学位論文要旨



No 117874
著者(漢字) 崔,亨波
著者(英字)
著者(カナ) サイ,キョウハ
標題(和) 希土類金属錯体をアニオンとする有機伝導体および類似体の系統的研究
標題(洋)
報告番号 117874
報告番号 甲17874
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4345号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 錦織,紳一
 東京大学 助教授 森,初果
内容要旨 要旨を表示する

 最近3d遷移金属磁性アニオンを有する有機伝導性錯体の研究により、反強磁性有機超伝導体や磁場誘起超伝導体など、前例のない伝導体が数多く発見され、磁性有機伝導体の開発研究が注目を集めている。3d錯体と比べ、4f錯体では4f軌道が外部から強く遮蔽され、また、強いスピン-軌道カップリングや大きな磁気モーメントを持ち得るという著しい特徴がある。しかし、ランタノイドイオンの配位数が大きいこと、有機溶媒に溶けるアニオンの種類が限られていること、空気中で安定な分子性伝導体の作成が難しいこと等が原因となり、π-f系分子性伝導体の報告例は希少である。特に、全てのランタノイド錯体アニオン[(Ln)]を対象とし、(Ln)と同一のドナー分子(D)から構成された一連の分子性伝導体[(Ln)mD]を作成し、その結晶構造・物性を系統的に調べた研究はいまだに報告されていない。通常、分子性伝導体では、有機ドナー分子が伝導層を形成し、無機アニオンが有機ドナーの形成する伝導バンドから電子を奪いバンド内にホールキャリアを生成して伝導体となっているので、新しいドナー配列を持つ分子性伝導体の作成を試みることは、新規な分子性伝導体を探索する上で重要である。筆者は博士課程において、低温まで安定な金属状態を与えやすいことで知られる有機ドナー、BDT-TTP[2,5-bis(1,3-dithiol-2-ylidene)-1,3,4,6-tetrathiapentalene]を用いてランタニドニトラト錯体アニオン[Ce(NO3)6]3-, [Ln(NO3)5]2-(Ln=Nd, Sm, Eu, Gd, Tb, Dy, Ho, Er, Tm, Yb, Lu), LnClx(H2O)y (Ln=Ce, Eu, Ho)、およびIとの錯体の結晶を合成し、それらの構造と物性を系統的に調べた。卒業論文は以下のように構成されている。

 第一章は序論であり、良伝導半導体の発見から分子性金属、有機超伝導体、さらには磁性伝導体の開発に至るまでの分子性伝導体の歴史の概略を述べた。

 第二章では、ランタニドニトラト錯体アニオンとBDT-TTPから構成された一連の分子性伝導体を作成し、それらの結晶構造・物性を系統的に調べた。全ての結晶は2Kまで金属性を保ち、室温伝導度は10〜200Scm-1であった。図1に示すように、(BDT-TTP)6[Ce(NO3)6](C2H5OH)x(x=3)塩では単位格子中に10個のBDT-TTP分子と2個の[Ce(NO3)6]3-の分子が存在し、ドナー分子は6倍周期の構造を形成している。中心金属CeにNO3-イオンが6個12配位し、NO3-イオンは互いに垂直している。一方、(BDT-TTP)5[Ln(NO3)5](LnはNd以後の11種類の塩)は単位格子中に5個の結晶学的に独立なBDT-TTP分子と1個の[Ln(NO3)5]2-が存在し、BDT-TTP分子は10倍周期の構造を形成している。アニオンは中心金属にNO3-イオンが5個10配位し、3個のNO3-イオンがほぼ3回対称をもって一平面上に位置し、残りの二つのNO3-イオンはその平面に垂直で互いに直交するような配置をしている(図2)。[Ln(NO3)5]2-の結合距離の比較からLnの原子番号が大きくなるにつれてLn-Oの結合距離が小さくなるランタノイド収縮がみられた。全ての錯体に関してバンド計算を行なった結果、二次元的なフェルミ面が得られた。このことは低温まで安定な金属相の存在と一致している。2K-300Kの磁化率(SQUIDを用いて5KOeで測定)は全ての試料(以後はLn塩と呼ぶ)でBDT-TTPに基づくPauli常磁性と[Ln(NO3)5]2-に基づく常磁性が観測された(Luは磁性がないので除く)。Sm, Eu塩以外の錯体の磁化率χは全ての測定温度範囲でCurie-Weiss則に従う(図3)。Eu塩の室温での磁化率は4xlO-3emu mol-1で通常の有機伝導体の金属性π電子のPauli常磁性(2〜5x10-4emu mol-1)の値より遙かに大きく、図3のスケールでは判りにくいが、50K付近までゆっくり上昇し、若干平らになってから鋭く立ち上がる。Sm3+, Eu3+イオンにおいては最低項のエネルギー準位J=0状態とJ=1第一励起状態準位のエネルギー差が小さく、磁場の影響で励起されてこの励起状態も最低項にまざってくるのでこの効果を考慮に入れなければなれない。温度に余り依存しない大きな常磁性磁化率はこのvan Vleck常磁性のためである。その結果、SmとEu塩は金属性と大きなvan Vleck常磁性が共存する非常に特徴ある分子性伝導体となっていることが判明した。

 Ho, TmとErの塩においては4f電子が内殻に強く局在しているにもかかわらず比較的大きなワイス定数(θ=-15.1K(Ho),-8.4K(Tm),-3.8K(Er))が観測された。東大物性研の3He-4He希釈冷凍機を用いて、Ho塩とEr塩の極低温領域50mKまでの磁化率測定を行なった。図4(a)と(b)にHo塩とEr塩の磁化率の逆数1/χのTに対するプロットを示す。Ho塩は大きな反強磁性相互作用の存在を示すものの50mKまで磁気転移の兆候は見られなかった。大きな磁気モーメントを持つHo塩で大きな反強磁性相互作用がみられたので、磁気双極子相互作用の寄与が考えられそうであるが、同型結晶で、同程度の磁気モーメントを持つDy, Tb塩では小さな相互作用が示唆されており、逆に磁気モーメントが相対的に小さいTmで大きな相互作用が得られている。従って、双極子相互作用は主要な磁性アニオン間の磁気相互作用の源ではないと考えられる。一方、アニオン間に直接の接触はないので(結晶中Ln…Ln最近接距離は約10Å、O…O最近接距離は6.38Å)、Ho塩の伝導体では「内殻に閉じこめられたf電子系」と言う従来の考えとは異なり、磁性イオンが有機ドナー分子を介して相互作用し、π-f相互作用がかなり重要な役割を果たしてる可能性を示唆している。

 第三章では、有機溶媒に対する溶解性が良く、分子性結晶の作成が比較的容易であると期待される安定なランタノイド錯体アニオンとして、ランタニドニトラトアニオンより小さいランタニドクロリドアニオンとBDT-TTPの新規な分子性伝導体を作成し、それらの構造解析、物性測定の結果を検討した。(BDT-TTP)3[LnCl4(H2O)4]Cl(Ln=Ce, Eu, Ho)塩においては2種類の互いに直交した配向を持つBDT-TTP3量体が2次元平面を形成し、有機超伝導体によく見られる2量体からなるκ型分子配列に類似した分子配列様式(κ(3×3)配列)をとっている。Cl-アニオンはab面内でドナーが形成する3量体の間に存在し、結晶学的に独立な金属に配位してる二つのCl-はc軸に沿って中心金属の上下に配位し、残り二つのC1-と水分子とはdisorderしc軸に垂直方向から配置している(図5)。EuとHo塩の電気伝導度の測定では、120K付近で絶縁化がみられた。CeとHo塩の磁化率はCurie-Weiss則に従い、Ho塩では比較的小さなワイス温度(-3.14K)がえられた。

 第四章では、新規ランタノイド錯体アニオン塩の作製の試みの過程で得られたBDT-TTPのヨウ素錯体に注目した。ランタノイドアニオンに配位子としてヨウ素を含むアニオンを合成し、BDT-TTP有機ドナーと電解酸化を行なった結果、予想と反してランタノイドアニオンを含まない単なる異なる構造を持つ二種類のヨウ素とBDT-TTPの錯体が作成された。(BDT-TTP)3Iは結晶学的に独立な6個のドナー分子をもつ新しい三次元的ドナー配列をもつ。ドナー分子はほぼ平面であり、そのうち三つのドナー(A, B, C)はb軸方向5倍周期カラムを形成し、カラムの間は分子平面をほぼ垂直にして、分子長軸をカラムとほぼ平行に配向したドナー(F)が存在する。残りの二つのドナー(D, E)は[-1,0,1]方向にside-by-sideに並び、これらのドナー(D, E)間にはヨウ素イオンが挟まっている(図6)。ドナー分子が酸化されるとC=C距離が長くなり、C-S距離が短くなるため、結合距離を比較してみたところ、カラム内には酸化されてない中性分子が存在する事が判明した。このためこの錯体は数多くのS…S接触が存在するにも関わらず小さい活性化エネルギー(Ea=0.014eV)をもつ半導体とであった。(BDT-TTP)2Iはβ型のドナー配列を形成しており(図7)、2Kまで金属性を示す。強束縛近似によるバンド計算の結果、α*方向に若干開いた擬二次元的なフェルミ面が得られた(図8)。

 第五章は結語として博士過程の研究をまとめた。

 以上、本研究では、一連の希土類硝酸アニオンを含む12種類のBDT-TTP伝導体を系統的に作成し、構造と物性を調べた。π伝導電子と反強磁性相互作用を有する4f電子系が存在している分子性伝導体や金属性とvan Vleck常磁性が共存する初めての分子性伝導体、またドナー配列[κ(3×3)型]を持つクロリドアニオン伝導体、及びBDT-TTPヨウ素伝導体などが得られた。これらの知見はπ-f系や新規分子性伝導体の今後の研究に対して有益な情報を与えるものである。

BDT-TTP

図1.(BDT-TTP)6[Ce(N03)6](C2H50H)x(x〓3)と[Ce(N03)6]3-の構造

図2.(BDT-TTP)5[Ln(N03)5]と[Ln(NO3)5]2-の構造

図3.(BDT-TTP)5[Ln(N03)5]の磁化率の温度依存性

図4.(BDT-TTP)5[Ln(N03)5]の低温領域の磁化率の逆数(1/X)の温度依存性(a)Ln=Ho(b)Ln=Er

図5.(BDT-TTP)3[LnCl4(H20)4]Clの結晶構造

図6.(BDT-TTP)3Iの結晶構造

図7.(BDT-TTP)2Iの結晶構造

図8.(BDT一TFP)2Iのフェルミ面

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は五章(序章、本論三章、及び結語)からなり、序章においては、研究の背景および本論文の構成、研究目的、有機半導体の提唱から分子性金属、有機超伝導体、さらには磁性伝導体の開発に至るまでの分子性伝導体の歴史の概略を述べている。

 第二章では、ランタニドニトラト錯体アニオンとBDT-TTPから構成された一連の分子性伝導体を作成し、それらの結晶構造・物性を系統的に調べその結果について考察している。(BDT-TTP)6[Ce(NO3)6](C2H5OH)x(x=3)塩ではドナー分子は6倍周期の構造を形成し、中心金属CeにNO3-イオンが6個12配位していること、一方(BDT-TTP)5[Ln(NO3)5](Ln=Nd, Sm, Eu, Gd, Tb, Dy, Ho, Er, Tm, Yb, Lnの11種類の塩)ではBDT-TTP分子は10倍周期の構造を形成し、アニオンは中心金属にNO3-イオンが5個10配位していることを見い出した。[Ln(NO3)5]2-の結合距離の比較からLnの原子番号が大きくなるにつれてLn-Oの結合距離が小さくなるランタノイド収縮が見られることを指摘している。伝導度は全ての結晶で2Kまで金属性を保っており、バンド計算からこの結果が妥当であることを考察している。2K-300Kの磁化率測定(SQUIDを用いて5KOeで測定)で全ての試料(以後はLn塩と呼ぶ)でBDT-TTPに基づくPauli常磁性と[Ln(NO3)5]2-に基づく常磁性を観測している。Sm, Eu塩以外の錯体の磁化率χは全ての測定温度範囲でCurie-Weiss則に従うこと、SmとEu塩は金属性と大きなvan Vleck常磁性が共存する特徴ある分子性伝導体となっていることを指摘している。

 Ho, TmとErの塩においては4f電子が内殻に強く局在しているにもかかわらず比較的大きなワイス定数(θ=-15.1K(Ho),-8.4K(Tm),-3.8K(Er))を示すことを観測したが、Ho塩とEr塩の極低温領域50mKまでの磁化率測定では、50mKまで磁気転移の兆候は見られないことを見い出している。大きな磁気モーメントを持つHo塩で大きな反強磁性相互作用がみられたので、磁気双極子相互作用の寄与について考察し、同型結晶で、同程度の磁気モーメントを持つDy, Tb塩では小さな相互作用を持つこと、逆に磁気モーメントが相対的に小さいTmで大きな相互作用が得られていることから、双極子相互作用は主要な磁性アニオン間の磁気相互作用の源ではないと結論している。一方、Ln塩でアニオン間に直接の接触はないので(結晶中Ln…Ln最近接距離は約10Å、O…O最近接距離は6.38Å)、磁性イオンが有機ドナー分子を介して相互作用し、π-f相互作用がかなり重要な役割を果たしてる可能性を示唆している。

 第三章では、有機溶媒に対する溶解性が良く、分子性結晶の作成が比較的容易であると期待される安定なランタノイド錯体アニオンとして、ランタニドニトラトアニオンより小さいランタニドクロリドアニオンとBDT-TTPの新規な分子性伝導体を作成し、それらの構造解析、物性測定の結果を考察している。(BDT-TTP)3[LnCl4(H2O)4]Cl(Ln=Ce, Eu, Ho)塩においては2種類の互いに直交した配向を持つBDT-TTP3量体が2次元平面を形成し、有機超伝導体によく見られる2量体からなるκ型分子配列に類似した分子配列様式(κ(3×3)配列)をとっていることを見い出している。EuとHo塩の電気伝導度の測定から、120K付近で絶緑化すること、CeとHo塩の磁化率はCurie-Weiss則に従うことを見い出している。

 第四章では、ランタノイドアニオンに配位子としてヨウ素を含むアニオンを合成し、BDT-TTP有機ドナーと電解酸化を行なった結果、予想と反してランタノイドアニオンを含まない単なる異なる構造を持つ二種類のヨウ素とBDT-TTPの珍しいヨウ素錯体を作成している。(BDT-TTP)3Iは結晶学的に独立な6個のドナー分子をもつ新しい三次元的ドナー配列をもつ。これらのドナー間にヨウ素イオンが挟まっている。カラム内には酸化されてない中性分子が存在し、この錯体は小さい活性化エネルギー(Ea=0.014eV)をもつ半導体であること、(BDT-TTP)2Iはβ型のドナー配列を形成しており2Kまで金属性を示すことを見い出している。

 第五章は結語として博士過程の研究をまとめ、これらの有機伝導体の更なる研究展開について言及している。

 以上、本論文では一連の希土類硝酸アニオンを含む12種類のBDT-TTP伝導体を系統的に作成し、構造と物性を調べた。π伝導電子と反強磁性相互作用を有する4f電子系が存在している分子性伝導体や金属性とvan Vleck常磁性が共存する初めての分子性伝導体、またドナー配列[κ(3×3)型]を持つクロリドアニオン伝導体、及びBDT-TTPヨウ素伝導体などが得られた。これまでπ-f系分子性伝導体の報告例は希少である。特に、全てのランタノイド錯体アニオン[(Ln)]を対象とし、(Ln)と同一のドナー分子(D)から構成された一連の分子性伝導体[(Ln)mD]を作成し、その結晶構造・物性を系統的に調べた研究はいまだに報告されていない。本研究により得られた知見はπ-f系や新規分子性伝導体の今後の研究に対して有益な情報を与えるものである。なお、本論文第2-4章は小林昭子、大塚岳夫、藤原絵美子、御崎洋二、小林速男との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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