学位論文要旨



No 117883
著者(漢字) 柳澤,秀行
著者(英字)
著者(カナ) ヤナギサワ,ヒデユキ
標題(和) アルキリデンカルベノイド炭素上での求核置換反応およびヒドラゾニウム塩のピロール類への変換反応
標題(洋)
報告番号 117883
報告番号 甲17883
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4354号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
 東京大学 講師 中村,正治
内容要旨 要旨を表示する

1)アルキリデンカルベノイド炭素上での求核置換反応

 代表的な求核置換反応の一つであるSN2反応は、sp2原子上では進行しないとされていた。それに対し、最近、当研究室では、オキシムsp2窒素原子上でのSN2型の求核置換反応が進行することを明らかにしている。筆者はオキシムとアルキリデンカルベノイドとの構造の類似性に着目し、カルベノイドsp2炭素上でも求核置換反応が進行すると考えた。実際、リチウムsp2カルベノイド炭素上で求核剤が置換した例が報告されているが、SN2反応以外に付加-脱離やカルベンの挿入なども考えられ、反応機構は不明確な点が多い。そこでまず、リチウムアルキリデンカルベノイドと分子内酸素求核種との求核置換反応をモデルとして、反応機構を詳細に検討することにした(式1)。

 式1に示すように、ヒドロキシ基を求核部位として持つ1に室温で2倍モル量のブチルリチウムを作用させたところ、発生したアルキリデンカルベノイドAに分子内のアルコキシドが置換した、環状ビニルエーテル2が収率良く合成できた。また、対照実験をいくつか行い、この反応はジブロモアルケンヘの求核種の付加-脱離や、カルベノイドから発生したカルベンのリチウム-酸素結合への挿入では進行していないことが分かった。さらに、計算的手法により、この置換反応の遷移状態は一つで、その構造はSN1機構に近いSN2型の反応であることが示唆された。

 次にこの求核置換反応を、Kaminsky型触媒など金属錯体の配位子に利用されるインデン類の合成に応用することにした。インデン類の合成法は多数報告されているが、多置換インデンを位置選択的に合成する一般的な手法はない。例えば、インデンを脱プロトンすると1-インデニルリチウムEが発生するが、二重結合の転位を起こしやすく、インデンへ位置選択的に置換基を導入するのは困難である。

 筆者は、分子内にo-ブロモアリール基を有するジブロモアルケン3にブチルリチウムを作用し発生させたsp2カルベノイドCにおいて、分子内求核置換反応が進行すれば、位置選択的にインデンを合成できると考えた。すなわち、カルベノイドCが環化して、3-リチオインデンDが生成する。Dはアルケニルリチウム種なので異性化し難く、求電子剤を作用させると3位に選択的に置換基が導入されたインデン4が得られると考えた(スキーム1)。

 ジブロモアルケン3に2倍モル量のブチルリチウムを作用させ30分撹拌した後、アルデヒドやジブロモエタンなどの求電子剤を添加すると、期待通りアルケニル位選択的に置換基の導入されたインデン4が得られた。ベンゼン環上に電子求引基や供与基、さらにアリール基の臭素のオルト位に置換基が存在しても環化反応は良好な収率で進行した。(式2)。

 同様に、架橋メチレン鎖を一炭素鎖延ばした5からは、位置選択的に多置換ジヒドロナフタレン6が合成できた(式3)。

 以上、リチウムアルキリデンカルベノイド炭素上で求核置換反応が進行することを明らかにした。さらにこの反応を活用して、従来困難であった多置換インデンの位置選択的な合成を行うことができた。

2)ヒドラゾニウム塩のピロールヘの変換反応

 酸化的付加は、遷移金属錯体を用いる触媒反応の重要な過程の一つである。sp2炭素-ハロゲン結合は様々な低原子価金属へ酸化的付加し、生じたカルボメタル種は、炭素-炭素結合形成に広く用いられている。しかし、sp2窒素-ヘテロ元素結合の金属への酸化的付加反応は、ほとんど知られていない。最近、当研究室では、オキシム窒素-酸素結合がパラジウム(0)に酸化的付加することでアミノパラジウム種を生じ、環状イミン合成に利用できることを見出している。筆者は、ヒドラゾニウム塩の窒素-窒素結合もパラジウム(0)へ酸化的付加してアルキリデンアミノパラジウム種を与えれば、アミノ化剤として活用できると考えた。まず、酸化的付加が起こるかどうかを検討した。

 DMF-d7中、ヒドラゾニウム塩7に等モル量のPd(PPh3)4を作用させると、1HNMRのメチル基の化学シフトが3.45ppmから2.78 ppmへと高磁場シフトした。この値は、trans-PdCl2(NMe3)2のメチル基の値2.58 ppmに近いことより、7の窒素-窒素結合がパラジウムにより開裂し、アルキリデンアミノパラジウム錯体8が発生したことが示唆された(式4)。さらに、31PNMRを観測するとtrans-PdBr(Ph)(PPh3)2のピーク23.5ppmに近い、26.3ppmにsingletのピークが確認できた。従って、8は平面正方形のパラジウム上に2つのリン原子がtrans配位していることが推測され、イミノ基とアミンがtransに配位していることが示唆された。

 アルキリデンアミノパラジウム種の活用を考え、γ,δ-不飽和ヒドラゾニウム塩9にパラジウム錯体を作用させアミノ-Heck反応を試みた。パラジウム触媒、配位子、塩基溶媒、ヒドラゾニウム塩の対アニオンを種々換え検討したところ、DMFやDMAなどの極性溶媒を用い、対アニオンとしてテトラフルオロホウ酸イオンやヘキサフルオロリン酸イオンを持つヒドラゾニウム9にPd(PPh3)4を作用させると、良好な収率でピロール10が得られることを見出した(式5)。

 この反応では、パラジウム-窒素結合にアルケンが挿入しやすくなる、カチオン性のアミノパラジウム錯体Fを与える対アニオンを用いた場合収率が良く、ヨウ化物塩などは不適であった。また酸化的付加によりトリメチルアミンが生じるためと考えられるが、通常のHeck反応と異なり塩基を添加する必要はない。

 以上、ヒドラゾニウム塩に0価パラジウムを作用させると窒素-窒素結合が開裂することが分かった。また、γ,δ-不飽和ヒドラゾニウム塩にパラジウム触媒を作用させると、酸化的付加の後パラジウム-窒素結合にアルケンの挿入が起こる、アミノ-Heck反応によって、ピロール類が合成できる。

Scheme 1.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、アルキリデンカルベノイド炭素上での求核置換反応と、ヒドラゾニウム塩のピロール類への変換反応について、二章にわたって述べたものである。

 第一章では、リチウムアルキリデンカルベノイド炭素上での求核置換反応を見出し、この反応を用いて多置換インデンなどの位置選択的合成法を開発した結果について述べている。

 SN2求核置換は有機化学の最も基本的な反応であり、sp3原子上では立体反転を伴いながら進行するが、sp2原子上では起こらないとされていた。一方、本著者は、リチウムアルキリデンカルベノイド炭素上であれば、sp2炭素上でSN2反応が起きることを見出した。すなわち、分子内にヒドロキシ基を持つジブロモアルケン1に2倍モル量のブチルリチウムを作用させると、発生したアルキリデンカルベノイドAを分子内のアルコキシドが攻撃し、環状ビニルエーテル2が生成する(式1)。

 また、対照実験によって、このsp2原子上での求核置換反応はジブロモアルケンヘの求核種の付加-脱離や、カルベノイドから発生したカルベンの、リチウム-酸素結合への挿入では進行していないことを示した。さらに、計算化学を応用し、この環化反応がSN1機構に近いが、一つの遷移状態を経由して協奏的に進行するSN2反応であることを明らかにした。

 この求核置換反応を利用して、Kaminsky型触媒などの金属錯体の配位子に利用されているインデン類の多置換体の位置選択的な合成に成功している。インデン類の合成法は多数あるが、従来法では位置選択的に置換基を導入することは困難である。例えば、インデンの脱プロトンでは1-インデニルリチウムが発生するが、これはアリルリチウム種であるため二重結合の位置異性化を起こしやすく、求電子剤との反応は位置選択的には起こり難い。

 一方、本著者はカルベノイド炭素上での求核置換反応を用いて、位置選択的に多置換インデンを合成している。すなわち、ジブロモアルケン3から発生させたsp2カルベノイドC上でSN2反応が進行すると、インデニルリチウムDが生成する。さらに、環化生成物であるアルケニルリチウム種Dは求電子剤と反応して、アルケニル位に位置選択的に置換基を導入することができる。さらに、フェニル基上に電子求引基や供与基を持つ基質や、臭素のオルト位に置換基が存在し立体的に嵩高い基質でも、環化反応は良好に進行する。この方法は、多置換インデンの優れた位置選択的合成法といえる。

 同様に、メチレン鎖を一炭素鎖延ばした5からは、位置選択的に多置換ジヒドロナフタレン6が得られる(式3)。

 第二章では、ヒドラゾニウム塩のパラジウムヘの酸化的付加を鍵反応とするピロール類の合成について述べている。

 近年、遷移金属触媒を用いる有機合成が盛んになっているが、その多くは炭素一炭素結合生成に関するものである。本著者はアルキリデンアミノ金属種を発生することができれば、窒素-炭素結合形成に利用できると考え、ヒドラゾニウム塩の酸化的付加によるアルキリデンアミノ金属種の発生と、その分子内アミノ-Heck反応について検討している。まず、NMRによる観測で、ヒドラゾニウム塩に等モル量のパラジウム(0)錯体を作用させると、酸化的付加が起きアルキリデンアミノパラジウム錯体が発生したと考えられる結果を得ている。この錯体には、EZ異性体が存在し、高温では速い平衡にあることが示唆されている。

 さらに、γ,δ-不飽和ヒドラゾニウム塩9にパラジウム触媒を作用させるとアミノ-Heck反応により、ピロール類が得られることを見出している。この反応では、カチオン性アルキリデンアミノパラジウム錯体Eが生じるBF4-やPF6-などを対アニオンに持つ基質では反応が良好に進行するが、ヨウ化物塩などは不適である。また、酸化的付加によりトリメチルアミンが生じるためと考えられるが、ハロゲン化アリールなどを用いる通常のHeck反応と異なり、塩基を添加する必要はない。

 以上、本著者はリチウムアルキリデンカルベノイド炭素上でSN2反応が起きることを見出し、この反応をインデンやジヒドロナフタレン、ジヒドロフランなどの環状アルケン類合成に応用している。特に、従来良い合成法のない多置換インデンの合成法として広く利用できると期待される。また、ヒドラゾニウム塩がパラジウム錯体に酸化的付加することを見出している。さらに、γ,δ-不飽和ヒドラゾニウム塩のアミノ-Heck反応による、ピロール類合成を達成している。

 これらの新しい結合形成反応に関する本業積は有機合成化学の分野に貢献するところ大である。また、本研究は三浦佳世、北村充、奈良坂紘一、安藤香織との共同研究であるが、論文提出者の寄与は十分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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