学位論文要旨



No 117846
著者(漢字) 渡邉,元太郎
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ゲンタロウ
標題(和) 高密度天体における原子核パスタとその性質
標題(洋) Nuclear "pasta" in dense stars and its properties
報告番号 117846
報告番号 甲17846
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4317号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 須藤,靖
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 助教授 櫻井,博儀
 東京大学 教授 大塚,孝治
内容要旨 要旨を表示する

 大マゼラン星雲中に起こった超新星1987Aからのニュートリノバーストが神岡の観測装置で検出されたという出来事は、現在発展の著しいニュートリノ物理学並びにニュートリノ天文学の始まりを告げただけでなく、超新星爆発や高密度天体現象そのものの理解を大いに動機づけるものであった。超新星爆発とは、星の進化の最終段階において迎える大爆発のことで、星の最期を彩る非常にドラマチックな現象である。そしてその中心部には、中性子を主成分とする極めて高密度な天体、即ち中性子星が残される。超新星や中性子星といった高密度天体の性質並びにこれらの天体における現象を理解するにあたって、それらの内部に存在する高密度核物質の性質やそこでの原子核の状態を調べることが必要不可欠である。しかも、これらの物質は地上の実験室よりもはるかに高密度かつ中性子過剰な状況にあるため、常温常圧では見られないような新奇な相を示す。

 Ravenhall et al.(1983)とHashimoto et al.(1984)は、核の表面エネルギーとクーロン格子エネルギーとのバランスの議論から、中性子星内殻底部並びに超新星コアといった部分では、球状の原子核から一様核物質に融解していく中間の密度領域において、スパゲッティのような円柱状やラザニアのような板状の原子核がクーロン結晶を組んだ相、及び一様核物質に円柱状や球状の孔が空いたようなバブル状の相がエネルギー的に最安定な状態として存在し得るという興味深い結果を得た。このような非球状の原子核は、その形状から"Nuclear Pasta"と呼ばれている。"Nuclear Pasta"は、単にそれそのものが興味深いというだけではなく、その存在によって、超新星爆発の成否を握る超新星コアでのニュートリノ輸送現象や中性子星の進化を決める冷却過程、さらにはパルサーの突然のスピンダウンである"グリッチ"等の高密度天体における諸現象に対して影響を及ぼすという意味においても、その性質を調べるということは多岐にわたる意義を持っていると言える。加えて、高密度核物質は陽子と中性子から成る複雑液体と見ることもできるが、"Nuclear Pasta"は複雑液体の相転移といった基本的な問題としても興味深い。本論文の最終的な目的は、"Nuclear Pasta"という高密度物質における、さながらソフトマターのような豊かな構造及びその構造に伴った性質を、巨視的かつ静的、微視的かつ動的両面から調べることで、高密度天体内部に対する現実的な描像を提供することにある。

 前述の二つの研究以後、液滴モデルやThomas-Fermiモデルによる中性子星内殻並びに超新星コアにおける物質の基底状態についての計算が幾つか行われ、具体的な核モデルを考慮した場合における温度T=0でのPasta相の発現が議論された。しかしながら、これらの研究は各々特定の核モデルを仮定したものであり、核力の不定性に起因するところの、高密度かつ中性子過剰な状況下にある極めて不定性の大きな核の性質に対して、Pasta相は普遍的に発現するのか否かという点については明らかではなかった。これを受けて本論文で考察した第一の問題は、「温度ゼロの基底状態において、"Nuclear Pasta"は不定性の大きな核モデルに対して普遍的に存在するものなのか?」というものである。

 まずこの問題を解決するために、本研究ではBaym,Bethe & Pethick(1971)による可圧縮液滴モデルを基にして、高密度物質の不定性を取り込むようにこれを拡張した。中性子星物質での不定性の中で、"Nuclear Pasta"の発現の可否を左右するものとして考慮すべきものは、核の表面張力Esurfと、純粋な中性子物質における陽子の化学ポテンシャルμp(0)である。超新星物質においては、上記の物理量以上にニュートリノの縮退の度合いに左右されるlepton fraction YLの不定性が重要になってくる。本論文では、最近の文献で用いられている幾つかの典型的な値を含む広い範囲にわたってEsurf,μp(0)並びにYLをパラメータとしてふり、それに応じた"Nuclear Pasta"各相の出現状況を体系的に調べることで、標準核密度(核子数密度ρ=ρ0〓0.16fm-3)近傍での中性子星内穀物質と超新星物質の相図を得た。この相図から得られる結論として注目すべき点は、温度ゼロの下、標準核密度近傍では、バブル状の相も含む考慮した全てのPasta相は、核モデルによらず極めて普遍的にエネルギー最安定の状態となるということである。

 基底状態におけるPasta相の発現状況と、高密度物質における不定性に対するその普遍性が把握されたら、次に調べるべき第二の問題は、「少なくとも中性子星の冷却やコアの崩壊の時間スケール以下の有限の時間スケールで、動的なプロセスを通してPasta相が形成され得るか」ということであろう。

 この目的のためには、動的かつ核の構造を仮定しないような議論が必要不可欠であるが、それには核子レベルの自由度を取り入れた手法が適当であろう。それに加えて、核子の離合集散の結果として生ずる核の融解及び核の構造の形成を扱うには、核子の密度揺らぎの相関をも取り込む必要がある。以上の要請を満たす有力な手法の一つとして挙げられるのが、核物理の分野で著しい発展を遂げているFermi粒子系のMDである。本論文においては、核内の構造よりもむしろ幾つもの核が合体した様な、核子に対して巨視的な構造に注目しているという点、またそれ故比較的多くの核子(1万核子程度)を扱う必要があるという点とを併せて考慮すると、数あるFermi粒子系のMDの中でも"量子分子動力学法(QMD)"と呼ばれる方法が最も適当であると考えられる。

 我々はQMDによる研究の第一段階として(1)中性子星の初期段階のような高温の一様核物質から、"Nuclear Pasta"の各相が動的な過程を通して有限の時間スケールで発現し得るのか?(2)低温において高密度核物質の構造は密度によってどの様に変化するのか?という二点を明らかにするために、低温(温度T〜0.1MeV)かつproton fraction x=0.5,0.3について標準核密度近傍の高密度物質のQMDシミュレーションを行った。さらにその中に現れる核の構造を、オイラー数というトポロジカルな量を用いて定量的に解析することで、(2)の問題に対する明確な結論を得た。

 簡単にシミュレーションの手順を述べると、まず始めに高温(T〓20MeV)の一様な核子気体を初期条件として用意し、これを摩擦緩和法等によって103-104fm/cのオーダーの時間スケールで極めて緩やかに冷却することで基底状態の実現を試みた。核子間相互作用のハミルトニアンとしてはMaruyama et al.(1998)によるものを用い、相対論的縮退電子は一様なバックグラウンドとして扱った。シミュレーションの結果得られた高密度物質中の核子分布を図1に示す。この図からも分かるように、事実核の形状を仮定せずとも、動的なプロセスを通して一様核物質から密度に応じた"Nuclear Pasta"の各形状が発現している。この結果は、現実の高密度天体内部においてもPasta相が存在することを強く示唆するものである。これとは別に本論文においては、シミュレーションでは取り込むことができないような長波長モードの熱揺らぎが、Pasta構造に及ぼす影響についても調べているが、それによると、slab相の長距離秩序については有限のスケールにその広がりが制限され得るという結果を得ており、現実の高密度天体内部のPasta相の状況を正確に記述する際は、この点も併せて考慮する必要がある。

 QMDシミュレーションによって得られた温度ゼロにおける高密度物質の相図を図2に示す。ここで注意したいのは図2において括弧(,)で示されている領域の存在であり、ここでの核は上記の様な単純な形状やそれらの共存とは全く異なった複雑な構造をしている。この領域の相を中間相と呼ぶことにする。この中間相における核の構造について、オイラー数を求めたところ、これらの構造は「負のオイラー数」という一言で特徴づけられることが分かった。中間相における負のオイラー数とは、核の部分とガスの部分の両者それぞれでつながった領域を構成していることを示しており、定性的にはスポンジの様な多孔質物質となっていることを意味する。cylinder,slab相については、それらの構造上の類似性から、液晶と共通する弾性を持つことが知られているが、今回新たに示されたスポンジ的な相は、液晶的な相と交互に現れる形で高密度天体内部に存在するということが図2から示唆される。

 本論文では、以上の主要な問題の他、線形Thomas-Fermi近似による電子遮蔽の効果や摂動論的な方法による"Nuclear Pasta"の安定性の解析をも行った。前者については、相図上において、slab相を境に低密度側の境界はより低密度側にシフトする一方で、高密度側の境界はより高密度側へシフトし、その結果、Pasta相の密度領域は若干広がるということが確認された。上記QMDシミュレーションでは、電子遮蔽の効果を無視していたが、それを考慮してもPasta相の領域が消えてしまうということはないと期待される。後者の安定性の解析については、典型的な核分裂の不安定性と陽子クラスタリングの不安定性について調べたが、bcc格子や一様核物質におけるこれらの不安定性は既に確認されている一方で、平衡状態からの摂動的な変化の範囲では、これらによるPasta相の崩壊のチャンネルは見い出されなかった。このことから、中性子星の進化に伴った物質の加圧や減圧によって、星の中でのPasta相の領域は広がることが示唆される。

図1:QMDシミュレーションによって得られた、低温(T〜O(0.1)MeV)かつ標準核密度以下の様々な密度おける核子の空間的分布の例(対称核物質について)。

(a)sphere相、0.1ρ0;(b)cylinder相、0.18ρ0;(c)slab相、0.4ρ0;(d)cylindrical hole相、0.5ρ0;(e)spherical hole相、0.6ρ0.但し、ρ0≡0.165fm-3は標準核子数密度。赤色の粒子は陽子、緑色の粒子は中性子を示している。

図2:温度ゼロにおける、標準核密度以下の物質(x=0.5,0.3)の相図。

横軸は標準核子数密度で規格化した数密度、定温圧縮率κT<0は相分離に対して不安定な領域を示しており、その部分では、非一様な構造が現れる。括弧で示された部分は、中間相を表している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、9章からなり、第1章は序、第2章が中性子星の中心付近に存在すると考えられる原子核パスタのレビューにあてられている。第3章以降が、論文提出者のオリジナルな研究に対応し、平衡状態における核物質の相図と原子核パスタの出現(第3章)、摂動法に基づく原子核パスタの安定性(第4章)、原子核パスタにおける遮蔽効果(第5章)、を議論した後、第6章から第8章が量子分子動力学を用いた原子核パスタ生成の研究成果の紹介である。第9章が結論で、いくつかの補足的な話題が付録AからCで論じられている。

 星の進化の最終段階である超新星爆発の結果、中心部には、中性子を主成分とする極めて高密度な天体、即ち中性子星が残される。超新星や中性子星といった高密度天体の性質並びにこれらの天体における現象を理解するにあたって、それらの内部に存在する高密度核物質の性質やそこでの原子核の状態を調べることは必要不可欠である。これらの物質は常温常圧における地上の実験室では見られないような興味深い相を示す。

 Ravenhall et al.(1983)とHashimoto et al.(1984)は、核の表面エネルギーとクーロン格子エネルギーとのバランスの議論から、中性子星内殻底部並びに超新星コアといった部分では、球状の原子核から一様核物質に融解していく中間の密度領域において、スパゲッティのような円柱状やラザニアのような板状の原子核がクーロン結晶を組んだ相、及び一様核物質に円柱状や球状の孔が空いたようなバブル状の相がエネルギー的に最安定な状態として存在し得るという興味深い結果を得た。このような非球状の原子核は、その形状から"Nuclear Pasta"と呼ばれている。

 本論文ではまず「温度ゼロの基底状態において、"Nuclear Pasta"は不定性の大きな核モデルに対して普遍的に存在するものなのか?」という問題を考察したBaym,Bethe & Pethick(1971)による可圧縮液滴モデルを基にして、高密度物質の不定性を取り込むようにこれを拡張した。中性子星物質での不定性の中で、"Nuclear Pasta"の発現の可否を左右するものとして考慮すべきものは、核の表面張力Esurfと、純粋な中性子物質における陽子の化学ポテンシャルμp(0)である。超新星物質においては、上記の物理量以上にニュートリノの縮退の度合いに左右されるlepton fraction YLの不定性が重要になってくる。これらのパラメータに対する現実的な領域を考えると、温度ゼロの下、標準核密度(核子数密度ρ=ρ0〓0.16fm-3)近傍では、バブル状の相も含む考慮した全てのPasta相が、核モデルによらず極めて普遍的にエネルギー最安定の状態となるということがわかった。

 この結論を受けて、次に「少なくとも中性子星の冷却やコアの崩壊の時間スケール以下の有限の時間スケールで、動的なプロセスを通してPasta相が形成され得るか」という問題の考察に進んだ。この目的のためには、動的かつ核の構造を仮定しないような議論が必要不可欠であり、"量子分子動力学法(QMD)"と呼ばれる方法を用いることにした。

 具体的には、高温(T〓20MeV)の一様な核子気体を初期条件として用意し、これを摩擦緩和法等によって103-104fm/cのオーダーの時間スケールで極めて緩やかに冷却することで基底状態の実現を試みた。核子問相互作用のハミルトニアンとしてはMaruyama et al.(1998)によるものを用い、相対論的縮退電子は一様なバックグラウンドとして扱った。シミュレーションの結果、核の形状を仮定せずとも、動的なプロセスを通して一様核物質から密度に応じた"Nuclear Pasta"の各形状が発現していることがわかった。この結果は、現実の高密度天体内部においてもPasta相が存在することを強く示唆するものである。

 今回のQMDシミュレーションによって得られた温度ゼロにおける高密度物質の相図は、従来のPasta相のような単純な形状やそれらの共存とは全く異なった複雑な構造をした「中間相」の存在が明らかになった。この中間相における核の構造について、オイラー数を求めたところ、これらの構造は「負のオイラー数」という一言で特徴づけられることが分かった。中間相における負のオイラー数とは、核の部分とガスの部分の両者それぞれでつながった領域を構成していることを示しており、定性的にはスポンジの様な多孔質物質となっていることを意味する。cylinder,slab相については、それらの構造上の類似性から、液晶と共通する弾性を持つことが知られているが、今回新たに示されたスポンジ的な相は、液晶的な相と交互に現れる形で高密度天体内部に存在するということが示唆される。

 なお、本論文の一部は、佐藤勝彦、飯田圭、戎崎俊一、泰岡顕治との共同研究に基づくものではあるが、実質的な計算とその結果の解析の全般にわたり提出者が中心となって行ったものであり、その寄与が十分であると判断する。

 したがって博士(理学)を授与できると認める。

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