格子歪みの小さな領域で実現するG型反強磁性相の出現機構とその性質。

・連続転移的な反強磁性-強磁性転移のメカニズム。

 上記の問題を調べるために、現実のTi化合物の実験パラメータを用い、格子構造を反映させた縮退d-pモデルから出発して、絶縁体極限でスピンと擬スピンの自由度を含む有効ハミルトニアンを求め、平均場近似による計算をした。また、このような強結合側からの描像に加え、弱結合側からのアプローチもおこなうことで、実際のTi系で実現している中間結合領域を議論した。

 まず、大きなGdFeO3型歪みの領域では、隣合うTiのt2g-eg軌道間トランスファーが歪みによって増大し、このエネルギーを得するように実験で観測されている軌道秩序を伴う強磁性相が安定化することが分かった。歪みを減らしていくとc軸方向のスピンカップリングが連続的に負(強磁性的)から正(反強磁性的)に移行していき、A型反強磁性相への転移が起きる。このため、転移点近傍では磁気構造に強い二次元性が実現している。磁気相図に見られるようなCurie温度が転移点へ向かって急激に抑制される振舞いは、この二次元性によるものと結論付けられた。ここで実現している軌道構造は、強磁性領域とA型反強磁性領域でほとんど変化を示さないため、YTiO3以外の強磁性物質でも同様の軌道秩序が観測されることが期待されるが、このことは近年の共鳴X線散乱の実験で確かめられつつある。さらに、弱結合側からの議論によって、以上の描像が結合の強さに依らず定性的に成り立つことを示した。

 このような結果に基づき、この系は相転移を伴った二次元と三次元の制御が可能で、それに伴い強い量子揺らぎの生じる興味深い系となっていることを議論した。また、A型反強磁性相が転移点近傍の固溶系LaxYxTiO3で実現している可能性を指摘した。この相では面間の反強磁性的なスピンカップリングが弱いため、わずかな磁場印加で強磁性へ転移すると考えられる。そのため二重交換機構と同様の機構によって、少量のホールをドープした系では、わずかな磁場によりc軸方向の電気抵抗を減少させ電気伝導特性を制御できる可能性があることを見出した。

 次に、G型反強磁性相が実現しているGdFeO3型歪みの小さな領域では、TiO6八面体の歪みが比較的小さいために、酸素イオンよりはむしろ希土類イオンが作る結晶場がt2g軌道の縮退を解き、系の電子状態を決定することを議論した。具体的には、GdFeO3型歪みにより誘起された希土類イオン格子の歪みが三回対称的な対称性を持った結晶場を構成し(図2参照)、その結晶場中での最低準位の占有がG型反強磁性状態を安定化させる。この描像に基づくと、スピン波分散が示唆する等方的なスピンカップリングがスピン交換相互作用の定量的な大きさも含めて再現されることが分かった。さらに、TiO6人面体のJahn-Teller型の歪みが比較的大きいSmTiO3では酸素による結晶場とSmイオンによる結晶場が競合し、磁気構造に強い二次元的な異方性が生じることが分かった。磁気相図における反強磁性-強磁性転移点近傍でのNeel温度の抑制は、SmTiO3における強い二次元的な磁気構造から理解できる。また、希土類イオンによる結晶場中の最低準位の表現は、YTiO3で観測された軌道構造とよく似た対称性を持っていることが分かり、最近の共鳴X線散乱実験の結果をよく説明できることを議論した。これらの議論を通して、従来はバンド幅制御の観点から注目されていたGdFeO3型歪みが、実はJahn-Teller機構と同様の、あるいはJahn-Teller機構と競合するような、系の磁気-軌道構造を決定するメカニズムとして働くことを指摘した。

 以上の議論から、ペロフスカイト型Ti酸化物の絶縁層における磁気-軌道状態とその相転移が、スピン、軌道、格子の自由度を考えることによって包括的に理解できると結論した(図3も見よ)。

図1:ペロフスカイト型Ti酸化物における、GdFeO3型格子歪みの関数として実験で得られる磁気相図。

黒丸と黒四角は強磁性Curie温度、白抜きは反強磁性Neel温度を表す。

図2

(a)GdFeO3型歪みによって希土類イオンRは主にb軸方向にシフトする。図のように、正方向に一様にシフトする面(RO面1)と負方向に一様にシフトする面(RO面2)がc軸方向に交互に積み重なっている。(b)その結果、例えばサイト1を取り出してみると、±[1,1,-1]方向にある二つのRイオンとTiイオン間のボンド距離がそれ以外のRイオンとのボンド距離に比べ短くなり、[1,1,-1]軸を対称軸とするような三回対称的な結晶場が作られる。

図3:理論的に得られるペロフスカイト型Ti酸化物の概念的な磁気相図

GdFeO3型歪みの小さい領域ではTiO6八面体のJahn-Teller的な歪みも小さく、希土類イオンの作る結晶場がt2g軌道の3重縮退を解き、系の電子構造を決定する。この結晶場中における最低準位の占有がG型反強磁性相を安定化する。TiO6八面体が比較的大きく歪んでいるSmTiO3では、酸素の作る結晶場の効果によりG型反強磁性的なスピンのカップリングが強い2次元的異方性を持つ。このため、この物質のNeel温度は他の物質に比べて強く抑制される。それに対し、GdFeO3型歪みの大きい物質では、大きなJahn-Teller型歪みがあり、ある軌道秩序状態を伴う強磁性状態が実現している。この軌道秩序の出現と強磁性的スピンカップリングには、GdFeO3型歪みにより誘起されるt2g-eg軌道間のトランスファーが本質的な役割を果たしている。この強磁性相ではGdFeO3型歪みを小さくしていくと、面間の強磁性的スピン相互作用が減少していき、2次元性が強くなる。それに伴い、Curie温度も磁気転移点に向かって減少していくことになる。SmTiO3(G型反強磁性)とGdTiO3(強磁性)の間にはstoichiometricな物質はないが、反強磁性-強磁性転移点近傍のLaxY1-xTiO3などの固溶系で、もし大きなJahn-Teller型歪みがあれば、A型反強磁性相が実現している可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、遷移金属化合物の物性において、スピンの自由度に加えて軌道の自由度が重要な役割を果たしていることが明らかになり、盛んに研究がおこなわれている。その代表例であるペロブスカイト型マンガン酸化物は、遷移金属のd軌道が結晶場分裂してできたeg軌道の秩序や揺らぎが問題になっているが、軽い遷移金属の酸化物であるペロブスカイト型Ti酸化物では、結晶場準位のもう一方の成分であるt2g軌道が秩序を起こす。ペロブスカイト型Ti酸化物RTiO3における磁気-軌道秩序のパターンや転移温度は、ペロブスカイト構造のAサイトを占める3価イオンR3+(希土類またはY)の半径を変えることによって結晶の歪みを変化させ、系統的に変化させることができる。こうしてできた様々な磁気-軌道秩序相からなる相図は、酸素のp軌道と遷移金属のd軌道を取り入れたp-dモデルを用いたハートリー-フォック近似計算により説明されてきたが、最近の中性子散乱実験で、この計算では説明できない現象が報告され、議論を呼んでいる。本論文では、これも含めすべての実験結果を説明する新しい軌道秩序モデルを提唱し、その原因としてRイオンのつくる結晶場が重要であることを示している。

 本論文は本文6章と付録からなる。第1章では、まず本研究の背景として、ペロブスカイト型Ti酸化物の結晶構造と磁気-軌道秩序について紹介し、従来の理解と、それでは説明できない最近の中性子散乱の実験結果について述べている。そして、本研究の目的は、すべての実験結果を統一的に説明する磁気-軌道秩序を提案すること、そしてその磁気-軌道秩序が実際に実現可能であることを理論的に示すことにあると述べている。また、Rイオン半径をパラメータとする強磁性-反強磁性転移が、普通に予想される典型的な1次相転移ではなく2次的であることを指摘し、これも理論的に解明する必要があると述べている。

 第2章では、本論文で用いる強結合近似の有効ハミルトニアンをp-dモデルから導いている。モデルのパラメータは、第一原理バンド構造計算や光電子分光の結果を用いて見積もっている。

 続く第3章では、Rイオンの半径が小さく強磁性を示す物質について、強結合近似有効ハミルトニアンを用いて、実験で観測されている磁気-軌道秩序が起こる機構を調べている。Rイオン半径が小さいと、TiO6 8面体のヤーン・テラー歪みは大きくなり、t2g軌道のうち2個の軌道が交互に占有される軌道秩序が実現するが、実験で観測される秩序がなぜ実現するかの直感的な説明はされていなかった。本論文では、TiO6 8面体間の結合の大きな折れ曲がりに注目し、従来Ti化合物で無視されてきたeg軌道とt2g軌道の混成を考慮して直感的な説明を与えた。また、Rイオンが大きくなり反強磁性相との境界に近づくとスピン間の結合が2次元的になることを示し、これがスピン揺らぎを誘発しネール温度の低下をもたらすことによって、2次相転移的な相図になると提唱している。

 第4章では、Rイオン半径が大きく反強磁性を示す物質について、p-dモデルを用いたハートリー-フォック近似計算を行っている。従来調べられていなかった軌道秩序パターンをもつ強磁性状態が反強磁性状態に比べて安定化し、p-dモデルでは実験を説明できないことが示されている。このことが、第5章で新しい結晶場の起源について考察する動機となっている。

 第5章では、Rイオン半径が大きい物質、とくにLaTiO3の反強磁性の起源について新しい提案を行っている。従来の理論では、LaTiO3の反強磁性は、スピン-軌道相互作用が結晶場に打ち勝ち、軌道が等方的になったためとされていた。しかし、中性子散乱の実験により軌道磁気モーメントの存在は否定され、スピン-軌道相互作用によらない等方的な磁気的結合の様式を見つけることが必要となってきた。第4章で示したように、p-dモデルやこれに基づいた強結合近似有効ハミルトニアンでは実験を説明できない。そこで、Rイオンにより生じる結晶場がt2g軌道をさらに分裂させると考えたところ、占有された軌道が等方的な磁気結合を示すことがわかった。そして、Rイオンの空いた5d軌道との混成を考えることによって、十分大きなの結晶場をTi3d電子が感じることを定量的に示している。そして、最後の第6章では、まとめと今後の展望、特にRイオンの結晶場を利用した物性のコントロールの可能性について述べている。

 以上のように本論文は、強相関電子系に特有な「軌道の物理」の舞台として注目されているペロブスカイト型Ti酸化物について、従来の理解を越えた現象を、深い物理的洞察に基づき、新しい観点に立って解析し合理的な説明を与えたことで高く評価された。従って、論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認めた。

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