学位論文要旨



No 117886
著者(漢字) 吉川,浩史
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,ヒロフミ
標題(和) ビオロゲンをゲストとしたシアン化カドミウム系ホスト包接体の合成、構造と性質
標題(洋) [Synthesis, structures and properties of polycyano-polycadmate host clathrates including viologen as a guest]
報告番号 117886
報告番号 甲17886
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4357号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 錦織,紳一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 助教授 村田,滋
 東京大学 助教授 田中,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言 包接体は、ホストーゲスト相互作用およびゲスト-ゲスト相互作用に基づいた、新たな物性を示す可能性のある非常に興味深い物質系である。当研究室においても、そのような包接体の一つ、シアン化カドミウム系ホスト包接体がこれまでに多数合成され、構造化学的研究がなされてきた。このシアン化カドミウム系ホスト包接体は、(1)カドミウムをシアノ基が架橋することによってできた多次元連続構造を持つ負電荷ホスト[Cdx(CN)y]2x-y、(2)その負電荷を打ち消すためのカチオンゲスト(N(CH3)4+etc.)、(3)中性ゲスト(通常の有機物分子、ベンゼンetc.)、の三成分から構成される。

 本研究は、これまでの構造化学的研究を基に、ゲストに機能性分子を用いることで、上記相互作用に基づく新たな性質を示す包接体を開発し、さらに、その相互作用に関する知見を得ることを目的とした。

 機能性ゲストとしては、カチオンゲストに、独自の酸化還元特性を持つビオロゲン類を用いた。このビオロゲンは、アクセプターとしてドナーと電荷移動(CT)錯体を形成することや一電子還元されて無色のジカチオンから青色のモノラジカルカチオンに成り易いことから、光化学の分野などでよく用いられている分子である。

 筆者は修士課程において、カチオンゲスト・メチルビオロゲン(図1、MV2+)と中性ゲストを含む包接体を開発し、一部の包接体について構造を明らかにした。また、これらの包接体の中には、光照射により、ホスト内のMV2+がラジカル化し、無色から青色に変化するものがあることを見出した。博士課程においては、さらに様々な中性ゲスト(アルコール、エーテル、ハロアルカン、芳香族化合物など、イオン化ポテンシャルの低いものから高いものまで様々なもの)を用いて新たな包接体を開発し、その構造を明らかにするとともに、この光応答性の機構について検証することを試みた。その結果、図2に示すように、中性ゲストのイオン化ポテンシャル(IP)により、大きく分けて2つの包接体群、(1)IPの高い場合には無色包接体、(2)IPの低い場合には有色包接体、が得られることを明らかにした。これらの包接体の中には、光照射により色変化するものがあった。また、有色包接体にはMV2+ CT錯体が包接されていることが分かった。本研究では、この色変化および有色包接体の性質について、各種スペクトルおよび計算化学的手法を用いて検討を行い、これらの性質がホスト-ゲストおよびゲスト-ゲスト相互作用に基づくものであることを明らかにした。以下、無色、有色包接体の構造・光応答性、有色包接体の性質について述べる。

2.構造 合成したMV2+と中性ゲストを含む新包接体48種(無色包接体29種、有色包接体19種)のうち、無色のものについて計12種(そのうち2種はMV2+とホストのみから成る錯体(表1中のIV-1とV-1))、有色のものについて計10種の包接体の構造解析を行った。

 無色包接体では、ホスト構造は5種類に分類できた(表1)。ホスト構造は、どれも3次元構造であり、キャビティーの種類により、(1)かご状キャビティーを有するもの(Type I, II)、(2)トンネル状空孔を有するもの(Type III)、(3)それ以外のもの(Type IV, V)の3種類に分類できた。どの構造においても、MV2+と中性ゲストがスタックすることはなく、構造的にMV2+-中性ゲストCT錯体の形成は見られなかった。ここでは、かご状キャビティーを有するType IIのクロロホルム包接体の構造を図3に示す。Cd(II)と架橋シアノ基により形成された2種のかご状キャビティーにクロロホルムとMV2+は別々に包接されており、ゲスト間距離は3.654(9)Aであった。

 有色包接体では、ホスト構造は、8種に分類でき、1次元構造が1種(Type Vl)、2次元構造が3種(Type VII-IX)、トンネル状空孔を有する3次元構造が4種(Type X-XIII)の包接体においてみられた(表2)。また、ホスト内でMV2+と中性ゲスト(芳香族ゲスト)は、面間距離3.20(1)-3.83(2)Aで、ほぼ平面に重なり合っていた。MV2+:芳香族ゲスト比は、クレゾール類においては、1:2や2:3であり、それ以外では、1:1であった。可視部に吸収がみられることから、MV2+と芳香族ゲストはCT錯体を形成していると考えられた。このようにCT錯体という大きなゲストを含むため、無色包接体の場合と異なり、かご状よりも大きな空孔を持つホスト構造をとるという特徴が見られた。ここでは、MV2+-o-ジメトキシベンゼン包接体の構造を示す(図4)。ホスト構造は、2次元骨格をとり、b軸方向にできたトンネル状空孔に、MV2+-o-ジメトキシベンゼン1:1CT錯体がx=0.5,z=0.5に存在するb軸方向への21らせんにより配列している。MV2+とo-ジメトキシベンゼンの面間距離は3.49(1) Aであった。

3.光応答性 無色包接体の中には、330nmより短波長の光照射で無色から青色へ色変化を示すものがあった。また、有色包接体では、メシチレン(X-1)、ベンゼン(XII-2)包接体についてのみ光照射による色変化が見られ、この場合、330nmより短波長の光だけでなく、それより長波長側のCT吸収帯の光照射でも色変化が見られた。拡散反射スペクトルおよびESRスペクトルから、青色への変化は、MV2+が一電子還元されてモノラジカルカチオン(MV+)になったものであり、ラジカル量は光照射2時間で飽和し、約2%であることがわかった。また、青色になったものは、大気下暗所に放置すると無色への戻りが見られ、これは酸素によりMV+がMV2+に酸化されるためとわかった。色変化したMV2+-ジエチルエーテル包接体単結晶のac面には2色性が観測され、結晶構造との相関から、結晶内のビオロゲンがラジカル化していると確認できた(図5)。ただし、ラジカル化量から、結晶表面付近で発生したMV+による吸収のため、結晶内部のMV2+まではラジカル化していないと考えられた。

 このMV2+がラジカル化する機構については二つの可能性が考えられる。一つはMV2+とドナー間のCT相互作用に基づく電子移動であり、もう一つは、MV2+の吸収が290nm付近にあることから、MV2+が光照射により励起され、その後、ドナーから電子を受け取るという機構である。構造解析結果より、ホストとMV2+間距離が2.428(9〉-2.876(5) Aと短いことやホストとMV2+のみの化合物(V-1)が色変化することから、ホストがドナーである可能性が考えられる。一方、無色包接体の場合、イオン化ポテンシャルの低い中性ゲストを含む包接体ほど色変化しやすい傾向があることやCT錯体を形成している有色包接体で色変化がみられていることから、中性ゲストがドナーである可能性も示唆された。ただし、色変化した包接体の紫外可視スペクトルやESRスペクトルよりMV+以外の成分が観測されないことなどから、現段階では機構およびドナーを特定できていない。なお、有色の包接体でメシチレン、ベンゼンよりドナー性の強い中性ゲストを含む包接体では色変化が見られず、それはMV+からドナーへの逆電子移動が速いためと考えられた。以上より、包接体の色変化に、ホスト-ゲスト、ゲスト-ゲスト間の電子的な相互作用が関与している可能性を明らかにした。

4.有色包接体の性質有 色包接体に見られた可視域の吸収帯が何に由来するかを検討するため、2色性の観測されるMV2+-o-ジメトキシベンゼン包接体結晶の単結晶偏光吸収スペクトルを測定した。それにより決定された可視部の吸収の遷移方向は、分子軌道計算から求まったドナー(芳香族ゲスト)に局在するHOMOからアクセプター(MV2+)に局在するLUMOへのCT遷移の方向と一致することがわかった。このことより、ホスト内のゲストはCT錯体を形成していると確証された。これらの包接体のCT吸収帯(hvCT)は、ドナーのイオン化ポテンシャルとの間に非常に良い相関関係を持ち、アセトニトリル溶液中のCT吸収帯から大幅な長波長シフトを示した(図6)。この長波長シフトの原因を明らかにするため、ホストおよび隣接するCT錯体の静電的な効果を入れた分子軌道計算をおこなった。その結果、ホストの効果よりも隣接したCT錯体中のMV2+とMV2+の近接が長波長シフトの一要因となることがわかった。このようにジカチオン同士が近付いた静電反発の大きな配列は、通常のCT錯体結晶では見られない配列であり、包接体ホストに束縛されることで可能となる配列である。また、本包接体で見られる長波長シフトが、通常言われているドナーとアクセプター間の距離の短縮によるものではないことも明らかにした。以上より、ゲストーゲスト相互作用の重要性を示した。

5.まとめ 筆者は、カチオンゲストにMV2+、中性ゲストに様々な有機物分子を用いることで、中性ゲストのイオン化ポテンシャルの違いにより性質の異なる、非常に興味深い包接体系を構築することに成功した。また、構造解析が容易であるという本包接体の利点を生かし、それぞれの包接体にみられた性質(光応答性および長波長シフト)を構造と関連付けて検討することで、ホスト-ゲスト、ゲスト-ゲスト相互作用に関する知見を得ることができた。

図1:メチルビオロゲンジカチオン(MV2+)

図2:中性ゲストのイオン化ポテンシャルと得られた2種の包接体群の関係

括弧内はイオン化ポテンシャルの値(eV)

表1:無色包接体のホスト構造による分類と組成式

図3:MV2+-クロロホルム包接体(IIa-1)の構造

0:6配位Cd, T1.T2:4配位Cd)

表2:有色包接体のホスト構造による分類と組成式

図4:MV2+-o-ジメトキシベンゼン包接体(IXa-1)の構造

DMOB:o-ジメトキシベンゼン

図5:MV2+-ジエチルエーテル包接体(IIb-1)結晶の2色性

(a)単結晶偏光吸収スペクトル(b)結晶中のMV2+の配列(遷移モーメントはMV+分子の長軸方向)

図6:hvCTとドナーのイオン化ポテンシャルの関係

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり、第1章「序」では、これまでのシアン化カドミウム系ホスト包接体に関する研究の概観、現時点における問題点および本論文の研究目的、第2章「包接体の合成と構造」では、合成実験とそれにより得られた包接体の結晶構造、第3章「包接体の光応答性」では、第2章で得られた包接体のうち光応答性を示すものの性質と光応答の機構に関する実験とその考察、第4章「有色包接体の性質」では、第2章で得られた包接体のうち色を持つものの性質と色の起源に関する実験および理論計算とその考察、第5章「まとめ」では論文の総括と今後の展望について述べられている。

 本論文の研究対象となっているシアン化カドミウム系ホスト包接体は、今までに構造に関する膨大な研究はあるものの、それを利用した物性発現に関する研究は皆無であった。そこで、筆者は本論文において、シアン化カドミウム系ホストに、強いアクセプター性を持つビオロゲンとドナー性を示す芳香族分子のふたつを同時にゲストとして取り込ませた包接体を構築し、そこに起こるであろうホスト-ゲストあるいはゲスト-ゲスト間相互作用を利用した物性の発現とその機構の解明を研究目的として設定した。合成実験の結果、48種類の新しい包接体が得られ、そのうちの22種について結晶構造を決定した。構造化学の面では、今回使用したゲストがこれまで用いられたゲストとしては最大の大きさを持つことから、今までにないシアン化カドミウム系ホストの構造の発見やホスト構造形成に関する新しい知見を得ている。合成で得られた包接体は、無色であるが光照射により青色に変色する光応答性を示すものと、初めから黄色から褐色に着色したものの2種にわかれた。光応答性を示すものは、ビオロゲンとドナー性ゲストがホスト内の別々のキャビティに包接されており、光により着色するのは包接体内のビオロゲンが還元されラジカル化することによるものであることを明らかにした。そして、実験的制約から最終結論には至ってないが、ビオロゲンの還元の機構について実験と考察から2つの可能性を提示した。一方、

 有色包接体は、ビオロゲンとドナー性ゲストとの間に形成された電荷移動錯体がゲストとし包接されており、この電荷移動錯体が示す光吸収が色の原因となっていることを、結晶構造、単結晶吸収スペクトル、理論計算から明らかにした。ここで発見された電荷移動錯体は、溶液状態や通常の結晶体に比べ、顕著な電荷移動吸収帯の長波長シフトを示すが、その原因が包接体内におけるビオロゲン同士の静電反発にあることを計算化学の手法により解明した。このような静電反発を生む分子配列は、包接体ホスト内でなければ実現することは難しく、本系ホストの包接による独自の効果と考えられる。

 以上のように、シアン化カドミウム系ホストという場に電子的な相互作用を組み込んだ包接体を初めて開発合成した、その結果、包接体独自の構造に基づく物性発現を実現した、また、その物性発現の機構について詳しい検討を行った、特に有色包接体については理論計算による検証に成功した、といった成果が本論文において得られた。なお、他の固体マトリックスにおいても類似の研究はあるが、その多くは結晶構造が明らかとなっておらず、構造情報なしで推察されている場合が多い。本論文の、結晶構造を明らかにしその構造情報を基にスペクトルや計算化学的手法で物性発現の機構に踏み込んでいる点は、既存の研究に比べ進んだものと評価できる。したがって、ここで得られた成果と知見は、化学とくに包接体化学の分野において、従来にはなかったもので高い価値があると認められる。

 なお、本論文第2章は錦織 紳一、Kinga Suwinska、Roman Luboradzki、Janusz Lipkowskiとの、第3章は錦織 紳一、渡部 徳子、石田 俊正、渡邉 剛、村上 真実との、第4章は錦織 紳一、石田 俊正との共同研究であり、一部は既に学術雑誌に公表されたものであるが、すべてにわたり論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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