学位論文要旨



No 117853
著者(漢字) 伊賀,晋一
著者(英字)
著者(カナ) イガ,シンイチ
標題(和) 球面浅水系でのシア不安定
標題(洋)
報告番号 117853
報告番号 甲17853
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4324号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 助教授 安田,一郎
 東京大学 助教授 松田,佳久
 宇宙科学研究所 助教授 今村,剛
内容要旨 要旨を表示する

1はじめに

 金星の自転周期は約243日であるにもかかわらず、雲層付近の大気は約4日で金星の周りを一周している。この高速東西風速の緯度分布はある程度観測されているが、この分布が安定か否か、又不安定とした場合の擾乱の構造や役割を明らかにすることはスーパーローテーションの生成メカニズムを理解する上で大変重要である。本研究はこの不安定問題を球面浅水系でのシア不安定問題として研究する。今まで球面浅水系でのシア不安定問題を地球の中層大気や太陽を念頭において取り扱った研究はあるが、金星の風速場を基本場とした研究はない。

 本研究では、球面浅水系でのシア不安定問題を数学的に取扱い、不安定の領域、不安定波の構造などを詳細に調べる。その際、GFD的観点から不安定の生成メカニズムを理解するよう試みた。次に得られた結果を金星に適用し、Gierasch(1975)の説で仮定されているような大きな水平粘性の妥当性、つまり、角運動量を赤道方向に輸送するような擾乱としての不安定モードが有効かどうかを検討した。

2方程式系と基本場

 用いた線形浅水方程式系は、以下の通りである。基本場は図1のような四通りを与えた。A〜Cは金星雲層上端での基本場に相当し、それぞれ時期や観測手法が異なる。Dは太陽対流圏に相当する。順圧及び慣性の安定性は下記の通りである。

3結果

 まず基本場(A)では、図2(左)のような振動数(東西波数1のみ記す)と(右)成長率が得られた。最大成長モードは東西波数2であり、(gH)1/2/2aΩ=0.1付近で最大成長率0.0034(金星高度65km付近に換算すると、鉛直波長約1km、成長の緩和時間は約100日)を与える。また、いずれもケルビンモードが臨界緯度で特異性をもつ連続モードと交わった箇所で成長モードが生じている。この成長モードの(gH)1/2/2aΩ=0.1での固有関数を図3に示す。この成長モードによる角運動量輸送はトータルで赤道向きであるが、それは非発散(流線関数)成分による寄与によるものではなく、発散成分や、両者の掛け合わせの項の寄与によるものである。また、臨界緯度(約40°)近傍で急激に変化していて、その部分は連続モードに非常に似た構造になっている(連続モードの図は略)。更に擬角運動量(図略)は臨界緯度近傍の連続モードからの由来であると考えられる部分が負、それより赤道側のケルビンモードからの由来と考えられる部分が正になっている。このことはモードの共鳴の考え方にも矛盾せず、この不安定モードはケルビンモードと連続モードとの共鳴によって生じたという表現が可能である。

 基本場(B)では、成長率が約5倍になった他は、定性的には基本場(A)と同様であった。また、東西波数が増えると西進重力波モードも連続モードと交わるようになるが、その部分では不安定は生じない。このことは擬角運動量の観点からも証明される。

 基本場(C)ではロスビーモード、東進重力波モード、西進重力波モード、ケルビンモード、混合ロスビーモードと連続モードとが振動数空間内で交わった部分で成長モードが生じた。中でも東西波数1のロスビーモードが連続モードと交わった部分が最大成長モードを与え、金星高度65km付近に換算すると、鉛直波長2km以下、成長の緩和時間は約2日であった。

 太陽型の速度プロファイルに対しても計算を行なった。この場合、振動数空間でロスビーモードと連続モードが交わった箇所の一部で成長モードが生じたが、基本場の渦位勾配が0になる箇所を境に成長モードは消滅した。これは擬角運動量の観点から説明でき、振動数空間で見て渦位の南北微分が0になる緯度を臨界緯度とする振動数を境に連続モードの符号が正負入れ替わるために、共鳴の条件を満たさなくなるためである。

 この線形浅水系に対応するエネルギーの表式には、3次元プリミティブ系との対応によるものと、非線形浅水系との対応によるものと2種類存在するが、前者の表式を用いて、不安定モードのエネルギー輸送を論じた。順圧の場合のエネルギー変換はK〓K'のみであり、順圧不安定モードではK→K'であるのに対し、浅水系の前者の表式では更にK'〓Aが加わる。得られた不安定モードは全てK→K'かつK''→Aであった。このことはつまり、Kは減少するセンスであり、全球面での角運動量保存を考えると、基本場は剛体回転に近付かなければならない。

 また、非線形効果による基本場の変形に関しても計算を行なった結果、金星風速場(A〜C)では臨界緯度付近で基本場の減速、それより低緯度側で加速されるようなセンスであった。太陽風速場(D)では逆であった。

4金星への適用

 金星風速場(A〜C)ではいずれも角運動量を赤道方向に輸送するセンスであったが、実際これらのモードは金星で存在し得るのだろうか。図5左に、得られた成長モードを金星の各高度に対応させた場合の緩和時間と、放射の緩和時間を示す。成長モードが存在するためには、少なくとも放射によるダンピングよりも成長率は大きくなければならないので、基本場(A)の最大成長モードの存在はほぼ高度59km以下、基本場(B)ではほぼ63km以下に限られる。基本場(C)では条件に抵触しない。一方、他の減衰効果、鉛直粘性や重力波砕破などはほとんどわかっていない。Woo et al(1982)の鉛直粘性の算出結果は、正しくないという主張も存在するが、もしそれが仮に正しいとするならば、基本場(A)の最大成長モードは存在できず、基本場(C)では存在できる。

 観測との整合性はどのようになっているか。得られた成長モードの鉛直波長を金星の現実大気に当てはめると、図5右のようになった。雲層以下の高度の波の観測は少ないが、図5右の波長はマゼランのラジオオカルテーション観測による結果とは矛盾しない。

 以上の事実を考えると、これらの成長モードの成否は鉛直拡散の評価に依存するが、もし存在し得るならば、運動量を低緯度に輸送するセンスであり、定性的にはギーラシメカニズムに貢献し得る性質を持っている。

図1:用いた基本場。(左)絶対系で見た角速度。(右)渦位の南北勾配。いずれも無次元化している。

図2:基本場(A)の場合の赤道対称モードの(左)東西波数1での振動数。(右)東西波数1から4の最大成長モードの成長率。

図3:基本場(A)の場合の東西波数2の最大成長モードの流線関数、速度ポテンシャル、水面変位

図4:角運動量フラックス。

左図はトータル。中図は流線関数成分、右図は発散成分による寄与。他に両者の掛け合わせによる寄与がある。

図5

(左)得られたモードの金星大気換算での成長時間。実線、破線、点線はそれぞれ基本場(A)、(B)、(C)での最大成長モードで、+はニュートン冷却の緩和時間である。(右)浅水系での等価深さを金星の各高度で換算した場合の鉛直波長。真中の線が基本場(A)、(B)での最大成長モードでほとんど重なっている。0.315、0.0315ではさまれる区間は基本場(C)の最大成長モードに相当。

審査要旨 要旨を表示する

 金星の上空、高度65-70km付近では風速100m/sにも達する強い帯状風が吹いている。この帯状流は約4日で金星を一周するため、「4日循環」と呼ばれている。これに対して、金星の自転周期は243日と非常にゆっくりとしているので、固体部分の回転に比して遥かに速い帯状風が一体どのようにして上空で作られているかは、惑星気象学の非常に興味深い問題の1つである。近年、大循環モデルを用いて、4日循環を再現したとする報告もいくつか為されてきてはいるが、大循環モデルの中では非常に多くの過程が働いているために、再現された4日循環がどのような機構で形成されたかは依然未解明のままである。

 現在のところ、4日循環の成因を説明する機構として最も有力なものの1つはGierasch(1975)の説である。4日循環が見られる高度では極向きの流れがあることが観測されているが、これは赤道上空で上昇し、極へ向かい、そこで下降して、大気下層を赤道へ向かう子午面循環の一部と考えられている。Gieraschはこの子午面循環が金星固体部分から角運動量を得て上空に持ち上げることが、4日循環の源であると考えた。しかしながら、ただ子午面循環があっただけでは、上空にこれほど高速の帯状風の角運動量を蓄積することはできない。4日循環のような高速の帯状風を生ずるには、子午面循環に伴って角運動量の保存則により高緯度で加速された帯状風が、非常に大きな水平渦粘性の働きにより、低緯度の帯状流を加速し、その結果として、より大きな角運動量を持った空気が子午面循環により高緯度に運ばれることにより、更に帯状流を加速するという過程が必要である。Gierasch(1975)自身は無限に大きな水平渦粘性を仮定しており、この考えを発展させたMatsuda(1980,1982)でも非常に大きな水平渦粘性が仮定されているが、この大きな水平渦粘性がどのような物理過程により生じているかは現在も明らかとはなっていない。

 論文提出者は、気象力学の研究者の中でも、一部の研究者にしか知られていない「浅水系のシア不安定」がこの大きな水平渦粘性を担うのでないかと考えた。通常の水平シア流の不安定(順圧不安定)は、古くから調べられてきており、不安定が生ずるためには風速分布に変曲点が存在しなければならないという制約があることが知られている。これに対して、「浅水系のシア不安定」は、水深の浅い一層流体に生ずる浅水重力波が水平シアからエネルギーを取り出せる構造を持つことにより生ずる不安定も含んでいるため、変曲点の存在は必要としない。従って、より多様な風速分布を持った水平シア流に対しても不安定が期待できる。鉛直シアのない大気では、大気中の波動擾乱を記述する方程式は「等価深さ」を変数分離の定数として、水平構造方程式と鉛直構造方程式に分離でき、このうち水平構造方程式は浅水系方程式に帰着されるため、「浅水系のシア不安定」を考えることは連続成層した大気に生ずる不安定のプロトタイプとして十分な意義がある。「浅水系のシア不安定」に関しては、1980年代に入って研究が始まったが、球面上の浅水系を対象にしたものは数えるほどしかなく、金星への応用を試みた研究は本研究が初めてである。また、球面上の浅水系における不安定の詳細な物理的な解釈を試みた研究もない。

 基本場として考えた4つの帯状流の風速分布のうち3つは金星大気に対する観測に基づいたもので、60度より低緯度でほぼ等速のもの(A)、中高緯度で弱いジェットがあるもの(B)、強いジェットがあるもの(C)である。不安定モードを求める固有値計算では、行列法により主要な固有値を漏れなく求め、更にこれらのモードに対してshooting法で精度良く求める方法を採ることにより、不安定の成因をモード間の共鳴として識別することが可能になった。順圧不安定・慣性不安定を持たない風速分布(A)と(B)については、(B)で発達率が大きいことを除いては、東西波数2のモードの発達率が最も大きい。モード間の相互作用の解析から、このモードは赤道ケルビン波と連続モードの共鳴により生じたものと解釈されることがわかった。順圧不安定・慣性不安定の条件を満たす風速分布(C)では東西波数1のモードが発達率最大のモードであり、このモードはロスビー波と連続モードの共鳴によって生じたものと解釈されることがわかった。これらのモードによる角運動量輸送は、いずれも、帯状流を剛体回転に近づける方向であり、Gieraschの提案した機構に好都合である。

 これらの不安定が金星大気で実現するかどうかは、放射や鉛直渦粘性、重力波の砕波などのダンピングよりも発達率が大きいかどうかにかかっている。放射によるダンピングは高度と共に急激に大きくなるため、風速分布(A)(B)では高度60km以上では不安定モードは増幅できないが、風速分布(C)では70km以下であれば増幅可能である。鉛直渦粘性に関しては、未だ確かな観測値がなく、その効果の評価は不明である。本研究で見つかった不安定モードがGierasch機構に果たす真の役割は、現実的な子午面循環のもとにこれらのモードが非線形発展したときに、どのような帯状流分布が実現されるかを見なければ評価できないが、Gierasch機構に不可欠な大きな水平渦粘性を担う擾乱として、浅水系のシア不安定という新しい視点を提供し、金星における浅水系のシア不安定に関する基礎的な特性を明らかにした点は、今後の4日循環の研究に1つの手懸りを与えたものとして評価できる。また、球面上の浅水系のシア不安定の成因として、ケルビン波やロスビー波と連続モードとの共鳴という解釈を与えた点、本研究の主題ではないので詳しい説明は省くが、2つの不安定モードの共鳴に伴う発達率の波数依存性の変化の数学的モデルを提出した点も、不安定の物理的理解における新しい貢献として評価できる。

 なお、本研究の成果は松田佳久氏との共著論文として近々投稿予定であるが、論文提出者が主体となって問題の設定、計算、解析をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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