学位論文要旨



No 117866
著者(漢字) 宮崎,雄三
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ、ユウゾウ
標題(和) 春季西太平洋域における対流圏オゾン・反応性窒素酸化物の化学・輸送過程に関する研究
標題(洋) A Study on Chemistry and Transport of Tropospheric Ozone and Reactive Nitrogen over the Western Pacific in Spring
報告番号 117866
報告番号 甲17866
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4337号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小池,真
 東京大学 助教授 植松,光夫
 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 助教授 中村,尚
内容要旨 要旨を表示する

 東アジア-西太平洋域は人為起源物質の大気への排出量の増加とあわせて、春季には光化学反応の活性化や対流活動と西風ジェットにより太平洋域への輸送が顕著となることから、対流圏オゾンを中心とした大気質・気候変動への影響を評価する上で全球的にみても特殊な環境である。こういった大気成分を輸送する過程の中でも温帯低気圧システムにおける個々の相対的な気流(例えば温暖コンベアーベルト(Warm Conveyor Belt(WCB))の起源と輸送経路が、中緯度対流圏中の大気微量成分の輸送と化学組成を支配する鍵となることが最近の観測研究で示唆されている。このような輸送過程は、西太平洋域におけるオゾンやその前駆物質として重要な反応性窒素酸化物(NOx、NOy)といった大気微量成分の大気境界層-自由対流圏間の輸送・化学過程、さらには長距離輸送(大陸間規模)への寄与を知る上で極めて重要である。しかしながら、これまで東アジア-西太平洋域においては対流圏全般にわたる大気微量成分観測データが乏しく、西太平洋域の春季における対流圏オゾンの発生源についての定量的な議論、オゾンとその前駆物質の輸送過程についての解明には至っていない。本論文は春季の西太平洋域において行われた2度の航空機観測によって取得した大気微量成分データをもとに行った(1)対流圏オゾンとその生成を引き起こす前駆物質分布の成因の解明とオゾン光化学生成の寄与の定量化、(2)WCB及び対流輸送による、陸域境界層から自由対流圏への上方輸送過程とそれに伴う窒素酸化物の化学過程の解明、という内容により構成される。

 春季の西太平洋域における対流圏オゾンとその前駆物質分布、オゾン光化学生成の寄与を定量的に明らかにするために、東京大学、宇宙開発事業団、及び国内外の研究機関と共同で1998年4月に日本上空で航空機観測を行った。対流圏オゾン及び前駆物質の太平洋域への流出が最も効率的におこる4月に行った、西太平洋域における航空機観測による研究としてはこれが初めてである。得られた大気微量成分データを、1994年2-3月に行われた過去の航空機観測結果(PEM-West B)と比較した結果、本研究で得られたオゾン混合比は中・上部対流圏において、PEM-West Bより高い値を示した。オゾンゾンデの5ヵ年平均値との比較から、これは冬季から春季への季節進行による濃度増大と解釈できる。一酸化炭素(CO)は対流圏全般にわたってPEM-West Bより有意に高く、対流活動により地表付近の影響が上部対流圏にまで及んでいたことを示す。また、オゾンやその前駆物質の相関解析から、窒素酸化物の発生源として地上起源の寄与が大きく、春季西太平洋域の上部対流圏においてオゾンの光化学生成が進行していることが明らかになった。さらに観測データの値を組みこんだ光化学ボックスモデルを用いて対流圏オゾンの光化学生成率を求めた。その結果、高度積算生成率は北半球における成層圏からの平均流入フラックスと比べて3-20倍高い値を示し、上部対流圏での正味の生成率は0.5-4.4ppbv/dayであった。このことから春季の西太平洋域において光化学生成過程が対流圏オゾン濃度増大の支配的な要因であることが明らかになった。

 上記で明らかになったオゾンの光化学過程をふまえ、その生成関連物質の陸域境界層から自由対流圏への輸送手段として、温帯低気圧に伴うWCB、及び対流輸送(Convective Outflow,COF)という2つの上方輸送過程に着目した。これら輸送過程に伴うアジア大陸上から西太平洋域自由対流圏への気塊の輸送経路と排出源、及び各々の輸送が窒素酸化物の化学組成に与える影響を明らかにすることを目的として、大気組成データの解析及び気象解析を行った。解析には2001年春季(2-4月)に西太平洋域で行われたNASAの航空機観測Transport and Chemical Evolution over the Pacific(TRACE-P)で取得した大気微量成分データを用いた。あわせてECMWFデータを用いて観測点より計算した5日間の後方流跡線(水平分解能1°×1°のFlorida State Universityモデル)、GMS赤外雲画像、地上天気図(JMA)を用いることにより、航空機観測地点と対応するWCB、COFを同定し、大気微量成分データの抽出を行った。また、NOyの各成分がどのような化学組成で上方輸送されているかを知ることはNOyの化学変換過程を知る上で重要であるため、同定された全てのWCB,COFにおけるNOyの組成について調べた。

 観測が行われた時期はシベリア高気圧の弱まりとともに、太平洋高気圧の発達に伴って対流圏下層の南風が強まり、東-東南アジア域での温帯低気圧及び対流活動が活発になることが知られている。後方流跡線によって同定したアジア大陸からの上方輸送を示す気塊のうち73%が東南アジア域の広範囲に起源をもつ結果となった。陸域境界層から自由対流圏への輸送の時間スケールは1-3日であり、東南アジア域におけるWCB,COFの支配的な排出源は、年間を通してこの時期にもっとも活発となるバイオマス燃焼であることが明らかになった。一方、27%は中国北東沿岸部に起源をもち、排出源としては都市大気の影響が支配的であることがわかった。

 WCB、COFの具体的な例として4月4日に観測された事例について解析したところ、中国南部のバイオマス燃焼という同一の発生源からWCB及び停滞前線に伴うCOFという2つの輸送過程により、気塊が西太平洋域の上部対流圏まで輸送されていることが明らかになった。また、同一の温帯低気圧システム中、寒冷前線後面の中・上部対流圏で成層圏の影響を強く受けた乾燥気流(DA)も同時に観測され、COFのすぐ近傍に位置していた。これはバイオマス燃焼起源の気塊と成層圏起源の気塊の混合が起こりうることを示唆する。

 観測期間においてWCB、COFにより境界層の気塊が自由対流圏へ輸送された頻度を、前方流跡線解析により調べた。その結果、WCBによる上方輸送の頻度は平均で20-30%、COFによるものが10-15%と見積もられ、WCBが東アジア域における地表付近の気塊の自由対流圏への輸送過程として重要である、ということが明らかになった。

 航空機観測点おいて同定されたWCB、COFにおいてNOxのNOyに占める割合は高度7kmより上の上部対流圏で3%と極めて低かった(図1)。これは時間スケールが1-3日の輸送過程で、NOxの大部分が酸化により他のNOy成分に変換されたが、硝酸(HNO3)との間で化学平衡に達しておらず、かつ上部対流圏におけるNOx発生源(雷、航空機の排出)の影響は小さいため、と解釈できる。また、硝酸ペルオキシアセチル(PAN)がWCB、COFにおける支配的なNOy成分(〜50-80%)であることが明らかになった。これはバイオマス燃焼、都市大気といった排出源の近傍で生成されたPANが自由対流圏へ輸送されてきたと考えられ、NOxのリザーバー(貯留成分)としてのPAN輸送の重要性を示す結果である。一方、HNO3のNOyに占める割合は15-20%と低く、輸送過程でその大部分が除去されていたことを示唆する。

 観測された気塊中のNOy、COの増分比とアジア大陸における排出量比の推計値との比較より、WCB、COFによって排出源領域から自由対流圏まで輸送されたNOyの割合(輸送効率)は10-20%と見積もられた。同様にして境界層における輸送効率は30%と見積もられた。これはHNO3のNOyに占める割合が小さかった結果とあわせて、NOyの境界層-自由対流圏の輸送過程において、降水を伴うWCBやCOFは境界層においてと同様にHNO3の重要な消失源となることを示唆する。さらに後方流跡線の計算結果より、輸送過程で降水が起きていたことを示す高度領域はWCB、COFともに2-4km付近であり、HNO3の除去は境界層及びこの高度領域(自由対流圏下部)で起きていたことを示す結果となった。

 本研究で明らかになったWCB,COFによる輸送過程と、それに伴うNOyの組成について図2に示す。都市大気とあわせて、東南アジア域でのバイオマス燃焼というアジア域特有の排出源とWCB、COFという2つの具体的な経路による気塊の陸域境界層から自由対流圏への上方輸送過程、及びそれらに伴うNOyの変換・除去過程を観測データから明らかにしたのは本研究が初めてである。これらの結果は長距離輸送に伴う遠隔地でのNOyの化学過程とその収支、光化学生成による対流圏オゾン変動を考える上で極めて重要である。

図1.TRACE-P期間中に観測されたWCB,COF-東南アジア起源(Southeast Asia,SA)、COF-中国北東部起源(Northeast China,NC)中のNOx/NOy,PAN/NOy,HNO3/NOyのメディアン値の高度分布。

比較のため、同期間中に対象領域(120°-170°E,22°-42°N)の自由対流圏(高度2-12km)で観測された全データのメディアン値を示した。

図2.本研究で明らかになった西太平洋域におけるWCB,COFに伴う境界層から自由対流圏への輸送過程と窒素酸化物の化学過程。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章で構成されている。第1章は、イントロダクションとして対流圏の大気化学反応系および総観規模の大気の輸送について書かれている。第2章と3章では、春季の西太平洋域において行われた2度の航空機観測によって取得した大気微量成分データの解析をもとに行った研究結果について述べられている。第2章では対流圏オゾンとその生成を引き起こす前駆物質分布の成因の解明とオゾン光化学生成の寄与の定量化についての研究成果がまとめられている。第3章では温暖コンベアーベルト(WCB)及び対流輸送による、陸域境界層から自由対流圏への上方輸送過程とそれに伴う窒素酸化物の化学過程についての研究成果がまとめられている。第4章ではこれらの研究から得られた結論が述べられている。

 近年、東アジアからの人為起源物質の大気への排出量の増加が、大気質や気候変動など大気環境に与える影響について懸念されている。本論文で論文提出者は、1998年4月の航空機観測によるオゾン観測結果と、過去の航空機やオゾンゾンデ観測との比較から、冬季から春季への季節進行による濃度増大を示した。また一酸化炭素(CO)は対流圏全般にわたって2-3月の値より有意に高く、対流活動により地表付近の影響が上部対流圏にまで及んでいたことを示している。オゾンやその前駆物質の相関解析から、窒素酸化物の発生源として地上起源の寄与が大きく、春季西太平洋域の上部対流圏においてオゾンの光化学生成が進行していることを明らかとした。さらに観測データの値を組みこんだ光化学ボックスモデルを用いて対流圏オゾンの光化学生成率を求めた。その結果、高度積算生成率は北半球における成層圏からの平均流入フラックスと比べて3-20倍高い値を示した。このことから春季の西太平洋域において光化学生成過程が対流圏オゾン濃度増大の支配的な要因であることが明らかになった。

 本論文では、また2001年春季(2-4月)に西太平洋域で行われたNASAの航空機観測Transport and Chemical Evolution over the Pacific(TRACE-P)で取得した大気微量成分データと5日間の後方流跡線解析等を用いることにより、WCBおよび積雲対流活動(COF)によって自由対流圏に上方輸送された空気塊の特性とその輸送経路を同定した。この結果、アジア大陸からの上方輸送を示す気塊のうち73%が東南アジア域の広範囲に起源をもつことが示された。陸域境界層から自由対流圏への輸送の時間スケールは1-3日であり、東南アジア域におけるWCB,COFの支配的な排出源は、年間を通してこの時期にもっとも活発となるバイオマス燃焼であることが明らかになった。一方、27%は中国北東沿岸部に起源をもち、排出源としては都市大気の影響が支配的であることがわかった。また顕著な事例についての詳しい事例解析も行った。さらに前方流跡線解析により、東アジアからのWCBによる上方輸送の頻度は平均で20-30%、COFによるものが10-15%と見積もられ、WCBが東アジア域における地表付近の気塊の自由対流圏への輸送過程として重要である、ということが明らかになった。

 本論文ではまたWCBおよびCOFにより輸送された空気塊中における窒素酸化物の分配比率を調べ、硝酸ペルオキシアセチル(PAN)がWCB、COFにおける支配的なNOy成分(〜50-80%)であることを明らかにした。またWCB、COFによって排出源領域から自由対流圏まで輸送されたNOyの割合(輸送効率)は10-20%と見積もった。同様にして境界層における輸送効率は30%と見積もられた。これはNOyの境界層-自由対流圏の輸送過程において、降水を伴うWCBやCOFはHNO3の重要な消失源となることを示唆する。

 都市大気とあわせて、東南アジア域でのバイオマス燃焼というアジア域特有の排出源とWCB、COFという2つの具体的な経路による気塊の陸域境界層から自由対流圏への上方輸送過程、及びそれらに伴うNOyの変換・除去過程を観測データから明らかにしたのは本研究が初めてである。これらの結果は長距離輸送に伴う遠隔地でのNOyの化学過程とその収支、光化学生成による対流圏オゾン変動を考える上で極めて重要である。

 なお本論文の2章、3章は、複数の研究者との共同研究であるが、多くの共同研究者は単なるデータの提供者である。本研究の成果は論文提出者が主体となった解析から得られたものであり、穂論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学〉の学位を授与できると認める。

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