学位論文要旨



No 117862
著者(漢字) 須藤,健悟
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,ケンゴ
標題(和) 対流圏オゾンの全球分布及び関連化学要因の変動過程に関する研究
標題(洋) Changing Process of global tropospheric ozone distribution and related chemistry : astudy with a coupled chemistry GCM
報告番号 117862
報告番号 甲17862
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4333号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 今須,良一
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 助教授 小池,真
内容要旨 要旨を表示する

・はじめに

 本研究はオゾンを中心とする対流圏光化学とその変動過程を全球的に考察するものである。産業革命以来の急速な人為起源気体放出(emission)の増加は二酸化炭素(CO2)やメタン(CH4)などの長寿命な物質のみならず、オゾン(O3)を中心とする高反応性物質やエアロゾルなどの濃度を上昇させ大気組成に多大な変化をもたらしてきている。大気組成におけるこのような変化は将来の気候・大気環境の両方を左右する重要な要因として議論が活発化している。特に対流圏におけるオゾンは自身が強力な温室効果気体であると同時に、化学過程を介して他の温室効果気体・汚染(酸性)物質の濃度を決定する力(大気酸化能)を持ち気候・大気環境のシステムのなかで重要な役割を演じる物質である。

 対流圏オゾンやエアロゾルは大気中での存在寿命が数日〜数週間と短いため、空間的、時間的変動性が非常に高く、直接的な観測だけでは全球的かつ定量的な分布の把握は難しい。本研究ではまず、大気大循環(気候)モデル(GCM)を土台としてオゾンを中心とした対流圏光化学過程を全球的にシミュレートする全球化学気候モデルの構築を行い、結果について詳細な評価を行った。また、本研究で構築したモデルを用いて産業革命以前から現在までの対流圏オゾンの変化量を計算し、対流圏オゾンの増加が及ぼす放射強制力を見積もった。

 対流圏オゾンの生成・消滅の過程はオゾン前駆気体のemissionだけでなく、水蒸気量、大規模循環/対流による輸送などの気象場の条件と密接に関連している。そのため、対流圏オゾンの変動過程を議論する際も前駆気体emissionと気象場の両方による変動成分をそれぞれ考察する必要がある。本研究では、emissionおよび気象場の両方の影響を考慮して、将来の対流圏オゾンおよび硫酸エアロゾル分布の変動に着目し予測実験を行った。

・全球化学気候モデル

 本研究で構築を行った全球光化学モデル(CHASER:CHemical AGCM for Study of atmospheric Envi-ronment and Radiative forcing)[Sudo et al.,2002a,JGR]は東大気候システム研究センターと国立環境研究所で共同開発された大循環気候モデルCCSR/NIES AGCMを土台として、対流圏における化学反応過程をAGCM中の力学・物理過程と結合して計算を行う。モデル中では化学反応に加え、大規模移流輸送、積雲対流による鉛直輸送、地表emission、雷によるNOx、生成、湿性/乾性沈着が考慮されている。光化学過程では対流圏光化学の基本サイクル(O3-Nox-HOx-CO-CH4)と非メタン炭化水素の酸化反応、および不均一反応が考慮され、本研究では硫酸エアロゾルの生成過程(SO2,DMSの気相・液相酸化)も導入されている。空間解像度は本研究では水平2.8°×2.8°、鉛直には地表から高度40kmまでの32層とした。本モデルにより計算された対流圏オゾンや各前駆気体の分布は各観測値とほぼ整合的であり(例:図1)、オゾン生成・消滅過程の表現の妥当性が確認されている[Sudo et al.,2002b,JGR]。また、モデルで計算されたOHラジカル濃度場によるCH4の化学的寿命は9.4年と見積もられたが、これはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)による見積もり9.6年と良く合致する。このモデルによる対流圏オゾンの全球収支解析では、成層圏からのオゾン流入531TgO3/yrに対し、対流圏内の生成量は4746TgO3/yrと支配的であり、さらにネットのオゾン生成量(生成効率)は境界層内よりも特に上部対流圏の方が大きいことが示された。

・対流圏オゾンの放射強制力

 本研究では化学過程と放射過程が結合されたモデルを構築したので、現在までの対流圏オゾン増加がおよぼす放射強制力の計算が比較的容易に行える。表1は計算により見積もられた対流圏オゾンの放射強制力を示す。全球平均では約0.5Wm-2のオゾンによる強制が計算されており、これはメタンの放射強制と同等の値である。特に北半球の夏期大陸上では1-1.5Wm-2とCO2に匹敵するほどの強制力が分布することが示され、将来の気候変動においても対流圏オゾンが重要な役割を演じることが示唆される。

・熱帯域対流圏オゾンの変動過程

 前述のように対流圏オゾン化学は気象場の変動に大きく左右される.本研究では気象場と光化学の結び付きが特に強い熱帯域に注目し、1997-1998年のエルニーニョ現象時に観測された大規模な熱帯域オゾン変動についてモデルにより再現実験を行い、熱帯域の気象場がオゾン分布決定にどのような役割をしているかを調べた。実験ではモデルにエルニーニョ時の海面水温変動、風速、水蒸気分布のデータを与えエルニーニョ現象を再現し光化学過程への影響を評価した。この実験では観測で得られた大規模なオゾン変動パターンが良く再親され(図2)、エルニーニョ時のWalker循環、積雲対流分布の東西シフトと水蒸気分布の変動がオゾン生成および消滅の過程に大きく変動を与え図2に見られるような大規模かつ顕著なオゾン分布変動を引き起こしていたことがモデルにより初めて確認された[Sudo and Takahashi,2001,GRL]。特に、インドネシア域のオゾン増大に関してはこの時期に同時に起きた森林火災による影響も大きいと考えられるが、本実験は観測されたオゾン増大の約半分はエルニーニョ現象に伴う気象場変動の影響のみで説明しうることを示している。

・将来の対流圏オゾン光化学

 将来に向けて対流圏オゾンを中心とした光化学過程がどのように変化するかについて予測実験を行った.本研究ではemission変化と気候変動による気象場変化の両方の効果を考慮するため、emission変化のみの実験(Expl)とemission変化に加え難候変動を考慮した実験(Exp2)の2種類の実験を実行した、これらの実験ではemission変化、気候変動はともにIPCC SRES-A2シナリオに従った。Exp2の気候変動の予測ではモデル中でCO2等の温室効果気体濃度を増加させるとともに、CCSR/NIES大気海洋結合モデルにより予測された海面水温と海氷分布を与えた(このモデルは高い気候感度を持ち、将来の気候変動の予測では他のモデルに比べ高めの温度上昇を予測する傾向にあることに注意が必要である)。

 対流圏オゾン総量はExp1ではほぼ直線的に増加し、2050年で23%、2100年では約44%の増加が計算された(図3a)。Exp2では水蒸気増加によるオゾン破壊の活発化のため対流圏下層ではExp1に比べてオゾン増加は概して緩和されるが、温暖化によるハドレー循環および成層圏循環の強化により成層圏からのオゾン流入が増加し中上部対流圏ではExp1以上のオゾン増加が計算され結果として全球総量では図のようにExp1とほぼ同じ増加傾向が得られた。また、汚染域の境界層中では温暖化による温度上昇と水蒸気増加により正味のオゾン生成が活発化することがこの実験で確認された。

 全球平均メタン濃度はExp1ではemission増加とOH濃度の減少により2100年には4ppmvまでの増加が計算されたが、温暖化を考慮したExp2では水蒸気増加によるOH濃度増加と温度上昇によりメタン化学寿命が短くなったため、増加は2100年で3.3ppmvまでに留まった(図3b)。Exp1で計算された硫酸エアロゾルの総量はSRES-A2シナリオに従い2030年から2050年の間にピークをとるが、汚染域でのOH増加やH2O2による液相反応の強化によりその後も1990年以上の総量が維持されている(図3c)。Exp2ではExp1以上のH2O2の増加や雲水量および降水の変化により2040年以降Exp1よりも1〜3割大きい総量が計算された。この予測実験は2050年の段階でインド、中国、日本を含む東アジア域でオゾンや硫酸エアロゾルなどの汚染物質が顕著に増加することを定量的に予測すると同時に、硝酸(NO3-)と硫酸(SO42-)の沈着がそれぞれ同等に大きく将来の降水酸性度(pH)に影響することを計算しており、酸性雨やオゾン光化学汚染の問題が日本を含む東アジア広域で更に深刻化することを予測している。

・おわりに

 本研究では大循環気候モデルに対流圏光化学過程を導入し化学・気候結合モデルを構築した。モデルの詳細な評価ではオゾンおよび前駆気体に関して概ね良好な結果が得られていることが確認されているが、一部の物質に関しては観測との不一致が見られる場合もあり、また成層圏からのオゾン流入量もやや大きめに見積もられる傾向にあるようなのでさらなるモデル改良が必要である。本研究では構築されたモデルを用いて現在までのオゾン増加量を見積もり放射強制力を計算し、さらに熱帯域のオゾン変動および将来にむけての対流圏光化学・大気環境変動について実験を行った。特に放射強制の見積もりおよび気候変動・気象場変動の影響の議論では土台としている気候モデル(GCM)の再現性によるところが大きいのでさらなるモデル評価が求められる。今後の研究ではモデルの高度化とともに、オゾンやエアロゾルが及ぼす局所的・短期的な放射影響を評価し、オゾン・メタン・エアロゾルのシステムとしての変動が気候に与える影響を考察することが期待される。

図1:モデルで計算された地表オゾン季節性の観測との比較。

●:観測、○:モデル。Boxは日々の計算のrangeを示す。

表1:対流圏界面における対流圏オゾンの放射強制力(Wm-2)。

図2:熱帯域対流圏カラムオゾン量(DU)のアノマリ:1997年10月。

(上)TOMSによる衛星観測[Chandra et al.,1998,GRL]、(下):モデル計算結果(気象場変動成分のみ。インドネシア森林火災の影響は含まず)。

図3:対流圏オゾン総量(a)、全球平均メタン濃度(b)、硫酸エアロゾル総量(c)の時間発展(1990-2100年:SRES-A2シナリオ)。

実線:気候変動あり(Exp2)、点線:気候変動なし(Exp1)。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は対流圏オゾンを中心とした対流圏光化学とその変動を全球的に考察している。対流圏オゾンは温暖化ガスの1つであり、他の化学物質と反応する重要な物質であり、地球大気環境に重要な役割を果たす物質である。その変動を化学モデルを用いて研究をおこなっている。

 1章での序説のあと、2章では大気大循環モデルを土台として、その中にオゾンを中心とした対流圏化学過程を導入することによる、全球化学気候モデルの構築が述べられている。このモデルでは、化学反応に加えて、大規模移流輸送、積雲対流による鉛直輸送、地表からのオゾン前駆体emision、雷によるNOx生成、湿性/乾性沈着などが考慮されており、その詳細なスキームの説明がなされている。モデルの空間分解能は水平約2.8度で、鉛直には高度40kmまでの32層のモデルである。

 モデルで計算された対流圏オゾンや個々の前駆気体の分布が計算され、その結果は観測された値とほぼ整合的であることが、多くの気体で説明されており、このモデルでのオゾン生成/消滅過程の表現の妥当性が示されている。また、モデルで再現されたOHラジカルによるメタンの化学的寿命は9.4年と見積もられているが、その値はIPCC(気候変動に関する政府間パネル)により見積もられている9.6年とよく一致している。

 さらに、このモデルによる対流圏オゾンの全球収支解析では、成層圏からのオゾン流入は531TgO3/yrであり、一方対流圏内の生成量は4746TgO3/yrでオゾン収支においては支配的となっていて、他のモデルと同様な値となっている。さらに、ネットのオゾン生成量は境界層内よりも、上部対流圏の方が大きいことが示されている。

 3章では、対流圏オゾンの放射強制力が見積もられている。全球平均では、約0.5W/m2のオゾン強制力が計算されており、これはメタンの放射強制と同等の値である。とくに北半球の夏期大陸上では1-1.5W/m2とCO2と匹敵する程強いことが示され、将来の気候変動においても対流圏オゾンが重要な役割を演じることが示唆されている。

 4章では熱帯域対流圏オゾンの変動過程が調べられている。対流圏オゾンは気象場に大きく左右される。それの1例として、熱帯域の1997-1998年のエルニーニョに注目してオゾン変動を調べている。観測で得られたエルニーニョにともなうオゾンの変動パターンが良くモデルで再現されている。エルニーニョ時のWalker循環の変動、積雲対流分布の東西シフト、それに伴う水蒸気分布の変動がオゾン変動を引き起こしていることをモデルで始めて確認している。とくに、インドネシア域のオゾン増大に関してはこの時期に起こった森林火災の影響も大きいと考えられるが、この実験は観測されたオゾン増大の半分程度はエルニーニョにともなう気象場変動の影響で説明されることを示している。

 5章では、将来的に対流圏オゾン化学がどのように変化するかの予測実験をおこなっている。emision変化と気候変動の両方の効果をみるために、emisionのみの実験(Exp1)とemision変化と気候変動を考慮した実験(Exp2)をおこなっている。シナリオはIPCC SRES-A2シナリオに従っている。Exp1で、オゾンはほぼ直線的に増加し、2100年では44%の増加が計算された。Exp2では温暖化による水蒸気増加によるオゾン破壊の活発化で対流圏下層ではExp1に比べオゾン増加は緩和されるが、温暖化による循環の強化で全球ではExp1と同等の増加となっている。

 以上のような結果は、大気化学の研究に重要な貢献をするものと思われ、大気化学に新しい知見をあたえ、大気化学の発展に大きく寄与したと判断する。なお、本論文の一部は高橋正明氏他との共同研究であるが、論文提出者が主体になって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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