学位論文要旨



No 117878
著者(漢字) 戸叶,基樹
著者(英字)
著者(カナ) トガノウ,モトキ
標題(和) 5炭素結合型水素化フラーレン金属錯体の位置選択的合成
標題(洋) Regioselective Synthesis of metal η5-Complexes of Hydrofullerenes
報告番号 117878
報告番号 甲17878
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4349号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 教授 西原,寛
内容要旨 要旨を表示する

 【第一章】序フラーレンに対する位置選択的な反応は,独特な構造を有する分子の構築法として注目を集め,盛んに研究が行われている.これまで,有機銅試薬を用いる反応や鋳型を用いる反応などが見いだされ,アルキル基やアリール基などをフラーレン骨格に位置選択的に導入する手法が開発された.しかし,これらの手法を水素化反応に適用するのは原理的に不可能である.水素化フラーレンはフラーレンに還元剤を作用させることで合成でき,これまで様々な反応が試されてきたが,位置選択的な反応の例は知られていなかった.

 今回,低原子価遷移金属錯体の存在下で水素供与体を作用させる手法により,フラーレンの位置選択的な水素化が可能であることを見いだした.本手法により骨格内にシクロペンタジエン構造を有する水素化フラーレン誘導体および水素化フラーレンをη5配位子として有する遷移金属錯体が合成された.また,本研究ではアルキル化フラーレンの位置選択的合成と遷移金属錯体への展開も行い,種々のアルキル化フラーレン遷移金属錯体を合成した.

 【第二章および第三章】フラーレンおよびその誘導体の位置選択的水素化による5炭素結合型水素化フラーレン遷移金属錯体の合成(第二章:レニウム錯体,第三章:鉄錯体)

 C60, Re2(CO)10, 9,10-ジヒドロアントラセン(DHA)のべンゾニトリル懸濁液を160℃,24時間加熱したところ,位置選択的な水素化および金属の導入が起き,水素化フラーレンレニウム錯体Re(C60H5)(CO)3(1)が8%の収率で得られた.粗生成物中にはRe(C60H5)(CO)2(PhCN)も検出され,1は配位子交換が可能な錯体であることが確認された.同様に,C60, [Fe(C5H5)(CO)2]2のベンゾニトリル懸濁液を160℃,24時間加熱したところ,水素化フラーレン鉄錯体Fe(C60H5)(C5H5)(2a)が25%の収率で得られた.水素化フラーレン金属錯体は中心金属周辺が立体化学的にすいており,例えば,[Fe((1,3-Me3Si)2C5H3)(CO)2]2を用いることで,かさ高いシクロペンタジエニル配位子を有する鉄錯体2bが合成可能であった.

 低原子価遷移金属錯体と水素供与体の組み合わせは,C60だけでなく,その誘導体に関しても有効であることが分かった.アルキル化フラーレンC60(PhCH2)H, C60(PhCH2)2, C60(PhCH2)2PhH(3,後述)に対してRe2(CO)10およびDHAを作用させたところ,位置選択的に水素およびレニウムが導入され,レニウム錯体Re[C60(PhCH2)H4](CO)3(4), Re[C60(PhCH2)2H3](CO)3(5), Re[C60(PhCH2)2PhH2](CO)3(6)がそれぞれ42%,52%,65%の収率で単離された.同様に,鉄錯体Fe[C60(PhCH2)2H3](C5H5)(7,収率44%)およびFe[C60(PhCH2)2PhH2](C5H5)(8,収率82%)も合成された.レニウム錯体6についてはX線構造解析により詳細な構造を明らかにしている.レニウム原子はフラーレン骨格の一つの5員環の上方に位置し,η5形式で配位していることが分かった.また,シクロペンタジエニル部位を取り囲む五つの炭素はすべてsp3構造を有しており,水素原子の存在が示唆された.水素原子の存在はX線結晶構造解析の差フーリエ合成図においても確認されている.

 さらに,本反応をプロトン源存在下で行うと,金属の導入が起きず,位置選択的な水素化のみが進行することを見いだした.過剰量の水存在下でC60(PhCH2)2PhH(3), Re2(CO)10およびDHAの混合物を加熱したところ,水素化フラーレン誘導体C60(PhCH2)2PhH3(9)が5種の位置異性体の混合物として61%の収率で得られた.9は下式に示す構造を有する水素化フラーレン類の初めての合成例である.9に対してRe2(CO)10を作用させたところ,C-H結合活性化が進行し,レニウム錯体6が生成した.なお,ベンゾニトリル中過剰量の水存在下で加熱しても6はほとんど分解しなかった.

 本反応の詳細な反応機構はいまのところ不明である.しかし,反応機構に関する情報を与える幾つかの実験結果が得られている.C60とDHAを加熱すると,主にC60H36からなる水素化フラーレンの混合物が得られる.この混合物にRe2(CO)10を作用させたところ,C60のみが生成し,1は全く検出されなかった.これより,水素化フラーレンが錯体の生成経路とは無関係なことが分かる.次に,C60Bn2PhD(3-d, >99%D)を原料として錯体合成を行ったところ,Re[C60(PhCH2)2PhHD](CO)3(6-d)およびFe[C60(PhCH2)2PhHD](C5H5)(8-d)がそれぞれ28%および73%の重水素化率で得られた.これは,錯体の生成経路において3-dの重水素が転位していることを意味する.この重水素の転位は,金属原子のC60-D結合への挿入,それに次ぐ金属ヒドリドからフラーレン骨格上への重水素の転位という反応機構で進行すると予想される.また,4,5,6が選択的に合成できることから,シクロペンタジエニル部位を囲む五つのsp2炭素が順番にsp3炭素に変換されていく反応経路が推察される.

 最後に,水素化フラーレン遷移金属錯体を原料とする置換反応を検討した.レニウム錯体6および鉄錯体8に塩基としてテトラブチルアンモニウムヒドロキサイドを作用させ,過剰量の臭化ベンジルで捕捉した.反応は室温で速やかに進行し,それぞれジアルキル化体Re[C60(PhCH2)4Ph](CO)3(10,収率48%)およびFe[C60(PhCH2)4Ph](C5H5)(11,収率60%)を与えた.

 【第四章および第五章】フラーレン多重付加体の位置選択的合成と遷移金属錯体への展開(第四章:C60Me5H,第五章:C60(PhCH2)2PhH)

 骨格内にシクロペンタジエン構造を有するフラーレン多重付加体を位置選択的に合成し,これを原料とした遷移金属錯体の合成を行った.錯形成の手法としては金属交換反応を用いた.

 初めに,C60骨格内の一つの五員環が五つのメチル基で囲まれた化合物C60Me5H(12)を合成し,対応する遷移金属錯体合成を行った.C60に対してMeMgBr, CuBr・SMe2および1,3-ジメチル-2-イミダゾリジノンを等量用いて調整された有機銅試薬を室温で過剰量作用させたところ,C60Me5H(12)が92%の収率で得られた.12をt-BuOKで脱プロトンした後,[PtCl(methally1)]2を作用させたところ,金属交換反応が進行し,白金錯体Pt(C60Me5)(methallyl)(13)が3%の収率で単離された.

 次に,シクロペンタジエン部位が部分的に覆われている化合物C60(PhCH2)2PhH(3)を合成し,対応する遷移金属錯体合成を行った.3はC60(PhCH2)2に対するPhMgBrの位置選択的なカルボメタル化反応により,二種の位置異性体の混合物(異性体比約3:2)として76%の収率で合成できた.3の脱プロトンで生成するC60(PhCH2)2Phアニオンは,負電荷が骨格全体に分散するため,反応性の顕著な低下が考えられる.しかし,カリウム塩K[C60(PhCH2)2Ph]に対して[RhCl(cod)]2を作用させたところ,反応は室温で速やかに進行し,ロジウム錯体Rh[C60(PhCH2)2Ph](cod)(14)が93%の収率で得られた.なお,ロジウム錯体14はアセチレン三量化反応に対して触媒活性を示した.

 【第六章】高次フラーレンヘの展開

 C60に対して開発した手法を高次フラーレンC70に適用したところ,鉄及びロジウム錯体の合成に成功した.C70に対し過剰量のフェニルおよびメチル銅試薬を作用させたところ,C70Ph3H(15)およびC70Me3H(16)がそれぞれ95%および90%の収率で得られた.15の脱プロトンならびに金属交換反応により,ロジウム錯体Rh(C70Ph3)(cod)(17)を94%の収率で得ることに成功した.また,16に[Fe(C5H5)(CO)2]2を作用させたところ,C-H結合活性化が起き,鉄錯体Fe(C70Me3)(C5H5)(18)を34%の収率で単離できた.両錯体について,X線結晶構造解析によりその構造を明らかにした.

 【第七章】結論低原子価遷移金属錯体と水素供与体を作用させることで,フラーレンの位置選択的な水素化反応が進行することが分かった.今回開発した手法は高い汎用性を有すると期待され,様々な基質および金属への展開が見込まれる.また,水素化フラーレン遷移金属錯体は,配位子交換や置換反応による構造変換が可能なことが分かり,様々な立体構造および電子構造を有する錯体の前駆体として有用であると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなり,各章はそれぞれ以下のような内容からなっている.

【第一章】序フラーレンに対する位置選択的な反応は,独特な構造を有する分子の構築法として注目を集め,盛んに研究が行われている.これまで,有機銅試薬を用いる反応や鋳型を用いる反応などが見いだされ,アルキル基やアリール基などをフラーレン骨格に位置選択的に導入する手法が開発された.しかし,これらの手法を水素化反応に適用するのは原理的に不可能である.水素化フラーレンはフラーレンに還元剤を作用させることで合成でき,これまで様々な反応が試されてきたが,位置選択的な反応の例は知られていなかった.

 今回,低原子価遷移金属錯体の存在下で水素供与体を作用させる手法により,フラーレンの位置選択的な水素化が可能であることを見いだした.本手法により骨格内にシクロペンタジエン構造を有する水素化フラーレン誘導体および水素化フラーレンをη5配位子として有する遷移金属錯体が合成された.また,本研究ではアルキル化フラーレンの位置選択的合成と遷移金属錯体への展開も行い,種々のアルキル化フラーレン遷移金属錯体を合成した.

【第二章および第三章】フラーレンおよびその誘導体の位置選択的水素化による5炭素結合型水素化フラーレン遷移金属錯体の合成(第二章:レニウム錯体,第三章:鉄錯体)

 C60, Re2(CO)10, 9,10-ジヒドロアントラセン(DHA)のべンゾニトリル懸濁液を160℃,24時間加熱したところ,位置選択的な水素化および金属の導入が起き,水素化フラーレンレニウム錯体Re(C60H5)(CO)3(1)が8%の収率で得られた.粗生成物中にはRe(C60H5)(CO)2(PhCN)も検出され,1は配位子交換が可能な錯体であることが確認された.同様に,C60, [Fe(C5H5)(CO)2]2のべンゾニトリル懸濁液を160℃,24時間加熱したところ,水素化フラーレン鉄錯体Fe(C60H5)(C5H5)(2a)が25%の収率で得られた.水素化フラーレン金属錯体は中心金属周辺が立体化学的にすいており,例えば,[Fe((1,3-Me3Si)2C5H3)(CO)2]2を用いることで,かさ高いシクロペンタジエニル配位子を有する鉄錯体2bが合成可能であった.

 低原子価遷移金属錯体と水素供与体の組み合わせは,C60だけでなく,その誘導体に関しても有効であることが分かった.アルキル化フラーレンC60(PhCH2)H, C60(PhCH2)2, C60(PhCH2)2PhH(3,後述)に対してRe2(CO)10およびDHAを作用させたところ,位置選択的に水素およびレニウムが導入され,レニウム錯体Re[C60(PhCH2)H4](CO)3(4), Re[C60(PhCH2)2H3](CO)3(5), Re[C60(PhCH2)2PhH2](CO)3(6)がそれぞれ42%,52%,65%の収率で単離された.同様に,鉄錯体Fe[C60(PhCH2)2H3](C5H5)(7,収率44%)およびFe[C60(PhCH2)2PhH2](C5H5)(8,収率82%)も合成された.レニウム錯体6についてはX線構造解析により詳細な構造を明らかにしている.レニウム原子はフラーレン骨格の一つの5員環の上方に位置し,η5形式で配位していることが分かった.また,シクロペンタジエニル部位を取り囲む5つの炭素はすべてsp3構造を有しており,水素原子の存在が示唆された.水素原子の存在はX線結晶構造解析の差フーリエ合成図においても確認されている.

 さらに,本反応をプロトン源存在下で行うと,金属の導入が起きず,位置選択的な水素化のみが進行することを見いだした.過剰量の水存在下でC60(PhCH2)2PhH(3), Re2(CO)10およびDHAの混合物を加熱したところ,水素化フラーレン誘導体C60(PhCH2)2PhH3(9)が5種の位置異性体の混合物として61%の収率で得られた.9は下式に示す構造を有する水素化フラーレン類の初めての合成例である.9に対してRe2(CO)10を作用させたところ,C-H結合活性化が進行し,レニウム錯体6が生成した.なお,ベンゾニトリル中過剰量の水存在下で加熱しても6はほとんど分解しなかった.

 本反応の詳細な反応機構はいまのところ不明である.しかし,反応機構に関する情報を与える幾つかの実験結果が得られている.C60とDHAを加熱すると,主にC60H36からなる水素化フラーレンの混合物が得られる.この混合物にRe2(CO)10を作用させたところ,C60のみが生成し,1は全く検出されなかった.これより,水素化フラーレンが錯体の生成経路とは無関係なことが分かる.次に, C60Bn2PhD(3-d, >99%D)を原料として錯体合成を行ったところ,Re[C60(PhCH2)2PhHD](CO)3(6-d)およびFe[C60(PhCH2)2PhHD](C5H5)(8-d)がそれぞれ28%および73%の重水素化率で得られた.これは,錯体の生成経路において3-dの重水素が転位していることを意味する.この重水素の転位は,金属原子のC60-D結合への挿入,それに次ぐ金属ヒドリドからフラーレン骨格上への重水素の転位という反応機構で進行すると予想される.また,4,5,6が選択的に合成できることから,シクロペンタジエニル部位を囲む5つのsp2炭素が順番にsp3炭素に変換されていく反応経路が推察される.

 最後に,水素化フラーレン遷移金属錯体を原料とする置換反応を検討した.レニウム錯体6および鉄錯体8に塩基としてテトラブチルアンモニウムヒドロキサイドを作用させ,過剰量の臭化ベンジルで捕捉した.反応は室温で速やかに進行し,それぞれジアルキル化体Re[C60(PhCH2)4Ph](CO)3(10,収率48%)およびFe[C60(PhCH2)4Ph](C5H5)(11,収率60%)を与えた.

【第四章および第五章】フラーレン多重付加体の位置選択的合成と遷移金属錯体への展開(第四章:C60Me5H,第五章:C60(PhCH2)2PhH)

 骨格内にシクロペンタジエン構造を有するフラーレン多重付加体を位置選択的に合成し,これを原料とした遷移金属錯体の合成を行った.錯形成の手法としては金属交換反応を用いた.

 初めに,C60骨格内の一つの五員環が五つのメチル基で囲まれた化合物C60Me5H(12)を合成し,対応する遷移金属錯体合成を行った.C60に対してMeMgBr, CuBr・SMe2および1,3-ジメチル-2-イミダゾリジノンを等量用いて調整された有機銅試薬を室温で過剰量作用させたところ,C60Me5H(12)が92%の収率で得られた.12をt-BuOKで脱プロトンした後,[PtCl(methallyl)]2を作用させたところ,金属交換反応が進行し,白金錯体Pt(C60Me5)(methallyl)(13)が3%の収率で単離された.

 次に,シクロペンタジエン部位が部分的に覆われている化合物C60(PhCH2)2PhH(3)を合成し,対応する遷移金属錯体合成を行った.3はC60(PhCH2)2に対するPhMgBrの位置選択的なカルボメタル化反応により,二種の位置異性体の混合物(異性対比約3:2)として76%の収率で合成できた.3の脱プロトンで生成するC60(PhCH2)2Phアニオンは,負電荷が骨格全体に分散するため,反応性の顕著な低下が考えられる.しかし,カリウム塩K[C60(PhCH2)2Ph]に対して[RhCl(cod)]2を作用させたところ,反応は室温で速やかに進行し,ロジウム錯体Rh[C60(PhCH2)2Ph](cod)(14)が93%の収率で得られた.なお,ロジウム錯体14はアセチレン三量化反応に対して触媒活性を示した.

【第六章】高次フラーレンヘの展開

 C60に対して開発した手法を高次フラーレンC70に適用したところ,鉄及びロジウム錯体の合成に成功した.C70に対し過剰量のフェニルおよびメチル銅試薬を作用させたところ,C70Ph3H(15)およびC70Me3H(16)がそれぞれ95%および90%の収率で得られた.15の脱プロトンならびに金属交換反応により,ロジウム錯体Rh(C70Ph3)(cod)(17)を94%の収率で得ることに成功した.また,16に[Fe(C5H5)(CO)2]2を作用させたところ,C-H結合活性化が起き,鉄錯体Fe(C70Me3)(C5H5)(18)を34%の収率で単離できた.両錯体について,X線結晶構造解析によりその構造を明らかにした.

【第七章】結論低原子価遷移金属錯体と水素供与体を作用させることで,フラーレンの位置選択的な水素化反応が進行することが分かった.今回開発した手法は高い汎用性を有すると期待され,様々な基質および金属への展開が見込まれる.また,水素化フラーレン遷移金属錯体は,配位子交換や置換反応による構造変換が可能なことが分かり,様々な立体構造および電子構造を有する錯体の前駆体として有用であると考えられる.

 本論文の一部は中村栄一博士,澤村正也博士,松尾豊博士,飯倉仁博士,平井敦博士,國信洋一郎氏,加藤誠一氏,鈴木一博氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験・分析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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