学位論文要旨



No 117889
著者(漢字) 瀬尾,秀宗
著者(英字)
著者(カナ) セオ,ヒデタカ
標題(和) ニワトリ抗体遺伝子座における遺伝子変換と転写の共役
標題(洋)
報告番号 117889
報告番号 甲17889
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4360号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂野,仁
 理化学研究所 主任研究員 柴田,武彦
 理化学研究所 助教授 榎森,康文
 理化学研究所 助教授 堀越,正美
 理化学研究所 助教授 室伏,擴
内容要旨 要旨を表示する

<序>

 生物はさまざまな外界の異物の侵入を受けているが、侵入してきた無数の異物を迎撃する機構が免疫システムである。中でも抗体分子は最も重要な役割をはたす因子の一つであることが古くから知られている。限られた数の抗体遺伝子から、多様な異物に対応する抗体分子をつくりだすメカニズムに関しては、数多くの研究がなされてきた。ヒトやマウスでは、抗体遺伝子の一次多様性はV(D)J組換えにより獲得されることは周知のことであるが、ニワトリやウサギにおいては、これが遺伝子変換により引き起こされることが明らかになっている。この体細胞高頻度遺伝子変換は、高等真核生物の体細胞において遺伝子座特異的に起きる相同組換えであるという点で極めて興味深い現象であるが、さらに相同組換えを用いることで多様性を生み出しているという点は、相同組換えの進化における役割を考える上でも重要である。本研究において筆者は、相同組換えのモデル系としてニワトリ抗体軽鎖遺伝子座における遺伝子変換に着目し、ニワトリB細胞由来の培養細胞株DT40を用いて解析を行った。DT40培養細胞では、抗体軽鎖遺伝子座において多様性獲得のための遺伝子変換が培養細胞レベルで起きていることが知られている。さらに、ターゲットインテグレーションが可能なことから、遺伝子操作が可能な系として、特に組換えの研究において活発に利用されている細胞株である。本研究では、このDT40細胞を用いて遺伝子変換と転写の関係を解析することを試みた。

 体細胞高頻度遺伝子変換と転写の共役関係は、以下の3つ事実から推測された。1)体細胞高頻度突然変異と体細胞高頻度遺伝子変換は様々な点で機構を共有していることが明らかになってきているが、体細胞高頻度突然変異が転写と共役した現象であること。2)酵母の減数分裂における遺伝的相同組換えの制御に、転写の機構を利用したクロマチンのアクセシビリティーおよびヒストンのアセチル化の上昇が関与していること。3)V(D)J組換えにおいてもクロマチンのアクセシビリティーおよびヒストンアセチル化の上昇が重要であると考えられ、それに伴った転写の活性化がみられること。そこで本研究では、まずDT40培養細胞をヒストン脱アセチル化酵素の阻害剤であるトリコスタチンA(TSA)で処理することで、抗体遺伝子座における遺伝子変換頻度にどのような影響が見られるかを調べた。その結果、TSA処理により遺伝子変換頻度に著しい上昇が観察された。またTSA存在下で遺伝子変換が活性化されている条件で、抗体遺伝子の転写やヒストンアセチル化が促進されることを確認した。以上の結果は、遺伝子変換が転写と共役して活性化される可能性を示唆する。そこで、次に人為的に転写誘導が可能な系を用いて、転写と遺伝子変換の関係を調べた。その結果、転写活性化に応じて遺伝子変換が活性化されることを見い出した。以上から、ニワトリDT40細胞内では、転写の活性化と遺伝子変換との間に正の相関があることが強く示唆された。

<結果と考察>

 トリコスタチンA処理による遺伝子変換の促進

 ニワトリ抗体軽鎖遺伝子座では、正常V遺伝子は一つしか存在しないが、上流に25個の偽V遺伝子がクラスターを形成している。遺伝子変換により正常V遺伝子に偽V遺伝子が次々と上書きされることで、V遺伝子の多様性が獲得される。DT40では、抗体軽鎖遺伝子上の遺伝子変換が、培養細胞レベルで起きている。転写と遺伝子変換の関係を調べるために、TSAの遺伝子変換頻度に対する影響を検討した。遺伝子変換頻度は、以下のようにして測定される。通常DT40は、細胞表面にレセプター型IgMを発現しているが、遺伝子変換により抗体遺伝子にフレームシフト変異等が導入され、IgM(-)になる細胞が出現する。遺伝子変換頻度は、このlgM(-)の細胞からlgM(+)細胞が出現する頻度を測定することで解析される。限外希釈法によりクローン化した細胞を100万個程度まで増殖させ、抗IgM抗体で染色し、FACSによりIgM(+)細胞の割合を測定し、遺伝子変換頻度とした。

 この実験をTSAを加えた培地で行った場合、遺伝子変換頻度の著しい上昇がみられた。このTSAの効果はTSA濃度依存的、またTSA処理時間依存的であることも確認し、さらにTSAを抜くことで遺伝子変換頻度の促進は抑制される、可逆的な反応であることも明らかになった。次に、実際に遺伝子変換が生じているかどうかを検討した。生細胞5000個をソートし、ゲノムを抽出後、PCRで抗体軽鎖遺伝子を増幅し、TAクローニング後、配列を調べた。すると、TSA処理をした細胞では遺伝子変換の結果と考えられる配列が見い出されたのに対し、TSA未処理細胞では特に検出されなかった。TSA処理細胞では、遺伝子変換に加え点突然変異、遺伝子欠失、遺伝子挿入などもみいだされた。次に、TSA処理により抗体軽鎖遺伝子の転写量が変化するかを調べた。リボソーム遺伝子の転写産物で標準化した場合、TSA濃度依存的に転写量は増大する傾向にあることも明らかになった。

 人工的コンストラクトにおける遺伝子変換

 遺伝子変換の転写との関係をより詳しく解析するため、人工的なコンストラクト上で遺伝子変換を起こさせることを試みた。ニワトリ抗体軽鎖遺伝子に特徴的な配列として、核マトリックス結合領域(MAR)、及び3'エンハンサーがあげられる。テトラサイクリン誘導プロモータ下流にCFP遺伝子をつなぎ、さらにその下流にMAR、3'エンハンサーを配置し、更に誘導プロモーターより上流にGFP遺伝子を挿入したコンストラクトを作製した。CFPとGFPは極めて相同性が高いことから、もしこのコンストラクト上で遺伝子変換が起きうるならば、CFPがGFPに変換されることが期待される。これを、テトラサイクリン誘導転写因子発現ベクターとともにDT40細胞に共感染させ、テトラサイクリン誘導によりCFPを発現するクローンを得た。誘導後、FACSにより蛍光強度を測定すると、誘導時間依存的に通常のCFPより蛍光強度の強いクローンが出現した。本研究で用いたFACSでは、GFPはCFPより強い蛍光を発することから、一部にGFPの蛍光を発する細胞が出現した可能性を示唆している。この強蛍光が、GFPと同じ蛍光であるかどうかを調べるために、誘導5日目の細胞集団を蛍光顕微鏡により観察した。その結果、CFPの蛍光を発する集団の中に、GFPの蛍光を発する細胞が混在していることが明らかになった。次に、これが遺伝子変換によりCFPがGFPに変換された結果かどうかを確認するため、強蛍光の細胞5000個からゲノムを抽出した後、誘導プロモーター下流の配列を増幅し、クローニン後、配列を解析した.するとCFPとGFPのキメラな配列が4種類、見い出された。同様にして、ドナーとなるGFPの領域の配列を調べると、いずれもGFPの配列しか見い出されなかった。

<考察>

 TSAはヒストン脱アセチル化酵素の阻害剤であることから、TSA処理により細胞全体のヒストンのアセチル化状態は上昇する。一般に、ある領域のクロマチンでのヒストンのアセチル化状態の上昇は、それに伴う転写活性上昇の必要条件であると考えられる。このことから、TSA処理により遺伝子の転写量は増大する傾向にある。実際本実験において、抗体軽鎖遺伝子の転写活性はTSA濃度、さらにTSA処理時間に依存して増大するという結果が得られている。従って、TSA処理により抗体軽鎖遺伝子における遺伝子変換頻度が上昇したことは、遺伝子変換が転写に依存した制御を受けている可能性を示唆している。しかしながら、TSA処理は抗体遺伝子の転写のみならず他の様々な因子の転写活性を変化させるため、遺伝子変換頻度の上昇は単に他の因子の転写量の変化による、二次的な影響である可能性も否定できない。そこで試みたのが人工的なコンストラクト上での遺伝子変換である。このコンストラクトにおいては、転写は誘導プロモーターにより制御され、他の因子の転写は影響を受けないことから、より直接的な解析が可能である。CFPとGFPのキメラな配列が見い出されたことは、CFPとGFPの間で組み換えが起こったことを示唆している。さらに、ドナーとなるGFPの配列には変化は見られず、このことは遺伝子変換が起きたことを意味している。FACSおよび顕微鏡の結果は、この遺伝子変換が転写誘導に依存して起きていること示唆している。以上の結果は、抗体遺伝子の遺伝子変換が転写と共役していることを強く示唆していると考えられる。

<展望>

 本研究で得られた結果は、技術的観点からみても極めて興味深い。TSA処理による遺伝子変換の加速や、人工的なコンストラクトにおける遺伝子変換は、人為的に相同組換えを制御しうることを意味している。特に人工的コンストラクトでの遺伝子変換に関しては、PCRを用いて試験管内で相同遺伝子間に相同組換えを起こさせる実験系であるDNAシャフリングという技術を、生体内で再現しうることを意味する。DNAシャフリングの結果によると、突然変異よりも相同組換えの方が進化を加速する効果は高いということが示唆されており、細胞内で相同性のある任意の遺伝子の間での組換えを起こさせる技術は、任意の遺伝子を細胞内で進化させることに他ならない。細胞に適当な選択圧をかけることで、従来よりも高い活性を有する酵素等を、細胞内でつくらせうる可能性を示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ニワトリ抗体遺伝子座における遺伝子変換と転写の共役関係について解析した研究であり、4章から構成される。

 第1章は、序として、関連分野の概略を解説している。ニワトリ抗体遺伝子座における遺伝子変換にはじまり、最近次々と明らかになりつつあるクロマチン構造による組換えの制御に関し説明するとともに、本実験に用いたDT40培養細胞の紹介も行っている。

 第2章は、本論文で用いた方法と材料に関して述べている。

 第3章は、DT40を用いて、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤であるトリコスタチンA(TSA)による処理が、抗体遺伝子座におけるヒストンのアセチル化を伴った形で遺伝子変換頻度を上昇させるという結果に関して報告している。通常DT40は、細胞表面にレセプター型IgMを発現しているが、遺伝子変換により抗体遺伝子にフレームシフト変異等が導入され、IgM(-)になる細胞が出現する。このIgM(-)の細胞からIgM(+)細胞が出現する頻度を測定することで遺伝子変換頻度を解析した。細胞をTSA処理することにより、IgMの出現頻度が著しく上昇した。これが遺伝子変換頻度の上昇によるものであるかどうかを確認するために、抗体軽鎖遺伝子可変領域の配列を解析した。その結果、TSA処理した細胞の軽鎖可変領域には、遺伝子変換の結果生じたと考えられる配列が多数見られたのに対し、TSA処理していない細胞に関しては全く見られなかった。以上から、TSA処理により、遺伝子変換頻度が上昇したことが示唆された。また、TSA処理は一般的に様々な遺伝子の転写活性を上昇させることから、抗体遺伝子の転写活性に影響を与えているかどうかを、ノーザンブロットにより検討した。その結果、TSA濃度依存的な抗体遺伝子の転写量の上昇がみられた。さらにTSA処理した細胞から抽出したトータルヒストンを、抗アセチル化ヒストン抗体を用いたウエスタンブロットにより解析したところ、TSA処理は細胞のヒストン全体のアセチル化状態を昂進させることが明らかになった。またクロマチン免疫沈降法をもちいて、抗体軽鎖遺伝子クロマチンのヒストンH4のアセチル化状態も、TSA濃度依存的な上昇を示すことが明らかになった。

 以上の結果から、ニワトリ抗体遺伝子座における遺伝子変換と、転写の相関関係が示唆された。

 第4章は、遺伝子変換と転写の相関をより詳しく検討するために、抗体遺伝子を模した、人工的な構築物をDT40細胞に導入し、解析している。テトラサイクリン誘導プロモーター下流にECFP、抗体軽鎖遺伝子MAR、抗体軽鎖遺伝子エンハンサーを順につなぎ、さらにプロモーターの上流にEGFPを挿入し、この構築物をDT40に導入した。もしこの構築物情で遺伝子変換が起きるのならば、ECFPがEGFPに変換され、これは蛍光の違いにより検出できる。誘導を開始したところ、転写誘導依存的に、EGFP特異的な蛍光を発する細胞が出現した。これが遺伝子変換の結果であるかどうかを確かめるために、EGFP特異的な蛍光を発する細胞集団を分取し、プロモーター下流の配列を解析したところ、ECFP遺伝子とEGFP遺伝子がキメラを形成した配列が複数見出された。

 しかしながら、プロモーター上流の配列は、EGFPのみが見られた。これらの結果は、転写誘導依存的に遺伝子変換が起きたことを示唆していると考えられる。

 本研究では、細胞生物学的および分子生物学的手法を複合的に用いることによって、抗体遺伝子座における遺伝子変換と転写の共役の機構を研究している。本研究によって得られた結果は、新しい知見を多く含み、免疫細胞における遺伝子変換機構のみならず体細胞一般の組換え機構の研究に寄与するところが多いと考えられる。本論文の第3章および第4章は山田貴富、室伏擴、柴田武彦、太田邦史との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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