学位論文要旨



No 117876
著者(漢字) 鈴木,和佳子
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ワカコ
標題(和) 金属性を示す単一成分拡張TTF型ジチオレン遷移金属錯体の合成と構造及び物性
標題(洋)
報告番号 117876
報告番号 甲17876
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4347号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 助教授 錦織,紳一
 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京大学 助教授 森,初果
内容要旨 要旨を表示する

 【第1章】第1章では分子性伝導体の研究の歩みと本論文の概要を説明した。元来、中性分子は結晶中で強い相互作用を持たない絶縁体であり、金属性を示す中性分子の結晶をつくることは難しいと考えられてきた。その理由は分子性結晶の金属化には(1)有機分子が配列し、バンドを形成させるプロセスと(2)バンドを形成している分子と異種の化学種(分子やイオン)との間で電荷移動が起こりバンド内にキャリヤーを発生させるプロセスが必要であり、常識的に中性単一分子のみではキャリヤー発生は極めて困難であると考えられてきたからである。しかし最近、単一成分分子性金属である拡張TTF(tetrathiafulvalene)型ジチオレン配位子をもつ中性ニッケル錯体[Ni(tmdt)2](tmdt2-=trimethylenetetrathiafulvalenedithiolate)が報告された。この分子ではHOMO(最高被占軌道)とLUMO(最低空軌道)のエネルギー差が小さく、また結晶中での分子間の横方向の相互作用が大きいため、HOMOバンドとLUMOバンドが交差してバンド内にキャリヤーが発生し、金属状態が実現する。本研究ではこうして開発された"単一成分分子性金属"の構造、電子状態、物性等を更に探究すべく、新規な拡張TTF型ジチオレン遷移金属錯体について検討した。

 【第2章】第2章では拡張TTF型ジチオレン金錯体について議論した。Ni2+とAu3+(何れもd8電子状態)に、-2価のジチオレン配位子L2-が2つずつ配位した場合、ニッケル錯体は[NiL2]2-となり、金錯体は[AuL2]-となる。中性錯体を形成するためには、[NiL2]2-では二電子酸化を、[AuL2]-では一電子酸化を受ける(式1)。従って中性錯体である[AuL2]0は、[NiL2]0とは異なり、1分子が奇数電子をもつ。この奇数電子の存在によって、大きなフェルミ面が与えられるものと考えられるため、中性ジチオレン金錯体は単一成分分子性金属へのアプローチとして大変興味深い。そこでジチオレン金錯体[Au(tmdt)2]と[Au(dmdt)2](dmdt2-=dimethyltetrathiafulvalenedithiolate)を新たに合成し、それらの物性について検討した。[Au(tmdt)2]はアルゴン雰囲気下で式2に従い合成した。tmdt配位子1の保護基をTHF中、10wt%水酸化テトラ-n-ブチルアンモニウムのメタノール溶液で外し、四塩化金(III)酸・四水和物と反応させることで(nBu4N)[Au(tmdt)2]が得られた。この錯体をTHF中0.1μAで電解酸化することで黒色粉末の[Au(tmdt)2]が得られた。[Au(tmdt)2]の加圧成形試料による室温電気伝導度は12S・cm-1(Ea=22meV)であり、単一成分中性分子としては比較的高い伝導度を示した。XPSとNEXAFSの測定により、[Au(tmdt)2]中のAuイオンは3価であり、酸化は主に配位子部分で起きていることが示唆された。[Au(tmdt)2]のスピン磁化率は、100K以下で急激な減少を示した(図1)。磁場を変えた静磁化率測定でも、300K-100Kでは温度依存性はほとんどみられなかったが(Pauli常磁性)、100K付近で静磁化率の減少がみられた。この磁気的な異常は反強磁性相転移の可能性を示唆する。[Au(tmdt)2]と[Au(dmdt)2]は結晶性が悪くX線単結晶構造解析を行うことができなかったが、SPring-8の放射光を用いたX線粉末回折測定により[Au(tmdt)2]は[Ni(tmdt)2]と同型であることがわかった。そこで粉末回折のデータを用いてMEM/Rietveld法により構造解析を行った。(triclinic, P1, a=6.4129(1), b=7.5514(2), c=12.1543(3)Å, α=90.473(3), β=96.698(2), γ=103.008(3)o, V=569.21(2)Å3, Z=1, Rwp=0.028, RI=0.073)図2に[Au(tmdt)2]の1.0eÅ-3の等電子密度面で与えられた三次元電子密度分布を示す。結晶中にはファンデルワールス半径の和以内のS…S接触が三次元方向にみられた。[Au(dmdt)2]の加圧成形試料の室温電気伝導度は12S・cm-1であり、活性化エネルギーは9meVとかなり小さい。30kOeで測定した静磁化率は室温から50K付近までPauli常磁性的であり[Au(dmdt)2]は本質的に金属であると考えられる。以上の結果から[Au(tmdt)2]と[Au(dmdt)2]は両者共に金属であることが示唆された。

 【第3章】第3章では無置換TTF型ジチオレン配位子dt2-(tetrathiafulvalenedithiolate)を導入した錯体の構造と物性について議論した。dt配位子は平面性が高いことが知られており、dt錯体は固体状態で密な充填をもつ分子間相互作用の大きな結晶の生成が期待される。そこで、[Ni(dt)2]と[Pd(dt)2]を合成し、それらの構造と物性を調べた。

 [Ni(dt)2]の加圧成形試料の室温電気伝導度は16S・cm-1(Ea=30meV)と比較的高い伝導性を示した。5kOeで測定した静磁化率はPauli常磁性的な挙動を示し、高温領域では金属であることが示唆された。

 一方、[Pd(dt)2]の加圧成形試料は室温電気伝導度が0.3S・cm-1(Ea=94meV)の半導体であった。この錯体は本研究において未知な粉末試料として初めて構造が決まった金属錯体である(図3)。(monoclinic, P21/m, a=10.0465(2), b=11.5882(2), c=7.9613(3)Å, β=96.7677(5)o, V=920.41(2)Å3, Z=2, Rwp=0.039, RI=0.071)[Pd(dt)2]は、1つの分子に2分子が橋かけした構造をもち、S…S近接距離が[100]方向と[101]方向にみられた。[Pd(dt)2]について、試験的に行った強束縛近似バンド計算の結果からも[Pd(dt)2]は半導体であることが示唆された。

 【第4章】C3-tdt(di-n-propylthiotetrathiafulvalenedithiolate)配位子を有する金属錯体は、溶解性が高く、良質な単結晶が得られることが期待される。そこで第4章では、結晶構造の決定を目的として、C3-tdt2-を導入したパラジウム錯体[Pd(C3-tdt)2]と(nBu4N)[Pd(C3-tdt)2]を合成し、それらの構造と物性について議論した。更にこれらの錯体の結合距離の比較から単一成分分子パラジウム錯体の電子構造について検討した。暗赤色板状結晶(nBu4N)[Pd(C3-tdt)2]と黒色板状結晶[Pd(C3-tdt)2]の構造はX線結晶構造解析により決定した。(nBu4N)[Pd(C3-tdt)2]; monoclinic, P21/a, a=13.329(4), b=16.699(5), c=25.076(7)Å, β=81.786(7)o, V=5524(2)Å3, Z=2, R=0.059, Rw=0.063. [Pd(C3-tdt)2]; triclinic, P1, a=10.007(7), b=12.019(9), c=15.92(1)Å, α=112.14(1), β=89.665(2), γ=90.02(1)o, V=1773(2)Å3, Z=2, R=0.056, Rw=0.069. (nBu4N)[Pd(C3-tdt)2]は、錯体の層とカチオンの層がb軸方向に沿って交互に積層した構造をもつ。カチオンのためにb軸方向にS…S接触はみられなかったが、分子横方向いくつかの接触がみられた。[Pd(C3-tdt)2]では、各々の分子が分子長軸方向にスライドしながら、ユニフォームなカラムを形成しており、カラム内外には数多くのS…S接触がみられた(図4)。単結晶の[Pd(C3-tdt)2]の電気抵抗の温度依存性は、半導体的であった[σn=10-2S・cm-1、Ea=34meV(rt-120K)、11meV(120K-80K)]。ところで、TTFのようなπドナー分子の結合距離は分子の形式的な酸化状態により系統的に変わることが知られている。表1に示す[Pd(C3-tdt)2]0と[Pd(C3-tdt)2]-の結合距離の比較により、[Pd(C3-tdt)2]0のLUMOの対称性を調べることができるが、その結果はMO計算により求められたLUMOの対称性(図5)によく対応する。この錯体のHOMOとLUMOの対称性は[Ni(tmdt)2]と同様の対称性をもつ。

 【第5章】第5章では本論文の総括を行った。本研究では、拡張TTF型ジチオレン遷移金属錯体からなる各種単一成分分子性伝導体を合成し、配位子や中心金属の変化が物性に与える影響を検討した。本研究は、新規な拡張TTF型ジチオレン遷移金属錯体の分子設計の方向性を示すものであると考えられる。

拡張TTF型ジチオレン遷移金属錯体

式1

式2

図1 [Au(tmdt)2]の磁性

図2 [Au(tmdt)2]の三次元電子密度分布(1.OeA-3)

図3 [Pd(dt)2]の結晶構造.

図4 [Pd(C3-tdt)2]の結晶構造

図5 [Pd(C3-tdt)2]のHOM0とLUM0.

表1 結合長(A)の比較

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章(序章、本論3章、まとめ)からなり、序章である第1章においては、分子性伝導体の研究の歴史と本論文の概要を説明している。なぜ金属的な伝導性を持つ中性分子の結晶をつくることは難しいと考えられてきたか、最近分子設計に基づき合成された低温まで安定な金属状態を保つ中性単一分子から出来た拡張型TTF骨格を持つニッケル錯体[Ni(tmdt)2](tmdt2-=trimethylentetrathiafulvalene)がいかにして開発されたか等がまとめられている。本研究ではこうして開発された"単一成分分子性金属"の構造、電子状態、物性等を更に探究すべく、新規な拡張TTF型ジチオレン錯体について検討している。

 第2章では中心金属を金にかえた拡張TTF型ジチオレン錯体について議論している。Ni2+とAu3+(何れもd8電子状態)に、-2価のジチオレン配位子L2-が二つ配位した場合、ニッケル錯体は[NiL2]2-となり、金錯体は[AuL2]-となる。中性錯体を形成するためには、[NiL2]2-では二電子酸化を、[AuL2]-では一電子酸化を受ける。従って中性錯体である[AuL2]0は、[NiL2]0とは異なり、1分子が奇数電子をもつ。この奇数電子の存在によって、大きなフェルミ面が与えられるものと考えられるため、中性ジチオレン金錯体は単一成分分子性金属へのアプローチとして大変興味深いものである。この考えに基づき具体的にはジチオレン金錯体[Au(tmdt)2]と[Au(dmdt)2](dmdt2-=dimethyltetrathiafulvalenedithiolate)を新たに合成し、それらの物性について検討している。この錯体は比較的高い伝導性(室温伝導度は12Scm-1)を保持しながら100K付近という高い温度に磁気相転移が観測された。この相転移は磁化率およびESR測定から反強磁性相転移であろうと考えている。SPring-8の放射光施設BL02B2において粉末データ測定を行い、MEM/Rietveld法による構造解析により水素を含め全原子が求まっている。Au 4fのXPSの測定から金の価数は3価であることが解り、金錯体では主に配位子が酸化されたため金属性を示すと説明している。

 第3章では無置換TTF型ジチオレン配位子dt2-(=tetrathiafulvalenedithiolate)を導入した錯体の構造と物性について議論している。dt配位子は平面性が高いことが知られており、密な充填構造を持つ、分子間相互作用の大きな結晶の育成を期待し合成を行っている。[Ni(dt)2]の加圧成形試料の室温電気伝導度は16S・cm-1(Ea=30meV)と比較的高い伝導性を示した。静磁化率はPauli常磁性的な挙動を示し、高温領域では金属であることが示唆された。一方、[Pd(dt)2]の加圧成形試料は室温電気伝導度が0.3S・cm-1(Ea=94meV)の半導体であった。この錯体は本研究において未知な粉末試料として初めて構造が決まった金属錯体である。有機物の構造が粉末解析により決まった例は未だ少ない。従ってこの結果は今後の有機物粉末構造解析の可能性と有用性を示唆するものである。

 第4章ではS-アルキル基C3-tdt(=di-n-propylthiotetrathiafulvalenedithiolate)を配位子に導入することにより有機溶媒に対する溶解性を高め、良質な金属錯体単結晶が得られることを期待しPd錯体の合成を行っている。2-3章で示したように中性単一成分分子金属錯体はなかなか大きな結晶になりにくい。単結晶での構造解析を行うことができればそのデータを基にその電子状態に関する情報を得ることができる。その目的で(nBu4N)[Pd(C3-tdt)2]と[Pd(C3-tdt)2]を合成し、それらの構造と物性について検討している。分子の結合距離は分子の形式的な酸化状態により系統的に変わることが知られている。従ってアニオン錯体と中性錯体の結合距離を比較して分子軌道の対称性について検討をおこなっている。その結果Pd錯体でもHOMOとLUMOの対称性は[Ni(tmdt)2]と類似していることを明らかにした。

 第5章は本論文のまとめである。本研究では、拡張TTF型ジチオレン遷移金属錯体からなる各種単一成分分子性伝導体を合成し、配位子や中心金属の変化が物性に与える影響を検討した。本研究は、新規な拡張TTF型ジチオレン遷移金属錯体開発の方向性を示すものであると考えられ、本研究により得られた知見は中性単一成分分子性伝導体の今後の研究に対して有益な情報を与えるものである。なお、本論文第2-4章は小林昭子、藤原絵美子、長谷川亜美、宮本健、小林速男との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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