学位論文要旨



No 117857
著者(漢字) 上野,洋路
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,ヒロミチ
標題(和) 北太平洋亜寒帯域における中暖構造(水温逆転構造)の分布と形成
標題(洋) Distribution and formation of the mesothermal structure (temperature inversions) in the North Pacific subarctic region
報告番号 117857
報告番号 甲17857
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4328号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,昌宏
 東京大学 助教授 川辺,正樹
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

 北太平洋亜寒帯域には、中暖構造と呼ばれる特徴的な構造が見られる。中暖構造とは、水温が鉛直方向に極大、極小を持つ構造のことであり、それぞれ中暖水、中冷水と呼ばれている(Uda,1963)。高温高塩な中暖水と低塩な表層水の間には強い塩分躍層が存在し、安定な密度成層を形成している。この強い塩分躍層の存在は、北太平洋において深層水が形成されないことの一因であると考えられている。しかし、北太平洋の中層水研究の大部分は亜熱帯域(北太平洋中層水)の研究であり、亜寒帯域(中冷、中暖水)の研究は比較的少ない(例えば、宇田,1935;Uda,1963;Dodimead et al.,1963;Roden,1964;Ohtani,1973;Favorite et al.,1976;Roden,1977;Musgrave et al.,1992;永田ら,1992;Miura et al.,2002)。更にそれらの大半は、鉛直1次元の仮定のもとに中冷水の冷却過程を説明した研究か、局所的な水温逆転形成メカニズムに関する研究であり、亜寒帯全域を視野に入れた中暖水の熱と塩分の維持メカニズムに関する研究はなされていない。また、中暖構造の分布自体に関しても不明な点が数多く残されている。そこで本研究では、(1)中暖構造の分布を明らかにする、(2)鉛直1次元的な過程では説明できない中暖水の熱と塩分を維持するメカニズムを明らかにし、亜寒帯全域における中暖構造の形成過程を解明する、(3)中暖水の起源、循環等を調べることにより、北太平洋中高緯度域の中層循環の解明に貢献することを目的とし、データ解析により研究を行なった。

 本研究ではまず、気候値データを用いた解析により中暖構造の分布及び形成過程を調べた。気候値海洋データとしてWOA1994、気候値風応力データとしてHellerman & Rosenstein(1983)を用いた。その結果、中暖構造は45°N以北に分布し、中暖水は西ほど深く重いが、中冷水の深度、密度はほぼ一定であることが示された(図1)。また、中暖構造は亜寒帯全域で平均した水温の鉛直分布にも一年を通じて存在することから、他海域から亜寒帯域への中層熱輸送の存在が示唆される。そこで、地衡流流線を用いて亜寒帯域に流入する高温高塩分水を調べたところ、中層26.7-27.2σθにおいて日本東方移行領域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送の存在が示された(図2)。風応力場から見積られる亜熱帯-亜寒帯循環境界を南から北へ横切るこの輸送により、亜寒帯域中暖水の熱と塩分は維持されていると考えられる。

 中暖構造の分布は冬季に海表面が亜表層より低温になる海域と良く一致する(図3)。この一致した海域では、日本東方移行領域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送による中暖繕への熱、塩分供給、及び冬季の海面冷却、混合による表層、亜表層の低温化(中冷水形成:Uda,1963)というメカニズムで中暖構造が形成されると考えられる。一方、170°E-150°W,44°-49°Nの海域には中暖構造が存在するが、一年を通じて海表面は亜表層より暖かい。そのため、この海域の中暖構造は中層への暖水供給と海面冷却では説明できない。そこで粒子追跡数値実験を行った結果、この海域の中暖構造は西部でアウトクロップしていた低温低塩分水の亜表層への貫入とその下層における日本東方からの高温高塩分水輸送により形成されていることが示された。

 以上の気候値データ解析から、日本東方からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送が中暖構造形成の鍵となることが示された。本研究では更に、別のデータ及び解析手法を用いて上記輸送と中暖構造形成過程を再検討した。まず、世界海洋循環案験(WOCE)及び北太平洋亜寒帯循環と気候変動に関する国際共同研究(SAGE)の高精度高分解能CTDデータ(WOCE-P01,P13,P14N,P15N,P16N,P17N観測線、SAGE-152°E165°E観測線)を用いた解析を行なった。等密度面上の地衡流流線(加速度ポテンシャル;AP)と温位の散布図解析の結果、あるAP範囲では165°Eからアラスカ湾北部へ向かう温位保存の地衡流輸送が存在することが示された。その輸送経路は気候値の流路(図3:影)とほぼ一致する。更に、このアラスカ湾北部への輸送水の起源を調べた結果、この輸送経路(図4:TR1,TR2)及びアラスカ湾北部中層と同じ水温塩分を持つ水塊(図4:黒太線)は、165°Eにおいて共に塩分極小を伴う緯度帯(北太平洋中層水存在海域)に位置していることが分かった。このことから、アラスカ湾への輸送水の起源は日本東方の北太平洋中層水であると示唆される。

 次にインバース法を用いて絶対地衡流流速場を推定し、より定量的な議論を試みた。データはHydroBase(等,密度面平均気候値海洋データ:Macdonald et al.,2001)とHellerman & Rosenstein(1983)の気候値風応力データを使用、インバースモデルはβスパイラル法(線形渦度バランス:Shott & Stommel,1978)とボックスモデル(質量保存:Wunsch,1978)を併せたハイブリッド法(Fukumori,1989)を使用した。βスパイラル法は26.7,27.2,27.4σθ面に、ボックスモデルはエクマン層の底〜26.7σθ面及び上記密度面間に適用、基準面水平流速と等密度面を横切る流速(ω*)を特異値分解を用いて推定した。ω*と基準面水平流速は大きさがオーダーで異なる為、鉛直拡散係数κ=O(10-5〜10-4m2/s)の仮定に基づくスケーリングを行なった。また、βスパイラル法は線形渦度バランスを仮定している為、対象海域は海岸付近を除いた内部領域とした。

 このインバース法による推定水平流速場は、R,eid(1997)が推定した流速場および中暖層酸素分布と整合的であり、この流速場を用いて粒子追跡実験を行なった結果、中層26.7-27.2σθにおける日本東方の北太平洋中層水存在海域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送の存在が支持された。また、亜寒帯域外洋26.7σθ面を横切るω*輸送量は上向き0.5〜1.1Svと推定され、一部中暖水の上層への輸送が示唆された。次に、46°Nを横切る北向き体積輸送の黒潮成分が最終的には親潮水に変質すると仮定し、亜寒帯域への移流による熱、塩分輸送を見積ったところ、26.7-27.2σθでそれぞれ2.8-13.4TW、0.9-4.5×105kg s-1と推定された。更に、等密度面拡散係数を102-103m2s-1と仮定すると、46°Nを横切る等密度面拡散による北向き熱、塩分輸送は0.8-8.0TW、0.2-2.2×105kg s-1と推定された。これらの熱、塩分輸送により、亜寒帯域中暖水および塩分躍層下部の熱と塩分は維持されていると考えられる。

 本研究では更に、亜寒帯域中暖層の熱収支を議論した。46°Nを横切る移流と拡散による北向き総熱輸送は26.7-27.2σθで3.6〜21.4TWとなる。この熱輸送は亜寒帯域外洋の中層26.7-27.2σθが鉛直混合により失う熱(-0.2〜4.7TW)より大きく、オホーツク海中層26.7-27.4σθが失う熱(16.8TW:Yasuda et al.,2002)と同程度の大きさになっている。以上の議論から、亜寒帯域における中層の冷却は主にインバース解析領域外のべ一リング海、オホーツク海等で起っており、外洋での冷却は小さいこと、そして亜寒帯域中暖水の熱の維持には南からの中層熱輸送が本質的な役割を果たしていることが定量的に示された。更に、上記の中層冷却は主に上層からの混合によるものであるため、中層冷却に伴って水温極大(中暖水)密度は徐々に増加する。その結果、亜寒帯域西部の中暖水はアラスカ湾北部より重く深くなっている(図1上)と考えられる。

 以上の解析により、はじめに掲げた目的に対して以下の結果を得た。(1)中暖構造は45°N以北に分布し、中暖水は西ほど深く重いが、中冷水の深度、密度はほぼ一定である。(2)西部亜寒帯循環、beベーリング海およびアラスカ湾北部の中暖構造は、日本東方移行領域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送と等密度面拡散による中暖層への熱、塩分供給(3.6〜21.4TW、1.1-6.7×105kg s-1)、及び冬季の海面冷却、混合による亜表層中冷水の形成というメカニズムで形成される。この海面冷却と混合過程により中暖層も上部から冷却されるが、それは主にインバース解析領域外のべーリング海、オホーツク海等で起っており、外洋での中暖層冷却は小さい。一方、170°E-150°W,44°-49°Nの中暖構造は、西部でアウトクロップしていた低温低塩分水の亜表層への貫入とその下層における日本東方からの高温高塩分水輸送により形成される。(3)日本東方海域での黒潮水と親潮水の混合により形成された北太平洋中層水の大部分は亜熱帯域を循環し、亜熱帯域に塩分極小層を形成している(Talley,1993;Yasuda et al.,1996)。更に本研究の解析の結果、北太平洋中層水の北端付近の一部は風応力場から見積られる循環境界を横切って亜寒帯域へ輸送され、中暖水の熱と塩分を維持していることが新しく示唆された。

図1:中暖水(上図)及び中冷水(下図)の密度(σθ)の分布。

図2:日本東方移行領域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送の分布(影)、風応力場から見積られる循環境界(破線)、亜寒帯前線、北太平洋中層水(NPIW)の北端、及び亜寒帯境界(実線)の位置。

図3:冬季に海表面が亜表層より低温になる海域(影)及び中暖構造の水平分布(実線)。

図4:165°E塩分南北断面図(WOCE P13)。

TR1:高温高塩分水輸送経路、TR2:同左(気温値AP範囲により決定)、TD:移行領域。

審査要旨 要旨を表示する

 北太平洋亜寒帯域は、亜表層の水温極小(中冷水)の下に水温極大(中暖水)をとる中暖構造で特徴付けられる。塩分は深さとともに増加し、水温逆転のところで塩分躍層が発達することで、密度成層を維持している。この塩分躍層の存在は、北太平洋おいて深層水が形成されないことと関係があると考えられている。このように明確な構造を持つ北太平洋亜寒帯海域の中暖構造は、古くから存在が知られていた。しかし、従来の多くの研究は水温極小の形成に焦点をあてたものがほとんどであり、水温極大を含めた中暖構造の空間分布および形成メカニズムの理解は不十分であった。本論文は、平均構造・季節変動の記述から始まり、中暖構造を維持する高温・高塩分水輸送経路を明らかにした。さらに鉛直輸送も取り入れたインバース法を導入することによって、中暖構造を維持する熱・塩分輸送を定量化し、中暖構造の維持機構を現実のデータから初めて明らかにした。

 本論文は5つの章から成っている。第1章は導入部であり、これまで多くの中層水研究がなされてきた亜熱帯域との比較を通じて、亜寒帯域中層水研究の現状と重要性、および本論文の内容と目的について述べている。第2章は、気候値データ解析により中暖構造の分布及び形成過程を調べた結果について記述している。特に、亜寒帯域中暖(水温極大)水の熱と塩分を維持するためには、他海域からの中層高温高塩分水輸送が必要不可欠であることを指摘し、日本東方の移行領域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送の存在を示した。第3章では、上記輸送を平均化されていない観測データを用いて再検討した。その結果、輸送される水の起源が日本東方海域で黒潮水と親潮水が混合することによって形成されると考えられている北太平洋中層水にあることを指摘した。第4章は、インバース解析を用いて北太平洋中高緯度域中層循環の議論を行い、2章で指摘した高温高塩分水輸送及び拡散による北向き熱輸送が、亜寒帯域中暖水の形成に本質的な役割を果たしていることを定量的議論から明らかにした。第5章では、本論文のまとめと今後の課題が述べられている。

 本論文の特筆すべき成果は、以下の3点である。一つ目は、気侯値データを用いて、中暖構造の空間分布及びその季節変化を明らかにしたことである。二つ目は、定量的議論により中暖水の熱と塩分の維持機構を明らかにし、亜寒帯全域における中暖構造の形成を議論した点である。従来の研究は、中冷水の冷却過程の説明に留まっていたが、本論文は中暖水の維持に初めて着目し、亜熱帯水の影響を受けた高温高塩分水による中層熱輸送がその役割を担っていることを指摘した。西部亜寒帯循環、ベーリング海およびアラスカ湾北部の中暖構造は、この高温高塩分水輸送と等密度面拡散による中暖層への熱、塩分供給、過剰な降水、冬季の海面冷却・混合による亜表層中冷水の形成というメカニズムで形成される。三つ目は、北太平洋中高緯度の中層循環の解明に貢献したことである。日本東方海域での黒潮水と親潮水の混合により形成された北太平洋中層水の大部分は亜熱帯域を循環し、亜熱帯域に塩分極小層を形成していることが過去の研究で指摘されていたが、本論文は、北太平洋中層水の北端付近の一部が亜熱帯循環域から亜寒帯域へ輸送され、中暖水の熱と塩分を維持していることを新しく指摘した。

 以上述べてきたように、本学位論文は、海洋物理学・海洋物質循環研究の見地から、北太平洋の中層循環研究に大きく貢献する成果であると評価でき、学位論文として、十分な成果が得られていると、審査員一同判断した。

 なお、本論文第2、3、4章は、指導教官である安田一郎助教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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