学位論文要旨



No 117858
著者(漢字) 大木,淳之
著者(英字)
著者(カナ) オオキ,アツシ
標題(和) 西部北太平洋域における大気エアロソルの科学的特徴
標題(洋)
報告番号 117858
報告番号 甲17858
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4329号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 今須,良一
 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 助教授 植松,光夫
 東京大学 教授 佐野,有司
内容要旨 要旨を表示する

 大気境界層下部と海洋表層部では気体やエアロソルなどの物質移動を介した生物地球化学的物質循環によって様々な現象が生じている。近年、海洋生物生産が増大すると大気中の海洋生物起源硫黄化合物の生成量が増えること、一方、大気から海洋へ降下する窒素化合物や鉱物粒子の量が増えると、植物プランクトンが利用する栄養塩が増えるので海洋生物生産性が活発化することがいわれている。海洋生物生産量が増えると海洋に固定されるCO2量が増えることや、大気中の海洋生物起源SO42-エアロソルの濃度が上昇すると地球放射収支に対して直接的、間接的な影響を及ぼすことが考えられる。近年、この一連の仮説が地球気候を決める要因の一つとして注目されている。

 本研究では、海洋大気中の微小粒子が陸上の人為起源物質の長距離輸送によりどの程度影響を受けているのか、また、高海洋生物生産域(高生産域)において大気中の生物起源SO42-と粒子個数の関係を調べそれが凝結核として働く過程を明らかにし、さらに、大気中における鉱物粒子の変質過程を明らかにすることを目的とした。大気エアロソルは発生から除去に至るまで各エアロソル成分同士で相互作用を持つので、主要成分の挙動を同時に解析する必要がある。そこで、1997〜2002年に大都市(東京)及び海洋上(西部北太平洋)で大気エアロソルの観測を行った。エアロソルの粒子個数濃度と主要水溶性イオン成分の粒径特性を解析して、(1)微小粒子中の人為起源Na+の寄与を定量評価し、(2)高生産域における生物起源SO42-の雲核形成への重要性を考察し、(3)鉱物粒子と酸性ガスの反応特性を自然現象の観測や屋外実験から明らかにした。以下に結果と考察の概要を示す。

(1)微小粒子Na+の起源

 海塩粒子は酸性ガスを吸着除去することから、大気化学過程を知る上で海塩粒子の挙動を把握することが不可欠である。これまで微小粒子中の海塩の指標としてNa+が暗黙に用いられてきたが、Na+の起源について言及した研究はなかった。微小粒子Na+の挙動を明らかにするため、1997-1998年に海洋大気観測と都市大気観測を行った。都市大気ではNa+とK+は累積領域と粗大領域に二山の濃度ピークを示し、累積領域(0.1-1.0μm)のNa+濃度は海洋大気よりも都市大気のほうが高かった。人為起源エアロソルの多くは均質反応によって生成されるため累積領域に濃度ピークを持つことが知られている。累積領域に見られたNa+とK+の濃度ピークは人為起源に由来することが示唆された。都市大気中では微小粒子のNa+とK+の濃度には高い相関関係が見られたことから、同一の人為排出源を持ち、大気中で同じ輸送過程を経ていたことが考えられた。都市大気中のK+はごみ焼却に由来する物質の指標として用いられており、都市大気で観測された微小粒子のK+/Na+比(1.1)は、ゴミ焼却工場から排出される粒子中のK+/Na+比(0.7-1.0)に近い値であった。海水中のK+/Na+比は0.02なので、海洋大気で人為起源の影響を受ければ、エアロソル中のK+/Na+比は上昇することが推測された。そこで、海洋上で観測された粒径別のNa+濃度とK+濃度の文献値をまとめ、K+/Na+比の粒径分布を求めた。北太平洋中緯度域では微小粒子エアロソルのK+/Na+比(0.11)が海水比よりも高いことから人為起源の影響が示唆された。人為起源エアロソルのK+/Na+比を0.7-1.1と決めて各海域における人為起源のNa+濃度を算出したところ、北太平洋の中緯度域では微小粒子Na+に対して人為起源が8〜13%を占めた。これまで人為起源エアロソルの主成分であるnss-SO42-やNO3-が海洋上を長距離輸送されることは報告されているが、本研究によってはじめて人為起源Na+の輸送を定量的に明らかにした。人為起源Na+の存在が重要になるのは微小粒子海塩の議論をするときであって、全粒径のNa+に対しては人為起源が占める割合は0.3%以下と少ないので無視できる程度である。Na+の主な人為排出源であるゴミ焼却からは、主として微小粒子のNaClが排出されているが、フィルター法で捕集したエアロソルの化学分析では海塩起源のNaClと人為起源のNaClを区別することはできない。両起源のNaClは大気中で酸性ガスと反応することが考えられるので、人為起源の影響を受けた大気中で微小粒子の塩素損失量を算出するときは、両起源のNaClによる塩素損失量の合計であることを認識する必要がある。(Atmospheric Environment. 35(2002)4367-4374に掲載された)

(2)高生産域における生物起源SO42-の特徴

 北太平洋の中〜高緯度域(>42°N)は夏季に広範囲にわたって海霧が発生している。このような大気中では霧が発生している領域以外から新たな凝結核が供給されるということは期待できないので、その領域内におけるエアロソルの生成に注目する必要がある。また、この時期は海洋生物生産性が高いことから生物起源硫黄化合物の物質循環が注目されていた。この海域において生物起源SO42-が霧の生成にどのような影響を及ぼしているのかを調べるために、1998年の高生産時期(夏季)に西部北太平洋〜オホーツク海〜日本海で海洋大気観測を行った。海水中のクロロフィルaが高濃度(5.4mg m-3)のオホーツク海では大気中のMSAも高濃度だったので、高海洋生物生産量が大気中の生物起源硫黄化合物濃度の上昇をもたらしたことがいえる。西部北太平洋からオホーツク海にかけて人為起源の指標であるNO3-エアロソルが海洋大気バックグラウンド濃度を下回った。その大気では人為起源の影響が無視できると仮定して、測定されたnss-SO42-は生物起源に由来すると考えた。高生産域のオホーツク海で観測された微小粒子の生物起源SO42-(3.1nmol m-3,D<0.43μm)と粒子個数(199cm-3,0.1<D<0.5μm)は、バックグラウンド大気である西部北太平洋の3倍と2倍に上昇した。微小粒子のNa+濃度の変化は小さかったので、粒子個数の増加に対する海塩粒子の寄与は無視できると考えられた。高生産域における粒子個数の増加は生物起源SO42-の増加に起因するものと考えた。この観測領域は霧が頻繁に発生しており、相対湿度が高い状態では水溶性エアロソルは大気中の水蒸気を吸収して十分に希釈されている。高生産域で増加した微小粒子の生物起源SO42-の多くは、霧が発生しても凝結核として働きにくいことが算出された。霧が頻繁に発生する大気中でも生物起源SO42-は高濃度で存在し、それらは徐々に凝集成長をすることによって定常的に凝結核を供給していたことが考えられ、この海域における霧生成に重要な役割を果たしていた可能性がある。(Journal of Oceanographyに投稿中)

(3)鉱物粒子と酸性ガスの反応特性

 鉱物粒子表面が吸湿性の物質(NO3-やSO42-)で覆われると、その光学特性や吸湿特性を変えることが推測されているが、実際に鉱物粒子と反応したNO3-やSO42-の量を評価した観測例は少なかった。また、鉱物粒子とNO3-が反応することによって栄養塩である鉄やNO3-が同時に海洋へ沈着することからも、NO3-の反応量を調べることが必要とされている。酸性ガス(SO2やHNO3)が鉱物粒子表面に反応してNO3-やSO42-を形成することが考えられているが、その反応特性を明らかにした観測例も少なかった。そこで、鉱物粒子と酸性ガスの反応特性を調べるために、2001-2002年に西部北太平洋域(相模湾、西部北太平洋、東京)でダストイベント(黄砂現象)の観測を行った。ダストの影響を受けると粗大粒子個数濃度(〜13cm-3)と鉱物粒子中の主要な水溶性イオン成分であるnss-Ca2+濃度(〜39nmol-3)が上昇した。nss-Ca2+とNO3-が2.5<D<3.9μmの粒径範囲に濃度ピークを持ったことから、鉱物粒子と反応(または混合)した酸性物質としてNO3-が大きな寄与を持つことが考えられた。各イオン成分の粒径特性を解析して、2.5<D<3.9μmの鉱物粒子と反応した酸性物質量を算出した。各観測期間中(ダスト時と非ダスト時を含めて)の全nss-SO42-濃度に対して、ダスト時に鉱物粒子と反応したSO42-濃度が占める割合を算出したところ、西部北太平洋では<4%であった。これは従来のダスト輸送モデルで算出されていた割合よりも少ないことから、鉱物粒子と酸性ガス(SO2やHNO3など)の反応特性を詳しく調べる必要が生じた。そこで、黄砂試料と都市大気中の酸性ガスを直接反応させる実験を行った。SO2の反応性はNO2+HNO3やHClよりも明らかに低く、黄砂と反応した酸性物質量としてはNO3-とCl-が合計で88%を占め、SO42-は12%であった。また、相対湿度が43%から94%まで上昇しても酸性ガスの反応性が上昇するようなことはなかった。従来のダスト輸送モデルでは相対湿度が上昇するとSO2の反応性が急激に上昇することを想定していたため、鉱物粒子と反応するSO42-量を過大評価していることが考えられる。東アジアにおいてダストの発生域周辺ではNOxの排出量が増加する傾向にあり、鉱物粒子表面上の吸湿性物質(主にNO3-)が増えることが推測できる。鉱物粒子と酸性ガスの反応が地球環境に対してどのような影響を与えるのかさらなる観測の必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は直接、間接的な作用により気候に影響を及ぼすとされるエアロゾルの生成、除去などの物質循環過程に関する研究であり、1997〜2002年に大都市(東京)及び海洋上(西部北太平洋)で実施した大気エアロソル観測データに基づく解析的な研究である。主な研究成果は次の3点にまとめられる。

(1)微小粒子中Na+起源の同定による人為起源物質量の推定

 環境に影響を与える酸性ガスなどを吸着除去するなど、大気化学過程中で重要な役割を演じる海塩粒子について、その指標となるNa+量に、どれだけの人為起源Na+が含まれるかを、K+/Na+比から推定する手法を開発した。その手法を用いた解析から、北太平洋の中緯度域では微小粒子Na+に対して8〜13%が人為起源であることを推定するなど、新たな知見をもたらした。また、大気中に放出されたNa+の除去プロセスにおける塩素損失量の算出には、NaCl起源別の塩素損失量を用いる必要があることを始めて指摘した(Atmospheric Environment. 35(2002)4367-4374に掲載)。このように、微小粒子中の人為起源Na+の寄与率を定量評価することにより、海洋大気中の微小粒子に及ぼす人為起源物質の影響を定量的に評価する一つの手法を確立した。

(2)海洋高生産域における生物起源SO42-の特徴と雲核としての役割に関する考察

 夏季において広域的に海霧が発生する北太平洋の中〜高緯度域(>42N)では、霧生成に関与する凝結核の起源について不明な点が多い。本論文では、1998年の高生産時期(夏季)に西部北太平洋〜オホーツク海〜日本海で実施した観測データの解析から、この海域では海洋生物起源の硫黄酸化物が、霧の凝結核の大半を占めることを明らかにした。さらに、その凝結核は、通常の霧発生時の湿度条件では雲核にはならず、エアロゾルの吸湿、膨潤の過程を経ながら、徐々に雲核となる粒子数が増加することで、この海域に定常的に雲核を供給し続けているという可能性を示した。このことは、同種の海域における霧生成メカニズムについて、生物起源硫黄化合物が重要な役割を果たしている可能性を指摘したものである(Journal of Oceanographyに投稿中)。

(3)鉱物粒子と酸性ガスの反応特性

 鉱物粒子表面が吸湿性の物質(NO3-やSO42-)で覆われると、その光学特性や吸湿特性を変え、物質循環や粒子の気候への影響に変化が生じる可能性がある。本論文では、観測データに基づき、鉱物粒子と反応したNO3-やSO42-の量を評価することで、これらの成分の大気中からの除去プロセスに関する考察を実施した。その結果、これまで一般的に言われてきたよりも、SO42-の反応性ははるかに低く、NO3-との反応が重要であることを示した。このことを実験的に追証するため、黄砂試料と都市大気中の酸性ガスを直接反応させる実験を行った。その結果、SO2の反応性はNO2+HNO3やHClよりも明ら期に低く、黄砂と反応した酸性物質量としてはNO3-とCl-が合計で88%を占める一方、SO42-は12%に留まることを示した。これらの特性は、相対湿度にはあまり依存しない。従って、従来のダスト輸送モデルで相対湿度が上昇するとSO2の反応性が急激に上昇するとして各種計算がなされてきたことに対し、その仮定に誤りがある可能性を指摘したことになる。つまり、鉱物粒子と反応するSO42-量を過大評価していたとの指摘である。今後、東アジアにおいてはSOx,NOxの排出量が増加することが予想されており、その環境への影響を評価する上で重要な鉱物粒子の役割について、定量的な評価を行った意義は大きい。

 以上のような結果は、大気中におけるエアロゾルに関わる物質循環やその気候学的な影響に関する研究において重要な知見を与えるものであり、この分野の発展に大きく寄与したと判断できる。

 なお、本論文の一部は植松光夫氏他との共同研究であるが、論文提出者が主体になって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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