学位論文要旨



No 117875
著者(漢字) 杉山,直幸
著者(英字)
著者(カナ) スギヤマ,ナオユキ
標題(和) クロイソカイメン由来オカダ酸結合タンパク質の構造決定、及び機能解明
標題(洋) Characterization of Okadaic Acid Binding Protein from the Marine Sponge Halichondria okadai
報告番号 117875
報告番号 甲17875
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4346号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 長澤,寛道
内容要旨 要旨を表示する

 カイメン類は生理活性天然物の宝庫であり、現在までに数多く特異な構造と活性を有する化合物が単離されてきた。これらの化合物の多くはカイメン自身により生合成されるのではなく、共生あるいは捕食される微生物により生産されたものが蓄積されていると推定されている。これらの多くが示す細胞毒性を始めとする強力な生理活性は宿主であるカイメン自身にも本来有害なはずであり、カイメンはその毒性に対する何らかの耐性機構を備えていることが考えられる。

 オカダ酸(図1)はクロイソカイメン(Halichondria okadai)より単離されたポリエーテル海産毒で、プロテインホスファターゼPP1及びPP2Aに対する特異的な阻害剤として知られている。クロイソカイメンはホスファターゼとは異なるオカダ酸結合タンパク質を有することでオカダ酸によるホスファターゼの阻害を抑制しているという仮説に基づき、筆者は修士課程において三崎臨海実験所沿岸にて採取したクロイソカイメンから2種類のオカダ酸結合タンパク質(OABP1、OABP2)を単離することに成功した。博士課程においてはこれら結合タンパク質のアミノ酸配列決定、及び詳細な結合活性の評価を行った。

1.オカダ酸結合タンパク質の配列決定

 筆者は修士課程において、酵素消化物のエドマン分解によりオカダ酸結合タンパク質の部分アミノ酸配列を決定している。この配列をもとに縮重プライマーを設計しRT-PCRにより部分cDNAの塩基配列の決定を行った。すなわち、新たに採取したクロイソカイメンより抽出したmRNAからcDNAを調製し、これを鋳型としてPCR反応を行った。OABP1につき得られた塩基配列から決定したタンパク質の一次配列ほぼ全長はPP2A触媒サブユニットに88%の相同性を示した。OABP1がp-ニトロフェニルリン酸を基質とした活性試験で脱リン酸化酵素活性を示すという事実とあわせて、OABP1はカイメン由来のPP2Aに帰属した。OABP2については2種類のアイソフォームに由来するcDNAが得られ、一方についてはRACE法によりcDNAの塩基配列から全アミノ酸配列を推定することができた。しかし、タンパク質のESI質量分析による分子量はこの配列による計算値からのずれを示し、酵素消化物のESI質量分析の結果から、OABP2はN末端が翻訳後修飾されていることがわかった。N末端ペプチドのMS/MS解析により開始メチオニンの除去とN末端アラニンのN-アセチル化が確認された。これらを総合した結果、OABP2はともに189個のアミノ酸から成る分子量22110Daおよび22180Daの2種類の親水性タンパク質で、検索した既知のタンパク質に対して有意な相同性を示さなかった。

2.光親和性標識プローブを用いた他種カイメン中のオカダ酸結合タンパク質の探索

 ここに得られたオカダ酸結合タンパク質がクロイソカイメンに特異的であるかを調べるために光親和性標識プローブを用いた検出を行った。筆者は修士課程において、オカダ酸の7位ヒドロキシル基に光活性種であるジアジリン基と検出手段としてビオチンを導入した化合物1(図2)を合成した。そこで、この化合物を用いてPP2Aの光標識を行いSDS電気泳動、続くウエスタンブロッティング後にHRP標識ストレプトアビジンを用いた化学発光によりビオチン標識タンパク質を検出した結果PP2Aの標識に成功した。また、過剰量のオカダ酸の存在下で標識実験を行った結果、PP2Aに由来するバンドの消失が見られたことから、この標識が特異的な相互作用に基づいていることが確認された。以上のことから当手法がオカダ酸親和性タンパク質の検出法として有用であることが示された。クロイソカイメン抽出物に同法を適用した結果、OABP1とOABP2に対応するバンドが特異的に検出された。一方、オカダ酸の蓄積がみられない近縁種ダイダイイソカイメン(Halichondria japonica)の粗抽出物からは、PP2Aに由来すると思われるバンドのみが検出された。この結果から、OABP2はオカダ酸を所有するカイメンに特異的に存在することが示唆された。

3.OABP2の結合定数、及びオカダ酸誘導体による競争阻害

 27位トリチウム標識オカダ酸を用いた結合試験によりオカダ酸とOABP2との解離平衡定数を求めた。一定濃度のOABP2溶液にラジオリガンドを添加し放置後、迅速なゲル濾過によって高分子画分を分離し放射活性を測定した。図3Aに示すようにラジオリガンドの濃度に依存して結合量が増加した。得られた飽和曲線をもとにScatchardプロット解析を行った結果、Kd=0.9nMと強い結合親和性を有していることが示された(図3B)。組換えDNAにより大腸菌内で大量発現させたOABP2についても同様な試験を行った結果、天然体とほぼ同程度の結合定数(Kd=1.4nM)が得られた。また、この強い結合活性のためにカイメンより精製したOABP2の大部分にオカダ酸が結合したままであることが、非変性条件下でのESI質量分析においてオカダ酸-OABP2複合体に由来する多価イオンが観測されたことによって示された。

 OABP2のオカダ酸に対する認識特異性を調べるため、プロテインホスファターゼ(PP)阻害剤またはオカダ酸誘導体による競争阻害実験を行った。OABP2とトリチウム標識オカダ酸の結合は、オカダ酸と同じくPP1やPP2Aの強力な阻害剤として知られるミクロシスチンLRやカリキュリンAによる阻害を受けなかった。PP類に対するこれら阻害剤の結合は選択性に違いはあるが互いに競合することから、OABP2はPP類とは全く異なる様式でオカダ酸を認識していることが推定される。

 一方、オカダ酸誘導体はいずれもオカダ酸の結合を阻害することが明らかになった(図3C)。7位または24位ヒドロキシル基にスペーサーを介してビオチンを導入した誘導体(7BOA、24BOA)はオカダ酸と同程度のIC50を示し、メチルエステル体は阻害活性が約1/10に低下した。PP2Aとオカダ酸の結合活性を著しく低下させる1位カルボキシル基と24位ヒドロキシル基の誘導がOABP2との結合にそれほど影響を及ぼさないことからも、OABP2のオカダ酸認識様式がPPとは異なることが示される。

4.光親和性標識プローブを用いた結合部位の同定

 OABP2のオカダ酸結合部位の同定を光親和性標識により行うことを試みた。競争阻害実験の結果から、オカダ酸の27位周辺がOABP2と相互作用する可能性が高い。妥当な部位への標識、及びその高効率化を期待して27位にジアジリンとビオチンを導入した化合物2(前頁図2;分子量1476.3)を合成した。2を用いてOABP2を光標識した結果、より親和性の高いと思われる1を用いた場合よりも高感度にOABP2が検出された。光標識されたタンパク質をLC-MSで分析した結果、分子量23561、23629Daに由来するイオンが観測され一分子標識タンパク質の生成を確認した。この酵素消化物をアビジン単量体固定化カラムにより精製後LC-MSによって分析した結果、標識ペプチドに由来すると考えられる2価イオンm/z=1018.70が検出された。標識による分子量の増加を考慮して標識されたペプチドはD137-K141に相当すると考えられる。現在、この標識ペプチドのMS/MS解析による標識残基の特定を検討している。

 以上の結果からオカダ酸結合タンパク質OABP2はクロイソカイメンに特有に存在する新規タンパク質であることが明らかとなった。オカダ酸に対する強い結合親和性を併せ考えれば、OABP2はクロイソカイメンのオカダ酸に対する自己耐性に何らかの形で関与していることが示唆された。

図1 okadaic acid

図2 光親和性標識プローブ(左)を用いたPP2Aとカイメン抽出物中OABPの検出

※過剰量の未標識オカダ酸により特異的結合を阻害

図3 ラジオリガンドを用いたOABP2の結合試験

(A)飽和曲線 (B)Scatchard plot (C)競争阻害試験

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は細胞毒性を有する二次代謝物を多量に蓄積する海綿動物クロイソカイメンが、その毒性に対して有する自己耐性に関与する新規タンパク質の性状について報告したものであり、序論、本論第1〜5章、および本論の要約である結論の各章により構成されている。本論各章はさらに個々の報告内容に関しての序論、実験の部、および結果と考察の3項からなり、読者による追試と用いた化合物の同定がすべて可能となっている。

 序論では本研究を開始するに至った背景と作業仮説、およびこれに基づき本研究の主題である新規タンパク質OABP2に関して、本論文提出者が修士課程研究で行なったオカダ酸との結合を指標とした単離精製と電気泳動上での同定の過程が述べられている。これにより本博士研究で得られた新規な知見の範囲が明確になっている。

 本論第1章ではその序論でOABP2の部分アミノ酸配列が修士課程研究ですでに得られていた旨が述べられた後、これを踏まえて定法である逆転写/ポリメラーゼ連鎖反応(RT-PCR)による本タンパク質の遺伝子配列とこれに基づく全アミノ酸配列の決定を行なった過程の詳細が述べられている。続いての質量分析によるアミノ末端での翻訳後修飾の解明に関しての記述は、化学的手法ならではの成果であり、特に本分野において学位を授与されることが相応しい根拠となる部分である。

 以下、第2章では本研究に用いた材料を採集した三崎臨海実験所近辺に混在するダイダイイソカイメンを同様に抽出した結果、オカダ酸、OABP2がともに検出されなかったことで後者がオカダ酸に対する自己耐性に関与することの生物学的根拠を得たことを述べている。続く第3章ではオカダ酸とOABP2の親和性の定量に関して行なったスキャッチャード解析と、数種のオカダ酸誘導体およびオカダ酸と同様にタンパク質脱リン酸化酵素PP2Aをその毒性発現での細胞内標的とする他の二次代謝物に対するOABP2の親和性に関して比較実験を行なった結果が述べられており、OABP2によるオカダ酸の認識はPP2Aとは大きく異なるという結論を得ている。続く第4章ではOABP2、およびこれとオカダ酸との複合体に関しての高次構造解析に向けて、大腸菌への組換え遺伝子導入による発現がなされたこと、第5章では光親和性標識によるOABP2でのオカダ酸結合部位が特定できたことが述べられている。

 以上、本論文の研究内容は本分野での多くの研究者にとって長年の疑問であった生物活性の強い二次代謝物を恐らく自己防御に用いる海洋無脊椎動物のこれに対する自己耐性機構に関して、世界で初めてその分子論的根拠を示したものであり、この成果はさらに海底での付着生物間の棲み分け機構解明に繋がる潜在性をも有することで、化学生態学への画期的な貢献であると判断できる。なお、本研究の端緒である作業仮説は本論文提出者が学部卒業研究開始時に指導教官である橘によって提唱されたものであるが、材料採集を含めた以後の実験での計画立案と実施、および結果の解析と考察はすべて論文提出者が自ら行なったものであり、その寄与は十分に余りある。

 よって、本論文提出者である杉山直幸は、博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。

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