学位論文要旨



No 117877
著者(漢字) 関谷,亮
著者(英字)
著者(カナ) セキヤ,リョウ
標題(和) ピリジンカルボン酸二量体及びチオシアン酸イオンから構築される水素結合型超分子ホストの設計及び包接能に関する研究
標題(洋)
報告番号 117877
報告番号 甲17877
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4348号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 錦織,紳一
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 講師 後藤,敬
 東京大学 助教授 島田,敏宏
内容要旨 要旨を表示する

 【序】固体の包接体は包接選択性以外に、溶液中では得られない興味ある機能性が発現出来ると期待され、近年盛んに研究がなされている。包接体を利用した機能性物質を作り出すためには、1)大きさの大小を問わず、多様な形状を持つ分子を包接可能な汎用性のある包接能2)結晶中でのゲストの配向の制御3)ゲストの持つ官能基に対して構造的に不活性なホスト構造の三つが求められる。更にグリーンケミストリーの観点から4)ホスト合成の簡略化を追加出来る。しかし、この様な要請にもかかわらず、それらを実現するには現状では様々な問題が未解決であると言わざるを得ない。第一に挙げられるのは、ゲストの大きさの制限である。確かに包接体結晶を作るホストは数多く設計・合成されているが、ゲストは結晶溶媒やベンゼン及びその誘導体等の小型の分子が主体である。これは、設計段階では大きな空孔を形成しうるホストを用いても、結晶化する際に自己貫入構造を形成し、ゲストに残される空間が著しく小さくなるためである。第二に挙げられるのは、ホスト構造の制御が難しいことである。近年CSDを用いた結晶構造の統計的な解析により、結晶構造を制御する因子が数多く提案され、その制御は以前に比べ達成可能になりつつある。しかし、包接体結晶の場合では、ゲストがホストの配列に影響を与えるため、その制御は一般的に困難である。これらのため、現時点で1)〜3)を同時に達成した例はあまりない。上記の諸問題を解決出来るホストを創製することは、単に包接体化学としての興味に留まらず、新規機能性物質を作り出す上でもその土台となる重要な基礎的研究である。筆者は新しいホストを設計するにあたり、金属イオンとビルディングブロックが集積することで構築される超分子に注目した。本研究では、上記の1)〜4)を達成可能なホストの設計及び合成を行い、X線結晶構造解析を中心にその可能性を検討した。

 【設計指針】1)空孔の形状自己貫入構造を防ぎ、大きな化合物に対する包接能を得るために、長方形の空孔(キャビティ)を持つ二次元平面ホストを設計した。この空孔は長さの異なる二つのビルディングブロックから成るが、長い方は大きな化合物を包接させるのに必須で、短い方はホストの自己貫入構造を防ぐ事を目的としたものである。2)ビルディングブロック長いビルディングブロックはイソニコチン酸(isoH)を集積させることで作り出す方法を採用した。図1に示すように、isoHは金属イオンに配位出来、さらにカルボン酸が二量体を形成できる。このisoH二量体は平面構造を持つと予測され、その機能は4,4'-bipyridine等の架橋配位子と同等と見なせる。この方法は、小さなユニットを分子間相互作用で集積させることで一つのビルディングブロックを作り出すため、合成を省略出来るばかりか、単一分子からなる長いビルディングブロックに見られる溶解性の問題を回避できる。さらにisoHを別のユニットに置き換える事で、構造展開を図ることが出来るという利点も併せ持つ。

 一方、短いビルディングブロックとして、チオシアン酸イオン(SCN-)を採用した。SCN-は金属イオンを二重に架橋し、一次元錯体を形成する事が知られている。このアニオンをホストの骨格の一部として用いることで金属イオンの電荷を相殺すれば、アニオンが空孔内に包接されることを防ぐことが出来る。この二つのビルディングブロックと金属イオン(M2+=Ni2+)が集積することで、図2に示す二次元平面ホストが構築されると予想した。この中にはisoH二量体とSCN-に囲まれる長方形の空孔が形成され、その大きさはisoH二量体方向に約18Å程度、SCN-方向に約6Å程度の大きさを持つと予想された。

 【イソニコチン酸から構築される包接体】包接体は上記ビルディングブロックとゲストをアセトニトリルから結晶化させることで得た。包接された化合物を表1に示す。現時点でこの包接体は28種類の芳香族化合物を包接することが確認されている。その内訳は、スチレン等の小型の化合物から、ペリレンやアゾベンゼン等と幅広い。しかし、ピリジン類や、アミン類等の塩基性の化合物やカルボン酸やニトロ基を持つ化合物は包接出来なかった。表中の化合物の中で、22種類からは良質な単結晶が得られたので、X線結晶構造解析を行った。 1)ホストを1とした時のゲストの比2)incommensurateな包接体を形成したため、元素分析から最適値を求めた。3)単結晶の質的問題の為、X線結晶構造解析が出来なかった。包接体は組成式[Ni(SCN)2(isoH)2]・x(Guest)(x=1/3〜1/2)を持ち、いずれも晶系はtriclinic、空間群はP1(#1)であった。図3にperylene包接体中に見られた二次元平面ホストの構造を示す。この平面構造はゲストの種類に関係なく、表中の結晶構造解析を行った包接体の全てに共通して見られた。二次元平面ホストの構造はほぼ設計通りであった。Ni2+はSCN-によって二重に架橋され、b軸方向に一次元錯体を形成していた。Ni2+の残りの二つのサイトにはisoHが配位し、隣接する一次元錯体中のisoHとカルボン酸二量体を形成することでbc面に広がる二次元平面ホストが構築されていた。この二次元平面ホスト内にはビルディングブロックに囲まれる長方形の空孔が形成されたが、isoH二量体が[012]軸方向に平行に走る波状構造を形成したため、幅の広い空孔(A)と狭い空孔(B)がb軸及びc軸方向に交互に形成された。ゲストはAに包接されていた。Ni2+間距離はSCN-方向で5.4998(2)Å〜5.6144(7)Å、isoH二量体方向で16.256(2)Å〜16.433(5)Åであり、ゲストの種類に関係なく、ほぼ一定であった。図4のAにperyleneが包接されている様子を示す。ゲストはisoH二量体にほぼ平行かつ二次元平面ホストに対してほぼ垂直であった。ホストとゲストはvan der Waals半径の和程度の距離で接触しており、両者の間には強い相互作用は働いていないと考えられた。その他のゲストもperyleneの例と同様な事が当てはまった。二次元平面ホストはa軸方向に積層することで、包接体を形成したが、積層の仕方に自由度があるため、ゲストの種類に応じて積層の仕方に若干の違いが見られた。一連のX線結晶構造解析から、一定の大きさを保つ空孔と積層方向の自由度が相互に関連することで、このホストは大小を問わない幅広い種類の芳香族化合物を包接する事が出来たと考えられる。この二次元平面ホストは空孔からゲストが熱的に脱離しても、その基本構造は壊れず、包接能も失わないことが粉末X線回折測定等により明らかとなった。

 【構造展開の指針】この二次元平面ホストの超分子的な構造展開の可能性を検討するため、図5に示す二つの指針に基づいたビルディングブロックを用い、新たな包接体の構築を行った。第一の方法はピリジン環とカルボン酸の間に二重結合や三重結合を持つ炭素骨格を導入することで、ユニットの長さを延長し、空孔の大きさを拡大する方法である。第二の方法はisoHの間に別種の化合物をスペーサーとして導入し、カルボン酸三量体を形成することで空孔の大きさを拡大する方法である。後者の方法は新たにユニットを合成する必要なくビルディングブロックの長さを延長できるため、方法論としては第一の方法に比べ優れていると言える。

 【新しいビルディングブロックから構築される包接体】

 第一の方法ではacrylHを用いた系から、第二の方法ではFumaric acidを用いた系からそれぞれ包接体が得られた。EthynylHや、その他のスペーサーを用いた系からは包接体を得ることは出来なかった。包接体はisoHと同様に、ビルディングブロックが集積して構築された二次元平面ホストがa軸方向に積層する事で形成されていた。現在までacrylHの系からは15種類、fumaric acidの系からはperyleneとnaphthaceneの2種類の包接体が確認されている。前者は組成式[Ni(SCN)2(acrylH)2]・x(Guest)(x=1/4、1/2)を持ち、後者は組成式[Ni(SCN)2(isoH)2(fumaric acid)]・1/2(Guest)であった。AcrylHの系が包接した化合物を表2に示す。AcrylHの系からはpyrene包接体を、fumaric acidの系からはperylene包接体をそれぞれの代表例とし、ゲストが包接されている様子を図6及び7に示す。両者は共に晶系triclinic、空間群P1(#1)を持ち、包接比はいずれも2:1であった。AcrylHから構築される二次元平面ホストはisoHから構築されるそれと同じトポロジーを持ち、構造展開の指針通り、空孔の拡大に成功した。SCN-により結ばれるNi2+間距離は5.5220(2)ÅとisoHのそれと同じだが、acrylH二量体により結ばれるそれは20.928(1)ÅとisoHのそれと比較して4Å以上延長されていた。空孔中にはpyreneが図に示す位置に包接されていた。第二の方法から構築される二次元平面ホストでは、設計通りfumaric acidがisoH二量体の間にスペーサーとして組み込まれ、三量体から成るビルディングブロックを形成していた。これによって結ばれるNi2+間距離は23.722(5)ÅとisoHのそれに比べ7Åもの拡大に成功した。しかし、三量体が図7に示すS字型構造を形成したため、二次元平面ホスト内に形成された長方形の空孔内のゲストを包接出来る領域は実質的にその半分となり、目論見通りの空孔の拡大には至らなかった。Peryleneは図7に示す位置に包接されていた。両者とも、ゲストとホストの間には強い相互作用はなく、ゲストはacrylH二量体若しくは、isoHとfumaric acidからなる三量体に平行かつ、二次元平面ホストに対してほぼ垂直に包接されていた。

 【まとめ】以上まとめると、この包接体は1)集積によりホストが構築されるため、合成が容易2)小型の物から大型の物まで多様な形状を持つ芳香族化合物を包接可能3)ゲストの種類によらない一定の構造を持つ二次元平面ホストが積層して形成される4)ゲストは長いビルディングブロックに対してほぼ平行に包接されるというゲストの配向の束縛が可能5)相互作用を利用してビルディングブロックを構築するため、超分子的な構造展開が図れるという特徴を持つ。これらの諸性質は序で掲げた新しいホストに求める条件をほぼ満たすものである。本研究によって新しいホスト設計の一つの指針が確立されたと考えている。

図1.イソニコチン酸(isoH)二量体

図2.予想される二次元平面ホスト

表1.[Ni(SCN)2(isoH)2]∞に包接されたゲスト

図3.perylene包接体中に見られた二次元平面ホストの結晶構造

ゲストは空孔Aに包接されていた

図4.Peryleneが空孔に包接されている様子

左側が正面から見た図、右側が横から見た図

図5.構造展開の指針

表2.[Ni(SCN)2(acrv1H)2]∞に包接された

1)ホストを1とした時のゲストの比 2)結晶の質的問題の為、X線結晶構造解析は出来なかった。

図6.Pyreneが空孔に包接されている様子

左側が正面から見た図、右側が横から見た図

図7.Peryleneが空孔に包接されている様子

左側が正面から見た図、右側が横から見た図

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなり、第1章「序論」では、現在までの超分子ホスト構築に関する研究の概観と問題点の提示、第2章「超分子ホストの設計指針」では、第1章で提示された問題点解決のための基本的アイデアと超分子ホスト構築の設計指針の詳細、第3章「イソニコチン酸とチオシアン酸イオンから構築される水素結合型超分子ホストの構造と包接能に関する検討」では、第2章で提示された設計指針に基づく超分子ホストの合成、その結果得られた新規化合物の性質および結晶構造と設計指針に対する検証、第4章「超分子ホストの構造安定性及びゲストの包接選択性」では、第2章で得られた超分子ホストの特に構造安定性に関する実験的検証と考察、第5章「構造展開」では、第2章で提示されたアイデアをさらに発展させた超分子ホストの構造展開の手法の提示とその手法に基づいた新規化合物の合成と結晶構造決定による実験的検証、そして第6章「総括」では、研究全体のまとめと今後の展望について述べられている。

 本論文により新たに提案そして合成された超分子ホストは、水素結合および配位結合という超分子的相互作用を駆使することにより構築されるものである。類似のものはこれまでにも提案されているが、ホストとして十分に機能する現物は実のところそう多くなく、様々な問題を抱えているのが現状である。本論文は、単にホストとしての機能を有するだけでなく、汎用性ある包接能力、ゲストの分子構造や化学性に影響されないホスト構造、予測可能な包接構造、ホスト合成の省力化の4点において、今までのホストにくらべ著しい優位性を有する超分子ホスト構築の設計指針の提示と、その有効性の立証を、量的にも質的にも十分な合成実験および単結晶X線構造解析による結晶構造決定でもっておこなっている。本論文で提案された超分子ホストのなす包接体は、具体的には、ニッケルイオン、イソニコチン酸、チオシアン酸イオンおよびゲストとなる芳香族分子の自己集合により形成されるが、それは本論文で提示された設計指針により、それぞれのコンポーネントの化学性と分子構造の特徴が周到に考慮されかつ巧みに組み合わされた結果実現したものである。さらに、本論文で提示された設計指針は、超分子化学の概念に立脚したホスト構造の展開が容易に図れるよう考慮されており、その面での有効性も合成および結晶構造決定の実験から実証された。同時に、本設計指針より得られる超分子ホストのなす包接体は、これも設計指針により明確に意図されたことであるが、内部のゲスト分子の配向に著しい異方性があり、これを利用した固相内反応場や物性発現の場への発展の可能性を秘めたものである。以上のように、本論文で提示、確立、検証された設計指針の有効性と将来性は極めて高いと認められ、そこから生み出された化合物群も含めて、化学特に超分子化学の分野において高く評価できるものである。

 なお、本論文第2章から第5章は、錦織紳一との共同研究であり、一部は既に学術雑誌に論文として公表されたものであるが、すべてにわたり論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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