学位論文要旨



No 117843
著者(漢字) 森瀬,博史
著者(英字)
著者(カナ) モリセ,ヒロフミ
標題(和) ボース・アインシュタイン凝縮体の安定性
標題(洋) Stability of Bose-Einstein Condensates
報告番号 117843
報告番号 甲17843
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4314号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 助教授 鳥井,寿夫
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 青木,秀夫
内容要旨 要旨を表示する

 ボース・アインシュタイン凝縮(以下ではBE凝縮と呼ぶ)の研究は、統計物理、量子力学、非線形物理といった分野が交わる領域にあり、それぞれの観点から見て大変興味深い。

 BE凝縮の概念は、量子力学の黎明期にあたる1920年代にアインシュタインによって提出された。彼は、ドブロイによる物質波の概念にヒントを得て、ボースが光子に対して適用した統計性(今日、ボース・アインシュタイン統計と呼ばれている)を物質、さらに詳しく言えば、3次元空間中の理想気体に対して用いて得られた結果として、粒子系の温度を十分低温に冷却すれば、巨視的な数の粒子が単一の量子状態に凝縮した一種の秩序状態が実現する、という結論を得た。この相転移現象が、BE凝縮である。

 しかしながら、現実の系では、アインシュタインが考えたような理想気体のBE凝縮を観測するのは難しい。なぜならば、一般に物質は低温では固体(ヘリウムでは液体)が安定状態になるが、固体や液体では粒子間の相互作用が強く、理想気体とは性質がかけ離れているからである。液体ヘリウムにおける超流動相は、1930年代にBE凝縮との関連性を指摘され、最近までBE凝縮の研究の中心を占めてきたが、この系においてもやはり原子間相互作用が強い。超流動性の概念は、BE凝縮とは本来独立な概念であるが、そのことをより詳細に調べるためにも相互作用の弱い系でのBE凝縮の実現が期待されていた。そのような状況の中で、ついに1995年に、アルカリ原子を用いた希薄気体におけるBE凝縮の実現に複数のグループが相次いで成功した。そこでは、レーザー光を使って原子・分子の運動を制御しようという1970年代に始められた研究が実を結び、原子を気体のまま冷却し、しかも、絶対温度でマイクロケルビンというような極めて低い温度が実現された。このような超低温にまで原子を冷却すれば、不確定性原理から導かれる各原子の位置の不確定性が、隣りあう原子間隔よりも大きくなり、波動函数同士が重なり合ってBE凝縮が起こる。

 気体であれば、粒子密度は小さく、相互作用はないとは言えないが十分弱い。この場合、非凝縮原子の割合は極めて小さく、平均場理論によって基底状態を記述することができる。また、励起状態についても、1940年代にボゴリューボフによって導入された、基底状態からのゆらぎを線形近似の範囲で扱う理論などがあり、相互作用が強い場合に比べて扱いやすい。これらの理論の有用性は、冷却原子気体のBE凝縮において証明されつつある。その他の利点としては、原子の種類と粒子数、相互作用の強さ、符号(斥力あるいは引力)の他、原子をトラップするためのポテンシャルの形状など、実験的な自由度が大きく、理論を検証する上で有効なことが挙げられる。

 さらに、系の持つ非線形性についても触れておきたい。BE凝縮体は、物質の波動性が巨視的なスケールで顕在化したものと言えるが、その波動函数は、非線形シュレーディンガー方程式によって数学的に記述される。これは、1粒子の波動函数が満たすシュレーディンガー方程式に、相互作用によってもたらされる非線形項が付加されたものである。実際、1995年から現在に至る数年間の研究の進展の中でも、引力相互作用による自己収束崩壊現象や、あるいは多成分系における相分離現象などの非線形性を示す現象が観測されており、これらは非線形物理の視点からも興味深いものである。

 本論文で行われた研究は、これらの理論を出発点とし、BE凝縮体の静的・動的な性質を、「安定性」に注目して、解明することを目的としている。特に、相互作用によって生じる非線形性の他に、原子を閉じこめる調和型のポテンシャルが存在する系を考えることで、空間的な非一様性も生じることは注目に値する。

 第2章で、後の章への準備として平均場理論を概観した後、第3章においては、2成分からなるボース凝縮体の基底状態を取り扱う。特に、実験ではまだ行われていないが、引力相互作用を含む場合に注目する。凝縮体の安定状態は運動エネルギー、ポテンシャルエネルギー、相互作用エネルギーの釣り合いによって決まる。1成分系で、引力相互作用が働く場合には、粒子数がある値以上になると、このバランスが崩れて、自己収縮的な不安定性をもつことが知られているが、その拡張として2成分系を考えると異種原子間に働く相互作用のために1成分単独の凝縮体に比べて多様な安定性を持つことが予想される。この問題を解析的に扱うためにガウシアンの試行函数をもちいた変分法を用いる。この方法は、ガウシアンによる近似の範囲ではあるが、エネルギーの極小存在条件を議論する上で非常に有用な結果をもたらすことを示す。同種原子間、異種原子間に斥力あるいは引力が働くすべての組み合わせに対して不安定化の条件を1成分の場合同様、粒子数に対する条件として得ることができる。これを相図として表す。

 上記の解析では引力を含む場合に特に注目したが、実験では、ルビジウム87の2つの超微細状態を用いた異種原子間に斥力が働く2成分系が実現されており、そこでは、相分離が観測されている。このような現象を扱うために試行函数を拡張して変分法による解析を行い、その結果として、相分離についても臨界粒子数が定義できることが示される。さらに数値計算方法およびその実行結果を示し、粒子数や相互作用の強さなどのパラメータを適当にとって、上の解析との比較も行う。

 第4章では、2成分系の集団励起のような動的な安定性に関わる問題について議論する。第3章で考察したような、引力による凝縮体の崩壊や2成分の分離といった現象は、単極あるいは双極の形状を持つ集団振動モードのソフト化として説明できることを示す。また同種および異種の原子間相互作用の符号および大きさの組み合わせによっては逆位相の単極モードが不安定化を引き起こすことも分かる。これは、これまでには指摘されていなかった多成分特有の現象である。本論文では、相互作用がそれほど強くなく励起モードの概形が理想気体の性質から予想できるということを利用して、変分法と総和則を用いる方法を組み合わせて用いることで、振動周波数についての解析的な近似式を求める。その結果、相互作用の組み合わせについて、安定性の観点から分類を行うことができることを示す。この方法は一成分系でも用いることができるが、多成分系では多様な不安定化モードが存在するために、特に有効な解析手法となることを強調しておく。さらに、前章同様、比較のために数値計算も行う。

 第5章では、引力相互作用する1成分系における動的な振る舞いを考察する。特に、最近の実験で問題になっているような、平衡から大きく離れた、系の非線形性が強く現れる動的な性質を調べることを念頭に置き、自己集束的な崩壊の条件の初期条件依存性に注目する。非線形シュレーディンガー方程式の解の自己集束の問題は、プラズマにおける波動などでも現われ、特に、ザハロフが行ったような分散(動径の2乗の期待値)に注目する方法が有効であることが知られている。この方法を調和ポテンシャルがある場合に適用し、さらに、そこで現われる非線形項を、数学的に厳密に成り立つ積分不等式を用いて評価するという新たな方法を用いることによって、波動函数が崩壊するための十分条件を解析的に求めることができる。この方法は、従来の解析的な手法に比べて、より広範な状況に対して適用可能なものである。また、ガウシアンの試行関数を仮定した、時間に依存する変分法による解析を行うと2つの異なる方法の結果が良く一致することが分かる。このことは、それぞれの方法の妥当性を示唆するものと考えられる。

 より具体的に考えるために、大きさと異方性をパラメータとする、ある密度分布をもった凝縮体波動函数を初期状態として用意し、これをトラップ中で時間発展させる、という問題を考えると、初期条件における異方性が動的な安定性に重大な影響を及ぼすことが明らかになる。従来の研究で言われていたような臨界粒子数は、静的な安定性を考える場合のみ定義される量であり、動的な性質が関わってくる場合には、初期条件が果たす重要な役割を考慮に入れる必要があることを示している。実際の実験データについても、このような視点を欠く理論とは合致していない。また、粒子数が十分大きい凝縮体であっても非常に異方性の高い状態で用意することができれば、崩壊しない可能性があることを示唆しており、これは非常に興味深い予言であると思われる。さらに、数値計算により、時間発展問題を解く方法についても検討し、特に、自己収束解のような非一様性が強い場を記述する上で座標変換を導入する方法が有効であることを示す。

 以上のように、本論文では、BE凝縮体の安定性について、静的性質から動的性質、非線形性が強くなる運動までを、様々な解析手法で明らかにした。函数の積分値を厳密に扱う方法は、一般次元への拡張など数学的にも興味深い問題を含んでいる。しかし、数学的な厳密性を過度に求めると、理論の適用可能な範囲が限定されることから、変分法など近似を用いる解析的手法も積極的に用いた。これにより、精度は多少犠牲にするものの、広範囲のパラメータに対して有効な議論が可能になり、場合分けや相図の作成などの網羅的な解析をすることに成功した。さらには、特定のパラメータに対して精確な評価を得るための数値計算についても、実装方法および実行結果を示すなど、より広い角度から解析の有効性について検討した。

 このようにして得られた、BE凝縮体の安定性に関する新しい知見は、BE凝縮体の基本的性質を明らかにするとともに、将来の諸分野への応用において有益な情報を提出している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、Stability of Bose-Einstein Condensates(ボーズ・アインシュタイン凝縮体の安定性)という題のもと、ボーズ・アインシュタイン凝縮体の安定性についての考察が理論的な観点から述べられている。本論文で議論されている主な点は、(1)2成分から成るボーズ・アインシュタイン凝縮体の安定性、(2)引力相互作用する1成分ボーズ・アインシュタイン凝縮体の動的な振る舞いと安定性、の2つである。

 第1章のイントロダクションの後で、第2章では、平均場理論についての総括が述べられている。δ関数型相互作用で相互作用し、3次元調和振動子ポテンシャルに束縛されているボーズ・アインシュタイン凝縮体について、基底状態の存在、集団励起について議論されている。

 ボーズ・アインシュタイン凝縮体に関するこれまでの多くの研究では1成分から構成されるものを考えているが、第3章では、2成分から成るボーズ・アインシュタイン凝縮体について議論されている。先ず基底状態について述べられている。3次元調和振動子ポテンシャルに閉じ込められた2種類の原子を考え、それらの波動関数をガウス関数で表わしたものを試行関数として変分計算を行なう。相互作用のチャネルごとに、引力、斥力の場合に分けて、粒子数に対する条件として安定化の条件を得た。それを相図として提示している。さらに数値計算の結果も示しており、全体として新しく興味ある結果を示している。

 第4章では、2成分系の励起について議論している。凝縮体の不安定性は集団振動モードのソフト化という観点から見ることができる事を述べている。変分法と総和則を組み合わせて、振動周波数についての解析的な近似式を求めた。粒子数の関数として、安定性を議論した。これも新しいアプローチであると言え評価できる。また、これについての数値計算による確認も行なわれている。

 第5章では、引力相互作用する1成分系の動的な性質について議論している。このような性質に注目する事によって、自己集束的な崩壊が起こる条件の初期状態との関連を調べた。分散(動径の自乗の期待値)についての微分方程式、さらにそれの変形としての微分不等式を導き、それに対応する微分方程式を解くことによって、波動関数の崩壊を論じている。これも新しい手法である。さらに、大きさと異方性をパラメーターとし、ある密度分布を実現する凝縮体波動関数を設定し、これをトラップ中で時間発展させる、という問題を扱っている。その結果、長軸と短軸の長さが大きく異なる、軸対称楕円体のような異方性の高い凝縮体では、動的な運動が時間発展中も維持される事により、崩壊が妨げられる場合がある事が示唆されている。粒子数がかなり大きい凝縮体であっても、異方性が十分に高い初期状態にあると、崩壊しない可能性がある、と主張している。この結論にはさらなる検討が必要であろうが、このような視点そのものは新しいものを含んでおり、意味があると評価される。

 第8章では、全体のまとめが示されている。

 以上のように、ボーズ・アインシュタイン凝縮体の従来の理論研究とはやや異なる視点から、この学位論文は展開されている。解決すべき、或いは、発展させるべき問題点は多々指摘できるが、その成果は種々の興味深い新しい示唆を含んでおり、今後この分野の発展に大いに貢献するものと期待される。

 これらの結果は既に約7篇の論文として、レフェリーのある学術雑誌に発表されている。また、これらの論文は指導教官である和達教授との共同研究ではあるが、主要部分は論文提出者の手になるものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク