学位論文要旨



No 117860
著者(漢字) 笹川,基樹
著者(英字)
著者(カナ) ササカワ,モトキ
標題(和) 北部北太平洋における海霧の化学的特徴と発生・除去機構
標題(洋)
報告番号 117860
報告番号 甲17860
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4331号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 助教授 小池,真
 東京大学 助教授 植松,光夫
 東京大学 教授 佐野,有司
 東京大学 教授 杉本,隆成
内容要旨 要旨を表示する

 大気中の物質の除去機構としては乾性沈着と湿性沈着があり,微小粒子(d <0.1μm)を効果的に除去するのは湿性沈着である.外洋域では,大気からの降下物質が海洋表層の物質収支に大きな影響を与えることが報告されている.微小粒子は発生源から長距離輸送されやすいので,湿性沈着は外洋域における海洋表層への物質の供給機構としても重要な役割を果たすと考えられる.北部北太平洋では夏季に,海霧が広範囲・高頻度に発生することが知られている.この海域の海霧は,北太平洋低緯度域からの高温湿潤な大気が高緯度域の低温の海表面に冷やされて発生する移流霧である.降雨と同様に海霧もエアロソルを取り込み,海洋境界層下部のエアロソル化学成分の挙動に大きな影響を与えることが予想される.更に霧粒に取り込まれた化学成分が海洋表層へ供給され,海洋生態環境へも影響を与える可能性がある.今まで海霧の化学成分に関する研究は限られたものしかなく,海霧発生時におけるエアロソルの挙動を観測した例はほとんど無い.本研究では,日本海・オホーツク海・北西部北太平洋・ベーリング海・北東部北太平洋において夏季に行われた4回の観測航海(1998年〜2001年)によって海霧を採取し,その化学的特徴を明らかにした.また海霧の発生機構・海霧によるエアロソルの除去機構を解明し,更に海霧と降雨の除去機構の差異を明らかにした.得られた知見は以下のとおりである.

 海霧の化学組成は海塩成分の占める割合が大きいが,非海塩成分の割合も最大で50%近くとなり無視できないものであった.非海塩成分の中ではnss-SO42-とH+がどの海域でも主要成分であった.海洋生物起源であるメタンスルホン酸(MSA:CH3SO3-)は2%以下と微量成分だったが,オホーツク海や日本海では比較的高濃度になる傾向を示した.これは海洋生物起源のH2SO4も同時に海霧に取り込まれたことを示唆している.日本海と北西部北太平洋ではNO3-の占める割合が顕著に高くなることがあり,外洋上でも海霧への人為起源物質の混入が予想される.一方nss-Ca2+はほとんど含まれず,海霧による鉱物粒子の取り込みはなかった.どの海域でもpH4前後の酸性霧が観測された.海霧はHNO3よりもH2SO4によって酸性化していたが,日本海では人為起源と考えられるHNO3による寄与の方が大きかった.オホーツク海では海洋生物起源のH2SO4が海霧の酸性化に寄与していたが,陸域からの中和成分(NH3,CaCO3)の輸送が少なかったこともpHが低くなった要因であった.

 海塩粒子との比較で見積もると,nss-SO42-粒子(H2SO4,(NH4)2SO4,(NH4)HSO4)の約40%が霧粒の凝結核になった(図1).一方で海洋大気中では海塩粒子と内部混合して存在するNO3-は,海塩粒子と共にすべて霧粒の凝結核になることが示唆された.また海霧発生時には,粒径が大きなエアロソルほど粒子数の減少率が大きくなる傾向を示した.すべての海霧発生イベントで粒径0.50μm以上の粒子数が海霧発生後に減少しており,特に粒径1.0μm以上の粒子の減少率は90%以上であった.相対湿度が100%を超えた時の粒子の成長粒径を考慮すると,海霧発生前(相対湿度90%)に粒径が0.20μmより大きいエアロソルが優先的に霧の凝結核になったことが示唆される.また相対湿度90%で粒径0.20μmの(NH4)HSO4粒子の臨界過飽和度は約0.1%であり,霧発生時の最大過飽和度の報告値とも一致している.鉱物粒子は海霧に取り込まれていなかったので,霧発生時に減少した粗大粒子は海塩粒子である.海霧発生時は初めに海塩粒子が凝結核となるが,その数密度は低いので相対湿度の上昇は止まらず,相対湿度が100.1%に上がるまでに,水蒸気がnss-SO42-粒子((NH4)2SO4,(NH4)HSO4,H2SO4)の一部(40%)に凝結して海霧となったことが明らかになった.海洋大気中で発生する対流雲では,海塩粒子が加わることにより雲底での最大過飽和度が減少し,微小粒子の活性化が妨げられたという報告がある.海霧は下層雲であるが,海霧でも海塩粒子が主要な凝結核となり,臨界過飽和度を下げたためnss-SO42-粒子が40%しか活性化しなかったと考えらえる.

 ある一つの海霧が出現した期間に採取された霧水試料中のNa+濃度の変化に一定の傾向はなかったが,陸上に起源を持つNO3-・nss-SO42-・NH4+の濃度は,海霧が発生してからの時間に伴い減少した(図2).これは大気中のエアロソルが霧粒に取り込まれ,海表面へ除去されたためと考えられる.また,この3成分の中でNO3-は特に除去されやすかった.NO3-は海塩粒子と共に海霧発生時にほぼすべて霧粒にまで成長し,海表面へ降下したと考えられる.陸域の霧の観測からは,他の2成分よりNO3-は除去されにくいと報告されている.海洋大気中ではNH3ガスの濃度が低くNO3-が粗大領域に存在しているために,陸域とは全く異なった除去機構の存在していることが明らかになった.Na+は海塩起源なので海霧により除去されても海洋から供給されるため減少することがなかった.雨水中の陽イオン組成は霧水試料と同様に海塩成分(Na+,K+,Mg2+,ss-Ca2+)が65-98%と大部分を占める.しかし霧水中では最も低いnss-Ca2+(2%以下)が,雨水中には最高で35%含まれていて,これは自由対流圏を輸送されるCaCO3などの鉱物粒子を雨水が雲内洗浄で取り込んだことを示唆している.高生産海域におけるMSA濃度は霧水中で高くなったが,雨水中では定量下限以下の試料が多く,降雨によるMSAの雲下洗浄の効果は低い事が示唆される.海霧のpH(各海域の平均2.8-5.5)と比較すると雨水の値(5.3-7.2)は高く,これは雨滴が取り込んだCaCO3が中和に働いたためである.中和を受ける前の雨水の酸性度をpHで表すと4.1-5.4であり,もともとは海霧と同じ程度酸性化していたことがわかる.太平洋の清浄海域における雨水のpHは5.5-6.2と報告されているが,本調査海域はアジア大陸に近いため,太平洋中央域よりも陸起源物質による中和効果が大きかったと考えられる.海霧と同様に雨水の酸性化にはH2SO4の寄与が大きいが,日本海ではHNO3も雨水の酸性化に大きく寄与していた.しかしこのHNO3による酸性化の効果は海霧の方でより強く,これは霧粒がエアロソルに由来するNO3-以外に,HNO3ガスを取り込んだ可能性を示している.

 以上の結果をまとめた海霧の発生機構の概念図を図3に示す.陸域から輸送された気塊中で発生する海霧は,その場に存在するほぼすべての海塩粒子と40%のnss-SO42-粒子を凝結核として発生する.海塩粒子と内部混合したNO3-も同時にほぼすべて取り込み,HNO3ガスが存在する場合はそれも霧発生時に取り込む.一方でSO2ガスは霧が発生している間に徐々に溶解する.霧粒は重力沈降でこれらの成分を海洋表層へ除去していく.最終的に清浄大気中の海霧の凝結核として働くのは海塩粒子である.

 海霧はエアロソルの海洋表層への沈着を加速し,特にNO3-を海塩粒子と共に他の成分よりも速く除去する。貧栄養海域において,人為起源窒素化合物を多く含んだ酸性雨が海洋表層のChlorophyll aの濃度を増加させたという観測例もあり,海霧の多発する海域では陸起源物質が輸送されると窒素化合物(NO3-,NH4+)が効果的に海洋表層へ供給されるので,海洋環境へ影響を与えることも考えられる。今後は海霧による化学成分の降下量と海洋生物圏への影響を定量的に見積もることが必要である.

図1,エアロソルと霧水中のNH4+/Na+の比較

エラーバーは標準偏差.

図2,海霧発生後の経過時間に伴う海霧中のイオン濃度の変化

図3,海霧発生の概念図

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は緒言,観測及び分析,結果と考察,結語の4章からなっている.

 大気中の物質の除去機構としては乾性沈着と湿性沈着があり,微小粒子(d <0.1μm)を効果的に除去するのは湿性沈着である.微小粒子は発生源から長距離輸送されやすいので,湿性沈着は外洋域における海洋表層への物質の供給機構としても重要な役割を果たすと考えられる.北部北太平洋では夏季に,海霧が広範囲・高頻度に発生することが知られている.降雨と同様に海霧もエアロソルを取り込み,海洋境界層下部のエアロソル化学成分の挙動に大きな影響を与えることが予想される.更に霧粒に取り込まれた化学成分が海洋表層へ供給され,海洋生態環境へも影響を与える可能性がある.今まで海霧の化学成分に関する研究は限られたものしかなく,海霧発生時におけるエアロソルの挙動を観測した例はほとんど無い.本研究では,日本海・オホーツク海・北西部北太平洋・ベーリング海・北東部北太平洋において夏季に行われた4回の観測航海(1998年〜2001年)によって海霧を採取し,その化学的特徴を明らかにした.また海霧の発生機構・海霧によるエアロソルの除去機構を解明し,更に海霧と降雨の除去機構の差異を明らかにした.

 海霧の化学組成は海塩成分の占める割合が大きいが,非海塩成分の割合も最大で50%近くとなり無視できないものであった.非海塩成分の中ではnss-SO42-とH+がどの海域でも主要成分であった.海洋生物起源であるメタンスルホン酸(MSA:CH3SO3-)は2%以下と微量成分だったが,オホーツク海や日本海では比較的高濃度になる傾向を示した.これは海洋生物起源のH2SO4も同時に海霧に取り込まれたことを示唆している.日本海と北西部北太平洋ではNO3-の占める割合が顕著に高くなることがあり,外洋上でも海霧への人為起源物質の混入が予想される.一方nss-Ca2+はほとんど含まれず,海霧による鉱物粒子の取り込みはなかった.どの海域でもpH4前後の酸性霧が観測された.海霧はHNO3よりもH2SO4によって酸性化していたが,日本海では人為起源と考えられるHNO3による寄与の方が大きかった.オホーツク海では海洋生物起源のH2SO4が海霧の酸性化に寄与していたが,陸域からの中和成分(NH3,CaCO3)の輸送が少なかったこともpHが低くなった要因であった.

 海塩粒子との比較で見積もると,nss-SO42-粒子(H2SO4,(NH4)2SO4,(NH4)HSO4)の約40%が霧粒の凝結核になった.一方で海洋大気中では海塩粒子と内部混合して存在するNO3-は,海塩粒子と共にすべて霧粒の凝結核になることが示唆された.また海霧発生時には,粒径が大きなエアロソルほど粒子数の減少率が大きくなる傾向を示した.すべての海霧発生イベントで粒径0.50μm以上の粒子数が海霧発生後に減少していた.相対湿度が100%を超えた時の粒子の成長粒径を考慮すると,海霧発生前(相対湿度90%)に粒径が0.20μmより大きいエアロソルが優先的に霧の凝結核になったことが示唆される.また相対湿度90%で粒径0.20μmの(NH4)HSO4粒子の臨界過飽和度は約0.1%であり,霧発生時の最大過飽和度の報告値とも一致している.鉱物粒子は海霧に取り込まれていなかったので,霧発生時に減少した粗大粒子は海塩粒子である.海霧発生時は初めに海塩粒子が凝結核となるが,その数密度は低いので相対湿度の上昇は止まらず,相対湿度が100.1%に上がるまでに,水蒸気がnss-SO42-粒子((NH4)2SO4,(NH4)HSO4,H2SO4)の一部(40%)に凝結して海霧となったことが明らかになった.海塩粒子が臨界過飽和度を下げたためnss-SO42-粒子が40%しか活性化しなかったと考えらえる.

 ある一つの海霧が出現した期間に採取された霧水試料中のNa+濃度の変化に一定の傾向はなかったが,陸上に起源を持つNO3-・nss-SO42-・NH4+の濃度は,海霧が発生してからの時間に伴い減少した.これは大気中のエアロソルが霧粒に取り込まれ海表面へ除去されたためと考えられる.また,この3成分の中でNO3-は特に除去されやすかった.NO3-は海塩粒子と共に海霧発生時にほぼすべて霧粒にまで成長し,海表面へ降下したと考えられる.陸域の霧の観測からは,他の2成分よりNO3-は除去されにくいと報告されている.海洋大気中ではNH3ガスの濃度が低くNO3-が粗大領域に存在しているために,陸域とは全く異なった除去機構の存在していることが明らかになった.

 なお,本論文の内容は筆頭著者として英文による国際雑誌に二報,公表されているが,論文提出者が主体となって執筆したもので,論文提出者の寄与が十分であることと判断する.

 したがって,博士(理学)を授与できると認める.

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