学位論文要旨



No 117852
著者(漢字) 三澤,透
著者(英字)
著者(カナ) ミサワ,トオル
標題(和) クェーサー中性水素吸収線系のHIRESによる分光学的研究
標題(洋) Spectroscopic Analysis of H I Absorption Line Systems in 40 HIRES QSOs
報告番号 117852
報告番号 甲17852
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4323号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉井,讓
 東京大学 助教授 土居,守
 東京大学 助教授 川良,公明
 東海大学 教授 比田井,昌英
 国立天文台 教授 小林,行泰
内容要旨 要旨を表示する

 クエーサーは、宇宙の非常に遠方にあり銀河形成が活発に行なわれていた時代の情報を我々にもたらすため、1960年代におけるその発見以来、数々の詳細な研究が行なわれてきた。クエーサーはまた、我々とクエーサーの間に存在する天体を研究するための背景光源としても利用されてきた。なぜなら、クエーサーに対する視線上に存在する天体は、たとえ撮像観測で検出するには暗すぎる天体であったとしても、クエーサーのスペクトル上に存在する吸収線として検出することが可能だからである。中でも中性水素(HI)ガスによる吸収線は、クエーサー自身による中性水素輝線よりも短波長側に非常に密集して検出される(「Lyαの森」と総称される)ため、分光学的研究がさかんに行なわれており、その柱密度N(cm-2)や速度幅b(kms-1)の分布傾向や、視線方向の空間分布の傾向などが詳細に調べられてきた。

 このような物理量の統計的分布を議論するうえでは、各吸収線が完全に分解されていることが必須条件である。特に柱密度が比較的強い(logN >15)吸収線の場合、近接する吸収線との混合が無視できなくなるためその吸収線の検出には細心の注意を払うことが要求される。ところが従来の研究では各吸収線を完全に分解することができず、混合した吸収線があたかもひとつの吸収線であるかのように議論されてきた。そのため、本来の柱密度・速度幅が過大に評価されていた可能性がある。

 そこで我々は混合した複数の吸収線を分解すべく新しい手法を採り入れた。従来はLyαの吸収線プロファイルのみを参考にHI吸収線を検出していたのに対し、我々はより高いライマン系列の吸収線プロファイルをも同時に考慮に入れることにより、その検出精度を飛躍的に高めることに成功した。

 吸収線の視線速度分布の2点相関調べたところ、比較的強いHI吸収線が200kms-1程度以下で強い相関を示すのに対し、比較的弱い吸収線は100kms-1程度以下での相関を示すことが分かった。また、吸収線の強さが同程度で、なおかつより強い吸収線のほうがクラスタリングの傾向が強いことが明らかになった。そこで、強い吸収線(logN >15)およびその近傍土200kms-1以内にあるすべてのHI吸収線を銀河に起源があると思われるグループ(IGLs;Intervenig Galaxy Lines)と考え、銀河間ガスに起源があると思われるグループ(LFLs;Lyα Forest Lines)と区別して両者の物理量の統計的分布を調べた。

 HI吸収線の柱密度分布は、IGLsおよびLFLsに対してそれぞれ係数をα=1.19,1.49とした指数関数(log[dn(N)/dn]=-αlogN+β)で良くフイッテイングできることが分かった。しかし、この違いは観測したクエーサーや吸収線の選択方法によるバイアスによる影響が効いているためだと考えられる。また、柱密度と速度幅の相関関係を調べた結果、速度幅の下限値(bmin)と対数表示の柱密度の間に1次の正の相関が見られ(bmin=γlogN+δ)、IGLsに対する傾き(γ=1.3)がLFLsに対する傾き(γ=4.0)よりも緩やかであることが分かった(図1)。LFLsに対する相関関係はすでにCDMモデルによるシミュレーションでも再現されているが、IGLsに対する関係も背景UVフラックスに対する自己遮蔽効果などを考慮に入れることにより再現できる可能性がある。

 さらに本研究では以下のような結果も得られた:(i)柱密度が非常に小さい(logN <13)吸収線の平均的なb値が23(kms-1)であるのに対し、その他の吸収線(logN >13)は28kms-1付近に分布のピークを持つ。;(ii)LFLsに対する柱密度分布の係数(α)は赤方偏移とともに減少する。それに対しIGLsの係数はほぼ不変である。;(iii)クエーサーの近傍(視線速度差が5000kms-1以下)では、LFLsの柱密度分布の係数(α)が大きくなる。また、速度幅も増加する傾向が見られる。;(iv)比較的強いIGLs(logN >17)が必ず重元素ガスによる吸収線を持つのに対し、比較的弱いIGLs(15 <logN <17)は、およそ半数程度しか重元素ガスを伴っていない。

 このように、IGLsとLFLsは明らかに異なるクラスタリング傾向、赤方偏移進化、bmin-logN関係をもっているため、対応する吸収体は異なると考えられる。一般的にはIGLsは銀河による吸収線、LFLsは銀河間空間にひろがる希薄なガスによる吸収線と考えられるが、将来的には今回得られた結果を再現できるモデルを構築することにより、両者の違いを定量的に説明できるものと期待される。

図1:速度幅(b値)と柱密度(logN)の関係。

星印および黒点は、それぞれLFLsおよびIGLsを示す。破線はIGLsの分布の境界線。点線および実線はLFLsの分布の下限値。太い破線点線はCDMシミュレーションによって再現されたLFLsの分布の下限値(Zhang etq a1.1997)。速度幅が温度的な広がりだけで説明できる場合のT=104,5×104,105,および2×105(K)に対応するb値を4本の細い破線点線で表した。

審査要旨 要旨を表示する

 高赤方偏移クエーサーの高分散スペクトル上には密集した中性水素Lyα吸収線が存在するが、近接した吸収線どうしの混合が従来から問題視されてきた。本論文は、混合した吸収線の分離を可能にする新手法を確立し、従来に優る信頼度で多数の中性水素吸収線を分離検出し、その吸収線系の物理量や空間分布の解析から銀河間ガスの存在形態や物理状態についての新知見を得たものである。

 本論文は6章から構成される。第1章では、従来の吸収線系の研究にもとづいて、それらの中性水素ガスの柱密度や速度幅の分布傾向とそれらの空間分布傾向などの諸特性が概説されている。特に、柱密度が比較的大きい(NHI>1015cm-2)吸収線系では、複数の吸収線の混合によって柱密度や速度幅が過大評価されており、それが結果を解釈する際の不定性の要因になっている現状がレビューされている。それに対して、本研究は、広範な柱密度(NHI〓1012-20cm-2)の吸収線を確実に分離検出した結果にもとづいた、はじめての統計的研究であることが強調されている。

 第2章では、背景光源として使った40のクエーサーの基本データ(赤方偏移、可視等級、スペクトルの波長範囲、S/N比)をまとめている。このデータは、カリフォルニア大学のグループが高赤方偏移での重水素量を決定するために、口径10mケック望遠鏡に装着した高分散エシェル分光装置(HIRES)で取得したものであるが、ここでは吸収線を検出する元になるスペクトルをどのように構築したか、その解析手順を述べている。

 第3章では、混合した複数の中性水素吸収線を分離するために導入したプロファイル・フィッティング法の詳細を述べている。従来のフィッティングではLyα吸収線プロファイルだけを使っていたのに対し、本研究ではLyεまでのより高いライマン系列の吸収線プロファイルも同時に考慮する新しい手法を導入した。この手法を40のクエーサーのスペクトルに適用することにより、赤方偏移2<z<4の範囲でNHI>1015cm-2の柱密度をもつ86の吸収線系を検出した。また、本手法で吸収線の分離検出が飛躍的に高まった結果、それぞれの吸収線系に付随する低柱密度の吸収線を数多く分離検出することに成功した。

 第4章では、検出した全ての中性水素吸収線を用いて、視線速度分布の2点相関から、空間的なクラスタリング傾向を調べた。その結果、銀河内の濃いガスに起源があるグループ(IGLs=Intervening Galaxy Lines;NHI>1015cm-2かつ速度差±200km/s以内の吸収線)と銀河間の希薄なガスに起源があるグループ(LFLs=Lyα Forest Lines;NHI<1015cm-2>のLyα森)に大別できることを示した。柱密度の冪に逆比例する柱密度分布の羃数についてはグループ間で有意な差はないが、速度幅分布の下限値と柱密度の対数の間に一次の正の相関があり、IGLsに対する傾きがLFLsに比べて有意に緩やかであることを見出した。LFLsに対する傾向はCDM宇宙での銀河形成シミュレーションで再現されているが、IGLsに対するこの傾向は今後の理論的説明が待たれる重要な観測事実である。

 第5章では、検出した中性水素吸収線の物理量の分布について広範な考察を加え、以下の結果を得た。LFLsに対する柱密度分布は赤方偏移に依存し、z>3ではそれ以下に比べ柱密度の大きい吸収線の数が有意に多い。他方、IGLsに対しては赤方偏移の依存性がない。また、LFLsはクエーサーの近接効果が顕著であり、視線速度差が5000km/s以下のクエーサー近傍では、柱密度の大きい吸収線が減少し、速度幅が増加する傾向がある。これらの結果は、前章の結果とも合わせ、銀河問ガスの物理特性がIGLsとLFLsで異なっていることを定量的に示したものであり、今後の銀河形成研究で適切に取り入れられるべき観測事実である。

 第6章は結果の要約である。

 以上、本論文は、高赤方偏移における銀河問ガスの研究に確実な統計的基礎を与え、銀河形成過程を明らかにする上で手がかりとなる数多くの観測事実を導いた先駆的研究として高く評価できる。なお、本論文の一部はDavid Tytler、David Kirkman、John O'Meara、Nao Suzuki、柏川伸成、家正則との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、審査員全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認める。

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